DVD+BOOK 退院支援、べてる式。
退院支援は「質」より「量」!
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「え、患者さんが良くなったら退院じゃないんだ」「うん、退院すると患者さんは良くなるんだって(笑)」――過疎・赤字・人手不足という過酷な環境のなかで、130床を60床に減らした浦河赤十字病院。「問題だらけ」だからこそできた逆説的ノウハウを一挙公開! 事件は何も起こらないけれど、静かな感動を呼ぶDVD77分+テキスト120ページ。
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- 序文
- 目次
序文
開く
まえがき
過疎の町、浦河に咲く麗しい花
北海道医療大学教授(浦河べてるの家理事)
向谷地生良
海外を含めて、精神保健福祉領域はもとより、文化人類学、哲学、社会学、環境、防災、建築など、じつにさまざまな分野の研究者や臨床家が「べてるの家」がある浦河を訪れるようになった。
何が多くの関係者を惹きつけるのかを一言で語ることはむずかしいが、ある文化人類学者の言葉がおもしろい。「アマゾンに行かなければ体験できないことが、日本で体験できるところ、それが浦河の魅力」だというのである。それは「幻覚&妄想大会」に象徴されるように、1人ひとりがかかえる幻覚や妄想が日常生活のなかに露出しながらも、一方でそれらに馴染んでいることに対することへの驚きを語った言葉である。
浦河は、地震や津波をはじめ風水害にもたびたび見舞われる。また、先住民であるアイヌ民族の人たちも含めて、じつは複数の民族が共存する地域としての特徴もある。過疎化がすすむ典型的な公共事業依存の町でもある。その意味で浦河という町は、「日本という国のかかえるさまざまな課題」を象徴的に体感できる地域である。
◎“勝手な町おこし”の活動拠点
べてるの家はそのような土地柄のなかで生まれた、精神障害をもつ人たちと町民有志による“勝手な町おこし”の地域活動拠点である。勝手な集まりが作業所へと発展し、それが現在は社会福祉法人となって、地域福祉の一翼を担っている。
べてるの家の見学者や出版物を読んだ人たちの語る感想に共通しているのが、「逆説的な実践」とか「逆転の発想」という言葉である。私たちは、精神障害をもつ人たちの現実を、世間一般やこの「業界」の常識とは違った視点から見てきた。そこに浦河での取り組みのユニークさがあるとするならば、それは浦河という地域の社会的・歴史的条件抜きには語れないような気がする。
たとえていうなら、トマトが甘みを増すためには乾燥した過酷な自然環境が必要であるように、べてるの家を生み出したのは、まぎれもなく過疎化がすすむ北海道日高という地域の「過酷な環境」なのである。
◎絶体絶命の条件下に咲いた花
浦河という地域は、精神病の有病率、失業率、生活保護の受給率のいずれもが高率である。大学進学率は低く、地域住民(人口1万5000人)の半数は、年間所得150万円以下の生活を余儀なくされている。
地域の中心病院である浦河赤十字病院は、慢性的に医師・看護師を含めたスタッフ不足に悩まされている。精神科病棟ひとつをとっても、看護師の平均年齢は20代で、回転も速く、数年で主だった看護スタッフが入れかわり、単科の精神科病院と違って技術や経験の継承がきわめて困難ななかで仕事をしている。
病院の経営は慢性的な赤字で、危機的な財政悪化に苦しむ地元自治体にも、障害者の地域生活を支える基盤を整備するゆとりはほとんどない。公共事業は半減し、国や道の出先機関は廃止され、地域の中心産業である競走馬の生産も振るわず、建設業者の倒産や廃業も相次ぎ、商店の売り上げや地域の経済活動は縮小の一途をたどっている。
障害者自立支援法がはじまってからようやくスタートした精神障害者へのホームヘルパーの派遣も、1人の枠を確保するのに四苦八苦し、相談支援体制も、財政難から地域の事業所への委託が進まずに棚上げ状態となっている。
いまの日本で、官民一体となった、障害者を支える地域支援体制の優れた実践モデルを探すとすれば、むしろ浦河はまだ十分に「後進地域」なのだ。しかし、そのような絶体絶命の悪条件のなかでこそ、「べてるの家」という麗(うるわ)しい花が咲いたともいえるのである。
いまや浦河という地域のかかえる脆弱性を補って余りある、100名以上の当事者たちの幾重にも折り重なった暮らしの絆が、浦河の精神保健福祉ばかりではなく、地域そのものを下支えしている。浦河のかかえるさまざまな悪条件が「好条件」となって、循環する風土ができあがったのである。
つまり私たちは、あらゆる事柄に限界や困難を感じて投げ出したいと思ったとき、そこに「当事者の力」という、もっともシンプルな可能性を見いだしたのだ。
◎共に行きづまり、共に挫折してきた
べてるの家のキャッチフレーズに「べてるは、今日もあしたもあさっても問題だらけ……それで順調!」というのがある。地域がかかえる悪条件は、改善するどころか日増しに増幅しつつある。それこそ、どこを見ても「問題だらけ」である。私たちはそのなかで、人と人とが共に集まり、知恵を出し合うことで互いを育んできた。
大切にしてきたことは、行きづまったり困ったりする局面を、つねに当事者と共有してきたことである。いつも共に行きづまり、共に挫折をしてきた。私たちが誇れるのは、唯一、そのことである。
この『退院支援、べてる式。』のいちばんのテーマもそこにある。
この困難の多い町、浦河で、障害者自立支援法が施行される5年前(2001年)に、転院をさせずに、完全な地域移行のかたちで病床削減(130床を60床に)を実現させたのは、まちがいなく25年に及ぶ当事者活動の蓄積と、そこから生み出された「べてるの家」の存在があったからだと考えている。
◎「当事者の力」への大きな信頼
以前、無農薬でりんごを育てる農家が紹介されているのをテレビで見たことがあった。農薬や機械に頼らず、土を大切にして、りんごが本来もっている力と、それを活かす微生物や虫との共生的な営みを利用して、完全無農薬のりんごづくりを実現させていた。そこで語られる思いと具体的な作業は、ほとんどそのまま、べてるの家が歩んできた営みと重なると思った。そこがいわゆる「べてる式」のおもしろさであり、むずかしさでもある。
この30年のあいだ、浦河という痩せた土地を開墾して、コツコツと土づくりに励むなかでできあがった黒土の大地が収穫を迎えようとしている。その経験からいうと、国が推し進める退院促進事業を含めた障害者自立支援法も、一歩間違うと農薬や機械に頼った近代農業の二の舞に陥る可能性があると思う。
浦河には“病気に足下を見られる”という表現がある。精神障害をかかえるというきわめて人間的な営みに対し、私たちがそこに「人が生きる」ということの深淵さを見失ったとき病気は勢いを増す、ということである。
「退院支援」でもっとも大切なことは、治療や援助技術の向上や地域の支援体制の整備は当然として、基本的な人と人とが織りなす素朴な営みを取り戻すことだと私は思っている。そこには「当事者の力」というもっとも大切な力への信頼と、専門家自身の「前向きな無力さ」が必要となる。そのことが、この『退院支援、べてる式。』から少しでも伝われば幸いである。
最後になったが、このDVDブック作成にあたっては森田惠子さん、MCメディアンのみなさん、医学書院の白石正明さんにはたいへんお世話になった。記して感謝したい。
過疎の町、浦河に咲く麗しい花
北海道医療大学教授(浦河べてるの家理事)
向谷地生良
海外を含めて、精神保健福祉領域はもとより、文化人類学、哲学、社会学、環境、防災、建築など、じつにさまざまな分野の研究者や臨床家が「べてるの家」がある浦河を訪れるようになった。
何が多くの関係者を惹きつけるのかを一言で語ることはむずかしいが、ある文化人類学者の言葉がおもしろい。「アマゾンに行かなければ体験できないことが、日本で体験できるところ、それが浦河の魅力」だというのである。それは「幻覚&妄想大会」に象徴されるように、1人ひとりがかかえる幻覚や妄想が日常生活のなかに露出しながらも、一方でそれらに馴染んでいることに対することへの驚きを語った言葉である。
浦河は、地震や津波をはじめ風水害にもたびたび見舞われる。また、先住民であるアイヌ民族の人たちも含めて、じつは複数の民族が共存する地域としての特徴もある。過疎化がすすむ典型的な公共事業依存の町でもある。その意味で浦河という町は、「日本という国のかかえるさまざまな課題」を象徴的に体感できる地域である。
◎“勝手な町おこし”の活動拠点
べてるの家はそのような土地柄のなかで生まれた、精神障害をもつ人たちと町民有志による“勝手な町おこし”の地域活動拠点である。勝手な集まりが作業所へと発展し、それが現在は社会福祉法人となって、地域福祉の一翼を担っている。
べてるの家の見学者や出版物を読んだ人たちの語る感想に共通しているのが、「逆説的な実践」とか「逆転の発想」という言葉である。私たちは、精神障害をもつ人たちの現実を、世間一般やこの「業界」の常識とは違った視点から見てきた。そこに浦河での取り組みのユニークさがあるとするならば、それは浦河という地域の社会的・歴史的条件抜きには語れないような気がする。
たとえていうなら、トマトが甘みを増すためには乾燥した過酷な自然環境が必要であるように、べてるの家を生み出したのは、まぎれもなく過疎化がすすむ北海道日高という地域の「過酷な環境」なのである。
◎絶体絶命の条件下に咲いた花
浦河という地域は、精神病の有病率、失業率、生活保護の受給率のいずれもが高率である。大学進学率は低く、地域住民(人口1万5000人)の半数は、年間所得150万円以下の生活を余儀なくされている。
地域の中心病院である浦河赤十字病院は、慢性的に医師・看護師を含めたスタッフ不足に悩まされている。精神科病棟ひとつをとっても、看護師の平均年齢は20代で、回転も速く、数年で主だった看護スタッフが入れかわり、単科の精神科病院と違って技術や経験の継承がきわめて困難ななかで仕事をしている。
病院の経営は慢性的な赤字で、危機的な財政悪化に苦しむ地元自治体にも、障害者の地域生活を支える基盤を整備するゆとりはほとんどない。公共事業は半減し、国や道の出先機関は廃止され、地域の中心産業である競走馬の生産も振るわず、建設業者の倒産や廃業も相次ぎ、商店の売り上げや地域の経済活動は縮小の一途をたどっている。
障害者自立支援法がはじまってからようやくスタートした精神障害者へのホームヘルパーの派遣も、1人の枠を確保するのに四苦八苦し、相談支援体制も、財政難から地域の事業所への委託が進まずに棚上げ状態となっている。
いまの日本で、官民一体となった、障害者を支える地域支援体制の優れた実践モデルを探すとすれば、むしろ浦河はまだ十分に「後進地域」なのだ。しかし、そのような絶体絶命の悪条件のなかでこそ、「べてるの家」という麗(うるわ)しい花が咲いたともいえるのである。
いまや浦河という地域のかかえる脆弱性を補って余りある、100名以上の当事者たちの幾重にも折り重なった暮らしの絆が、浦河の精神保健福祉ばかりではなく、地域そのものを下支えしている。浦河のかかえるさまざまな悪条件が「好条件」となって、循環する風土ができあがったのである。
つまり私たちは、あらゆる事柄に限界や困難を感じて投げ出したいと思ったとき、そこに「当事者の力」という、もっともシンプルな可能性を見いだしたのだ。
◎共に行きづまり、共に挫折してきた
べてるの家のキャッチフレーズに「べてるは、今日もあしたもあさっても問題だらけ……それで順調!」というのがある。地域がかかえる悪条件は、改善するどころか日増しに増幅しつつある。それこそ、どこを見ても「問題だらけ」である。私たちはそのなかで、人と人とが共に集まり、知恵を出し合うことで互いを育んできた。
大切にしてきたことは、行きづまったり困ったりする局面を、つねに当事者と共有してきたことである。いつも共に行きづまり、共に挫折をしてきた。私たちが誇れるのは、唯一、そのことである。
この『退院支援、べてる式。』のいちばんのテーマもそこにある。
この困難の多い町、浦河で、障害者自立支援法が施行される5年前(2001年)に、転院をさせずに、完全な地域移行のかたちで病床削減(130床を60床に)を実現させたのは、まちがいなく25年に及ぶ当事者活動の蓄積と、そこから生み出された「べてるの家」の存在があったからだと考えている。
◎「当事者の力」への大きな信頼
以前、無農薬でりんごを育てる農家が紹介されているのをテレビで見たことがあった。農薬や機械に頼らず、土を大切にして、りんごが本来もっている力と、それを活かす微生物や虫との共生的な営みを利用して、完全無農薬のりんごづくりを実現させていた。そこで語られる思いと具体的な作業は、ほとんどそのまま、べてるの家が歩んできた営みと重なると思った。そこがいわゆる「べてる式」のおもしろさであり、むずかしさでもある。
この30年のあいだ、浦河という痩せた土地を開墾して、コツコツと土づくりに励むなかでできあがった黒土の大地が収穫を迎えようとしている。その経験からいうと、国が推し進める退院促進事業を含めた障害者自立支援法も、一歩間違うと農薬や機械に頼った近代農業の二の舞に陥る可能性があると思う。
浦河には“病気に足下を見られる”という表現がある。精神障害をかかえるというきわめて人間的な営みに対し、私たちがそこに「人が生きる」ということの深淵さを見失ったとき病気は勢いを増す、ということである。
「退院支援」でもっとも大切なことは、治療や援助技術の向上や地域の支援体制の整備は当然として、基本的な人と人とが織りなす素朴な営みを取り戻すことだと私は思っている。そこには「当事者の力」というもっとも大切な力への信頼と、専門家自身の「前向きな無力さ」が必要となる。そのことが、この『退院支援、べてる式。』から少しでも伝われば幸いである。
最後になったが、このDVDブック作成にあたっては森田惠子さん、MCメディアンのみなさん、医学書院の白石正明さんにはたいへんお世話になった。記して感謝したい。
目次
開く
[DVD編](77分)
I 130床から60床へ
II 浦河流退院プログラム
III 退院支援は質より量
IV 37年ぶりの退院
[テキスト編](120ページ)
まえがき
「べてるの家」とは
浦河における精神保健福祉に関連した社会資源
第I部 ここがポイント! 退院支援
1 「当事者主権」の退院支援
1 精神科病床が増えた時代
2 当事者主権とは
3 転院させることなく地域へ
2 テーマのある入院をしよう
1 「もう死にますから」「はい、わかりました」
2 「ふわふわ」から現実へ
3 再入院は新たなスタートの準備
3 カンファレンスの主催者も当事者
1 中心にはいつも当事者がいること
2 援助者はどこに立つか
4 自分を助ける方法を身につける
1 練習すればなんとかなる――SST
2 研究すればなんとかなる――当事者研究
3 自分を助けるプログラム、6つのポイント
5 「飲まされるクスリ」から「飲むクスリ」へ
1 「服薬拒否」も自己対処のひとつ
2 苦情のひとつでもいえる処方を
3 飲み忘れても退院できる
6 活躍するピアサポーター
1 “仲間”という最強の味方
2 ピアサポーター、坂井さんの日々
3 37年間の入院生活を経て
7 どんなサービスが必要か
1 退院準備のための外出・外泊
2 さまざまな形の住居支援
3 当事者ニーズにもとづいたサービスを
8 地域移行、成功のカギとは
1 「それで順調!」といってみる
2 偏見や差別とはたたかわない
3 「何をするか」から「何をしないか」へ
4 人生いろいろ、退院もいろいろ
第II部 読むDVD 紙上完全再録
あとがきにかえて 向谷地生良氏に聞く
I 130床から60床へ
II 浦河流退院プログラム
III 退院支援は質より量
IV 37年ぶりの退院
[テキスト編](120ページ)
まえがき
「べてるの家」とは
浦河における精神保健福祉に関連した社会資源
第I部 ここがポイント! 退院支援
1 「当事者主権」の退院支援
1 精神科病床が増えた時代
2 当事者主権とは
3 転院させることなく地域へ
2 テーマのある入院をしよう
1 「もう死にますから」「はい、わかりました」
2 「ふわふわ」から現実へ
3 再入院は新たなスタートの準備
3 カンファレンスの主催者も当事者
1 中心にはいつも当事者がいること
2 援助者はどこに立つか
4 自分を助ける方法を身につける
1 練習すればなんとかなる――SST
2 研究すればなんとかなる――当事者研究
3 自分を助けるプログラム、6つのポイント
5 「飲まされるクスリ」から「飲むクスリ」へ
1 「服薬拒否」も自己対処のひとつ
2 苦情のひとつでもいえる処方を
3 飲み忘れても退院できる
6 活躍するピアサポーター
1 “仲間”という最強の味方
2 ピアサポーター、坂井さんの日々
3 37年間の入院生活を経て
7 どんなサービスが必要か
1 退院準備のための外出・外泊
2 さまざまな形の住居支援
3 当事者ニーズにもとづいたサービスを
8 地域移行、成功のカギとは
1 「それで順調!」といってみる
2 偏見や差別とはたたかわない
3 「何をするか」から「何をしないか」へ
4 人生いろいろ、退院もいろいろ
第II部 読むDVD 紙上完全再録
あとがきにかえて 向谷地生良氏に聞く
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