家でのこと
訪問看護で出会う13の珠玉の物語
命は複雑で難解。そしてどこまでも尊く、美しい。
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雑誌『訪問看護と介護』で大好評の連載まんが「家でのこと」が単行本に!新たに新作3本を収載し、読み応え十分。訪問看護の現場で出会う13の感動の物語を、鮮やかな言葉と絵で描き綴る。綿密な取材と作者の経験から生まれたストーリーは、訪問看護の魅力を伝えるとともに、そこに映し出される倫理問題や社会問題を考えるきっかけになる。看護教育におけるグループワーク教材(地域・在宅看護論)としても最適な1冊!
著 | 高橋 恵子 |
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発行 | 2021年02月判型:A5頁:128 |
ISBN | 978-4-260-04315-1 |
定価 | 1,540円 (本体1,400円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
開く
ひろい宇宙に
こんな星が
ありまして。
その星には、
いろいろな国が
ありまして。
国には、
たくさんの町があり、
町には、
これまた
たくさんの
家があります。
そして、
たくさんの家
ひとつ
ひとつには、
かけがえのない物語が
つまっています。
目次
開く
プロローグ
第1話 その母と子の毎日
第2話 土管の家
第3話 さいごのおやすみなさい
第4話 息子の味
第5話 もうひとつの家
第6話 私の重み
第7話 目と目から
第8話 ラジオが聴こえる部屋
第9話 コロナの頃
第10話 昔から、知っているから
第11話 間の家で
第12話 ここで、待ってるね
特別話[第6話続編] 終わりの続き
『家でのこと』ができるまで──訪問看護の根っこを探して
作者プロフィール
書評
開く
何も変わらないけど,訪問看護なんです
書評者:山田 雅子(聖路加国際大大学院教授・在宅看護学)
計画書には書かれないケア
まだ歩き始めない子どもと暮らしている母親,ごみと暮らしている老婦人,老親のベッドの脇で眠る娘,引きこもり,介護を放棄しているかのような息子,痛い注射を嫌がる女の子……。みんな違う物語の中で主人公として登場する人々です。でもそれは,読者である私が第三者の立場で見た世界で,その世界を主人公の視点から捉えれば,歩き始めてはいないが愛に包まれた親子であるし,ごみでなく大切な品であるし,介護負担ではなく温かい母とのかけがえのない時間であるし,インスタントの味噌汁をうまいと言う父がいます。
そうした物語に第三者としての訪問看護師が登場します。かれらはこうした生活者を前に,何をしているのでしょう。『家でのこと』に書かれている看護師の行いは,生活者に静かに語りかけ,伸びきった爪を切ることから始まり,特別なことはしなくてもその人を認め,独居高齢者の隣人に見守りを頼み,あるときは黙って待ち,連れ合いをなくした老人をしばらく気にかけてみるといったことです。看護師が計画書に書く内容はほとんどクローズアップされないのです。それがむしろ面白く,そこに訪問看護の本当の価値があると感じることができます。
訪問看護の真の価値と成果
『家でのこと』に登場する訪問看護師は,主人公に怒られたり拒否されたり,応援されたり,頼られたり,託されたりします。大事なのはその人をまずは受け入れること,興味を持って知ろうとすること,関わり続けることといった行いであって,こうした行いを学ぶことで自分自身が成長していくのです。では,訪問看護師が学びを深めることでの成果は何でしょうか――。
この本を読むと,結局は何かを変えることではないけれど,お互い心が豊かになることが成果として見えたりもして,そこもまた面白く納得することができました。訪問看護サービスを導入し,それをきっかけにデイサービスの利用につながったとか,独居高齢者の施設入所につながったことなどで訪問看護の価値を評価することがしばしばありますが,それだけではないということです。その人がその人の思うように暮らし続けることができれば,それが成果であってよいのです。
そのままもまんざらでもない
このところ,「独り暮らしで動けなくなったらどうすればいいんですか?」と悩む初老期の人々に出会うことが多いです。家での一人ひとりの物語は,皆が知っていることではなく,当事者と専門職だけが知ることです。その一般には見えない暮らし方があることを,この漫画で感じてほしいと思います。今,国全体でアドバンス・ケア・プランニングが推進されていますが,ここに登場する主人公たちは,特別な意思決定をしないまま,暮らしているように思います。そうだとしても,まんざらでもない感じが漂い,ほのぼのと心が温まる気持ちがするんですよね。
よどんだ空気,よれよれの皮膚,居間での摘便,味噌汁にお団子,アジサイに柿の種,リアルな物語をリアルな色彩の漫画が語りかけてくるようです。漫画だからこそ伝わる空気があり,物語だからこそ時空を越えて人が人をケアすることの意味を表現できたのではないかと感じました。
訪問看護の本当の部分を教えてくれる一冊
書評者:佐藤 美穂子(日本訪問看護財団常務理事)
私は四十数年間,飽くことなく訪問看護を追い続けてきました。ナイチンゲールやヘンダーソンの理念をよりどころとしながら,訪問看護こそ看護の原点の実践であり,地域で暮らす人々の健康を守る番人であると。それでも,いまだに「訪問看護の根っこ探し」は続いています。「訪問看護は本当に役に立っていますか?」と後輩から問われると,「在宅療養者を最期まで支えているのは訪問看護師ですよ」と即答しますが,根拠や成果を細かく問われると自信が揺らいでしまうこともしばしばあります。
看護が本来持っている力を表現するまんがの魅力
私は雑誌『訪問看護と介護』(医学書院)の愛読者で長年お世話になっていますが,最近の1年間は,表紙絵とともに「家でのこと」というタイトルの連載まんがを毎月楽しみにしていました。水彩画の明るさと素朴さが程よく,このタッチは訪問看護の場面にぴったり当てはまっていると感じていました。また,オフィシャルな看護記録にはなかなか書けない空気感が,まんがに描かれていて訪問看護の特徴を浮き彫りにしているなあと。
『訪問看護と介護』の連載に新作を加え刊行された本書は,13話ごとに書き下ろしの散文が追加されたことで,さりげなく読んでいた1話1話の深い意味にあらためて気付かされます。訪問看護師にとって励みになる一冊です。また,本書によって多くの看護関係者に訪問看護の醍醐味が伝わり,訪問看護師になる方が増えるのではないかと期待が膨らみます。
1話1話が一人ひとりの家でのこと
訪問看護師は療養者や家族と向き合い,健康状態を維持するために何が適切か,正しいかがわかっていても,本人の生きる力や役割,楽しみとどう折り合いをつけていくかに倫理的葛藤を持つことがあります。友人は哀しみを半分にし,喜びを2倍にするといわれますが,訪問看護師は利用者と悲喜こもごもを分かち合うことで利用者の支えとなり,一方で利用者は看護師自身をプロの支援者に育てる力になってくださっているのだと思います。葛藤を経験しながら,お互いが関係し合ってつくり上げていくのが訪問看護です。
また,本書を読んで,看護の成果を表現する上で「物語」が重要であるが故に,訪問看護師は「書きたい」のだと,あらためて感じました。看護記録の文章が長くなり,記録に時間がかかるのもやむを得ないと思えてきました。そういうことだったのかと。
本物の訪問看護とは
2021年度(令和3年度)介護報酬改定において,科学的裏付けに基づくケアの提供と質向上を図るために,LIFE(科学的介護情報システム)へのデータ提出とフィードバックを受けてPDCAサイクルを推進する取り組みが訪問看護でも推奨されており,これは必要なことだと考えています。また,これから2040年に向けて看護・介護人材の減少が進むなか,ICT活用による業務効率化・生産性の向上を求める波に看護も乗らざるを得ないと思っています。
それでも本書は,そんな考えに傾きつつある私の肩をポンと叩いて,「データによる質向上や効率化を図る看護もいいけど,一人ひとりの物語に寄り添う訪問看護は本物よ」と,語りかけてくれます。続編も心待ちにしています。
土管と写真(雑誌『精神看護より』)
書評者:村上 靖彦(大阪大学人間科学研究科・教授)
マンガだからこそ表現できるものがある
おそらくこの本の読者は、作者の優しい目線にほっとすると思う。患者さんも家族も看護師さんも、優しい人たちが全ページカラーで描かれている。
引きこもりの息子がいる父子家庭で、自分の好きなプラモデルだけ買って介護を放棄しているように見える中年の息子が、実は父のことを細かく気づかっていて、味噌汁をマグカップで出す場面。看護師がケアしていると思っていたら実は患者さんのほうが看護師を気づかっていて、心臓病をおしてドラッグストアに並び看護師のためにマスクを買ってきてくれる場面。
患者さんの目線に立つことの難しさと細かい機微は、文章で記すよりもマンガというメディアで表現したほうが、もしかしたら伝わるのかもしれない。
医療的ケア児の鼻から伸びたチューブに貼られるファンシーな絆創膏。3本の傘が部屋の中に立ち缶が転がるごみ屋敷の部屋に立てかけられたセピア色の写真と伸びた爪など、その場所にいたことがある人にしか描けないディテールが、マンガの世界観を支えている。
訪問看護の多様な関係者、場面が描かれる
本作品の大きな特徴は、訪問看護の多様な利用者や関係者が描かれていることだ。訪問看護と言えば、世間では「高齢者の慢性疾患のケアと看取り」というイメージが強いかもしれない。しかし実際には、精神疾患を持つ人、医療的ケア児、若年者の看取り、若年性痴呆症、孤立し貧困の中にいる高齢者、あるいは長期化した引きこもりの人など、さまざまなケアのニーズを持つたくさんの人たちがいる。
そして都市での訪問もあれば、山村での訪問もある。ヤングケアラーや中国残留孤児といった、社会状況により困難をかかえることになった人々も描かれる。普段接しない民生委員といった役割を負った人も登場する。
ファンタジーとリアルが交差する世界で
私と『家でのこと』とのご縁は、第2、3話のストーリーを作る際に、拙著『在宅無限大~訪問看護師がみた生と死』(医学書院)に登場した看護師さんの言葉から、作者の高橋さんがアイディアを汲んでくださったことに始まる。私の本に登場するたくさんの看護師さんたちの実践もきっとこうであったのだろう、というリアルな描写で描いてくださった。私が思い描いていた以上の繊細な描写である。
実は高橋さんが採ってくださった第2話の「土管」のエピソードは、『在宅無限大』とのあいだで少し違いがあるのだが、この違いが、私の中でばらばらだった経験をつなぎ合わせることになった。
『在宅無限大』のFさんの語りは、医療的ケア児を訪問する場面についてだった。障害を持つ子どもを生み育てる母親はさまざまな葛藤を持つ。母親の信頼を受けて心を通わせるためには、土管の中でひそひそ話をするような繊細な気遣いが必要になる、とFさんは語っていた。これに対し、『家でのこと』の第2話の土管の場面は、精神疾患を持つ独居の女性の「ごみ屋敷」を看護師が訪問する場面になっている。看護師が患者の小さな声をそっと聴くことで、思い出の中に生きる女性と、かすかだが継続的なコンタクトが続く。それを土管の中という描写で描いている。
それぞれの記憶が想起される
この第2話を目にした時、別のある場面を思い出した。フィールドワーク中に出会った、活字にはしたことがない場面だ。
精神科の訪問看護にくっついて、さまざまな患者さんを訪問していた時のことである。ある独居の女性が、某宗教団体の代表者の名前がついた(入口に銅像も建っていた)古いアパートに住んでいた。その階段を上がると、患者さんがすでにドアの外に出ていて手を振って出迎えてくれた。2週間に1回の訪問を待ちわびていたそうだ。
部屋に入ると、秋口で寒くなっていたが窓は開け放してあって、網のない壊れた扇風機が3台置いてあった。患者さんと訪問看護師と私で膝を並べて座ると、彼女は埃のかぶったちゃぶ台の全面に並べてあったセピア色の写真を私たちに説明してくれた。後で訪問看護師さんから、今はもう音信不通の患者さんの娘たちの写真だと伺った。
その女性の姿と扇風機の部屋、そしてセピア色の写真が、第2話とそっくりなのだ。私が訪問した場面は、第2話の後日談であるかのようだ。患者さんの苦労が堆積したような部屋で、10年、20年の時間の流れを経ておだやかになっていく人生、そして家族とは途絶えたとしても支援者と再び縫い直される人間関係があった。支援者が丁寧にかかわることで、苦労や傷の核がほどけてくることもある……マンガを読みながら、私は数年前の出来事を振り返った。
たぶん本作品は、読む者をそれぞれの記憶にある特定の場面へと立ち返らせる力があるのだろう。ページの中の一場面と、自分の経験のなかの一場面とが結び合わさることで、忘れていた記憶が初めて鮮明にたち現れることもあるかもしれない。そんな作品である。
(『精神看護』2021年5月号掲載)
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