医学界新聞

対談・座談会

2019.06.17



【座談会】

ベッドとベンチの相互協力でめざす
精神医学研究の発展

加藤 忠史氏(理化学研究所脳神経科学研究センター精神疾患動態研究チームチームリーダー)=司会
高橋 英彦氏(東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科精神行動医科学分野主任教授)
林 朗子氏(群馬大学生体調節研究所脳病態制御分野教授)
北中 淳子氏(慶應義塾大学文学部人間科学専攻教授)


 医学の進展は,基礎となる生物学研究での疾患の機序解明や治療法開発によって支えられ,その成果が日々の診療へと還元されてきた。精神医学領域においては,バイオマーカーはいまだ確立されておらず,バイオマーカーが特定された場合には他科で診療することも増えるため,精神科日常診療と基礎研究のベンチの間には大きなギャップが存在する。このギャップを埋めていくには,一体どうすればよいのだろうか。基礎研究に取り組む精神科医の加藤氏,高橋氏,林氏の三氏と,精神科の在り方を研究する北中氏との座談会によって,今後の精神医学研究の在り方を検討する。


加藤 精神医学という領域は,不思議な領域です。精神疾患患者の一群に器質的な原因が見つかると,その一群は「精神疾患ではなかった」ことになる可能性があるのです。典型例は抗NMDA受容体抗体脳炎。機序解明前は緊張病型の統合失調症とカテゴライズされ精神科で診ていたわけですが,現在は脳神経内科の守備範囲になっています。他にも,自閉症様行動が観察されることからDSM-IVでは自閉症の類縁疾患とされていたレット症候群は,DSM-5には掲載されていません。原因が特定されたためです。こうした事例を見ると,精神科医や精神医学関連研究者(以下,研究者)が“精神疾患の原因を解明することは名目上はできない”ということになってしまうのか,と疑問に思うことがあります。

 この疑問を議論すべく,本日は臨床に立ちながら脳画像を用いた研究をされている高橋先生,精神科医を経て分子神経科学研究者になった林先生,そして人類学の視点から精神医学そのものを研究されている北中先生をお招きしました。本日は三人の先生方と共に,精神医学とその基礎研究が今後進むべき道を考えたいと思います。

高まる精神医学への期待

加藤 初めに,精神医学が進んできた道を振り返ってみます。まず林先生,精神医学基礎研究について教えてください。

 1980年代以降の遺伝学の興隆によって,医学・生命科学の基礎研究が大いに発展しました。その結果,遺伝学的手法を用いて精神疾患が起こるメカニズムの解明とその治療法開発がin vivo,in vitroで進みました。例えば,統合失調症の関連遺伝子DISC 1Disrupted in schizophrenia 1)の変異がなぜ統合失調症を引き起こすのか。DISC 1以外にも疾患関連遺伝子はないのか。どうすればその病態を抑えることができるのか。それらを調べるために研究者は,遺伝子を組み換え,モデル動物を作って研究を進め,膨大な量の知見を得ました。

加藤 遺伝子で全てを解明できるのではないかと熱狂した時代でしたね。しかし分子という階層だけで全てを語ることはできないと気付かされました。

 そこで研究者は,遺伝子の機能を分子,シナプス,神経回路レベルなどマルチスケールで探索するようになりました。モデル動物を用いれば,生きたまま活動電位を測定したり任意の神経細胞を特異的に活性化したりでき,遺伝子と病態の因果関係や責任回路の同定もできます。精神科医として勤務していたころは,患者さんの病態は目に見えるのに,それを引き起こす生体の異常が見られないことがフラストレーションでした。ヒトでは決してできない研究を進めることで病態と生体異常の二者を架橋できると期待しています。

加藤 メカニズムがわかれば,治療法の開発にもつながりますね。NIMH(米国立精神衛生研究所)のJoshua A. Gordon所長は,精神疾患の責任神経回路の同定がアデノ随伴ウイルスを用いた神経回路治療につながるのではないかと期待を寄せています。

 一方で,動物実験だけでは不十分だとの行き詰まりも感じます。モデル動物はヒトの病態をどれほど模倣するのか。モデル動物での研究成果が果たしてヒトにどれほど外挿できるのか。誰にも答えはわからず,かといってiPS細胞や死後脳を用いた実験系では行動異常を見られません。ヒトと動物,脳領域のレベルと遺伝子のレベル。マルチスケールでの研究による疾患メカニズムの解明が必要だと感じています。

加藤 メカニズムを解き明かすと言っても,動物レベルの基礎研究からヒト脳を調べる研究までマルチスケールに行わなければならないのですね。それではヒトを対象とした精神医学研究の進展を振り返ってみましょう。

高橋 神経心理学の分野では,症状と脳の外傷や神経細胞死を照らし合わせることにより脳機能の理解を進めました。症例報告としては興味深いのですが,症例数は決して多くないため,疾患の大枠をとらえることは困難でした。

 より多くの患者・医師へ研究成果を還元できたのは,PETの脳画像を用いた投薬量最適化の研究です。抗精神病薬や抗うつ薬の成分がどれほど血液脳関門を通過し脳まで行き届くのかをPETで測定することで,薬物動態の観点から最適な投与量を調べることができるようになりました。

加藤 薬の開発でPETは必須になりましたね。臨床試験だけに頼らず,薬の適切な用量設定がやっとできるようになりました。

高橋 さらにその後fMRIが登場してからは,医学領域だけでなく多くの学問領域でヒト脳を対象とした研究が盛んになりました。以前は,脳活動を見るためには造影剤を投与したり放射線被曝に配慮したりする必要があったため,医師以外の研究者には参入しにくい状況でした。fMRIを用いれば非侵襲的に脳活動を見られるため,多領域で脳やこころにアプローチできるようになり,ヒト脳のはたらきの解明が進みました。まだ臨床に還元されていないとはいえ,精神疾患の脳活動パターンなども見いだされています。

北中 精神や脳が科学的に語られるようになったことで,精神疾患や精神科のイメージはずいぶん変化しました。30年ほど前は,精神科は一般には近寄りがたく,患者も医師も精神疾患治療の難しさに圧倒されていたと記憶しています。それが今ではこころの在りかとしての社会脳や可塑性の強調により脳科学の知が一般にも広がり,精神疾患も「治せる可能性がある病」との認識へ変化しました。同時に,児童期の発達障害,青年・中年期のうつ病,老年期の認知症と,生涯にわたって日常の生きづらさを精神医学的にとらえる「ライフサイクルの精神医療化」が進行している状況もあるかと思います。

加藤 最近では発達障害やうつ病の増加,統合失調症の軽症化が指摘されていますね。精神科医と社会の両方で疾患の認知度が高まり,重症でなくても受診するようになった結果でしょう。

北中 精神医学や脳神経科学の研究成果にインターネット等を通じて容易にアクセスできるようになったことで精神科受診の敷居が下がり,生きづらさを救ってくれる場として精神医学が期待されるようになったとも言えます。併せて,社会的な問題を医療的に解決したいとの機運が高まっています。以前なら社会でなんとか対応してきた集団行動が苦手な生徒や物忘れが始まったお年寄りを「発達障害」や「認知症」ととらえることで,医療的介入が望まれるようになっています。

精神疾患は生物学だけでは語れない

北中 精神医学への期待は,時に過剰なものにも見えます。精神科が生きづらさを救ってくれる場として認識されたことで,自身を疾患のラベルで語りたがる人が増えました。セルフチェックをして精神科へ来院し,誰しも経験するような人生の葛藤を,脳神経科学的な特性に由来する事象として,バイオロジカルに,早急に解決することを求めるような風潮もあるかと思います。

加藤 確かにそのような場合が多く見受けられます。「同僚にひどいことを言われ,具合が悪くなった」と言う患者さんがいます。それは具合が悪いのではなくて,ひどいことを言われて嫌な気分になった当たり前の心の働きで,疾患の症状ではないのですが。

 将来的には脳を見ることで,疾患に由来する症状かそうでないのかを峻別できると期待していますし,それをめざして研究をしています。残念ながら区別できないのが現状です。

 精神疾患にはさ...

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