医学界新聞

取材記事

2015.12.14



【講演録】

理論と実践が育まれたとき,専門性は実現される
パトリシア・ベナー博士来日講演会」開催


 医学書院看護特別セミナー「パトリシア・ベナー博士来日講演会」が,横浜(座長=高知県立大・南裕子氏)と京都(座長=兵庫県立大・片田範子氏)の2会場(各2回)で行われた。

 看護師がスキルを獲得していく過程を5段階のレベルで示すなど,著名な看護理論家の一人であるベナー氏。『ベナー 看護実践における専門性――達人になるための思考と行動』(医学書院)の発刊を記念して開催された本講演会には,全4回の講演で延べ2222人の参加者が集まった。本紙では,2015年10月11日にパシフィコ横浜で行われた「看護実践における専門性――ケアリング,臨床的論証,倫理」の講演会の模様をダイジェストでお届けする。


「日本は文化的に,気づかいのスキルに長けていると思います。看護実践を行うに当たり,患者さんにどのように寄り添うかという点については,日本で育った場合,自然と身についている部分もあるのではないでしょうか」と,日本の看護師に対する印象を語った。
 人は世界のそれぞれの地域で,知識や理論を実践に適用し,スキルとして獲得していきます。西洋の文化においては,どちらかと言うと理論を重視したがる傾向にあります。確かに,複雑な対応を要求される看護などの領域においては,理論を伴わなければ熟達した実践はできません。しかしながら,実践の伴わない理論は,理論以下の結果しか生み出せないこともまた事実でしょう。つまり,優れた看護実践を行う達人看護師になるためには,理論と実践の両方が必要なのです。今日はこの点についてお話ししたいと思います。

一般的な事例と比較しながら個別的な事例を考える

 看護は複数の学問領域をよりどころとしますが,個々の症例にかかわる実践の場では,科学だけでは十分に説明することのできない状況にも遭遇します。関連性のある科学を有効に選択し活用するために,実践者には説得力のある「臨床的論証(clinical reasoning;)」が求められることになります。

 一般的な科学は,スナップ写真のようにその瞬間だけをとらえたものです。科学の中では変動性やばらつきを排除した,形式的な基準を用いて論証を行います。しかし実践の場においては,そういった基準でとらえられる一般的な事例とは異なる,個別的な事例が必ず入ってきます。そのため,患者さんとかかわる中でリアルタイムの変化をとらえ,個別的かつ具体的な事例について論証し,自分の理解をまとめていく必要があるのです。

 ただ,患者の個別的な経過と傾向を理解するには,一般的な事例も当然知っておくべきです。教育という側面から考えると,科学は典型的な事例をつくり上げることによって,「標準」についての理解を深めていきます。実践の場で特定の患者における病気の進展を考えていく上では,個別的な事例を一般的な事例と比較しながら考える視点が必要になります。

 また一般的な事例に対する理解は,全体像を把握し,症例の類似性や共通性をとらえる助けにもなります。例えば複数の肺塞栓症の患者を経験すれば,ある患者が肺塞栓症かそうでないかを判断できるようになりますよね。実例を経験していないと,判断は非常に難しいわけです。この判断は曖昧な類似性をとらえる認識の一種で,家族の顔が何となく似ていることをとらえる認識に似ています。臨床的論証においては,そうした曖昧な部分を類似性や共通性,あるいは差異としてとらえていくことが求められるのです。

変化をとらえるためには“実践知”が必要

 アリストテレスの言葉を借りれば,実践としての看護には「テクネー(Techne)」と「フロネーシス(Phronesis)」の両方が必要だと言えます。テクネーとは何かを作ることや技術的なものを指します。手続き的かつ科学的な知識によって把握されるものであり,標準化やアウトカムの予測が可能です。例えば,バイタルサインの標準的な測定の仕方というのは,テクネーと称することができる臨床アセスメントの技術の一つで,簡単に教えることができます。ただその数値を解釈するには,経験に基づくスキルや臨床判断が重要になります。

 テクネーに対し,優れた実践者が行う臨床判断や実践知に当たるのがフロネーシスです。必要なのは,経時的な変化に合わせてその意味合いをとらえていくことです。どのような変化が患者によって提示されているか,その変化は何を意味しているのか,そしてその変化は経時的に見てどのような意味合いを持つのか。フロネーシスは実践の中に存在するものであり,手段と目的を合理的に分けることはできません。

 看護学や医学のような複雑な場における臨床的論証は,患者の状態によって状況が絶えず異なり,標準化できないものや予測不可能なものが必ず存在します。そのときにはテクネーだけでなく,フロネーシスが求められる。それをきちんと理解すると,必要なときに介入をするためには,臨床判断,臨床的論証が必要だとわかります。

特定の患者集団に対する学びが臨床的把握の一助に

 臨床的論証を行うためには「臨床的把握」,つまり臨床状況を知覚的に理解することが欠かせません。数量にできない質的な相違を明確にし,状況を把握していくということです。刑事や探偵が犯罪の手口を解き明かそうとする手法は,私たちの臨床での思考過程にも当てはまります。ある患者の肺塞栓症の原因は動けないことによる血栓の発生なのか,それとも血栓症そのものなのか。「なぜ現在の状況に至っているのか」について捜査的な手法を活用しながら考えるわけです。同時に,状況がいろいろと変化する中で,その変化の臨床的妥当性も考えていきます。

 臨床的把握は,特定の患者集団について深く知ることで可能になります。臨床看護師に必要なのは,特定の患者集団を比較し,その集団の中で繰り返し見られる特徴的なパターンを学ぶことです。仮に担当する病棟が2年で変更になるとしたら,それは達人看護師にとって非常に深刻な問題と言えるでしょう。なぜならば患者集団が頻繁に変わってしまうと,その集団に対する深い知識を得ることができないからです。

 看護ケアは,非常に急速なペースで進んでいきます。急激に変化する状況に対応するためには,この先何が起こり得るかを常に予測し,あらかじめ準備をしておくことを習慣にしなければなりません。それと同時に,経時的に患者のケアを行い,どの時点において介入が必要なのかを考え,早期の段階で介入する。こうした臨床予測は,臨床の現場における実践的論理を構成する要素であり,臨床的把握にも寄与します。

 なお,これまで話したように,複雑な実践である看護において私たちが直面する状況というのは,いろいろな方向性をたどり得るわけです。ですから,優れた実践を行うためには臨床の場で経験を積むと同時に,感受性やスキルも磨かなければなりません。また,苦しんでいたり,怒りを覚えていたりする患者にどのように寄り添うか,そうした看護師としての人間性を高めることも必要になってくるのです。

臨床的想像力は,患者との関係性の上に構築される

 患者は静止物ではなく,アウトカムに影響を与える要素の一つです。臨床の場ではその他にもあらゆる因子が絡んでくるため,常に不確実性が存在しています。どのようなアウトカム,転帰があり得るかを推測することはできますが,その予測はそれほど信頼性が高いものではないという点については自覚しておくべきでしょう。特に予後の予測は最も不確実であり,多くの変動性が入ります。私たちは実践の事例を通して,個別の症例において変化が起こり得ることを十分に理解し,自身の知識の活用や臨床的論証,臨床判断を変容させていかなければなりません。

 状況というのはその時々において個別的なものなので,多様な臨床状況を把握するためには,「臨床的想像力」も必要になります。この臨床的想像力の発展には,看護師固有のかかわりのスキル――気づかいと傾聴が求められます。良いかかわりや患者への同調ができなければ,十分な情報を臨床状況から得ることができず,達人になることはできません。つまり看護師の臨床的想像力は,患者との関係性の上に構築されるのです。

 倫理的にどのように患者にかかわり,寄り添うかという点については,「善の概念」が全ての臨床判断と結び付いています。例えば疼痛緩和は,できるだけ実践の場で苦しみを和らげて,快適さを提供したいという善の概念を内包しているわけです。臨床実践の場における倫理的態度というものは,道徳的な主体的行動力とスキル,個性が密接に関係しています。

理論だけでなく,実践知のコーチングを

 最後に,学生に対してどのような教育を施すべきかについて考えてみたいと思います。米国では理論を重視する傾向があり,いつどのようにその知識を活用するかという部分までは十分に示せていないように感じます。私たちは授業の中で理論とともに,より臨床的なノウハウを強調して示していく必要があるでしょう。

 臨床の場の指導者に必要なのは,特定の状況下での実践知をコーチングすることです。例えば,薬剤量の調節などは,全て何らかの患者の反応に基づいて行われています。一時的な論証ではなく,経時的な変化を見て患者を理解し,薬剤の調節をしているわけです。これはつまり,実践的な論証と知識を活用することで,複雑な状況であっても,その状況が示す意味合いを理解して,優れた実践を提供することが可能になっていると言えます。

 良い実践スキルを学び,高い専門性を持った達人看護師になるためには,こうした「状況下でのコーチング」が欠かせません。指導者は学生に対して,患者にとって今何が重要なのか,患者に対する自分の臨床的な懸念がどのようなものなのかという点を,きちんと弁別するよう教えていく必要があります。物事がどのように展開し推移するのかを,個別の具体例の中で見極めようとすること,それは臨床看護実践における中核となるのですから。

 初心者に対する教育というのは,時間がかかります。その理由がわかる一つの例をお話ししましょう。

 ある初心者の学生が実習中に,尿路感染のある患者さんに対するケアを行っていました。その患者さんは敗血症でICUに入ることになり,人工呼吸器もつながっている状態でしたが,彼女は入院時の診察に基づいてケアを行っていました。経験を積んだ看護師であれば,患者さんを取り巻く状況が変化していることを把握し,適切な介入を考えることができます。しかし臨床的把握がまだ十分にできない彼女にとっては,「入院時の診察に従わなければいけない」という固定観念があったわけです。

 このように,経験を積んだ私たちにとって“わかっていて当たり前”なことが,学生にとっては当たり前ではありません。時にそれが学びの障害となるので,教育を行う際には,相手が何をわかっていて何をわかっていないのか,いろいろなことを想定する必要があります。

 また教育上の問題として注意したいのは,狭義のスキルを,「コンピテンシー(competency)」を基盤とした教育として定義してしまうことです。広い意味でのコンピテンシーは,本来,実際の臨床症例において関連性の変化を認識したり,最も急を要する優先度の高い事柄を見極めたりと,文脈との関連性や思考の要請を伴う実践の中に位置付けられるものです。コンピテンシーに関する概念を,パフォーマンス全体に広げていく必要があります。そして学生に対する教育の在り方を,私たちはもっと意識的に見直していかなければなりません。

 皆さんに,二つの質問を投げ掛けて終わりたいと思います。一つは自分の教授法によって,学生がその実践を実際に行うことのイメージをできているだろうかということ。二つ目は,実践の場での倫理的態度における問題や課題を学生が認識できているかということです。この二つについて,実践・教育の場を問わず,指導者は自問自答してほしいと思います。本日はありがとうございました。

写真 会場からの質問に答えるベナー氏
講演終了後は座長の南氏も加わり,1時間にわたって質疑応答が行われた。

(了)

註:一般的にclinical reasoningは「臨床推論」と訳されるが,単なる推論にとどまらない論理構築の思考過程全てを表現する用語として「臨床的論証」を用いている。


Patricia Benner氏
カリフォルニア大サンフランシスコ校社会行動科学看護学研究科看護学名誉教授。米国看護アカデミー(the American Academy of Nursing)会員。英国王立看護協会(the Royal College of Nursing)名誉会員。 パサディナ大で看護師になる教育を受け,カリフォルニア大バークレー校で博士号を取得。カリフォルニア大サンフランシスコ校看護学部で研究に従事。社会科学者,人文学研究者であり,経験豊かな看護師,専攻科長経験のある教授でもあった。 著書,編著書を多数持ち,中でも著書『From Novice to Expert : Excellence and Power in Nuring Practice』(邦題『ベナー看護論――初心者から達人へ』,医学書院)は10か国語に翻訳され,世界中の看護師に親しまれている。

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