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第2969号 2012年3月12日


座談会
災害医療2.0
経験を教訓に,教訓を変革の力に

里見 進氏(東北大学病院長)=司会
森野 一真氏(山形県立救命救急センター診療部長)
石井 正氏(石巻赤十字病院医療社会事業部長)
山内 聡氏(東北大学病院高度救命救急センター)


 わが国の災害医療体制は,1995年に発生した阪神・淡路大震災の教訓を踏まえて大きく前進したと言われる。2011年3月11日に発生した東日本大震災においても,多くの医療関係者の尽力のもと,迅速な救護活動が行われた。しかしながら今回の震災では,これまでの災害医療の経験が通じない局面や新たな課題も指摘された。また一方では,今後の災害対策に活かせるような取り組みも各地で報告されている。

 甚大な被害をもたらした震災から一年を迎えた今,これらの経験から得られた教訓を,次に活かすことが求められる。本座談会では,東日本大震災において重責を担った4氏が,災害医療の課題を検証し,今後の展望を語った。


里見 これから,東日本大震災における災害医療活動を振り返り,災害医療の在り方を検証していきたいと思います。まず被災現地の災害拠点病院の立場から,発災直後の初動において特に混乱した点は何だったのでしょうか。

災害に強い情報伝達の仕組みを

石井 当院の場合,平時における具体的でリアルなマニュアル作成や訓練,地域での災害時応援協定などが功を奏し,比較的スムーズな初動体制を確立できました。

 ただ,困ったのは情報通信手段です。発災後およそ2時間で,携帯・固定電話,インターネットなどすべて通信不能となり,災害に強いと言われるMCA(Multi-Channel Access)無線も実際には県との通信には使えませんでした。もし,震災当日の被災状況が県庁など中央に即座に伝わっていれば,浸水地域に取り残された被災者への対応が早まったのではないか。救える命があったのではないか。そう思うと,残念でなりません。

里見 当日は外部とまったく連絡が取れなかったのですか。

石井 唯一通じたのが衛星電話です。事前に災害時の協定を地元のNTTドコモショップと結んでいたので提供を受けることができたのですが,これは本当に助かりました。

山内 MCA無線は災害拠点病院と医師会に配置されていましたが,宮城県内の4つの基地局を結ぶ回線が発災直後に切れてしまったため,仙台市内は通じても離れた地域とは交信ができない状態だったようです。衛星電話はある程度使えたらしいのですが,通信時にアンテナを南方向に向ける必要があって,それが地理的に難しい場所だと必ずしもつながらなかったと聞きます。

里見 複数の通信手段を日ごろから確保しておくことが必要でしょうね。

 災害時におけるDMAT(Disaster Medical Assistance Team;災害派遣医療チーム)の情報伝達手段は,どのようになっていますか。

森野 DMATは標準資機材として,衛星電話を必ず持つことになっています。皆がお互いの電話番号を知っているわけではありませんが,EMIS(註1)に各自が電話番号を入れて出動するという決まりがあり,インターネット回線を用いてEMISを見ると連絡先がわかるようになっています。

 ただ,データ通信ができる衛星電話が一部の機種に限られているのが現状です。情報ツールの多重化や平時の情報共有とあわせて,緊急時に衛星電話でインターネットが利用できる環境を整備することも,今後は必要になってくると考えています。

山内 宮城県に限って言えば,そもそも当時はEMISを導入していませんでした。宮城県独自のシステムがあったのですが,それもサーバーがダウンしてしまい,いずれにしても情報の共有が難しかった。

 震災後に宮城県はEMISを導入しましたが,まだ未導入県はあります。厚労省「災害医療等のあり方に関する検討会報告書」(註2)では,そうした自治体に対して導入を促すことが必要であるとしています。

里見 情報通信技術の発達したわが国も,災害時には思いのほか脆弱な面があると痛感しました。災害に強い情報伝達の仕組みをつくることが重要です。

支援の長期化に備え,DMAT要領を改正

里見 次に,DMATの活動を検証してみたいと思います。今回の震災では,早期に被災地に入ることができたと考えてよいでしょうか。

森野 そう思います。最初のチームは発災から約3時間で被災地入りしました。そもそもDMATは,阪神・淡路大震災(1995年)において災害時の初期医療体制の構築が遅れたという教訓を踏まえて発足しましたが,新潟県中越沖地震(2007年)や岩手・宮城内陸地震(2008年)などの経験を積むことにより,機動力が高まったと考えています。

里見 今回の震災の大きな特徴として,津波災害による被害が甚大であり,DMATが本来想定するような外傷疾病者への対応などは比較的少なかったことが挙げられます。慢性疾患への対応が必要となるなか,災害急性期(概ね48時間以内)をめどにしていた支援が長期化し,多くのDMATが出入りすることによる混乱もあったようです。この点に関して,今後DMATの役割や戦略を再考することは考えておられるのですか。

森野 ご指摘の通り,発災直後から12日間にわたり約380チームが岩手・宮城・福島・茨城の4県で活動するというかつてない規模になったことで,新たな課題が浮き彫りになりました。例えば,自己完結的な業務遂行を前提とした48時間を超えたことにより物資の不足が生じたこと,多数のDMATが被災地に入ることで派遣調整が困難になったことなどが挙げられます。

 これらの経験から,来年度にDMAT活動要領の一部改正が予定されています。活動期間に関しては,実働48時間,前後合せて4日間をひとつのスパンとし,長期に及ぶ活動が必要な場合は,二次隊・三次隊を出すことになるでしょう。

里見 1チームの滞在期間はこれまでの通り48時間で,延長はしないのですね。

森野 DMATは各病院単位でつくられた組織で,災害拠点病院を中心に現在800チーム以上あり,常時1000チームを目標としています。その派遣は,都道府県と医療機関との間で締結された協定や防災計画に基づいているのですが,1チームの滞在期間を延ばすとなると,協定の見直しや,装備品などの問題もあって難しいのですね。

里見 病院のマンパワーの問題を考えると,続けて二次隊・三次隊と出すことができない場合もあると思います。病院単位を超えた仕組みはできないものでしょうか。

森野 複数のチームを持つ病院もありますが,確かに病院単位での継続支援はなかなか難しいと思います。都道府県単位,あるいは近隣の病院で混成チームをつくるなどの戦略を練ることが今後の課題です。

石巻圏合同救護チームの「エリアライン制」に学ぶ

里見 現状では,DMATから医療支援を引き継ぐ救護班を統制する仕組みがないですよね。今回の震災では,受け入れ側の指揮系統がパンクし,支援の申し出を断ることもありました。この点も課題ではないでしょうか。

森野 DMATの活動要領改正においては,その後参入する医療救護班の立ち上げもサポートし,中長期における医療提供体制が構築できるように引き継ぐことになりました。これは,私の研究課題(註3)でもあり,現在調査中です。

 さまざまな救護班がさまざまな組織から派遣されるのを被災地でどのように統制するか。これに関しては,石井先生の取り組みが良い事例なので,ぜひ参考にしたいと思っています。

石井 石巻圏のDMATは3月16日にすべて撤収しましたが,その時点では石巻圏全体の統制がとれておらず,避難所に行くとほかのチームが既に支援を行っていたりして,非効率的でした。

 限られたリソースを有効活用しないと,とてもこの大災害には対応できない。そう考えて,私が県の災害医療コーディネーターの立場で関係機関と調整し,日赤救護班や大学病院,総合病院,医師会など,すべてのチームを一元的に統括する「石巻圏合同救護チーム」を3月20日に立ち上げました。

里見 以後は,石巻圏に集まる救護チームはすべてそこに参加登録するようになったわけですね。

石井 はい。ただ,絶えず数チームが出入りする状態ですから,救護チームの活動の振り分けを本部が毎日行うのが大変でした。

 そこで導入したのが,「エリアライン制」です。避難所の状況を踏まえて,石巻市と近隣地区を14のエリアに分ける。さらに,エリアごとに救護チームを割り振り,その中から幹事チームを決め,翌日の活動についてはエリア内で決めてもらいました()。継続的な救護活動を行う組織を「ライン」,短期参加にとどまるチームは「スポット」と呼びました。そして,これは里見先生の発案ですが,「ライン」に関してはあらかじめ,派遣元で数班の予定を調整してもらいました。

 石巻圏合同救護チームのエリアライン制

森野 本部業務の軽減とともに,一定の組織が継続的に同じエリアで活動するメリットもあるわけですよね。

石井 そうです。ひとまずは自分の担当エリアの状況だけ知っていればよいですし,避難所のリストを渡して自主的に動いてもらいました。後続チームへの申し送りや情報伝達もスムーズになり,かなりの業務をシステム化できました。

 一方本部では,毎日更新するアセスメントデータなどで医療ニーズを常にモニタリングし,ニーズに応じてエリア数やライン数を適宜変更していきました。支援救護チームを最大限有効活用できるようにするためです。

 今回の震災のように,長期的で大規模な救護活動が必要となった場合,中央集権的な運営では持ちこたえることができません。地方自治的なエリアライン制の導入を今回限りで終わらせるのではなく,システムとして標準化し,今後の災害活動に活かしたいと考えています。

都道府県と災害拠点病院,大学病院の役割分担

里見 山内先生は大学病院の救急医として普段から近隣の病院と連携し,また東日本大震災では宮城県庁に入り,災害医療体制に関する助言を行っていました。今回の震災では,病院間の役割分担はどのように動いていましたか。

山内 県庁で災害医療体制を検討する立場から考えると,まずは大学病院がスタッフ数も病床数も多く,しかも慢性期の患者さんの転院によってさらに空床を確保し得るという特徴があります。一般の病院だとそこまでの無理ができないので,今回,東北大病院は「頼みの綱」でした。

 院長の里見先生からは「いくらでも大丈夫」という心強いお言葉をいただいたので,「被災病院の入院患者はひとまず大学病院に搬送して,状態が落ち着いたら転院してもらえばいい」という方針に途中で切り替えました。周辺の病院も,大学病院が空床をつくれるよう,大学病院の入院患者を受け入れてくれたので,機能分担はうまくいったと思います。

石井 石巻圏から東北大病院への搬送も,各科個別の交渉ではなく,対策本部で一括して受け入れてくださいました。高度医療機関の専門医が総合医のようにあらゆる疾患を診ていたらしいので大変だったと思いますが,大学側の医師も何ひとつ文句を言わず素晴らしい対応をして,結果的に2か月で198人もの患者さんを受けてくれました。

里見 東北大病院では,発災後1か月で1566人の入院患者を受け入れ,そのうち456人が東北沿岸部などの遠隔地からの患者でした。そのほか,4か月間で延べ2000人以上の医療スタッフを,全国から届いた物資とともに県内外の医療機関へ派遣しています。私としては,最前線の病院が疲弊しないように後方支援するのが大学病院に課せられた使命だと考えました。

森野 災害医療における大学病院の役割を考える上で,重要なモデルケースになるのではないでしょうか。

山内 私は東北大病院の災害マニュアル作成にかかわるなかで,自院が被災した場合の機能維持についてはもちろん考えました。しかし正直なところ,県の大学病院として被災地の病院をどう支援するかまでは想定していませんでした。

 今回は里見先生がトップとしてその場その場で決断されましたが,院長次第で大学病院の役割が変わってしまうような事態は望ましくないとも感じます。大学病院,災害拠点病院と都道府県で事前に協定を結んでおくことで,震災時の役割分担が円滑に進むのではないかと考えています。

森野 ただ,病院の役割をあまり固定しすぎると,万が一その病院が被災して機能しなくなったときに問題が生じますね。

里見 災害の規模や被害状況によって対応も違ってくるでしょうから,ある程度の機能分担を病院群で決めておくぐらいがよいのかもしれませんね。

都道府県庁の機能強化,企業との連携

石井 災害医療の今後を考えた場合,被災現地と,県庁や大学病院など中央との連携は必須であると私も考えています。まずは都道府県庁に関係機関の代表者が集まる会議を設けて,そこに権限を与えるような形にすればわかりやすいのではないでしょうか。

森野 それに関して参考になるのが,DMATの良い点として,研修により養成された統括DMAT登録者が都道府県庁に入り,庁職員と協力しながらDMATを動かすシステムをつくったことです。これにより,医療に関する窓口が都道府県庁にでき,DMAT事務局,被災地内病院などの外部との連絡調整がスムーズにできるようになりました。

里見 山内先生は,今回の震災で宮城県庁に入ってDMATの統括を行いましたが,今後の課題は何でしょうか。

山内 宮城県の場合,集まったDMATに役割を振るのは国立病院機構仙台医療センターで,国などと連携を取って全体の方針を決めたり調整したりするのは県庁という役割分担でした。ただ,県庁のマンパワーが少なすぎて,目の前の業務に忙殺されてしまったのが実情です。本部としての俯瞰した立場で戦略を立てることまでは,なかなか難しかったです。

森野 被災地の県庁はとにかく本部要員が足りなかったですね。

 現行の行政システムは災害時のことを考えて構築されているわけではありません。部署の統廃合が進んでいるため,一人の担当者の負担が増えています。ところが,災害時にはライフラインの障害に加え,通常時にはない業務が一気に降ってくるため,何らかの支援がなければ機能不全に陥ってしまう点が見逃されています。DMATを都道府県庁に手厚く派遣するなど,災害時における都道府県の指揮調整機能の強化が必須です。

山内 実は,県庁には病院・交通・物流などの情報がたくさんありました。例えば,どの道路が通れてどこが通れないという情報は自衛隊がかなり調べていて,県庁も共有していました。情報を収集し,使える形に整理して,皆で共有できれば,被災地支援はもっとスムーズに進んだでしょう。手間はかかるにしても,そこに人とお金を割くべきなのだろうと思います。

石井 公的な組織ですべてやろうとすると大変なので,専門的なノウハウを持つ企業と連携できればいいですよね。石巻圏では,受診者数などの情報をインターネット上で閲覧・検索できるソフトをGoogleが作成してくれたのですが,「情報は選別せずにすべて持ってきてください。整理は,われわれプロがやりますから」とピシッと言われて参りました(笑)。

山内 流通に関してもそうですよね。せっかく物資の寄付を受けても,倉庫に積み上がって活用できないまま放置されることがありました。

石井 石巻市には全国からサッカー場が満杯になるぐらいの物資が届いて,市の職員では仕分けができず配れなかったのですね。市の英断で佐川急便に頼んだら2週間で仕分けを終えて,自衛隊が配るシステムまでつくったんです。

山内 これも事前に機密保持などの契約を済ませておけば,震災が起きてから民間事業者にどこまで情報を見せていいかなどの難しい問題を避けることができるのではないでしょうか。

里見 平時の災害対策に企業が加わり,その専門的な能力を活かすのはとてもよいアイディアですね。

災害医療の人材育成に向けて

里見 宮城県でみると,今回の震災では石巻なら石井先生,気仙沼では成田徳雄先生(気仙沼市立病院),南三陸では西澤匡史先生(公立志津川病院)と,それぞれリーダーとなる人がいてくれたおかげでなんとか乗り切れました。ただ,もしそのうちの誰かが怪我でもしていたら,状況は違ったかもしれません。今後,県単位あるいは全国レベルで,災害医療のリーダーを育てていくことも重要ではないでしょうか。

森野 先ほども話が出ましたが,DMATでは,平時にはDMATの訓練や都道府県の災害医療体制に関する助言を行うほか,災害時には各DMAT本部の責任者として活動できる人材の育成をめざして,「統括DMAT登録者」という制度をつくりました。都道府県から推薦を受けたDMAT隊員が研修を受ける形で,現在は約400人が登録済みです。ただ,2日間の研修ですし,石井先生が今回実践された被災地救護活動のマネジメントのような内容にまではまだ踏み込めていません。

石井 それは,世間ではあたかも私ひとりで全部やったかのように言われますが,まったく違います。石巻圏合同救護チームで私を支えてくれたのは,全国から交替で自主参集してくれた災害医療の専門家で,森野先生や山内先生を含め22人に達しました。長期の活動ともなると運営に迷うこともありましたが,ブレーンとなって的確な助言をしてくれる専門家の重要性を痛感しました。

 この経験を活かすためにも,森野先生に代表をお願いして,石巻圏合同救護チームのメンバーらで「災害医療ACT(アクト)研究所」を設立することになりました(2012年3月11日発足)。災害時には被災地の病院に災害医療の専門家を派遣し,現地の医療統括リーダーを支える仕組みを構築したいと思っています。

森野 もうひとつ大事なのは被災地の都道府県庁です。被災地の病院と庁では,リーダーに要求されるマネジメントの内容はやはり異なってきます。今回は宮城県庁で山内先生が非常に苦労されましたが,都道府県のリーダーをサポートできる人材も育てていかなければなりません。

山内 災害医療の専門家を育てるのに,講義や実習だけでは限界があります。実務者を決めたのであれば,その人を都道府県や病院がバックアップして,国際的な災害医療の場で実地の経験を踏ませるようなシステムが望ましいのではないでしょうか。

森野 そうですね。まずは教育のシステムをつくることが大事です。

里見 東北大も来年度,「災害科学国際研究所」を新設します。研究対象は多岐にわたりますが,災害医学の分野からも参画することになっているので,これを人材育成につなげていきたいと思います。

この経験を次に活かすために

森野 大規模災害はどこかでまた必ず起きます。そのときに東日本大震災の教訓を活かせるよう準備したいですね。そのためにも,経験談で終わらせるのではなく,その経験を検証し,次なる体制や策を構築する必要があります。

山内 「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ではいけませんね。地下鉄サリン事件の後も,日本より米国のほうがテロ対策を見直したそうです。この経験が風化しないように,まずは被災地の医療者が情報発信していくことが重要です。

石井 この経験は貴重な財産として,後世に伝えていかなければなりませんね。私自身,今回の震災について報告したり,今後について提言したりするのは義務であると考えていますし,今後も取り組みを続けるつもりです。

里見 わが国の災害医療は,経験を積み重ねながら少しずつ進歩してきています。今回の震災でも新しい問題が浮き彫りになりましたが,これらをきちんと検証して,この教訓を具体的な提言にまで発展させたいと考えています。本日はありがとうございました。

(了)

註1:EMIS(Emergency Medical Information System;広域災害救急医療情報システム)とは,被災地域での迅速かつ適切な医療・救護にかかわる各種情報の集約・提供を行うもの。最新の医療資源情報,超急性期の診療情報,急性期以降の患者受入情報,DMAT活動情報等を収集する。
註2:厚労省「災害医療等のあり方に関する検討会報告書」(2011年10月)
註3:平成23年度厚生労働科学特別研究事業「東日本大震災急性期における医療対応と今後の災害急性期の医療提供体制に関する調査研究」の分担研究「亜急性期以降の医療支援に関する研究」


里見進氏
1974年東北大医学部卒。ハーバード大研究員などを経て95年より東北大教授,2004年より東北大病院長(05年より東北大副学長も兼務)。現在,日本外科学会理事長,日本医学会幹事なども務める。東日本大震災時は,東北大災害対策本部長として医療スタッフの派遣,支援物資の搬送,入院患者受け入れなど,主に後方支援の役割を担った。

森野一真氏
1985年山形大医学部卒。山形市立病院済生館などを経て2007年より山形県立救命救急センター診療部長。山形大臨床教授。東日本大震災では山形県庁での入院患者の受け入れや福島県庁での病院避難の調整,石巻圏合同救護チーム支援などを行った。DMAT東北地方ブロックの立ち上げや,中国・四川大地震(2008年)での国際緊急援助隊医療チームとして活動した経験も持つ。

石井正氏
1989年東北大医学部卒。同大先進外科を経て,2002年より石巻赤十字病院医療社会事業部長。東日本大震災時は宮城県災害医療コーディネーターとして石巻圏合同救護チームを立ち上げ,9月末の活動終了まで延べ3633の救護チームを一元的に統括。石巻圏内の300か所の避難所巡回・救護活動に当たった。近著に『東日本大震災 石巻災害医療の全記録』(講談社ブルーバックス)。

山内聡氏
1996年東北大医学部卒。女子医大救命救急センター,いわき市立総合磐城共立病院などを経て,2005年より東北大病院。06年10月設立の高度救命救急センターにて,現在は医局長を務めている。東日本大震災では発災当日から宮城県庁に入り,DMAT調整本部長を務めたほか,DMAT解散後は災害医療コーディネーターとして県の災害医療体制に関する助言を行った。