医学界新聞

寄稿

2011.06.06

寄稿

HIV/AIDS 米国における30年の歴史と展望

谷口俊文(ワシントン大学感染症フェロー/米国感染症専門医)


 男性同性愛者におけるHIV感染に伴うニューモシスチス肺炎が1981年6月5日付のMMWR(Morbidity and Mortality Weekly Report)に報告されてから30年が経過する。はじめの15年,HIVの診断は死の宣告同然であったが,1996年ごろからウイルスを抑制する抗レトロウイルス療法(anti-retroviral therapy ; ART)が導入されて死亡率が劇的に改善したため,糖尿病などと同じ「慢性疾患」としてとらえられるようになってきた。先進国においては新規HIV感染者数は横ばいであり,HIV感染者の総数としては増加傾向にある。

 本稿では,米国におけるHIVの現状,課題と今後の展望について報告したい(発展途上国におけるHIVの諸問題はここでは割愛する)。


HIVに対する治療の進化と限界

 抗レトロウイルス療法が導入され始めた当初は副作用が多く頻回に服用せざるを得なかったが,現在米国では,耐性さえなければ1日1回1剤(Atripla®註1)で治療が可能だ。抗HIV薬の種類()も徐々に増え,多くても1日2回服用でほとんど治療できるようになった。

 米国で主に使用される抗HIV薬と臨床試験中の有望な抗HIV薬

*ノンパラメトリック検定,それ以外はパラメトリック検定を示す。

 1996年以降,どの抗HIV薬の組み合わせが一番効果的で,長期的にウイルスを抑制し副作用を最低限にすることができるのか,さまざまな大規模臨床試験が行われた。現在のガイドラインで推奨される組み合わせは十分に効果的であり,わずかな差を求めるために異なる種類の抗HIV薬の組み合わせを比較するランダム化試験を今後行うことは意味がないと考えられるようになってきた。もちろん,新しい抗HIV薬が開発されれば,有効性もしくは非劣性を示すための臨床試験が必要になってくるだろう。

 現存の治療薬ではHIVの治癒には至っておらず,結局,一生抗レトロウイルス療法を続けなければならない。そのため,長期間抗HIV薬を服用することによる合併症が問題になる。また,抗HIV薬を使用してウイルスを抑制しても,ウイルス感染そのものにより慢性的な炎症が起こっているためにさまざまな合併症を呈しているのではないか,と考えられるようになった。例えば,HIV感染そのものが心筋梗塞のリスクファクターと考えられるようになり,特定の抗HIV薬を服用中の患者は心筋梗塞発生率が有意に高いことも知られている。また,HIV感染者は非感染者と比べて認知障害の発症率が高くなる。これは脳脊髄液中のウイルスを抑制しきれていないからか,抗HIV薬による副作用なのか,いまだ不明である。

 抗レトロウイルス療法により,HIV感染者は他の慢性疾患を有する非感染者と変わらない寿命を全うすることができるようになってきたと言われているが,それは統計学的な算出による推測にしか過ぎず,証明するためには長期間にわたる観察研究が必要になる。昔と比べれば長く生きることができるようになったのは事実であるが,同時にHIV感染者では加齢の進行が速いこともわかってきた。加齢に伴う合併症そのものとHIV感染との関連はいまだわかっていないことも多い。HIVと加齢に関する研究は,今後の大きなテーマとなることだろう。

 その他,腎不全,糖尿病,脂質異常症,骨粗鬆症,うつ病など,HIVとその治療薬に関連付けられる疾患は多い。米国におけるHIVクリニックでは,内科・精神科疾患の予防や治療が重要視されるようになってきた。HIVを含めた免疫不全に伴う感染症のみを取り扱うのではなく,プライマリ・ケア医としての総合力が必要になる。

慢性炎症との闘い

 このような背景の下,HIV感染に伴う慢性炎症をどのように抑えるかが盛んに研究されている。

 スタチンは抗炎症作用があることが知られており,米国のAIDS Clinical Trial Group(ACTG,註2)では,抗レトロウイルス療法にて治療中でウイルスを完全に抑制している患者に対して,アトルバスタチンを投与し炎症マーカーをモニターする臨床試験が行われている(ACTG 5275)。なぜHIV感染によって慢性炎症が引き起こされているのかという研究も多数存在する。消化管におけるCD4 T細胞の減少に伴うmicrobial translocationにより慢性炎症が引き起こされているのではないかと考えられ,microbial translocationの根拠となるようなサイトカインやLPS(lipopolysaccharide,リポ多糖)などのマーカーを計測,また抗菌薬であるリファキシミンを投与してmicrobial translocationを抑制することはできないかなどの研究(ACTG 5286)が行われようとしている。

治癒をめざして

 ベルリンにて急性骨髄性白血病を発症したHIV患者にケモカインレセプターであるCCR5の遺伝子32塩基を欠損したドナーからの骨髄移植を行ったところ,その後抗HIV薬を服用せずともウイルスが検出されない状態となり,世界で初めてHIVの治癒に至った症例となった。この「ベルリンの患者」はHIVの治癒が可能であるかもしれないという夢と明るい希望をもたらした。

 ジンクフィンガーヌクレアーゼ(Zinc Finger Nucleases ; ZFNs)はゲノムDNAの編集を可能とする人工制限酵素であり,これを利用して遺伝子的にCD4+T細胞のCCR5受容体もしくはCXCR4受容体を特異的に変異させる臨床試験が行われている。その結果は2011年にボストンで行われたCROI(Conference on Retroviruses and Opportunistic Infections)で発表され,まずまずの結果を出したとされる。ただ,臨床応用に着手したばかりなので,今後の研究の成果に期待したいところである。遺伝子治療によるHIV治癒への挑戦は始まったばかりだ。

HIV感染の予防

 一方,HIVの新規感染者数を減らすための予防に関する研究は行き詰まりを感じる。HIVワクチンの開発競争は進むものの,どの臨床試験においても決定的な結果を得られていない。ワクチン以外の予防の手段として,HIV感染のリスクが高いとされる男性同性愛者を対象にテノホビル・エムトリシタビンの合剤をHIV暴露前予防投薬として使用する臨床研究(iPrEx)は4割程度新規感染者数を減らすという一定の結果をもたらした。しかしながら同様の臨床試験であるFEM-PrEPというHIV予防の臨床試験ではプラセボと差がないことが指摘され中断された。

 HIVに対する予防で決定的な手段は存在しない。Test & Treat(すべてのHIV陽性者を治療すること)を行うと新規感染者数が減少するという統計学的算出のデータをもとに臨床試験を試みている地域があるが,結論が出るのはまだ先の話であろう。現在,有効な予防法として確立しているのはコンドームである。原点に帰って性教育も重要ではなかろうか。

 以上の話をまとめると,HIVと慢性炎症,HIVと加齢,HIVの治癒,HIVの予防(ワクチン,暴露前予防投薬など)という4つの大きなテーマが今後のHIV研究における課題となる()。次の10年間にどのような進歩があるだろうか。筆者は,HIVの影響を一番深刻に受けている発展途上国のHIV感染者に対して,治癒とワクチンによる有効な予防を提供できる日を夢見るのであった。

 今後のHIV研究の課題

註1:ツルバダ®とエファビレンツの合剤。
註2:米国におけるACTGは,HIV/AIDSの多施設共同臨床試験を行うための基盤として1986年に設立され,HIV診療指針となる数多くの研究をこれまで行ってきた。

※なお,筆者は米国Bristol-Myers Squibb社より,BMS virology fellow research training programを通じて研究費を得ている。

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