医学界新聞

寄稿

2011.04.25

寄稿

東日本大震災における医療活動に参加して
災害医療のアマチュアが現場へ

志賀隆(Instructor, Harvard Medical School/マサチューセッツ総合病院救急部)


 3月11日に東日本で発生した大地震のニュースは米国にもすぐ届き,NHKの画面に釘付けになった。私は救急医であるが,災害医療ではアマチュアである。また,国際保健等の活動の経験は多少あり,医療ボランティアにおける,(1)自給自足できない状況で現地に行くべきでない,(2)善意からの行動が必ずしも良い結果につながるわけではない,(3)相手のニーズに合わない一方的な支援はかえって迷惑である,などの問題点は理解していた。

 自問自答しているところにポケットベルが鳴った。「もし災害現場に行きたいのであれば,徳洲会グループの災害医療支援チーム(Tokushukai Medical Assistance Team;TMAT)に参加できる可能性がある」という,放射線科医の鈴木ありさ医師からのメッセージだった。経験豊富なTMATから学びつつ,少しでも現地の方々の助けになればと思い,参加させていただいた。その経験をここに報告する。

72時間を過ぎ,何ができるのか

 出発前にまず,職場の調整が必要だった。幸い教育者養成のためのコースに参加する予定であったため,スケジュールは比較的フレキシブルであった。上司に相談すると,「Be safe! Godspeed! We are proud of you!」と背中を押してくれた。マサチューセッツ総合病院(MGH)救急部の同僚スタッフもすぐにシフトを変わってくれ,二人の幼子を抱える妻も快く送り出してくれた。同僚の長谷川耕平医師とN. Stuart Harris医師,現在ボストンカレッジ博士課程に在籍している原田奈穂子看護師もTMATに参加することになり,心強いチームメンバーとともに翌日ボストンを発った。

 地震直後に現地入りしたDMATの報告では,「津波による被災が甚大であり,残念ながらトリアージ上ブラックの人(すでに亡くなっている方か,少ない医療資源ではどうしても救えない方)が多く,迅速な医療介入が必要なレッド・イエローはほとんどいない」ということであった。

 災害のゴールデンアワーは72時間とされており,DMATの基本的活動も72時間以内である。私は道すがら72時間後に何ができるのか,自問自答を続けていた。そして,新潟中越地震時の友人の経験1)を参考に,(1)被災者や被災地の医療スタッフにとって,助けが来ることは精神的支えとなる,(2)72時間が経つと被災が終わるわけではなく,その後もニーズはある,(3)現地で情報収集し,それを共有することが将来につながる,と考えた。

 日本内科学会の「内科医のための災害医療活動」2)や,西伊豆病院の仲田和正先生の著書『手・足・腰診療スキルアップ』(シービーアール)に掲載されている「災害医療マニュアル」,MGH外傷外科のBriggs医師の『Advanced Disaster Medical Response Manual for Providers』などを読みながら,現地へ向かった。

組織化されたチームが力を発揮

 13日に成田空港に到着した私たちはTMATのメンバーの出迎えを受け,支援物資の詰まった救急車で仙台徳洲会病院をめざした。高速道路は緊急車両のみ使用可能で,各地から消防隊,自衛隊,支援物資を運ぶトラックが続々と被災地に向かっていた。ベース病院である仙台徳洲会病院に深夜に到着後,現地リーダーの田川豊秋医師から現状をわかりやすくご説明いただいた。

 翌日早朝に仙台徳洲会病院を出発し,活動拠点となる宮城県気仙沼市に向かった。田川医師ら先遣隊は朝3時に出発し,活動拠点について自治体と交渉していた。私たちのチームは補給物資を届けるべく,気仙沼市の南部に位置する本吉町の本吉病院ヘ向かった。同院はやや低地にあり,海岸からは離れている。しかし,近くを流れる津谷川を逆流した津波で1階は水没しており,CTや胸部X線,検査室,事務室などが大きな被害を受けた。TMATはここでERとしての機能を提供し,同院職員との有機的な連係がとられていた。

 その後,田川医師から指示があり,本吉町の北東にある階上(はしかみ)町へ向かった。到着後すぐに中学校の保健室に仮設クリニックを設営し,診療と巡回を開始した。...

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