医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔 第9回 〕 大学にて


前回よりつづく

 今回は医科大学・大学医学部で使われる業界俗語の特集だ。附属病院で使われる臨床用語が他の医療機関とそれほど違うとは思えないので,医学教育・研究の機関として特色が出たものを取り上げたい。教官の職名,学位や試験に関する語,副業の呼び名などなど。


【例文】

(1)チーテルの発表会の時,グルントのプロフから方法論に対してアインバンドが入ったが,うちのズブが助け舟を出してくれて何とか合格した。
(2)明日はオーベンの代理でジッツ病院にネーベンだよ。
(3)最近発達した診断法だから,これに関しては若い君のほうがレーラー,こっちはシューラーだよ。

標準的な日本語に訳すと
(1)学位の発表会の時,基礎医学の教授が方法論に対して反対意見を述べたが,自分の科の助教授が助け舟を出してくれて何とか合格した。
(2)明日は上級医の代理で(大学の)関連病院に外勤だよ。
(3)最近発達した診断法だから,これに関しては若い君のほうが教師役でこっちは生徒だよ。

学位

 英語のtitleに当たるドイツ語Titel(ティーテル,訛ってチーテル;本や論文の標題という意味もあるがここでは称号・学位)は,医者語では博士号(英:doctorate)を指す。次のGrund(グルント,綴りに引きづられて語末をドと濁らせる発音も耳にするが本来は無声音)は英語groundと同系統の語で,土地という基本語彙から派生して土台,基礎なども守備範囲とする。医者語では解剖学,生理学,病理学など,臨床に直接従事しないが学問としての医学には不可欠の各分野をまとめた概念,すなわち「基礎医学」を指す。学問の基礎的部分という意味のドイツ語単語としてはGrundlage(グルントラーゲ:土台,基礎,根底)のほうがふさわしいのかも知れない。英語ならbasic medical scienceだろうか。対語はもちろん「臨床医学」ということになるが,それに相当しそうなKlinik(クリーニク)という語自体は,日本の現場であまり見聞きしない。しかし複合語Poliklinikの略であるポリクリは臨床実習を意味する外来語としてすっかり定着している。さて,学位発表の晴れ舞台で講演者氏を困らせたEinwand(アインヴァント:口答え,異議)。なぜか「-を述べる」ではなく「-を入れる,-が入る」という形で使われることが多い。ちなみに,下世話な関西弁には「いちゃもんを付ける」という言い回しがある。

白い巨塔

 Professor(教授:プロフェッサーないしプロフェソール)をプロフと略称するのは理解しやすい。しかし日本語にはズブの素人という表現があるので,その科の専門知識も臨床経験も豊かな(はずの)助教授をズブと俗称するのは何とも皮肉な言い方だ。ところで,ドイツ語に本当にSubprofessorという語があるのだろうか。ドイツの大学制度を知らないので断定はできないが,辞書に載っていないのでどうも和製独語くさい。確かに「準じた,下の」の意味の接頭語としてのsub-はあるのだが。なお,上記のGrundもそうだがドイツ語では子音で終わる音節ではその子音を無声化する傾向が強いので,Subという単語があったとするとカナで近似した発音はズプになるはずだ。

チューベン

 医者語では上級医・指導医をオーベンと称する。対して指導を受けている側はウンテン(下級医・研修者)。それぞれドイツ語の副詞oben(上に),unten(下に)を無理やり名詞化した用法と思われ,独和辞典でそれに近い意味の語を探すと,形容詞由来のObere(オーベレ:上役,上官),Untere(ウンテレ:下級のもの)が浮かぶ。この2つはまだドイツ語に起源があるといえるが,両者の中間的な立場の医者を表すチューベンという表現は日本語の「中」の字を援用した完全な俗語。

 Sitzとはドイツ語の動詞sitzen(ジッツェン)の関連語で座るところ,地位。相当する英語は名詞はseat,動詞がsitだ。この一般的意味から派生して医者語では,ある大学から見て勢力圏内の病院をジッツと称する。

ネーベン

 若い先生たちは普通の若者同様に「バイト」という語もよく使っている。ご存知のように,アルバイト(Arbeit)は世間一般にも広く通じるドイツ語由来の外来語。原語では作業・労働全般を指すはずが,カナ書き外来語になって非常勤ないし時間雇いの仕事,という意味に限定されてしまった。それはそれとして,本業以外に働くことが話題になれば,医療業界特有の用語としてNebenarbeit(ネーベンアルバイト:副業,内職)を挙げないわけにはいかない。前半部分の「ネーベン」に縮めた形で使われることが多いが,実はneben単独だとドイツ語では「-の横に,-のそばに」という意味の前置詞なのだ。もとは正しいドイツ語複合語だったのに,日本人が勝手に短縮して前置詞ないし接頭辞部分に特定の意味を持たせてしまった和製用法という意味では,通俗産婦人科用語「アウス」と同じことが起こってしまっている(連載第4回記事参照)。なお,英語で副業,内職のことを,side business,part-time jobなどと呼ぶが,口語ではmoonlightingともいうそうな。

ラリルレロ

 教師・教え役をレーラー(Lehrer)というのは辞書にも出ているちゃんとしたドイツ語だ。動詞lehren(レーレン:教える)は立場が逆のlernen(レルネン:学ぶ・教わる)と綴りが似ているのでちと紛らわしい。関連語として,教えること・教科・教育を意味する名詞Lehre(レーレ)があり,また教科書はLehrbuchという。権威がカイザー(Kaiser:皇帝)に比された頃の外科系プロフなら,不勉強な学生を叱って「君たち! 手術見学だというのに,解剖のレールブーフすら復習せずに来たのかね?(ジロリと睨みながら)」。さて,レーラーに対するシューラー(Schüler:生徒・弟子)はSchule(シューレ:学校)から派生した語。ちなみに,名詞に文法上の性のあるドイツ語では教師・生徒ともLehrerin(レーレリン),Schülerin(シューレリン)という女性形が存在する。

 大学用語といえば,昔むかし先輩が教職の意味で「レールジッツ」という言葉を使っているのを聞いたことがある。あれはどうも和製独語だったようだ。「教える」+「地位」という合成語のつもりだろうが,辞書には教授職(教授の椅子)を意味するLehrstuhl(レールシュトゥール)という語はあっても“Lehrsitz”は載っていなかった。

余談

 医学部に限らず,昔の学生用語で再試験(追試)のことをビーコンと呼んでいた。これはドイツ語の動詞wieder-kommen(ヴィーダーコンメン:帰って来る,再び来る)を略して作られた和製独語。「点数が足りず不合格だから出直して来い!」という意味だ。ところが,前半部分が数字2に関連した語を作るギリシャ語系接頭辞bi-と勘違いされた結果,再々試験を「トリコン」とする俗称が派生した。3回目という意味でtri-を付けたらしいが,コンは何の略のつもりだったのか今となっては不明だ。ラテン語系のconfrontation(対決)かな。もしかしたら出題者側からのconcession(譲歩)を期待していたのかも知れない。医学部の場合,学内の学科試験で少々おまけしてもらって進級できたとしても,それに甘えて勉強しない癖がついてしまったら国家試験で苦労するだけだが……。

脚注:前々回の病棟特集で個人宛の紹介状に添える脇付は御中ではなく「御侍史,御机下」と書きましたところ,「御」を付けない形が正しいのではないか,と複数の方からご意見をいただきました。筆者自身これまで疑問を持つことなく先輩たちの真似をして使っておりましたが,改めて国語辞典や手紙の書き方の解説書などに当たってみると「御」の付いた形は載っていません。また,インターネットで検索すると少数の使用例が見られるものの,「御」を付けるのは誤りとしている資料も多く見つかりました。少なくとも現在では,医者同士などでしか使われない過剰敬語とみなされているようです。よって該当箇所は「個人相手なら侍史なり机下とすべきですよ」と修正します。なお,当事者は社会方言という意識なしに使っているが,一般には使用されない語彙という意味では,「御侍史,御机下」は隠れた医者語とも言えます。ご指摘くださった読者の方々に感謝いたします。
(ゲンゴスキー)

つづく

次回予告
 この次は症状・所見を表す内科系の医者語を取り上げてみよう。「1か月前からアルゲマイネミューディッヒカイト,アプマーゲルンク,ヘルツクロッペンを自覚し来院。診るとシルドドゥルーゼも腫れており,なぁんだバセドウ病か」。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。 1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。