医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔 第8回 〕 手術・創傷処置の用語


前回よりつづく

 今回は手術や外科的処置に関する用語を特集しよう。といっても不肖ゲンゴスキー,外科系医師ではないので術中の会話に接する機会に乏しい。音声言語については,せいぜい周術期の言い回しまでしか取り上げられないことをあらかじめお断りしておく。


【例文】

(1)君は手先が器用だから,メスザイテに向いていると思うよ。
(2)VW. Wunde: rein. Verlauf: glatt.
(3)d.e.(-),defense(-),Blumberg(+).
(4)抜糸したら●開してしまったのでデブリしてナートし直した。

標準的な日本語に訳すと:
(1)君は手先が器用だから,外科系に向いていると思うよ。
(2)ガーゼ交換(を行った)。術創はきれい。経過良好。
(3)圧痛なし,筋性防御陰性,ブルンベルグ徴候陽性。
(4)抜糸したら傷口が開いてしまったので創面切除して縫合し直した。

蘭学の置きみやげ

 ご存知の方もおられるだろうが,手術用小刀をメスというのはオランダ語起源で,ドイツ語ではMesser(メッサー)という。しかも意味は医学用語に限定されず実は短刀を指す一般語であり,文脈により食事用のナイフや料理用の包丁も意味し得る。Seite(ザイテ)とは側(がわ),側面,場所を意味するドイツ語の名詞。英語のsideより語彙の守備範囲が広い感じがする。内科系ではなくメスを持つ側の人間,という意味でメスザイテというのは和製の蘭独混成語のようだ。ドイツ語で無理やりそんな意味の複合語を作ればMesserseiteということになるだろうが,そんな単語は辞書に出ていないし,インターネットで検索するとナイフ職人の工房の記事ばかりヒットする。

フォルクスワーゲンではない

 外科系のカルテは表記が簡素というか,術後などほとんど書いてないことが多々ある。日付のあとにVWないしGWとだけ書かれてあったり。これはVerbandwechsel,Gazewechselの略で,包帯交換・ガーゼ交換のこと。もともとフェアバンド(包帯)をしておらず,ガーゼだけ交換することもあるのに,使用頻度は前者の方が圧倒的に多いようだ。Wechsel(ヴェクセル)は変わること,換える(変える,替える)こと。Wunde(ヴンデ)とは英語woundからご想像のとおり,傷創ないし怪我。rein(ライン)は「きれいな,純粋な」という形容詞。ここでは術創が血液,浸出液,膿などで汚れていない状態を表現している。フェアラウフ(経過)は一度整形外科特集で出てきた。glatt(グラット)はもともと「平らな,滑らかな」,そこから派生して「円滑な,順調な」。術後経過の形容としては,Nachblutung(ナッハブルートゥンク:後出血)や譫妄など起こしていない状態を指す。例文の内容に相当する英語を考えると,Dressing change. The wound appears clean. Smooth post-operative course.というところか。

デ?

 例文3は,虫垂炎が疑われている症例を手術するかどうか,外科的診察が行われた記録を想定したもの。d.e.はドイツ語Druckempfindlichkeit(ドゥルックエンプフィントリッヒカイト)の略。Druckは圧,Empfindlichkeitはempfinden(感じる)という動詞の派生名詞で,「感じやすいこと,敏感なこと;感度」。この,元は長たらしい単語をピリオドなしでDeあるいはdeと略記されると略語であることさえわからなくなる。圧痛の英語はもちろん,tenderness。

 患部を押さえられると腹筋がこわばって抵抗する,筋性防御défense musculaire(デファンスミュスキュレール)。連載8回目にしてフランス語起源の医語の登場だ。実はフランス語も日本の医学用語に結構入っている。外科系ではほかに,例文4に挙げた「デブリ」ことdébridement(デブリドマン:創面切除)だとか,dérangement interne(デランジュマン・アンテルヌ:関節内障),contrecoup(コントルクー:対側打撃)などなど。内科系では神経学・精神医学方面に特に豊富でgrand mal/petit mal(グランマル/プチマル,てんかんの大発作/小発作),rapport(ラポール,意思の疎通)にdéjà-vu(デジャヴュ,既視感),ときりがない。

虎は死して皮を残し外科医は術式に名を残す

 さて続くBlumberg's sign(英),Blumberg-Zeichen(独,ツァイヒェンはしるし,徴候)について。反跳痛rebound tendernessを,記述した20世紀前半ドイツの外科医の名を取ってこう呼ぶそうな。このように,人名を冠する専門用語は医学では徴候のほか病気・器具・治療法の名前などに数知れずある。他の自然科学でも数学なら定理・級数・公式,化学なら反応液・反応式・定数,物理なら法則・現象・単位などなどの名前に花盛り。筆者の関係する核医学の用語に限っても放射能の単位ベクレルとキュリー,ガンマ線のコンプトン散乱,汚染検査用計測装置であるガイガー・ミュラー管,といくらでも顔を出す。いちいち覚えるのは記憶に負担だし部外者には通じないからけしからん,eponym(エポニム,冠名)を撲滅しようという声もあるようだが,一掃は無理だろう。定義された概念を簡潔に表現できるうえに,その人の業績を讃えて記念に名を冠した,という歴史的側面もある。しかも,たとえばシェーグレン症候群なら「自己免疫性涙腺唾液腺炎」と言い換えることもできようが,病因病態が完全には解明されていないメニエール病などを一般語の組み合わせで短く表すのは難しそうだ。

漢字語

 手術や処置の用語には音だけ聞くと日本語(漢字語)なのか外来語なのかすらわからない単語がある。テイモウ(剃毛),ホンテン(翻転),チョウフ(貼付)くらいまでなら漢字を思い浮かべて推定もできる。ヨウマ(腰椎麻酔),キョクマ(局所麻酔)などと略されると元の単語を知らないと難しくなり,グリカン(グリセリン浣腸),オペレコ(operation record:手術記録)など英語混じりで略語になると素人さんはお手上げだろう。

 さて,●開(しかい)。昔これをタカイと読んだ偉い外科医がいた,という逸話を書こうとして,●の字がワードプロセッサでなかなか変換できなかったのには驚いた(使用する日本語プログラムを変更し,さらに文字パレットで探したらやっと出てきた)。よほど使用頻度が低いものとみえる。漢和辞典なら,小ぶりなものにもちゃんと口部6画に「口を大きく開けたさま」と載っているのだが……。電子植字がうまく行かない危険性を考えると,資料によっては英語dehiscenceの訳語が「し開」と一部かな書きになっていたり,離開という言い換えが使われているのも仕方ないのだろう。

 手術操作のうち,切開はドイツ語でSchnitt(シュニット)ということは産婦人科の帝王切開の項で述べた。対して縫合はNaht(ナート)という。「管が抜けないよう,念のため一針(イッシン)だけナートかけといて」などと使われた。

 ところで手術といえば,最近あまり耳にしなくなったが「ゲフ」などという用語もあった。食事中にはあまり聞きたくない響きだ。術中に迅速検査をして切除範囲などを決めるのに使われる,Gefrierpräparat(ゲフリーアプレパラート:凍結標本)のこと。このごろは漢語をすなおに縮めた「ジンソク」が主流だが,英語のfrozen sectionから来た「フローズン」という通称も使われている。

バツイト

 バツイチの誤植ではない。一般の医者はバッシと聞くとまず,術後に縫合糸を取り除く作業を思い浮かべる。ところが歯科の先生たちは職業柄,同じ音を聞いて第一に歯を抜くことを考えるだろう。両方の処置が頻繁に行われる口腔外科では,混乱を避けるために症例呈示のときなどバツイト,バツハとわざわざ重箱読みして呼び分けるらしい。なるほど,同音異義語を区別する生活の知恵ですな。

つづく

次回予告
 今度は大学医学部ないし医科大学にまつわる用語を特集してみよう。「チーテルの発表会のときに,実験の方法論についてグルントのプロフからアインバンドが入って冷や汗かいたが,うちの科のズブが助け舟を出してくれて何とか合格した」

●はくち偏に「多」を合わせた漢字


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。 1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。