医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

34R

患者様

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院
市立伊東市民病院
横須賀市立うわまち病院
市立奈良病院臨床研修センター長


前回2702号

▽月×日

 ある研修医の外来で起こった事件。久々に事件だな,これは。1週間前,糖尿病の初診の患者さんだったのだけど,研修医が病歴をしっかり取り,しっかり診察し,その後,私と二人で一緒に診察し,今後の方針を説明し,検査をオーダーし,栄養指導の予約をして,1週後の外来予約を取って,問題なく,外来を終了した。清潔な身なりで,礼儀正しく,自己紹介をし,丁寧な言葉遣いで,失礼のないように,研修医として患者さんに接する,そういうことがきちんとできている。自分自身のへき地診療所の外来で,これほど時間をかけて,しっかりやったことはない。OSCEなら満点に近い。かなりうまくいった。でも,これがうまくいってないのだ。今日の外来を始めようとしたときに,看護師が言う。

「先週初診の糖尿病の患者さんなんですけど,『先週の外来で研修医にもの扱いされた。今日は研修医以外の先生に診てもらって,できれば他の病院への紹介状を書いてほしい』とのことなんですが,どうしたらいいでしょう」

 何が起こったのかさっぱりわからない。とりあえず診察室に入ってもらって,研修医は診察室の外に待機させ,私自身が対応する。患者が入ってくる。口は真一文字,やや上目遣いで。これはやばい。

「先週の診察で何か失礼があったようですが」
「いろいろな病院にかかっているが,あんな扱いをされたのは初めてだ。患者をもののように扱う医者には診てもらいたくない。今後は別の病院にかかるから,紹介状を書いてくれ」
「どんな状況であったか,もう少し具体的にお話しいただけますか」

 今度は,私がもの扱いしたと言われかねないなと思いつつ,それでも,できるだけ丁寧な言葉,口調で話す以外に,いい方法が見つからない。いつもより余計に丁寧になってしまう。しかし,それがまた患者さんの気に障るかもしれない。そう思いつつも,いつも以上に丁寧になる自分に,「もの扱い」という言葉がよみがえる。確かに患者さんの言う通りかもしれない。慇懃無礼,という言葉があるじゃないか。確かに今の自分は慇懃無礼だ。患者さんに対して丁寧というだけでなく,自分があれこれ言われないように,不必要なまでに丁寧になる。それは自分の保身を考えてのことだ。しかしそんなことを考える隙間もなく,患者さんからの反応が返ってくる。

「いいから紹介状を書いてくれ。それだけでいい」
とりつく島もない。
「わかりました。今すぐに書きますので,しばらく外でお待ちいただいてもよろしいですか?」

 患者さんを外で待たせて,研修医に簡単に状況を説明する。ボーゼンとする研修医。そりゃそうだ。
「何か思い当たることある?」
「……」
「まずは今日の外来を始めよう。このことについては,またあとでゆっくり話をすればいいから。とりあえず,今日の外来は見学にしようか」

 実は,自分自身には思い当たることがたくさんある。自分の慇懃無礼を振り返って,いろいろなことを思い出す。へき地診療所で自分がやっていたこと。患者さんとの距離の取り方。近くても,遠くてもしんどいんだな,これが。医者だけじゃなくて,むしろ患者さんだって。ちょうどいい距離というのが,お互いなかなか取れない。
 親しい患者さん,気の合う患者さんには,できるだけ何とかしたいと思うし,あまり親しくない患者さん,むしろ苦手な患者さんには,できるだけ当たり障りなく済ませようという気持ちが出てくる。多くの医者はそうだと思う。そういうことのない医者は,真のプロの医者だ。そう言えば,私なんかまったくプロじゃない。親しい患者さんには距離が近づきすぎて,その患者さんのことが頭からはなれず,こちらも疲れ果てたりして,うまくいかない。自分の家族が病気になったときのことを考えれば,簡単に想像できる。近づきすぎはお互い体に悪い。苦手な患者さんは,逆にどんどん遠くなってしまってうまくいかない。うまくいかないどころか,ついには来なくなる。そんな患者さんがどれほどいたことか。
 そんなこともあって,親しい患者さんにはあえて丁寧な言葉で,苦手な患者さんには,むしろフランクな感じで,気安くなるように話しかけたりしていた。フランクな言葉遣いは,患者さんを近づけるのに有効だが,近けりゃいいってもんじゃない。遠いときに近づくのは有効だが,近づきすぎたときには,遠ざかったほうがいい場合もある。そんなとき,丁寧な言葉は,患者さんを遠ざけるのに有効なんだ。他人行儀。でも本来医療は他人行儀かもしれない。

 見学の学生がよく言うせりふ。
「できるだけ患者さんに近いところで働きたいんです」
 そういう学生だって,実際に患者さんの前に立たせてみれば,そう簡単に患者さんには近づけない。何もできない自分を目の当たりにして,そんな近づくもんじゃない,すぐそう理解する。研修医は,ある意味自分の分をわきまえている。他人行儀でやるしかない。それが普通の研修医だ。そこから徐々に近づいていく。あるいは患者さんから近づいてきてくれる。しかし患者さんに信頼され,患者さんが近づいてくれることを喜んでいると,近づきすぎてまた痛い目にあう。患者さんにストーカーまがいのことをされたりすることだってある。今日の事件だって,そんな一連の流れのひとコマに過ぎないのだ。

 外来を終わって,一言問いかけてみる。
「患者様っていう言い方についてどう思う? 今日のことと少し関係あると思うんだけど」
「……」
まだ立ち直れていない。
「何が悪かったということはないと思うよ。いろいろな患者さんがいるということを知ることは重要だ。それに,あと一言付け加えていいかな。あまりに丁寧な振る舞いは,暴力的な振る舞いと似ているんだ。多分」

 頑張れ,研修医。ついつい患者さんより,研修医の肩を持ちたくなる。でもそこをちょっとこらえて,あとは言わないことにする。


名郷直樹

1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。