名郷直樹の研修センター長日記 |
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大衆文学と純文学
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(前回2706号)
●月××日
夜,寝付けないときにはよく書評を読む。こういうときは,決して長い小説なんかは読んではいけない。面白い小説だと,読むのがやめられなくなって,ますます眠れなくなる。昨日も書評集を読んで寝た。1つの書評が数ページなので,どこかできりがついて眠くなる。ある書評の大衆文学と純文学の定義がさえていた。犯人がいるのが大衆文学で,犯人がいないのが純文学。そして,そこで思い出したこと。ある研修医とのやりとり。
「診断がつかない患者がいるんですよ」
「どんな患者さん?」
「原因不明の胸水なんですが」
「UpToDate見た?」
「見ましたが該当するようなものが見当たりませんでした」
結局その場の議論では,私にもぜんぜんわからなくて,ヒントもないままに過ぎたのだけれど,しばらくしてリウマチによる胸膜炎と診断がついた患者さん。診断がつけば,もうあとはリウマチの治療。治療によって胸水が消失し,めでたし,めでたし。
しかしそれで本当にめでたいのか?そんなことを考えていて,いつのまにか眠ってしまった。
夢の中で思い出す。二つの話が一緒になる。医者も毎日犯人捜しをしている。犯人をみつける,つまり診断をつけるというのが大衆文学,犯人が見つからない,診断がつかないというのが純文学。なるほど。なるほどじゃない。わけのわからない話になってる。
でもちょっと待て。これはかなり重要なことではないだろうか。
診断をつけるのが大衆文学医療。診断をつけないのが純文学医療。何だ,大衆文学医療って? 純文学医療って? 夢はやはりどこまでもわけがわからない。でもちょっとわかる感じがする。
今度はストレス学説についての話を思い出す。たくさんのねずみが這い回っている。相変わらず,わけがわからない。卵巣エキスを実験動物に注射すると,以下の3つの変化が現れる。
1.副腎の腫大
2.胸腺,脾臓,リンパ組織の退縮
3.胃十二指腸潰瘍
卵巣エキスを精製し,純物質にして注射すれば,もっと大きな変化が現れるのでは,と実験を続けたところ,逆に精製すればするほど3つの変化は小さくなる。どうしたことだ。どこまで精製しても,この3つの変化をもたらす原因物質が見つからない。犯人が見つからないのだ。純文学状態である。西洋医学,実験医学は純文学に弱い。逆に大衆文学に強い。セリエ博士だっけ? ここでコペルニクス的転回。彼は言う。
「原因物質などないのだ。この3つの変化を起こす犯人などいない。大衆文学者には,この疑問は解けまい。純文学者である私の意見を聞け。この3つの変化をきたすのは,ある犯人の仕業ではない。この変化をきたすのは,“ストレス”のせいだ」
誰かが質問する。
「“ストレス”って何。どんな人?」
博士が答える。
「だから“ストレス”は犯人ではないのだ。“ストレス”は特定の犯人ではない。純文学の領域のものなのだ。ためしにホルマリンを動物に注射してみなさい。それによって動物は死んでしまうが,死んだ動物には3つの変化がはっきりと現れているのだ。犯人はホルマリンではない。ホルマリン以外でも同じ変化が起きる。卵巣エキスでも。つまり,原因はホルマリンではない。卵巣エキスでもない。“ストレス”なのだ」
こんな意味のわからない夢をオレに見させる犯人は誰だ? 誰だかわからない犯人を捜している,夢の中の自分は純文学を読んでいる。なるほど。
今度はある臨終間際の患者。医師が言う。
「胃がんの末期です。手の施しようがありませんでした」
家族と思われる二人がベッドの脇にいて,中年の女が,若い男の体をゆすぶりながら,何かわめいている。
「お父さんは,あんたのせいで死んだのよ!」
医師の説明は大衆文学で,女の説明は純文学なのだ。医師は胃がんという犯人を捜し当て,女は息子が犯人という。なるほど。なるほどじゃない。どっちも犯人捜ししてるじゃないか。いや,ちょっと違う。息子は犯人ではない,ストレスなのだ。夢の中の自分はすぐに納得してしまう。
大衆文学が西洋医学を大きく進歩させた。しかし医学も,ようやくこれから純文学を付け加える時代がきた。オレも純文学医療をめざそう。
そこへなんだかうるさい声。「遅刻するわよ!」
夢は眠りを延ばすためにある。そういったのは誰だっけ? フロイト? 夢の中で起きているのか。現実へ眠り込むのか。実のところよくわからない。でも少し目覚めた。夢からではなく,現実から。犯人は誰だかわからないことが多いのだ。夢を見なければそんなことも忘れてしまう。今日も現実から覚めて,眠りへと覚醒をしなければ。
ところで,今は眠ってるの? 起きてるの?
(次回につづく)
名郷直樹 1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。 95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。 |
本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。 |