医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第93回

延命治療の中止を巡って(2)
遷延性植物状態

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2697号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1982年8月,「延命治療を中止し,患者を死に至らしめた」と,ロバート・ネジルとニール・バーバーの2医師が殺人罪で起訴された〉

 一審で認められた公訴棄却が二審で取り消されたことに対し,ネジルとバーバーは,カリフォルニア控訴審に抗告することを決めた。仮に殺人罪で裁判にかけられたとしても有罪となる可能性は低いと予想されたが,「陪審による評決で無罪を勝ち取っても『判例』として確立されるわけではない。今後,類似のケースで医療者が殺人罪で訴追されることを防ぐためにも上級審に正式の判断を仰ぐ」ことを優先したからだった。

 ここで,カリフォルニア控訴審がネジルとバーバーの抗告に対しどのような判断を下したかを述べる前に,時間をさかのぼって,前回も言及した,「カレン・クィンラン事件」について説明する。クィンラン事件は,「延命治療中止の是非」が法廷で争われた初めてのケースであり,米国においては,終末期治療における医療倫理の原則が確立されるに当たって,文字通り,「新時代を開く」意義を有する事件だったからである。

「カレン・クィンラン事件」とは

 21歳になったばかりのカレン・クィンランが,友人の誕生日を祝う席で意識を失ったのは,75年4月のことだった。倒れたカレンを酒場からアパートに連れ帰ったのは,同室の友人たちだった。ベッドに寝かせてから15分後,友人たちはカレンの呼吸が停止していることに気が付いた。救急車を呼ぶと同時に,すぐさま,mouth-to-mouth呼吸を始めたのだった。

 ニュートン・メモリアル病院(ニュージャージー州)に搬送されたカレンは,意識が戻らないまま,人工呼吸器につながれた。9日後,神経専門医がいるセント・クレア病院に転送されたが,回復の兆しはなく,やがて,経管栄養が始められた。カレンの病状が,いわゆる「遷延性植物状態(PVS: persistent vegetative state)」に固定してしまったことで医師たちの意見は一致した。

 両親をはじめ,家族たちは献身的に介護を続けたが,カレンの状態は見るに堪えなかった。「植物状態」という言葉からは,あたかも「平和そうにすやすや眠っている」状態が想像されるかもしれないが,カレンは,まるで,入れられたチューブを外そうとするかのように,信じられない角度まで首をねじったり,うなり声を上げたりするのだった。経管から入れられた栄養液を嘔吐することもしょっちゅうだったし,嘔吐するときのカレンは,とりわけ,苦しそうに見えるのだった。

本人の意思を尊重し呼吸器外しを要請

 家族にとって「カレンの意識は,もう,絶対に戻らない」と,諦めがつくようになったのは,75年9月,入院後5か月が経過した時点だった。家族は,元気だった頃に,「植物状態になって,機械につながれたまま生かされ続けるのはイヤ」とカレンが語ったことがあるのを覚えていた。「もし自分で決めることができたとしたら,カレン自身はこんな状態で生き続けることは絶対に望まないに違いない」ということで,家族の意見は一致したのだった。

 家族は教会の牧師にも相談したが,牧師は,「生命を尊重しなければならないのはもちろんですが,延命のために(人工呼吸器をつけるような)『非常(extraordinary)な』処置を受ける義務はないと,法王ピアス12世もおっしゃっています」と,延命処置を中止するという家族の意向はローマ教会の考え方と矛盾しないと説明したのだった()。

 家族にとって,「呼吸器を外す」という決定が,容易なものであるはずはなかった。しかし,「呼吸器を外してほしい」と医師たちに要請したことが全米の注目を浴びるような大事件に発展し,さらに大きな苦難が始まるなど,誰も夢にも思っていなかったのだった。

呼吸器外しは殺人

 家族にとって,最初の「予想外」は,カレンの主治医,ロバート・モース(神経内科医)が,「呼吸器を外してほしい」という要請を拒否したことだった。モースが家族の要請を拒否したのは,カレンの状態が「脳死」の条件を満たしていないからだったが,当時,アメリカ医師会も,「安楽死は殺人と変わらない」としたうえで,「患者に死をもたらすとわかっている状況で呼吸器を外す行為は安楽死」という立場を取っていた。モースをはじめ多くの医師にとって,「呼吸器を外す」行為は,「医療の『標準』から逸脱する」と考えられていたのである。

 主治医から呼吸器を外すことを拒否された以上,カレンの両親にとって,「娘を安らかに眠らせてやりたい」という親としての切実な願いをかなえる手だては,法的手段に訴える以外になくなったのだった。

この項つづく

:カレンが入院したセント・クレア病院はカソリック教会が運営する病院だったが,教区の牧師の説明とは反対に「呼吸器を外す行為は殺人」という立場を取ったのだった。