医学界新聞

  〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第94回

延命治療の中止を巡って(3)
異例の裁判

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2701号よりつづく

〈前回までのあらすじ:1975年,遷延性植物状態の娘(カレン・クィンラン,21歳)の人工呼吸器を外すことを認めてほしいと,両親が訴訟を起こした〉

 遷延性植物状態の患者から人工呼吸器を外してほしいという家族の願いが訴訟へと発展したことで,全米の医療界が何よりも驚いたのは,この一件が「訴訟になった」という事実であった。というのも,当時の米国の医療界では,クィンランのような症例は,「うやむや」のうちに解決されることが慣行となっていたからである。遷延性植物状態の患者は,それこそ「ごまん」といたが,延命治療中止の是非が法廷に持ち込まれたのはクィンランのケースが初めてだった。

 クィンランの訴訟が始まったのは75年10月下旬だったが,裁判のさなか,11月初めにニューヨーク・タイムズに寄稿した論評で,医師兼文筆家として知られたマイケル・ハルバースタムも,「クィンランのような症例では,家族と主治医の間にこれ以上の治療は無意味という合意がいつしか形成され,『静かに』延命治療が中止されることが普通だ」と述べている。延命治療中止の「静かな」方法の例として,ある時点で突然呼吸器を外すかわりに,非常に緩やかなペースで「ウィーニング(呼吸器離脱)」をするという「姑息」な方法も行われたという。

訴訟となった理由

 では,なぜ,クィンランの例に限って訴訟に持ち込まれたかだが,一つの理由として,クィンランの主治医2人の「経験の浅さ」が挙げられている。ロバート・モース医師は,神経内科のレジデントを10か月前に終えたばかりだったし,もう一人のアーシャド・ジャベド医師も,2年前に呼吸器内科のトレーニングを終えたばかりだった。クィンランの主治医2人は「家族の希望を容れて呼吸器を外した後,『死んだのは呼吸器を外したせいだ』と訴えられてはかなわない」と,医療過誤訴訟で訴えられる可能性を危惧して家族の要請を拒否したのだった。もし,経験豊富な医師が家族との交渉に当たっていたら,「静かに」呼吸器を外していた可能性があったのである。

 クィンランの両親は,「呼吸器を外して娘が死んでも,決して医師たちを過誤訴訟で訴えることはしません」と書面で申し入れたとされているが,いざ過誤訴訟で訴えられた場合,書面での事前の保証はほとんど何の意味も持たないし,書面で保証した行為は,逆に医師たちの「手を縛る」ことになったと言われている。というのも,医師たちが殺人罪で訴追される可能性があったことも2人の主治医が呼吸器を外すことを拒否した理由だったのだが,「娘が死んでも構いません」という両親からの書面は,殺人罪で立件された場合,殺人幇助あるいは共謀の「証拠」となりかねないからだった。

訴訟となったもう一つの理由

 さらに,クィンランの事例が訴訟となった理由のもう一つとして,クィンラン一家の弁護を担当した弁護士の経験の浅さも上げられている。クィンラン家の弁護を担当したのはポール・アームストロング,ロー・スクールを卒業して2年目の弁護士だったが,クィンランの父親が「法律相談事務所」を訪れた際に,たまたまケースを担当することになったのだった。

 アームストロングは「人工呼吸器を外すために」という理由を明確にしたうえで「クィンランの父親が代理人として医療上の決定を下すことを認めてほしい」と訴えを起こしたのだが,ただ単に「代理人となることを認めてほしい」という一点に絞って訴訟を起こす方法もあったのである()。しかし,「呼吸器を外す」という理由を明確にしたうえで,「尊厳をもって死ぬ権利」を前面に押し立てて訴訟を起こしたために,担当判事はイヤも応もなく「手を縛られる」ことになってしまった。延命治療中止の是非について白黒をつけなければならない立場に立たされてしまったのである。

 「父親が代理人となることを認めてほしい」という両親の訴えに対し,主治医,病院,州検事局などが,「利害関係者」として法廷で反論することになった。主治医・病院が両親の訴えに反対した理由は上述したが,州検事局は「州民の命を守る義務があるし,公然と『殺人』が行われることを認めるわけにはいかない」と介入を決めたのだった。

この項つづく

:代理人となることを認められた後に,「静かに」呼吸器を外すことに同意する施設に移送するという「現実的」解決法もあったと言われている。