NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


われ疑う,ゆえにケアあり
《シリーズ ケアをひらく》見えないものと見えるもの
社交とアシストの障害学
石川 准 著
《書 評》山崎摩耶(日本看護協会常任理事)
上等なちらし寿司

シャリもよく,魚も一切れ一切れ吟味された上等なちらし寿司を,すてきな器でごちそうさま。素材もいいけど職人もきっちり仕事をしていて「うまい,いいねぇ」とお礼を言いたいような一冊である。
けれど,ちらしもいいけど,できれば一章一章をもっとゆっくり論じて(性急なのは性格?)一品料理にしてほしかった,という意見も出るかもしれない。これもまた著者の目論みの範囲かも。というわけでこの書評も一章ごとの紹介はしないのでぜひご一読を。
アイデンティティという厄介な問題
評者がこの本を読了してすぐに思い浮かんだのはセンであり,彼の書『アイデンティティに先行する理性』だった。評者が“アシスト”しても著者はお気に召さないかもしれないが,本書で展開されている「社交」も「アシスト」も「感情労働」も「感情公共性」も,社会的アイデンティティという問題に関係してくる。アイデンティティというものは時に厄介な問題になる,という意味においてである。
“同一であること”から“同一性を分け持つこと”,さらに“自分自身を特定の集団の他者と同一化すること”など,社会的アイデンティティとは複雑でその影響もいろいろなのである(本書ではアイデンティティを存在証明としているがもちろんそれだけではない)。
その前提には利己的な自己が存在し,他者との交流がある。たとえば経済活動においては売り買いに「善意」を持ち出す必要はない。しかし,分配や仕事においては意欲や規律は重要であり,信頼とか社会的規範も必要であろう。
行動様式を選ぶ場合にもアイデンティティは顔を出す。子どもが育っていく過程をみても人間の行動や倫理にも仲間意識や共同体意識といった社会的アイデンティティは影響をもたらしている。つまり行動をも左右するものとセンは言っている。いみじくも本書の中で著者は「見えるもの,見えないもの」を切り口に事はじめしているが,アイデンティティこそ,それそのものではないか。センをふと思い出したわけである。
看護イコール感情労働?
ひとつ,評者の気にかかったのは「感情労働」(ホックシールド)について記述されている部分である。「他者の感情に働きかけて他者の感情をマネジメントする」のが感情労働なら,看護のある部分はそうかもしれないが,看護イコール感情労働であると聞こえてしまう印象がある。また感情労働がおもに女性の“職業”だとしたらやっぱりこれはジェンダーの問題でしょう。ちなみに評者がヨーロッパに行く際にエアフランスを選ぶのはワインもさることながら,あのエアラインの男性アテンダントの素晴らしいホスピタリティともてなし,おまけにそのセクシーさで快適なフライトを楽しめるのが理由。
さて,紙面も尽きたが,最後に著者にメッセージを。センとちらし寿司の好きな評者は左利きで小柄,声もよいといわれています,以上(この意味を知りたい方は読むしかありません)。


実践に役立つ記録の書き方を示した一冊
保健師必携こう書けばわかる! 保健師記録
長江弘子,柳澤尚代 著
《書 評》平野かよ子(国立保健医療科学院公衆衛生看護部長)
これまで保健師の記録のあり方については,ほとんど取り上げられることがなかった。本書は,医療事故に伴いカルテ開示が求められることや,地域においても児童虐待や家庭内暴力のケースから保健師の記録の開示請求がなされるようになったことを踏まえ,これからの時代に対応した保健師の記録のあり方について,保健師ジャーナルに連載してきた『こう書けばわかる!保健師記録』を再構成してまとめた本である。全体は基礎編と実践編,さらに展開編で構成されている。
保健師記録は,情報公開の時代にあっては重要な公文書
基礎編では,1999年5月の情報公開法の制定,そして2003年5月の個人情報保護法の制定を契機に,保健師の記録の質が問題とされるようになったことを解説している。記録は,相談者とのかかわりの中で観察したこと,相談者の思い,そして保健師が感じたこと,言ったこと,行ったことを一連の流れを持って書き留めることが必要であるが,さらに,公文書として簡潔,明瞭に記載し,住民の利益を守り,行政責任を果たせる記録が必要となる。公文書ということは,個々の保健師が責任を持つ記録であるとともに,組織として責任を果たすための記録であり,各自治体の文書管理規定に基づき管理されなければならないことを展開編で述べている。実践編では,望ましい記録のあり方として「保健師の思考過程」と,住民や関係者との「連携・協働の結果を評価」し記録することを提唱し,精神障害者との面接記録や虐待が疑われる母子の訪問記録,さらにグループとしての成長をねらった支援の記録など,保健師のかかわりが明瞭に示されると思われる記録の具体例を示して解説してくれている。
実践をPlan/Do/Seeの思考過程で示そう
保健師の家庭訪問の一例を考えてみたい。保健師は主人である住民に家に迎え入れられ,その場に自分自身を馴染ませ,相手の話を聞き観察し働きかける。客観的に対象と対峙しながらも,時には全身全霊でその場に居ることもある。訪問しても会おうとしてくれなかった人とやっと話ができたが,打ち解けて本音を語ってくれない。この人とのつながりをどう保てるか。また,家族が目の前で大声で言い争いをしはじめ,保健師も詰め寄られ,つい必死になることもある。そのような時は,自分自身にも対峙する視点をもって,その状況を体で感じながら立ち振る舞う。このようなことが常時あるわけではないが,そうした状況をどれだけ言語化し,概念化し,解釈・分析できるか。それはとりあえず「書き下ろす」ことで整理されることが多い。その場の臨場感を伝えることのできる記録は,必ずしも要素に分断されポイントを絞ったものではなく,一連の脈絡のあるものである。その場にいなかった者にも,その場の人々の姿,思いを伝えることは記録の本質であろう。公文書たることが優先されるのでなく,保健師が伝えたいことが伝わることを大切にし,かつ住民の利益を守り公文書として十分に機能しうる記録とすることが重要なのだと思わされた。そのひとつの突破口として,本書はPlan/Do/Seeの思考過程を書くことを提唱し,そのポイントを提示している。保健師記録のあり方についての貴重な一冊である。B5・頁176 定価2,520円(税5%込)医学書院