見えないものと見えるもの
社交とアシストの障害学

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「看護は感情労働だ。しかし同時に,感情労働の破綻に惹かれる人にしかできない職業だ」……16歳で両眼の視力を失い,現在第一線の社会学者/プログラマとして活躍する著者が,できないこと,弱いことがひらく可能性について考え尽くす話題作。「これなら人とつながれる」と思えてきそうな,ちょっと楽しい障害学。

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
石川 准
発行 2004年01月判型:A5頁:272
ISBN 978-4-260-33313-9
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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第1章 天然いい人、人工いい人
 1 社会学者にしてプログラマである理由
 2 ユーザを巻き込むことにより私は開発に釘付けになる
 3 道具を作る自由
第2章 寛容の身振りの先にあるもの
 1 センサーと引き金
 2 感情労働者たち
 3 他者をもてなすべし
 4 アシストに徹する人々もいる
 5 感情管理が破綻し、感情公共性の幕が開く
第3章 人はいつ暴力的になるのか
 1 芥川の『鼻』を読む
 2 善良であろうとする人々の暴力
 3 永遠の愛は人間的ではない
第4章 セクシュアリティのツボ
 1 人は自己の特権を侵さない者にそそられるのか
 2 私はアンビバレンスに魅了される
 3 セックスを脱規格化する
第5章 脱社交的関係
 1 ネットオークションの醍醐味
 2 地域通貨で昔話を買う
 3 「託す」という関係
 4 社交、非社交、脱社交
第6章 だれもが元気に、自由に、つつがなく暮らせる社会
 1 人は無意味に働きたいわけではない
 2 配慮の平等
終章 「1型の障害者」と言いたいのはやまやまだが
 1 「名付け」と「名乗り」のポリティクス
 2 アイデンティティを立ち上げずにポジションを引き受ける
参考文献
あとがき

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われ疑う,ゆえにケアあり
書評者:山崎 摩耶(日本看護協会常任理事)

上等なちらし寿司
 この書評はまず“社交的”に称賛から始めたいと思う。障害をもった当事者の視点と経験から「社交とアシスト」という発想をもって,ケアの世界を解きほぐし,ケアにかかわる者に「われ疑う,ゆえにわれあり」(アマルティア・セン;1998年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者)的に投げかけた本書の試みはみごとに成功し,医療人・福祉関係者,必読の一冊となった。本書を素材にケアを哲学してみると,日常の目線も変わるだろう。

 シャリも良く,魚も一切れ一切れ吟味された上等なちらし寿司を,すてきな器でごちそうさま。素材もいいけど職人もきっちり仕事をしていて「うまい,いいねぇ」とお礼を言いたいような一冊である。

 けれど,ちらしもいいけど,できれば一章一章をもっとゆっくり論じて(性急なのは性格?)一品料理にしてほしかった,という意見も出るかもしれない。これもまた著者の目論見の範囲かも。というわけでこの書評も一章ごとの紹介はしないのでぜひご一読を。

アイデンティティという厄介な問題
 評者がこの本を読了してすぐに思い浮かんだのはセンであり,彼の書『アイデンティティに先行する理性』だった。

 評者が“アシスト”しても著者はお気に召さないかもしれないが,本書で展開されている「社交」も「アシスト」も「感情労働」も「感情公共性」も,社会的アイデンティティという問題に関係してくる。アイデンティティというものは時に厄介な問題になる,という意味においてである。

 “同一であること”から“同一性を分け持つこと”,さらに“自分自身を特定の集団の他者と同一化すること”など,社会的アイデンティティとは複雑でその影響もいろいろなのである(本書ではアイデンティティを存在証明としているがもちろんそれだけではない)。

 その前提には利己的な自己が存在し,他者との交流がある。たとえば経済活動においては売り買いに「善意」を持ち出す必要はない。しかし,分配や仕事においては意欲や規律は重要であり,信頼とか社会的規範も必要であろう。

 行動様式を選ぶ場合にもアイデンティティは顔を出す。子どもが育っていく過程をみても人間の行動や倫理にも仲間意識や共同体意識といった社会的アイデンティティは影響をもたらしている。つまり行動をも左右するものとセンは言っている。いみじくも本書の中で著者は「見えるもの,見えないもの」を切り口に事始めしているが,アイデンティティこそ,それそのものではないか。センをふと思い出したわけである。

看護イコール感情労働?
 ひとつ,評者の気にかかったのは「感情労働」(ホックシールド)について記述されている部分である。「他者の感情に働きかけて他者の感情をマネジメントする」のが感情労働なら,看護のある部分はそうかもしれないが,看護イコール感情労働であると聞こえてしまう印象がある。

 また感情労働がおもに女性の“職業”だとしたらやっぱりこれはジェンダーの問題でしょう。ちなみに評者がヨーロッパに行く際にエアフランスを選ぶのはワインもさることながら,あのエアラインの男性アテンダントの素晴らしいホスピタリティともてなし,おまけにそのセクシーさで快適なフライトを楽しめるのが理由。

 さて,紙面も尽きたが,最後に著者にメッセージを。センとちらし寿司の好きな評者は左利きで小柄,声も良いといわれています,以上(この意味を知りたい方は読むしかありません)。


著者との会話が楽しめる本
書評者:栗田 育子(大阪府立精神医療センター・看護師)

 著者の石川准さんは二つの本業を持っている。1つは社会学者であり,もう1つはソフトウェア・プログラマである。

 石川さんは高校1年のときに目の病気で長期入院し,そのまま全盲となったが,同級生より2年遅れて大学に進学,「全盲東大生第1号」となる。やがて自己の身体の限界を克服する道具としてのソフトウェアの開発に熱中するようになっていった。

先輩と長話をしている気分
 彼の経歴から見ると,ガンバリズムの肩の凝る本かと思いきや,決してそんなことはない。柔らかい語り口と1つひとつの共感できるエピソードにのせられて,休日にお茶を飲みながら,あるいは仕事の休憩時間にやさしい先輩とついつい長話をしてしまったような気持ちにさせられる本である。たとえば石川さんは次のように言う。

 「患者さんの根源的な苦悩と至近距離で向き合ったあと,プライベートで恋人との語らいを楽しむ自分に気づいて,あるいは救命のために全力を出し切る身ぶりをしながら,ある種の感情の高ぶりを感じる自分に気づいて自己嫌悪する。看護師は,そうした要請から逸脱する自分,正しくもなければ優しくもない自分と向き合わなければならない」(77-78頁)。

 さらにこうも言う。

 「この条件下では,看護師は感情を揺さぶられても崩れない強さをもつか,感情が揺さぶられることをむしろ快と感じるような嗜好をもつ人でないと勤まらない仕事なのかもしれない」(79頁)。

「引き際」と「わきまえ」を教えてくれた人たち
 たしかに人を援助するという仕事は,好きでなければできない。しかし好きなだけでは続けられない,というのもまた実感である。私自身のことを考えてみると,現在まで「しんどいなあ」と感じながらも,どこかで「この仕事はおもしろい」と思い続けることができたのには,いままで関わった患者さんや同僚の存在が大きい。

 先輩から夜勤のたびに聞いた失敗談や成功談,何をするでもなくそばに寄り添っていたときに患者さんが私に送ってくる何気ないメッセージの数々が,そのときはわからないが今になってみるととても役立っている。多くの人たちとの語らいが,教科書が教えてくれない援助の「引き際」と「わきまえ」のヒントを教えてくれた。
 
自分が援助者としてできることの限界,自分が入り込んではいけない領域を学び,援助者の役割を感知するセンスを磨くことを「快」ととらえることで,自らの揺れに対処していくやり方もあるように思う。石川さんと本の中で会話をしていると,このようなことを思い出させてくれる。

スローナーシングがあってもいい
 ここ数年,看護職の周囲は忙しい。「科学的」という名のもとに,目新しい学びの必要性が次から次へと出現し,そのたびに看護師という職種に携わる人々は強迫的と思えるほどに勉強に余念がない。看護職にとって道具であるものが,看護職そのものになっている感は否めない。

 そんななかにあって,「人間を援助する」ことの意味を時には孤独に自問自答し,じっくりと関わる援助を望んでいる人,「専門家」と思い込むことで,行為の押し付けをしているのではないかという恐れをいだいている人たちに,本書をぜひおすすめしたい。

 著者とついつい長話をしてしまうこと請け合いである。

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