医学界新聞

 

《連載全5回》

アメリカ代替医療見聞録

患者と医師とCAMの接点

鶴岡優子・鶴岡浩樹
(ケース・ウェスタン・リザーブ大学家庭医療学/自治医科大学地域医療学)


第4回 CAMの広さと深さ

第2556号より続く

インタビュー,ふたたび

 本格的な冬が到来し,クリスマスのイルミネーションも派手になった。屋根や壁だけでなく,庭に人形を並べ,物語風にアピールする家もある。買い物の帰り,わざわざ遠回りして鑑賞する。
 何しろShaker Heightsの邸宅は大きい。他人事とはいえ電気代が気になる。その電気のための石油の出所も気になる。その話を友人にすると,「暗い冬を明るく過ごすための工夫よ。素敵でしょ」。物事のとらえ方は人によって違う。
 患者へのインタビュー調査が進む中で,患者の言うCAMと自分の認識しているCAMがどうも違うらしいと気がついた。人類学のロング教授に相談すると,「実際のアメリカのCAMを見てみたら? CAMプラクティショナーにインタビューしてみたら?」とアドバイスされた。
 しかしまだ患者インタビューの解析も終わっていない。ネイティブ・スピーカーの学生を見つけるのも大変だ。モジモジしていると,「アメリカにいる時でないとできないわよ」と言って,紹介できる人のリストをくれた。飽くなき探究心と行動力,これが人類学者というものか。

さまざまな方法で

 雪の中,閑静な住宅街の一軒に向かった。長い髪を後ろで束ねた男性が出迎えてくれた。自宅で開業しているCAMプラクティショナーの家だ。ロング教授に同席してもらい,インタビューを始めた。彼は大学の医療人類学実習にも協力している。
 オフィスは広くはないが,綺麗に整頓されている。真ん中に小さなベッドが置かれ,その周りには,鍼の道具,ハーブやフラワー・エッセンスのある棚,部屋を浄化させるという中国風のドラ,診断や治療に使うチベット・ベルが置かれていた。
 彼は患者の症状に合わせ,鍼,ハーブ,アロマセラピー,頭蓋仙骨療法,フラワー・レメディ,ホメオパシー,ヨガなど,さまざまなCAMを組み合わせて使うという。
 どんな患者が来るのか尋ねた。「あなたたちと同じだよ。年齢を問わず,病気を問わずの家庭医療そのものだ」
 次にあなたの癒す力の源は何かと聞いた。「One source,many way簡単に言えば,宇宙の英知である神だ」
 その後,彼の宗教観を含む説明があったが,私たちにはよく理解できなかった。

母親のような

 別のプラクティショナーからも,話を聞くことができた。鍼灸と漢方が専門で,やはり自宅で開業していた。インターネットで彼女のホームページを見つけた。そこから初診時の問診票,かかりつけ医からの紹介状用紙がダウンロードできるようになっている。州の法律で,医師の許可書がないと,鍼の施術は受けられない。
 インタビューは熱い握手で始まり,遠慮がちなハグで終わった。明るい雰囲気の魅力的な女性だった。診療は週6日で,午前11時から午後8時の完全予約制。1日6人くらい診るという。1回1時間から1時間半で,料金は75ドル。朝の開始が遅いのは,ジョギングやヨガで自分の体調を整えてから診療を始めるからだ。診療への意気込みがすごい。
 患者との関係について尋ねると,「患者と私は,パートナーね。とても近くてtightな関係。でも私は何もしていないのよ。患者のエネルギーをもらってバランスを整えるだけ」と余裕の笑顔。
 「そうね,母親のような感じかしら」
 えっ? 患者が子どもで,あなたが母親? それは確かにtightな関係だ。医師患者関係において,パターナリズムになることがあるが,CAMはマターナリズムか。

アンチ・セイヨウ?

 オフィスはFutonという和風ソファでくつろげる部屋と,ベッドのある治療室に分かれていた。洒落た家具に囲まれ,全体に東洋趣味でまとめられている。エキゾチックな雰囲気は充分楽しめるのだが,その組み合わせは少しちぐはぐに見えた。(図)
 「あなたのホームページに,医師から紹介状が必要ってあったけど」と質問しかけたところで,彼女は突然興奮した。
 「本当はMD(医師)の判断なんて必要ないの。だって診断方法もまったく違うのだもの。私は大学で東洋医学を4年も,しかも学生ローンを払って勉強したのよ」
 そもそも彼女は,マッサージを専門にしていたが,母親の病気,特にステロイドの副作用がきっかけで東洋医学へ目を向けた。彼女の母親は当時の自分の主治医を信頼し,副作用も含め受容していた。しかし母親の死後,娘である彼女は「私がもっと早く東洋医学に出会っていたら,こんなことにはならなかった」と西洋医学へ不満を心に残した。その反感が彼女の原動力になっているように見えた。
 彼女の本棚は医学書があふれ,ホームページはNIH発信のエビデンスなどが紹介されていた。鍼の有効性と副作用について話をしたいと思ったが,彼女はそれを避けているように見えた。実際の診察や施術も観察させてもらった。6ページからなる詳しい問診票は,かなり生活に立ち入った内容だが,臨床に活かされているかどうかは疑問に思った。

広さの追求

 スターバックスでインタビューしたこともあった。相手は中年の女性。いつ相づちを打てばよいかわからないほど饒舌だった。20代からリウマチを患い,あらゆるCAMを利用した。瞑想,エネルギー療法,各種ヒーリング・テクニックは,今も継続している。彼女は試行錯誤を繰り返し,CAM利用者からいつしか指導者になっていた。
 私たちがアメリカで会うことのできたプラクティショナーは限られている。彼らがアメリカのCAMを代表しているとも思わない。しかし彼らの態度は患者のニーズを優先し,多様性を重要視するという点で共通していた。実際,彼らは患者から支持されていた。
 しかし,彼らの診療を裏付ける理論に一貫性は乏しく,基盤のもろさを感じることもあった。ヒトのニーズに合わせ,横へ横へと広げていくと,思わぬ落とし穴があるかもしれない。金儲けにばかり目を向けるような詐欺まがいのCAMがあるのもうなずける。

祈りとCAM

 アメリカ人の多くが「祈り」を代替医療としてあげる。NIHでも「心と体への介入」に分類している。クリーブランドでの患者のインタビュー調査でも,CAMの利用に「祈り」「宗教」「スピリチュアル」は欠かせないキーワードであった。これらが,CAMか否かはさておき,無視できない存在であることは明らかだ。
 渡米前,海外生活のマニュアル本をいくつか読んだ。「宗教と政治の話はタブー」とある。しかし実際は,自分たちが持ち出さなくてもしばしば話題に上る。米国同時多発テロの直後だったからかもしれない。クリーブランドに着いたばかりの頃,街は星条旗とともに「God bless America!」の看板が溢れていた。ここは,多民族国家のアメリカ。このGodって,誰なんだろう?
 自分たちは特定の信教を持っていないが,「無宗教」と言い張るほど主義がある訳でもない。正月には神社で初詣,祖母の葬儀は仏式,クリスマスも大きなイベントだった。もちろん「千と千尋の神隠し」の八百万の神にも違和感は持たない。
 マニュアル本に脅されるまでもなく,宗教や哲学に踏み込んだ話は苦手である。しかし臨床の現場に身を置くと,生と死から離れることはできない。科学だけではどうにもならないと感じる瞬間も多い。現代西洋医学は,デカルト的な科学唯物論の登場により劇的な発展を遂げた。一方で,私たちがどっぷり浸かっている生活そのもの目を向ける機会を奪っていった。最近,スピリチュアルケアが注目されているが,これも当然のなりゆきかもしれない。

スピリチュアルケア

 病院に勤めるチャプレンに話を聞いた。40代の上品な紳士で,握手をしたその手はとても大きかった。名刺にはスピリチュアル・ケア部門のDirectorと書いてある。彼に仕事内容を尋ねてみた。
 「病院で人生の危機に直面した患者さんや家族に,スピリチュアルでエモーショナルなサポートを行なうのです」
 そのスピリチュアルなサポートがわからないのです。もっと具体的に教えてくれませんか? 彼の大きな手がそう思わせるのか,苦手な領域に切り込みたくなった。
 そもそも人生の危機とは?「例えば新しく癌と診断された時,心筋梗塞,突然死,深い悲しみ,うつ,怒り,ストレスを感じる時」誰が,その人生の危機を見つけるのですか? 「自分自身でチャプレンに会いたいと希望する人もいる。看護師や医師,ソーシャル・ワーカーから声を掛けられることも多いし,カンファレンスで病状や経過を聞き,チャプレンの判断で病室に出向くこともあるね」
 「例えば,私が癌になったとする。すると自分が何か悪いことをしただろうかとか,神が自分に怒っているのではないかと思うでしょう。この病気の意味について考えるかもしれない。チャプレンは,その深い思いを言葉に置き換える手助けをして,新しい意味や希望を見つけ出す手助けをするのです」
 もっと具体的に。「病室に行って話を聞く。これが私の仕事のほとんどです。もちろん宗教的なことを希望する人には,祈るし聖書も読むよ。でもそれだけではないのです」
 スピリチュアルケア,誰でもできることではなさそうだ。どんなスキルが必要ですか? 「それは,3つ。まず第1に,開かれた惜しみない心。第2に,よく聞くこと。第3に忍耐。急ぐことはできないんだ。あなたがどんなに早く起きても,日の出は見ることはできない。その時まで見れないんだ。忍耐というより,タイミングという言葉の方が合っているかな」
 「その時まで待つ」ということの難しさを日常診療で,というより生活の中で実感している。待つことのできぬ環境がある。待ちたくない性格でもある。「スピリチュアル」は,自分の人間的未熟さを直視したくなくて避けてきた分野かもしれない。
 ヒトのニーズに合わせて,「広さ」と「深さ」を追求していくと,底なし沼にでも落ちた気分になる。大事なことは,ひとりの臨床医にできることに限りがあるということだ。



文献
1)WHO/Rバンナーマン,J.バートン,陳文傑編,津谷喜一郎訳,世界伝統医学大全,平凡社,1995