医学界新聞

 


名郷直樹の研修センター長日記

8R

盤面が大海原に見える

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


前回2568号

□月○日
 オリエンテーション2日目が終わった。今日もいろいろやった。朝と昼の食事はすべて病院食の検食にした。レジデント霧谷先生の発案である。あるものは常食,あるものは全粥,あるものは流動食。その中で最大人気は,ブレンダリーと書かれた流動食をペースト状にしたやつである。こんなことでも大いに盛り上がる。常食があたったといっては大騒ぎ,流動食といってはこれまた大騒ぎ。ブレンダリーとなればもう興奮は最高潮である。検食の食事以外一切食べるべからず,そんなふうにしてもよかったのだが,さすがにそれはやめた。でもそうしたらもっと盛り上がったかもしれない。でも盛り上がればいいというもんじゃない。研修医のオリエンテーションなんだから。
 そういえば自分の研修もこんな大騒ぎだったかもしれない。自分自身の研修生活をイヤでも思い出す。ことわざは嫌いなくせに,「初心忘れるべからず」,そんな言葉が浮かんでくる。自分自身の初心はどうだったのか。しかし自分自身の研修の初日を思い出そうとするが,よく思い出せない。集中治療/麻酔科という4週間のローテートが最初だったのは確かだが,オリエンテーションのようなものがあったのかなかったのか,さっぱり記憶にない。
 オペ室での最初の気管内挿管の時についてくれた指導医が,頭がつるつるで,眉が薄くて,とても無口で,怖かったことだけがやたら印象深い。その指導医に喉頭展開をしてもらって,「覗け,声門が見えるか,見えたら入れろ!」,そんな場面をまるで他人事のようによく覚えている。しかしその後のことはさっぱり覚えていない。声門が見えたのか,見えなかったのか,挿管に成功したのか,失敗したのか,記憶にない。私の初心って何だろう。よく覚えていない,これが初心か?
 もう1つ思い出した。2年目の研修医とペアでローテートしたのだが,集中治療室に熱傷患者が入院してきた時のことだ。研修初日か2日目くらいのことだったと思う。その時に2年目の研修医に質問された。砂藤先生だっけ。
 「熱傷患者の補液でいちばん重要なことは何だと思う?」
 自分がなんと答えたのかやっぱり記憶にない。多分答えられなかったに違いない。しかし2年目研修医が教えてくれたことはよく覚えている。
 「蛋白製剤を十分入れることだよ」
 これが初心だろうか。そうかもしれない。それから十数年を経て,私も少しは勉強し,熱傷患者に蛋白製剤を投与するのはむしろ禁忌ということを知った。この記憶がなければ,蛋白製剤の投与が禁忌ということに,なんの注意も払わなかったかもしれない。最近得意にしている論文の批判的吟味なんてものの根が,こんなところにあった。
 そうすると結構これが初心かもしれないな。でもこんなの忘れてもいいような気がするけど。
 自分自身の初心はこれくらいにしよう。どうせたいした初心は出て来やしない。それより今朝は新聞も読まずに出かけてしまった。夜になって朝刊を読む。愛読は毎朝新聞だ。別にこだわりはないが,一番近くの販売店が毎朝新聞だったから。新聞で一番好きなのは,雑誌の広告,次は3面記事,その次はコラム。今日はちょっと順番を変えて,コラムから読む。
 羽生善治が第61期名人戦第4局で千日手となったあと,指し直し対局を制し,7期ぶりの名人位奪取を果たした。へえー。ずーっと名人かと思ってた。その羽生名人の言葉だ。

 盤面が大海原に見える

 盤面とは,もちろん将棋の盤面である。本当の大きさはどれくらいか知らないが,50cm四方くらいだろうか。多分それより小さいと思う。その盤面が,名人羽生をもってしても,大海原である。将棋の名人ともなれば,50手100手先まで読んで,盤面に一本の道を見ているのかと思った。ところがそうではないのだ。名人羽生も将棋盤の前では,大海原を漂う1本の浮き草に過ぎない! ただ振り返れば,その浮き草のたどった道は見事な勝利への一本道。かっこよすぎるぜ,羽生善治。
 そこで再び自分自身に引き戻される。羽生名人に張り合って,名人をめざしているわけでもないし,比較するのはまったくおこがましいのだけれど,自分はどうか,どうしてもそう考えてしまう。羽生名人が将棋盤と向き合うように,診察室で患者さんと向き合って,その時の診察室は,私にとってどんなところか。今,答えは明瞭である。まさに大海原だった!
 僻地診療所の診察室で,患者さんを前にして,どうしていいかわからず,大海原を漂うような私自身。ただ羽生名人と違うのは,そこで振り返ったところで,ただ自分が漂ったあとの曲がりくねった道が見えるような見えないような,そんな有様。
 自分の初心は,医師としてスタートした場所にはなかった。僻地の診療所で,初めて外来患者さんと接して,「診察室が大海原に見えた」,その時が自分の初心ではないか。しかし,その日のことはもう忘れてしまった,研修の初めの日のことをほとんど覚えていないように。
 と書いて,すぐに気がつく。違う。忘れてしまったというのはうそだ。診察室を大海原とは感じなかった。診察室は狭かった。25メートルプールにもなっていなかった。せいぜい自宅の浴槽くらいの大きさだ。たかが2年の研修で,何でもできるような気になっていた。
 そして今初めて,自分自身の初心を明確に認識する。僻地診療所で,大海原,あるいはもっと大きな大宇宙のような,広大な診察室の空間に気づかなかった私自身。診察室が大海原に見えなかったことこそが,自分の初心だ。気がつかなかったことの中に最も重要なことがある。わかっていないことをわかることは難しい。20年弱を経てようやくわかった。診察室が大海原だとわかっていなかったことを。

 消されたものだけがここにある

 消しゴム好きの寺山修司が,そういったのを思い出す。自分の記憶から消されてしまったものこそが自分である。また復習だ。復習ばかりで予習にはいれない。でも明日のスタートは決まった。研修センターの部屋に着いたら,まず黒板に大きく,こう書くつもりだ。
 「盤面が大海原に見える 羽生善治」
 そして続いて,
 「診察室が大宇宙に見える 丹谷郷丹谷起」

名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。