医学界新聞

 


名郷直樹の研修センター長日記

9R

知らざるを知らずとす

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


前回2572号

□月×日

 大海原に漕ぎ出す,大宇宙に飛び出す第1日目。院内の見学を終えて,今日から本格的なオリエンテーションのプログラムがはじまった。大海原や大宇宙のフレーズにどれほどインパクトがあったかわからない。でも夕べは麻雀でもやったのか,「小三元が大三元に見える」とか,研修医の仲間うちでもっとも老けて見られる小田仲先生を指して,「小田仲が大オーベンに見える」とか,黒板に追加の書込があって,とってもいい感じだ。自分自身が書いたことは少し重すぎたかもしれない。ほうっておくと何か沈みがち,重くなりがちな雰囲気を,研修医がうまく救ってくれた。今日も調子に乗っていこう。
 今日はのどが痛いという患者さんからはじめて,1日がかりで病歴聴取のワークショップ。のど痛だけで1日,なんて贅沢な,というかのんきなプログラムだが,めざすは,気楽なようでシビアな研修。実際の患者さんを診る時には,それこそ5分で決断しなくてはならない。しかし今日は何時間も使って決断すればいい。時間があるので,事前確率を見積もり,尤度比を見積もり,ベイズの定理を使って,事後確率を計算する。
 この患者さんが溶連菌感染症である確率はどれくらいなのだろう。検査が陽性であれば溶連菌感染と診断していいのか,陰性ならば除外していいのか。陽性でも溶連菌でないことがあり,陰性でも溶連菌のことがある。100%の確定診断とか,100%の除外診断というのはなかなか難しい。目の前の患者はそのどちらかであるにもかかわらず,どちらであるか,ある確率をもって推定するしかない。経験の少ない若い研修医であれば,ますますその確率もあいまいになる。そうした偽陰性や偽陽性の問題に加え,検査による医療費負担の増加や副作用の危険の問題もある。検査をすればいい,しなくていい,そんな簡単な話じゃない。
 アメリカから日本に輸出する牛の全頭検査なんていっているけれど,それだって狂牛病の牛をすべて除外できるわけじゃない。全部検査すればそれでいいのだ,そう考えているとすれば,まったくのんきな話だ。メリットとデメリットをはかりにかけて,釣り合いの取れたところで現実的な決断をするしかないのに。早く吉野家で牛丼食べたい。全頭検査というのは,吉野家で牛丼がまったく食べられないというデメリットに釣り合うほどメリットの大きいことなのだろうか。
 何時間も使って勉強すると,かえってわけがわからなくなる。勉強しすぎ,過ぎたるは猶及ばざるが如し,か。そんなはずはない。この程度の勉強はしたほうがいいに決まっている。でも本当にそうか。自問自答しながら,このような勉強をすればいいのか,しなくてもいいのか。検査すればいいのかどうかと同様,やっぱりそれすらわけがわからない。

 「結局,この患者さんに溶連菌の迅速キットの検査をすればいいんですか,しなくていいんですか?」
 1人の研修医が質問する。いい質問だ。みんなが聞きたかった質問に違いない。わたしの答えははっきりしている。
 「そんなこと私だってわからない。私がはっきりとわかっていることも,はっきり決められない,それだけです。あなたがどう思うか,ぜひ聞かせてください」
 どうしたらいいのか,私にだってわからない。それだけははっきりしている。臨床の決断は,いつもすべてかゼロかだ。半分だけ検査をするとか,半分だけ治療することはできない。するかしないか,そのどちらかに決めなくてはいけない。検査するほうが100%いい,あるいは100%しなくていい,そう思って決断するわけじゃない。検査をする時だって,本当は検査しなくていいかもしれないと思いつつ,検査しない時は,本当は検査したほうがいいかもしれないと思いつつ,迷いながら決めるしかない。決めないという選択肢はない。
 といいつつ,わたしの頭の中はのどの痛みより牛丼だ。
 「結局,日本は全頭検査するまでアメリカの牛肉を輸入しないほうがいいんですか,したほうがいいんですか?」
 1頭たりとも狂牛病の牛を輸入しないか,多少輸入する可能性があっても,牛丼を存分に食べられたほうがいいのか。全頭検査しない場合に,日本で牛から感染したヤコブ病が出る確率はどれほどなのだろう。全頭検査をするとそれがどれほど減るのだろう。検査にかけられる予算が無限にあれば,全頭検査も1つの選択肢かもしれない。予算は有限だ。狂牛病が何百何千頭と出たイギリスでさえ,人間のヤコブ病は何十例ではないか。さあどうする。ヤコブ病になるか,牛丼食うか。こっちのほうがわかりやすい例だったな。来年のオリエンテーションは狂牛病でいくか。

 溶連菌の迅速キットも,全頭検査も,わからないうえで決断するしかない。わからないとはっきりいうことは難しい。よく勉強したために,わからないことがわからなくなって,わかっていると勘違いする。こういう場合は,検査をすればいいんだとか,こんな場合は検査しなくていいんだとか,この病気はこの治療をすればいいとか,「わかって」しまう。本当は,勉強すればするほど,こういう場合も,ああいう場合も,結局どうしていいのか,はっきりとはわからない。わからないことがはっきりとわかる。師匠の江頭先生がことあるごとに言っていたっけ。

 知らざると知らずとす,これ知れるなり

 「研修医の皆さん。わからないということをはっきりさせるためには,相当な勉強が必要です。わからないことがわかるまで勉強できれば,何も心配することはありません。今日も1つわからないことがはっきりしました。これからも1つずつ,わからないことをわからないと,はっきりさせていきましょう」


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。