医学界新聞

 

【シリーズ】

隣の医学生


堀之内秀仁さん(鹿児島大学医学部卒)

聞き手:西田純子さん(東京女子大医科大学卒)


 「鹿児島にやたらとできる医学生がいるらしい」
 そんな噂を聞いたことがないだろうか。医学生向けのメーリングリストやホームページをのぞいてみたことがある人なら,きっとピンとくるはずだ。ケーススタディでベテラン医師をうならせる見事な回答を行なうその医学生の名は堀之内秀仁さん。今年の3月まで鹿児島大医学部の医学生だった。
 この春医学部を卒業した堀之内さんに,同学年で東京女子医大を卒業した西田純子さんがインタビューした。


文学部から医学部へ

西田 なぜ医師をめざそうと思ったのですか?
堀之内 実は,医学部に入る前は東京大学の文学部にいて,社会学を勉強していました。高校時代は理系で「医学部に行け」と言われていたのですが,進路を医師にしぼりきれず,何でもできそうなイメージのあった文学部にいきました。社会学を専攻し,いざ卒業論文を書く時期になって,医療に興味があることを自分自身で確認しました。結局4年間かけて進むべき道を選んだようなものです。
西田 卒論はどのような内容だったのですか。
堀之内 ホスピス・ボランティアをテーマにしました。実際にあるホスピスにうかがってフィールドワークを行なったのです。いろいろな目的で多くのホスピスではボランティアが導入されています。フルタイムの専門職が主な担い手となってきた医療のなかで,ボランティアという新しい勢力がどのような位置を占め,どのような思いを持っているのか,興味がありました。

びっくりした医学部

西田 医学部に入ってどうでした?
堀之内 そもそも私には,医師=臨床医,なおかつ,医学=科学的に完成された人間に関する学問,というイメージがありました。しかし,それは,1+1=2とはいかない文科系の人間理解に満足していなかった私が抱いた,幻想にすぎませんでした。生化学の教室で分子生物学の奥深さを学び,生理学で脳の神経ネットワークの複雑さを知り,最新の医学をもってしても人間のすべてを理解することができていないのには,びっくりしました。
西田 初めのうちは,どのように過ごされたのですか?
堀之内 初めの1年半は,単位互換のシステムを使っていたため,教養の単位はほとんど免除されていました。つまり,講義はほとんど出なくてよかったんです。2度目の大学ですから学費を稼がなければいけないということで,それ以外の時間はずっとアルバイトをしていました。
 また,2年生になり医療情報学の講義がきっかけでコンピュータを買いました。その勉強ができたことも自分にとっては大きな収穫でした。
西田 堀之内さんには,パソコンやインターネットを自由自在に使いこなすイメージがあるんですが,この時が初めてだったんですね。
堀之内 そうです。

「MGH-CPC」の勉強会からcollege-medへ

西田 医学の勉強会を始めたのはいつごろですか?
堀之内 1-2年の頃には,医学部ってどういうところなのかというのがつかめず,波に乗れずというか,乗る波も自分の足元には押し寄せてこないような感じだったんですね。かといって基礎医学が始まると,逆に忙しさにかまけてしまい,「医学ってつかみどころがないなあ」という時期が続きました。
 3年に入り,病理学の先生が,“New England Journal of Medicine”の「MGH-CPC」を用いて勉強会をなさっていて,その勉強会に誘ってくださったんです。そこで初めて,なるほど医学とはこういうパターンの思考をするのか,と思いました。主訴からはじまって,鑑別診断をあげて,最終的に診断・治療にいたるというかたちを見せてもらったので,初めて「これはおもしろい!」と感じることができたのです。
 その一方で,コンピュータをやりはじめて,電子メールができるようになると,医師国家試験対策の勉強をするための医学生のメーリングリストに参加したんです。そこへ,当時東海大医学生だった市村公一先生がじゃんじゃんメールを送ってくるんですね。それを拝見して,「なんか,すごい人がいるなあ」と思っていました。
 そうこうしているうちに,市村先生が自分の独自のメーリングリスト(「より良い医療を目指す医学生と医師のメーリングリスト」,通称「college-med」*)を作られたという話を同級生から聞き,そこに参加させていただくことになりました。大学内の勉強会では不可能な,他大学の学生や現役医師も交えたケーススタディがそこで繰り広げられていました。地域や職種にとらわれない知己を得たのも,このメーリングリストです。
西田 college-medには私も参加しているのですが,ここでの活躍によって,堀之内さんは全国的に知られるようになったのだと思います。
堀之内 たしかにcollege-medは,医学部時代に私が得たもののかなりの部分を占めていると思います。ケーススタディと大学の講義形式の学習がお互いに補い合って,それぞれの特徴を生かすことができたと思っています。
 そして,先ほども言いましたが,college-medで得た最も貴重なものは,いろいろな方との出会いです。私は知らないのですが,先方は私のことを知っているというありがたいことが結構ありました。実習先で初めて出会う学生同士で,語り合う共通の話題になったのも,よかったですね。

恩恵を得てきたものを還元したい

西田 College-medを通して得たものが,大学で得たかなりの部分を占めるということでしたが,地域や大学・学年を越えた人とのネットワークが,ご自分の中にある医学の知識や考え方に有機的なつながりを持たせ,より豊かになってゆく感覚を持たれたのだと,今お話を伺っていて思いました。
堀之内 そうですね。ケーススタディに投稿するということで,自分自身のペースというかステップの踏み方はわかってきていました。余裕が出てくると今度は,今享受している恩恵をなにかしらのかたちで還元したいという気持ちが出てきました。
 例えば,医学書は高価で,いろいろ比較してやっとこれという本にたどり着くことが多いんですが,college-medのなかでは,その高い医学書について,よいものから悪いものまで,いろいろな評価が繰り広げられていたんですね。うんちくを垂れる人が多いんです(笑)。その中で,ストックされていたログをなんとか公開できないかと思って,主催者の市村先生に相談したところ,快く,プライバシーの問題をクリアしてくれればOKだという許可をいただきました。今それを,「Useful Things for Medical Students」としてまとめて紹介しています。

パブリックインタレスト

西田 還元しようと思われたきっかけは?
堀之内 「これがきっかけです」とはっきりとしたものはないのですが,強く心に残っている恩師の言葉があります。東大時代の社会学の恩師である稲上毅先生にOB会でお会いした時に,先生は,「実にさまざまな道を選ばれたみなさんに,私から言いたいことは,いつまでもパブリックインタレストを胸に秘めて,行動していってほしいということです」とおっしゃったんです。
 その言葉の真意は何かというと,常に公共というか,社会一般へ影響を与えることや興味を抱くことを失わないようにということです。それがすごく私の心に響きまして,それ以来,何かしら還元しないといけないなという思いが植えつけられたような気がします。
西田 今,堀之内さんが,そのパブリックインタレストを心に秘めながら手がけているのはどんなことですか?
堀之内 college-medは大きく発展し,そこから去年の3月にMed-Pearls Sharing Projectという新たなムーブメントが生まれました。それは,浜松医科大学の舛方葉子さんが始められて,それに呼応した学生が集まって,college-medとはまた違ったメーリングリストを組み立てて,少しずつ進んできているものです。そこで私は自分の特技を生かして,ホームページの担当者を1年間させていただきました。
 たぶんそれは他の参加者の皆さんも同じだったと思いますが,自分が医学部の5年間なり,6年間を過ごしてきたものを,何かしらのかたちで還元したいと思って,その還元のかたちとして「share」を合い言葉に人が集まって,それぞれの特技を生かしてやってきたという感じがあります。
 皆さん,心の中にいろいろな思いを秘めているんですよね。人に伝えたいこと,人とシェアしたい何か,これをpearl=真珠と呼んでいるのですが,それをどういうかたちで表現していいのわからないという方が多かったんですね。そういった方たちに,「こういうかたちでできますよ」,「掲示板という形式はけっこう便利ですよ」,「イメージを送っていただければ,私がhtmlに変換しますよ」,というように力を貸し,個々のメンバーの思いをホームページの形に変換する作業が私の仕事でした。ホームページ管理者の大事な役割は変換機ですかね(笑)。
西田 お互いの得意分野をシェアしながら,自分ひとりではできないことにも,チャレンジしていくということですね。

充実の医学部時代

西田 大学の6年間を振り返っていかがですか?
堀之内 私は鹿児島大学の6年間に満足しています。特に後半の3年間は充実していました。3年までは,お医者さんとはどういうものなのか,あまりわかっていなくて,自分が今勉強していることが将来にどうつながっていくのかわからなかったのです。ところが,3年生の時に,ケーススタディの勉強会に誘われて,「お医者さんはこういう方法論でやっているんだ」ということを見たり,college-medで,「自分は将来こういうことをやりたい」とか「自分はこういうことをやっている」というお医者さんの声を聞いて,自分が将来やることと,それに近づいていくための方法論が見えたんですね。それから先の3年間はすごく楽しかったし,充実していました。
 つまり,将来を見据えるためのいろいろな素材が,自分の周りに揃ったことがラッキーだったんです。将来のビジョンが自分の中に形成されて,「将来こんなふうになりたいな」という思いを持ち,かつそれに到達するための階段を見つけることができた。しかし,これは今の医学教育に欠けていることかもしれません。

将来の夢

西田 では,将来の夢などをうかがいたいのですが。
堀之内 やや具体性に欠けるお返事になるかもしれませんが,人生の円熟期に入ってらっしゃる方のそばで働きたいと思っています。私には祖母がいて,すごいおばあちゃん子だったんです。だから,お年寄りが何回も同じ話をしたり,昔話や説教めいたことを話したりするのを聞くのが,大好きな子どもになっちゃったんですね(笑)。そういった方のそばで働けるとよいなと,考えています。
 そして,自分が最初に専攻した社会学という学問は,やはり私の魂の中に残っています。ですから社会学的な切り口で医療を見つめてもいきたいと思っています。さらにもう1つ,鹿児島大学第3内科の納(おさめ)光弘先生が「私は人の2倍仕事をするけれども,それと同時に,ファミリーライフを人の3倍楽しむ」とおっしゃった言葉がとても好きで,自分の力を100%発揮するための土台として家族を大切にしたいと思っています。
 だから,自分の優先順位としては,家族が一番で,その後に医師という職業があり,その後に社会学があるといった感覚です。

まず,自分が何をしたいかが大事

西田 最後に,読者の皆さんにメッセージを。
堀之内 私には,文学部から医学部へ,医学部のなかでも思うようにならなかった時期から順調な時期へと,いくつかの転機が訪れました。みなさんに「それは思い切りましたね」と言われるのですが,自分が将来何をしたいかというヴィジョンさえ定まれば,その後の作業はそれほど苦になりません。「とにかく勉強しよう」「まずは実力をつけよう」じゃなくて,自分が何をしたいのかをしっかりと見据えてから,歩き始める。
 勉強する時間が短くなっちゃうからといって,将来について考える時間を短くするのはナンセンスです。
西田 心に響く,よいメッセージですね。本日はありがとうございました。

*college-medは,1999年に当時東海大医学部生だった市村公一氏が開設。医師,医学生を中心に現在2000名以上の会員が参加している。詳細は,下記のWebサイトを参照のこと。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2000dir/n2409dir/n2409_09.htm#00






堀之内秀仁(ほりのうち ひでひと)さん
1997年東京大学文学部卒業。同年鹿児島大学医学部入学。2003年3月卒業。文学部の卒業論文製作を契機に医師になることを決めた。医学部在学中,学内では各種勉強会を主催し,カリキュラム検討委員会学生代表を務め,学外では「より良い医療を目指す医学生と医師のメーリングリスト」,「Med-Pearls Sharing Project」などに参加,大学を超えて多くの知己を得る。趣味はホームページ製作。「Useful Things for Medical Students」(http://plaza.umin.ac.jp/~holy/),「医学の歩き方」(http://www.med-pearls.com/)などを手がける。





西田純子(にした じゅんこ)さん
2003年3月東京女子医科大学卒業。在学中,IFMSA(国際医学生連盟)に所属し,SCOPH(公衆衛生部門)日本代表を務め,国内外の活動に従事した。国際会議への参加を重ねるうち,社会心理学に関心を抱くようになる。IFMSA引退後は,組織開発・人材育成をテーマに活動を続け,現在「Med-Pearls Sharing Project」メンバー。書道師範。