医学界新聞

 

〔連載〕How to make <看護版>

クリニカル・エビデンス

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


(前回,2479号よりつづく

〔第12回〕NBCテロリズム(4)
 ――シミュレーション

炭疽菌バイオテロリズム・シミュレーション

 ハーバード大学バイオテロリズムの最後の講義での宿題は,「ボストンのダウンタウンにあるケンモア・ショッピング・モール(いろいろな店が同じ屋根の下に入っており,デパートのような閉鎖空間となっている所)で炭疽菌が通風孔からばらまかれたという設定で,最悪と最善のシナリオを考える。ちなみに,その日の買い物客は1万人とする」,というものでした。各人が諸々の文献を調べ,まとめて発表します。

最悪のシナリオ

 冬のある日曜日,そのケンモア・ショッピング・モールは,およそ1万人の人出がありました。そこに,テロリストは通風孔から炭疽菌を人知れずそっと流したのです。そして,炭疽菌は暖房(エアコン)などによりショッピング・モール内を漂いました。菌は目に見えず臭いもしませんから,モールを訪れた客も店の人もテロが起こりつつあることなど誰も気がつきません。
 2日後,このショッピング・モールに出向いた人のうち何百人もが発熱,咳などを訴えて近くのクリニックを受診し,風邪ないしはインフルエンザの処方を受けています。しかし,その日モールに来ていた客はボストン郊外からの者も多く,診察にあたった医師も,インフルエンザ患者の中にテロによる炭疽犠牲者が含まれているとは夢にも思いませんでした。
 それから数日が経過し,「インフルエンザで死亡者多発」という,最近のボストンではあまりあり得ない状況が続き,新聞などのマスコミが話題に取りあげました。
 たまたま,大学病院で亡くなった患者さんの血液から炭疽菌が分離され,インフルエンザに混ざって炭疽に罹患した患者がいることが予想されるに至り,マス・メディアがこの事実を伝えました。しかし,時すでに遅しで,テロにあった8000人が入院。6500人は人工呼吸器を使用中,あるいはすでに亡くなっていました。

最善のシナリオ

 ショッピング・モールの警備員が,パトロール中に,職員しか入ることのできない通風孔につながる通路出入り口ドアから,厳重なマスクをした見知らぬ人が出てくるのを見かけました。その警備員は不信に思い,地元警察に連絡を取りました。
 警察は,その状況からテロの可能性を考慮して,FBIとCDCに連絡。彼らは,1時間以内にバイオテロリズムに詳しい研究者を伴って調査に来ました。各都市にはこのようなシステムができあがっていたのです。そして,通風孔から検体を採取し,その場でモバイルラボを設置。2時間後には,判定が下せることができました。結果は黒で,炭疽菌であることが判明したのです。
 警察は「炭疽菌を用いたバイオテロリズム」と断定し,まずボストン近郊の日曜診療を行なっている医療機関と連絡を取り,事情を説明。シプロキサンをはじめとする抗生剤の在庫を確認し,抗生剤が少ない医療機関には製薬会社を通じて緊急に配送するよう依頼しました。
 同時にマス・メディアを通じて,「ボストン・ケンモア・ショッピング・モールで炭疽菌を用いたテロリズムが発生した」ことを報道しました。その時間帯にそのショッピング・モールにいた人は,即座に医療機関を受診し,抗生剤の予防内服を始めるように呼びかけたのです。
 そして,ショッピングの際にカードを利用した者に関しては,カード会社と連携して連絡電話番号を入手。電話やファックス,E-mailを駆使して,近くの医療機関への受診を呼びかけました。多少のパニックと混乱はありましたが,推定9割の人に,暴露後6時間以内の抗生剤予防内服を実施することができました。
 FBIは,事前にこのようなことが発生することを想定し,CDC,製薬会社,医療機関との緊急連絡網を整備し,有事の際のマニュアルまで関係者に配布していたのです。さらに,状況を説明し,「なるべくベッドを開放してほしい」と依頼。病院のベッドの他,呼吸機器の確保を要請しています。そして,翌日の朝刊にはボストン近郊のテロ犠牲者受け入れ病院リストと窓口を公表しています。合計で500人が入院し,50人が人工呼吸器を使用しましたが,死亡は10人を超えませんでした。

急務となる,臨床・疫学の両方ができる人材養成

 炭疽菌に関しては早期抗生剤内服が有効なため,いかにテロに早く気がつくかで犠牲者の数が10倍以上も違ってきます。テロに関しては事故が起こってから動いても遅すぎるのです。常に予知,予防に徹し,先手をとらなくてはなりません。リスクマネジメントは最悪のシナリオを念頭に置くことが重要なのです。
 そのためには,国のパブリック・ヘルス・システムを強化しなくてはなりません。そしてそこでは,さまざまなフィールドの専門家を集めて,可能性のあるシナリオを考え,被害を最小にするためのマニュアル創りに向けて実際的な討論が行なわれるべきです。単にどの抗生剤を使用するかの情報を流すだけではなく,常に実践することを念頭に置きながら,その連携をどうするかまで検討しなくてはなりません。
 まず地域レベルで最初に対応するのはインシデンス・コマンド・システム(ICS)です。何か問題があると,臨床と疫学の知識のある者が,事態の把握に努めます。そして,重大事件と判断すれば,医療機関だけではなく,FBIのようなしかるべき機関と連絡を取り合います。
 日本が行なうべきことは,このような緊急事態に地域で対応できる人材をシステマティックに養成することです。そして,有事に備えて実践さながらの訓練を積むことでしょう。