医学界新聞

 

連載 第4回

医療におけるIT革命-Computerized Medicineの到来

(4)ヴァーチャルリアリティ技術を用いたがん疼痛緩和医療

下山直人(国立がんセンター中央病院/疼痛治療・緩和ケア)

2445号よりつづく

 バーチャルリアリティ(VR)とは,コンピュータが作り出す仮想現実の中に足を踏み入れる(go into)ことである。当院での研究の役割は,緩和医療の一環としてVRによってがん患者が現実の苦痛から解放されるようにすることである。すでに化学療法による予期嘔吐を改善することが結果として出されている。三菱電機先端技術研究所との共同研究で,プロトタイプのものは非常に大きい機械であるが,がん性疼痛そのものを抑制するような強い効果はまだ出ていない。行動認知療法としてのdistraction(気をそらす)法としての位置づけとして考えている。1998年WHOから出された「小児がん性疼痛治療針」の中では,小児においての痛みの治療ではdistraction法は非常に有効であると言われている。われわれの研究は,大人においてもこれを活用していくことが目的である。

VR技術を用いたがん疼痛緩和医療システム

 前方と左右に17インチのコンピュータディスプレイ3台を組み合わせ,患者の視野のほとんどをディスプレイが被うようにした装置である()。基本的には緑を基調とした自然の風景を散策するような設定で,足踏み機を踏むことによって画像が先に進んでいくため,患者がその風景の中に実際に入り込んでいくような設定となっている。5分間が1つのサイクルであり,それを繰り返していく。風景にマッチした音,風,そして香りが加わり,仮想現実により入り込みやすいような工夫がなされている。

患者さんへのメリット

 がんの患者の苦痛は多彩であり,身体的な痛みだけでなく,精神的な要素,社会的な要素,スピリチュアルな要素を含めた全人的な痛みのケアをすることは言うまでもない。WHOは「誰でもできるがん疼痛治療法」としてモルヒネを中心とした薬物療法を普及させ,日本でもそれが次第に広まってきている。しかし,それでもまだ痛みのマネジメントが不十分な患者は20%程度残っていると考えられている。
 われわれはこれまで,1986年にWHOが発表した「がん疼痛治療指針」に基づいて,患者の苦痛を治療・ケアしてきたが,それは結果として副作用も薬物によって緩和するという形で対応せざるを得ないため,一時的には多剤併用療法となることがある。もちろん安全な薬物の組み合わせであるため,ほとんどの患者にとって問題はないが,一部の患者にとっては吐き気,不快感がなかなか調節できない場合もある。特にモルヒネが効きにくい,神経障害性疼痛,筋肉の痙縮の痛みを伴う場合には,抗うつ薬,抗痙攣薬を併用することが多いため,これが顕著であることがある。また,モルヒネ不耐性の場合,肝機能障害があり薬物代謝の遅れや肝機能を悪化させる薬物が使用できない場合,腎臓から排泄される薬物の場合,腎機能が悪化している場合などには使用しにくいこともある。このように薬物の使用が積極的に行ないにくい状況の場合には,薬物療法以外の方法が患者のQOLの向上に貢献することも,認識しておく必要がある。
 当院では,もちろん薬剤師を含め多くの職種が緩和ケアチームを組んでがん患者・家族のケアを行なっており,モルヒネの使用,神経障害性疼痛の薬物療法に関してはかなりの経験を積んでいる。しかし,それでもまだ治療法は完全ではなく,米国に比べて薬物療法の選択肢が少ないことも一因としてあげられるが,それを補うものとしての非薬物療法を考えている。痛みを治療するにあたって,多くの鎮痛法を患者の状態に合わせて適応していくことが,ペインクリニシャンの使命と考えている。
 当院では,緩和医療の中で薬物療法以外に非薬物療法として神経ブロック療法に加え,鍼・灸を10年以上にわたって行なっており,患者さんには好評である。一昨年より,低出力レーザー,スーパーライザー(偏光赤外線照射機),経皮的電気刺激療法(TENS)が加わっている。VRが非薬物療法として疼痛管理の1つの選択肢として加わっていくことを期待している。もちろんすべての方法に関してエビデンスに基づくものを追求する努力をしている。

将来の展望

 現在のプロトタイプのVR機器に関しては,すでに化学療法時の予期嘔吐に関しての研究が終了しており,予期嘔吐の抑制に関しては有効性が見られている。作用機序としては緊張の緩和と不安の軽減が考えられる。現在の計画としては,不安の軽減という点から手術前の患者に対する有効性を検討中である。また,小児に対してdistractionが有効とされていることから,小児麻酔の導入時に拘束して導入することを避けるための補助としての施行を検討している。
 臨床生理学的な研究による緊張緩和作用の裏づけを行なうために,発汗量の変化,末梢の皮膚温の変化,神経の刺激閾値の変化,心理テストによる不安の定量化による比較を開始している。
 また現在,眼鏡タイプのものでプロトタイプよりも実体験が深まる(immersive)ものを用い,鎮痛効果に関する研究も開始している。これをもとに局所麻酔による手術時の鎮痛補助としてのVRに関しても研究を行なう予定である。
 がんに伴う苦痛の緩和は,患者のQOLの向上を考える上で,もっとも重要なことである。苦痛を取り除く手段はできるだけ確実なものが多いほどよいと考えられるため,基礎的な研究での裏づけも重要である。
 苦痛の緩和という点では,特に不安などによって症状が悪化する可能性のある肺がん患者の呼吸困難の緩和,モルヒネ投与初期の嘔気の緩和,胆汁うつ滞時のかゆみなど緩和医療が関わる多くの症状緩和領域で有効性を発揮するものと期待している。

(参考文献)
Hoffman HG, Doctor JN, Patterson DR, et al: Virtual reality as an adjunctive pain control during burn wound care in adolescent patients. Pain 85(2000): 305-309