医学界新聞

 

新連載 第1回

医療におけるIT革命-Computerized Medicineの到来

(1)医療におけるIT革命・総論

小山博史(京大医学部附属病院助教授・医療情報部)

●連載にあたって

 近年の情報技術の飛躍的な進歩は,「産業革命」と称されるほどに社会の中の情報流通システムを変革している。医療の分野でも,手書き伝票や会計計算等の業務などアナログ処理・使用されていたものをデジタル化することで病院業務自体を見直すという,新しい医療福祉産業を創出しようとしている(図1)。
 基礎医学分野では,医学や生物学の情報のデジタル化が進み,生命現象を理解し解釈して発見する1つの方法論として,コンピュータ科学を応用した「生命情報学」(Bioinformatics)という新しい研究分野が創出されようとしている。
 本連載では,このような時代の中で,医療・医学分野での最先端のコンピュータ技術を応用した新しい分野の創生について,各領域の第一線の研究者に紹介してもらう。

情報技術

 ニコラス・ネグロポンテは著書『ビーイング・デジタル』の中で,情報社会を,現実世界を構成するアトムと対比させて,ビットで構成されるものとし,その利点を(1)データの重複入力作業の軽減,(2)入力データの共有,(3)データ転送の高速化,(4)データの高速検索,(5)データの再利用性の向上にある,としている。
 計算機の利用方法の歴史をたどると,高速な計算処理から制御,人工知能,画像処理,空間処理,知識処理,人工生物へと広がりをみせてきた。また,DNAコンピューティングや遺伝的アルゴリズムのように,生物現象を基にしたコンピュータアルゴリズムの開発や研究が行なわれている。さらに近年,計算科学理論を用いて生物をシステムとして解釈し,生物学的現象を理解する研究(「Systems Biology」 http://www.systemsbiology.org/)も始まっている。
 このような情報のデジタル化とネットワークの普及は,インターネットに代表される国境をも超えた爆発的な高速情報流通社会を生み出している。自宅のPCからインターネットを通じて世界中のデータベースと接続し,必要な情報を即座に取得でき,ホームページを通じて世界に自分の意見や考え方を比較的安価に公開できることは,驚嘆に値する出来事である。このような社会情報基盤の整備は,21世紀社会の基本といわれる「Free」「Fair」「Global」を実現する手段として,時間と空間を超えて新しい社会形態を創出しようとしている。
 このように計算情報科学は医学研究や診療業務,医療制度のあらゆる部分に利用が拡大しつつある。
 その中でも近年特に注目を集めている4つの分野について紹介する。

図1 社会情報基盤のデジタル化による医療情報処理の変革

■新しい医療技術の開発

侵襲手術を目的としたロボット外科学

 外科学の基本は病巣の切除と機能の再建である。外科学の進歩は,手術器具の開発から始まり,麻酔学の進歩,顕微鏡手術,内視鏡手術,管腔手術が行なわれている。コンピュータの利用として「手術ナビゲーションシステム」が,渡辺らにより脳神経外科領域で世界に先駆けて開発された。ロボットを用いた手術に関する研究については,Taylorらの大腿骨頭置換術に利用したのが実用化された最初である。しかし,国内では米国で開発され商用化された心臓の冠動脈バイパス手術用のロボット外科装置が出現するまで,「神業的」手術が重んじられ,積極的な取組みが行なわれることは少なかった。
 ようやく日本でも,2000年(平成12年)度から日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業複合領域の中で「外科領域におけるロボティックシステムの開発」のプロジェクト
http://www.jsps.go.jp/j-rftf/outl/i009.htm)が始まった。米国が湾岸戦争を契機に開始し,数十億円かけたTele-Robotic Surgery技術を数年で開発する至難の業であるが,国内の叡智を結集し,さらに有用なシステムができることが期待されている。京大医療情報部でも上記プロジェクトの班員として,Tele-Robotic Surgeryを構築する上で必要な情報処理環境に関する研究,特に手術におけるロボットマンインターフェースである術者側の情報支援環境システム(Surgical Cockpit System)に関する研究を行なっている(担当:堀,図2)。
 ロボット手術がすべて外科医の手術よりも有益なわけではない。ロボット手術が外科医による直視下手術と比較して有利とされる点は,(1)外科医の手ぶれを補正できること,(2)手による直接操作のストロークスケールをロボット側で小さくし直接操作で困難な極細操作を可能とすること,(3)ロボットアームは手よりも小さいために手術創部の大きさを縮小できること,(4)直視下手術では見えにくい部位を拡大させて見ることができること,(5)CTやMRI,術中超音波検査画像から血管や神経,腫瘍を再構成して実際の術野に投影させ,傷害してはいけない組織や血管を知ることができること,があげられる。
 手術を受ける患者側の得る利益としては,(1)手術の質の向上,(2)術後のQOLの向上,(3)入院期間の短縮による社会的・経済的な負担の軽減,などがあり,これらをエンドポイントとした臨床研究が必要である。不利な点としては,(1)手術室がロボット外科手術用に設計されていないために設置に時間がかかる,(2)術者のみならず助手,介助者や麻酔医,外回りが手術法に慣れていないために,手術時間が延長する傾向がある,(3)手術ロボットの設置・稼動や動作上の問題が生じた場合に対応できるエンジニアがいないため,危機管理体制の強化が必要であること,があげられる。

VR技術を用いた体験型医学教育システム

 研修医の医療事故を予防する対策の1つとして,新規医療機器の導入時の訓練・研修システムとしてバーチャルリアリティ(VR)を用いた「体験型医学教育システム」が欧米で導入されつつある。
 VR技術は,知覚提示技術,センシング技術,空間構成技術の3つの技術により構成される。将来は医学部の中に医学教育研修センターのような専門の部署ができ,その中で臨床実習に合わせて体験型の手術シミュレーションや内視鏡の操作に関する体験ができ,診療に関する適性を自分で評価することも,医学教育の中で重要になってくるものと思われる。図3は手術シミュレーションシステムである。このシステムを用いて京大医学部3年生に試験的に体験させ,適性評価として利用できるかどうかに関する検討を行なっている。

VR技術を用いた高所恐怖症・閉所恐怖症治療

 本紙で以前も紹介したが(2404号),仮想世界に高所やエレベータなどの閉所を構築して,高所恐怖症や閉所恐怖症患者,飛行機恐怖症患者への脱感作療法としての応用が始まっている。EUでは,神経性食思不振症患者へのボディイメージの矯正治療として,またベトナム戦争などのPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)患者の治療に用いられている。これらの治療方法は,当然ながら本治療単独で行なわれるべきものではなく,行動療法やBioFeedback治療法などの既存の治療法も含めて,総合的かつ全人的な治療が行なわれるべきものであることは言うまでもないことである。

医学研究におけるKnowledge Discovery Computing

 コンピュータの役割が,その性能の飛躍的な向上と時代の流行に対応して変化してきた。初期の高速な計算機としての役割からコンピュータグラフィックやデータベースの進歩,コンピュータを用いた社会システムの創造,そして現在は人間の能力では処理不可能な現象の理解を支援する役割を担いつつある。このような爆発的に増大するデータから統計学的な技術よりさらに高度な知識を得る支援技術「Knowledge Discovery Computing」が求められている。その具体的な例として,集合論の公理をもとに仮説を作り出し検証する理論駆動型システムや,データの関係から法則性を導き出すデータ駆動型システムの研究がある。このような研究成果が,今後,臨床疫学や生命科学,特にゲノム解析や蛋白の機能解析に利用され探索的研究の支援となることであろう。

今後の展望

 「技術の発展に人間の理性が隷属し,人間の主体性が無意味化する世紀の到来を迎えている」〔総研大 柴崎文一(情報倫理学)〕のか?
 「子供たちには,デジタルメディアに触れ,それを楽しみ,そのグローバルな広がりを経験する機会を与えてほしい。そして子供たちに窮屈な思いをさせるのではなく,大人に自分の意見を聞いてもらう喜びを味あわせてやってほしい。日本は,わたしの知っているどの国よりも画一的なところがある。デジタル化はそれを改めるいい機会なのだ」(『ビーイング・デジタル』)なのか?
 近年の情報化を考える時,この2つの対極的な考えは,医療の分野でも同様に問われる場合が多い。重要なことは情報化を進める上で前提となるポリシーメイキングにある。作業効率のみを極端に向上させるシステム設計のような誤った方向にある情報化は無味乾燥なものともなり,長期的には社会に悪影響をきたす。逆に,人と人のコミュニケーションを密にし,リアルタイムに世界中の情報を共有できるシステムの構築は,平和や健康を向上させ,次の世代に温かい安定した社会を生み出す基盤となるであろう。今後そのようなことも含め,医療情報の研究を推進していく上では生命倫理学の研究に加え,情報倫理学の研究
http://www.jsps.go.jp/j-rftf/integrated_i.htm)が重要になるものと考える。
 人類は情報化という新しい環境を創生し,それに向けた適応と進化をはじめたのかもしれない。

 
図2 Surgical Cockpit Systemの操作風景 別の部屋にある穿刺用ロボットを3面のモニターと術野モニターを用いて操作する 図3 バーチャルリアリティ技術を用いた体験型医学教育システム