医学界新聞

 

[連載] 質的研究入門 第9回

保健医療の現場における観察法(1)


“Qualitative Research in Health Care”第3章より
:NICHOLAS MAYS, CATHERINE POPE (c)BMJ Publishing Group 1996

大滝純司(北大医学部附属病院総合診療部):監訳,
瀬畠克之(北大医学部研究科):訳
藤崎和彦(奈良医大衛生学):用語翻訳指導


 日常的に患者1人ひとりを観察している臨床医や,疫病の経過を観察する訓練を受けた疫学者が,質的研究で使われる「観察法」という用語について誤解しやすいのも無理はないだろう。質的研究をする人は,人間や出来事を系統的に観察し,その行動や相互関係をありのままに理解しようとする点で,臨床医や疫学者とは異なっている。
 このような観察では,調査者が考えること自体が調査する上での道具の1つになる。観察研究とは“フィールドへ出かけて”,見たものを記述し分析することなのである。保健医療の現場において,この研究方法は洞察と示唆に富むが,準備が不十分の場合は落とし穴にはまることもある。


 「観察法」という言葉は,医学研究にある種の混乱をもたらしているようである。質的観察研究は,疫学における観察研究という類のものとは大きく異なり,また,患者を臨床的に観察することとも違っている。社会科学で使われている観察法とは,系統的で詳細な言動の観察,すなわち人々がどのように行動し,何を語ったかを観察,記録することを意味している。
 特殊とも言えるこの研究手法についてGoffmanは,「ある社会集団を理解するには,その集団の中に身を置き,そこで毎日繰り返されるささいな出来事を体験すべきだ」と提唱したが,これは的を射ている。 観察法には,質問したり記録を分析したりすることも含まれるが,観察そのものを重視する点で,質的研究でのインタビュー(第4章参照)や,患者が受診した際に行なわれる病歴聴取とは明らかに異なっている。実験的な介入をするのではなく,ありのままの状況下で行なわれるという点も,質的観察のもう1つの特徴である。それゆえ,この種の研究活動はしばしば「自然主義的調査」と呼ばれる。

調査の役割

 研究対象の状態に与える影響を最小限にとどめようとして,“参与観察者”という形で調査者がその場の活動にかかわりながら観察する場合がある。かかわり方の程度は,状況や調査内容によりさまざまだが,に示したGoldによる分類の中の前二者に相当する立場で行なうことが多い。
 身元を隠したままで調査をする場合には,倫理面について十分な配慮をする必要がある。このため,この形での観察研究が行なわれた例はきわめて少ない。しかし,これはある種の状況を調査するのに適していて,例えばホモセクシュアルのような微妙な問題や,ファシスト団体やサッカーのフーリガンなどのように排他的な世界を調査する時に用いられてきた。
 身分を明かした上での調査――Goldの分類で言う“観察者としての参加者”――になると,倫理的なジレンマはほとんどなくなるが,今度は,研究対象となる人たちが,観察されることで影響を受ける可能性が出てくる。その最も基本的なものとしては,調査者が行動を観察していることによって観察される側の行動が刺激を受ける,いわゆるホーソーン効果1)がある。また,観察される人たちが自分自身のことを省みるようになることもある。米国のストリートギャングに関する古典的な研究の中でWhyteは,その中心的なグループ構成員の言葉を次のように詳細に記述している。
 「あんたがここにいるとえらく面倒だぜ。前だったら好きなようにしていられたのに,今は何かをしようとするたんびに,あんた(観察者であるWhyte)が何を知りたがってるのか,それをどうやって説明しようかと考えなくちゃならねえからな」
 観察調査にはこのような問題が潜んでいる上に,調査者が“フィールドに行く”時にはさらに十分な注意が必要である。特に“フィールドへの出入り”に気をつけなければならない。研究の対象と接触する最初の段階で苦労することもある。対象となる人たちと十分な信頼や共感が得られなければ,調査は行なえない。
 医療の現場,例えば病院では,指導医や研修医から始まり,婦長や看護婦,ソーシャルワーカー,その他のスタッフに至るまでさまざまな集団との交渉が必要になる。一端“内部”に入り込むと,今度は“その場所の人間”になりきらないようにすることが課題になる。その文化にどっぷりとつかってしまうと,調査の目的を見失ったり,その場から抜け出して,集めたデータから結論を導き出すことが,心情的に大変難しくなったりするのである。

表 観察調査の役割
完全参加者隠密(身もとをかくした)調査
観察者としての参加者身もとを明らかにした上での調査――調査を相互に意識
参加者としての観察者基本的には単発的インタビューであり,長期観察にもとづく永続的関係をともなわない
完全観察者実験的なデザインで,参加はしない

観察でしか知り得ないことは何か

 このような難しさがあるために,保健医療を研究する方法として観察法は特殊なもののように思えるかもしれない。しかし,観察の大きな利点は,人々が語ったことと実際の行動との間のずれを埋めるのに役立つということにある。
 研究対象者が話す内容には,自己顕示欲や記憶の誤り,好みの違い,さらには対象者の立場の違いなど,さまざまな要因によって生じるバイアスが含まれるが,そのバイアスを観察によって減らすことができる。このような理由から,組織の活動や人々の社会生活の様子を研究するのに観察法は特に適しているのである。
 また,観察法は参加者が意識していないような行動や日常生活の様子を明らかにすることもできる。例えばJefferyによるエジンバラでの傷病兵収容施設の観察では,施設の職員にさまざまなストレスがかかっていたために,入所する必要がないとみなされた一部の患者は“元気なクズ”というレッテルを貼られた。そして,入所の必要性があるとみなされた“まっとうな”入所者とは異なる扱いを受けているという様子が描出された。
 「傷病兵担当部門を受診した患者に対する医療事務職員の判断」というHughesの仕事でも同じような状況が明らかになっている。患者に対するケアがこのように違うということを明らかにするのは,面接調査だけでは不可能だろう。実際,患者に“元気なクズ”とレッテルを貼ることが,その病棟の文化にあまりに深く根づいているため,外部の者や来訪者だけにしかその行為の持つ重要性がわからないのかもしれない。
 次に,量的研究をもとにして,質的研究を行なうにはどうすればよいのかを示した一例を紹介しよう。
 子宮や胆嚢,扁桃の摘出などの一般的な外科処置の頻度に大きなばらつきがあることをもとに,Bloorは耳鼻科の外来で,小児患者を外科治療のために入院させるという判断がどのようになされているのかを観察した。彼は,耳鼻科医がどのように手術を決定するかを系統立てて分析し,それぞれの医師が判断の“目安”を個別に持っていることを発見した。ある医師は子どもの手術適応に際して臨床所見を重視していたが,別の医師は診察時にそうした所見がなくても,扁桃炎を繰り返すことで,その患児が教育上大きな影響を受けていることが確認できれば手術を考慮していた。このような耳鼻科医の行動を理解し,なぜそう判断したのかを知ることによって,手術の頻度のばらつきがどのようにして生じたのかを知る重要な手がかりを得たのである。
 「入院待ち患者リスト」2)の統計を見てみると,例えばある外科医の場合には入院まで長く待たなければならないのに,別の外科医の場合はそれほどでもないとか,ある診療科の入院待ちは長いが,別の診療科では長くない,といった具合に,前述の耳鼻科の場合と同じようなことが起こっているのがわかる。
 入院待ちリストの日常的管理の中にも,Bloorが発見したことと似たような取り決めや手順の存在を示した観察研究もある。その研究報告によると,リストからどの患者を選び出すかは,外科医の意見や管理上の都合が重視されていた。患者を入院させる理由にはいろいろあり,研修医に多様な症例を経験させる必要があるといったものから,リストの均衡を保つためとか,連絡が取れた患者から順に入院を受け入れるという単純なものまでさまざまであった。
 このように,入院待ちリストがどのように運営されているかを観察すると,管理方針をどう変更すればリストを短縮する効果がありそうなのかも見えてくる。入院待ち患者リストを患者の受付け順に作成することにしたとしても,前述した日常的なリストの管理手順がそれによって変わるとは思えない。

〔訳注〕
1)ホーソーン効果:調査を行なうこと自体が調査対象に影響を与えてしまうことを言う。1927年から32年にかけてメーヨーらのハーバード・グループによって行なわれた労働者の作業効率に関する一連の実験(ホーソーン実験)の中で,被調査者が観察されていることを意識することで,被調査者の行動に意図しないバイアスが出現したことによる
2)入院待ち患者リスト:イギリスにおける国営医療(NHS:National Health Service)において,入院待期患者が多く,必要な患者がすぐに入院できないことが大きな問題になっていた。1990年以降「国民保健サービスおよびコミュニティケア法」によるNHSの改革により,改善が図られた