医学界新聞

 

座談会

痴呆性高齢者ケアのパラダイムシフト

痴呆性高齢者にとっての心地よい環境・ケア

野村 豊子
(岩手県立大
社会福祉学部教授)
内出 幸美
(グループホーム
「ひまわり」所長)
リチャード・フレミング
(Richard Fleming/
豪・痴呆症サービス
開発センター所長)
永田久美子
(司会/都老人総合研究所)
マルカム・ジーブス
(Malcolm Geeves/
豪・同センター
上級教育コンサルタント)
カースティ・ベネット
(Karsty Bennett/
豪・同センター
建築コンサルタント)


 さる2月15-16日の両日,東京の江戸東京博物館にて,痴呆性高齢者ケアにおける日・豪共同研究大会「日・豪の痴呆性高齢者ケア」が開催された(参照)。本大会には,本紙看護号に昨(1999)年末まで13回にわたり「シドニー発最新看護便-オーストラリアの高齢者対策」を連載した瀬間あずさ氏や,氏が所属するオーストラリアの非営利団体「痴呆症サービス開発センター(Dementia Serviced Development Centre;以下DSDC)」のリチャード・フレミング所長らも参加した。
 同研究会は,1998年4月から日・豪両国で「小規模」「家庭的なこと」をキーワードに痴呆症ケアについて共同研究を進めてきたもの。日本からは岩手県大船渡市のグループホーム「ひまわり」,オーストラリアからはDSDCの母体であるハモンドケアグループ(非営利を目的した民間の高齢者ケアサービス提供団体)の施設「メドウズ」および「パインズ」が参加し,双方での比較,評価検討が行なわれてきた。
 本紙では,本研究大会に参加したフレミング所長らに,グループホームのあり方を含む痴呆性高齢者のケアについての展望を語っていただいた。


オーストラリアにおける痴呆性高齢者ケア

永田 今日はお忙しい中をお集まりいただきありがとうございます。「痴呆性高齢者のケア」については,オーストラリアでは先進的なアプローチの実践,検証が行なわれている段階だと思います。また,日本の国内でもいろいろな挑戦をしているところが出てまいりました。今日は,オーストラリアでのDSDCのこれまでの活動のエッセンスをご紹介いただくとともに,日本からは「ひまわり」の活動をもとにしながら,痴呆性高齢者のケアのあり方を語っていただきたいと思います。
 それでは,フレミングさんからDSDCの紹介を含めて,その経緯や痴呆症ケアの考え方についてお話しいただけますか。

質の高いケアを提供するための6つの要素

フレミング オーストラリアでも,日本ほど極端ではありませんが,高齢者は確実に増えることがわかっています。日本の場合,私の理解している限りでは,これから20年後には65歳以上の人たちが,人口全体の25%に及ぶということです。これは,高齢者の介護について真剣に取り組み,考えていかなければならない状況にあるということで,両国とも共通しています。
 痴呆症を考える場合,非常に重要な点は,65歳以上のうち5%の人たちが軽度から中度の痴呆症を持っているということです。オーストラリアでも日本でも,痴呆の方たちに対して適切な介護をしたいという,強い要求があると思います。
 この「適切なケアの提供」には,2つの重要なテーマをあげることができます。1つは質の高いケアを提供すること。もう1つは経済的に成り立つ形での提供です。質の高いケアの中には,いろいろな要素が含まれてきますが,特に資金をどうするのかは重要なことだと思います。日本のアプローチは,私の感じるところでは,スカンジナビア諸国とオーストラリアのアプローチの中間をいっている気がします。スカンジナビアの方式は高い費用が伴うもので,すなわち税金も高くなります。オーストラリアの場合はもっと実用的なアプローチを取っていますので,それほど負担を強いるものではありません。
 オーストラリアでは,高齢者ケアの質を高めようと,政府の指導のもと「痴呆症ケアのための全国アクションプラン5か年計画」プロジェクトを始めました。いまは,この5か年計画がちょうど終わったところで,その評価をしているところです。日本でも,痴呆症ケアに対してどのような政策を立てるのかを研究されていると思いますが,私たちと同じような考え方を持つ日本の方たちとコンタクトをとり,経験を共有しようということから,「ひまわり」との共同研究が始まったわけです。
 この経験を通しまして,オーストラリアと日本で多くの共通点があることがわかりました。日本の「ゴールドプラン21(新・高齢者保健福祉推進10か年戦略)」によりますと,これから5年のうちに3200か所のグループホームを作るということが打ち出されています。そういう意味では,これからの日本は,この種のサービスを提供する機関が増えてくるでしょう。私たちの次の作業は,これまでに得た共通点を明確化して,新たにサービスを始める人たちにできるだけ多くの情報を提供していくことです。
 質の高いケアを提供するための基本的なコンセプトには6つの要素があります。まず1つ目は「明確なケアの理念を持つ」ということです。これは言い方を変えますと,私たちはどこで何をしようとしているかをはっきりさせるということです。2つ目は「環境」。その環境自体が,障害を軽減するようなものでなければなりません。そして3つめは「入所者1人ひとりの個別ニーズに応えるプランを立てられるシステム」です。4つめは,「はっきりとした入所基準を設けること」。5つめは「退所基準」。自分たちの施設では適切なケアが提供できなくなった人に適切なところへ移っていただく時に,そのための正しい判断をするための基準です。そして最後に,「しっかりとした評価(アセスメント)システムを持たなければならない」ということです。これらの要素が,同じ場所で,同じ時間に導入されていれば,そこでは痴呆のケアを最良・最大の形で提供できるでしょう。

ケアの理念,環境要素

ジーブス ケアの理念というのは非常に重要で,これに基づいてケアの方向性が決まります。物理的にどのような設計が適切なのかも決まりますし,どのようなアセスメントを行なえばよいのか,また何をどのように評価すればよいかもはっきりしてきます。すべてがこの理念に沿って進んでいくわけですし,教育もこれに基づいて提供されます。
 この理念は,誰でも理解できる言葉で表現されたもので,はっきりとやさしい言葉で書かれていることが重要です。また,マネジャー,スタッフ,入居者の家族を交えた話し合いによって作られなければなりません。そうしてできあがったケアの理念を紙に書くことも重要ですが,これには時々落とし穴があります。読んでみるとすてきな言葉が並んでいて,耳にも心地よく響くのですが,毎日ケアの仕事をしている人たちにとって,常に身近なものとして考えられ,使われているかが大切です。書かれていることよりもっと重要なのは,それが私たちの職場で生きているかどうかということなのです。ケアの理念をはっきりと持った施設を訪問すると,それを身体で感じることができます。それが実践されていることが目に見え,その反映を手に触れられるように感じるはずです。
ベネット フレミングが触れましたが,ケアを提供する上で環境は非常に重要な要素です。環境,あるいは建物と言ってもよいと思いますが,これはケアを提供する舞台です。この舞台は,時には非常に前向きで,ケアを提供する上で役に立つこともありますが,時には逆効果となることもあります。
 痴呆症のお年寄りたちにとってよい環境とは,自分たちの持っている能力をフルに発揮できる場所であり,本当の意味での生活を続けていける場所です。痴呆症の人たちの施設を設計する際の原則は,まず小さい単位ということです。これは,規模が小さく,人数が少ないということを含みます。
 2つ目は家庭的であること。住む人が「自分の家」と思えるような気持ちを持てるのと同時に,毎日の生活が続けられる場所であることです。3つ目は地域社会に近いということです。社会的なつながりが維持でき,家族との交流も続けられることを意味します。
 そして次に,好ましくない刺激。例えば,スタッフが仕事上の雑音を立てることなど,必要のない音を避けることです。逆に,好ましい刺激は高める必要があります。これには,自分の部屋を見つけやすくするとか,リビングルームやキッチンにはどう行けばよいのかがはっきりわかるようにデザインをすることも含まれます。
 また見渡しがいいことも重要です。建物の中ばかりではなく,庭も含めて全体が見渡せる設計にすることです。そして,装飾品なども見慣れたものにすることも大切です。さらに,痴呆の人は徘徊をすることがよくありますから,それに応えられるような道を施設の周囲に設計することも必要でしょう。

日本における高齢者ケアの現状

「普通の生活をする」をキーワードに

永田 日本にも,理念や環境という言葉はキーワードとしてあります。しかし,本当に痴呆症の特徴を踏まえたものか,その原則が現場に浸透し得るシンプルなものであったのか,またそれが現場に生き生きと根づいていたかという3点を考えますと,非常に大きなギャップがある,と思いながらお話をうかがいました。
 ここで少し日本国内の動きについて触れていきたいと思います。国内での先駆的な試みの1つとして「ひまわり」があります。内出さんからご紹介いただけますか。
内出 私は福祉系の大学を卒業し,最初は主に人工透析と移植医療をする施設でソーシャルワーカーとして働きました。人工透析を受ける方は,2日に1度は透析治療を受けなければなりませんし,家族や職場の関係などが何かとぎくしゃくしてきます。私は,少しでもそういう問題を解決したいと考え,患者さんの家庭の中にまで入って問題と取り組みました。その時に相談する側もされる側も,裸にならないと問題の本質は見えてこないことを実感しました。
 透析を受ける患者さんたちも次第に高齢化し,介護を必要とする方が増えてきました。私は,その方たちの理想郷のようなものができないかと模索している時に老人保健施設に出会いました。それがきっかけとなり,痴呆のお年寄り専門のデイサービスセンターを始めましたが,プロフェッショナルは1人もいない状態で,「理念ありき」ではありませんでした。ただ1つ,スタッフ全員に共通していたのは,それぞれの家庭が老人を抱えているということでした。
 そこで,「自分たちのおじいさん,おばあさんをケアするような感覚でやってみよう」ということになり,「普通の生活をする」がキーワードでした。痴呆のお年寄りの持っている可能性を探りつつ,怒りたい時には怒り,泣きたい時には泣くというように,感情を素直に出せる雰囲気を大切にするなど,家庭的であることに努めました。
 また,「ゆったりと楽しく」もキーワードの1つで,私たちスタッフも一緒に楽しむということを基本にしています。1例ですが,「今日はどこへピクニックに行こうか?」と迷うことがありました。実はその日の新聞の折り込みに,隣町で「マクドナルドのハンバーガーショップが開店」という広告が入っていたんです。そこで,開店当日だから安いしおいしいだろうと出かけていきました。痴呆を抱えるお年寄りが何人もそろって行ったのですから,お店の人はびっくりでしたが,お年寄りたちは,きっと生まれて初めてだろうハンバーガーをおいしそうに食べてくれました。これは,私にもうれしい体験でした。そんなことがあり,昼間だけではなくもう少し深いケアができないだろうかと始めたのがグループホームです。
 今までの痴呆症ケアには,ケアする側,される側という役割的な関係があったと思いますが,グループホームでは「ともに生活する」という視点を持った人間関係に変わってきています。そこにはお年寄りの心を大切にしたケアがあり,その結果としてお年寄り自身の自立する心が喚起される場になっていると思っています。
永田 新聞の折り込み広告を見てハンバーガーショップに行くというのは,痴呆専門病棟の看護職が聞いたらびっくりするようなアプローチだと思います(笑)。でも,決して「ひまわり」にいるお年寄りの痴呆の程度が軽いということではないのですね。国内の痴呆専門棟と言われているところのお年寄りと同じレベルの人たちです。それが本当に生き生きと動き始め,心を動かし,非常に多くの可能性を見せていくということ。これは単に,スタッフが楽しむ,思いつきということでハンバーガーショップに連れて行くのでは決してない。本人たちが秘めている力を引き出すためにどのような働きかけがベストなのか,日常の生活の場を舞台に,その時々の条件の中で臨機応変に判断し行動していった成果でもあります。これからの新しいケアのあり方として象徴的な話ではないかと思いました。

ジレンマを解くエネルギー

永田 野村先生からオーストラリアと日本を視野に入れたコメントをお願いします。
野村 お話をうかがっていて,オーストラリア,日本の両方に痴呆症の方のケアを前進させるために,そしてそれを非現実的なものではなくて,今より一歩でもよい方向へと動いていると実感できました。私自身,この共同研究にかかわらせていただいていますが,なぜこれほどこの研究にコミットしているのかと言いますと,それはハモンドケアグループの教育システムと内容の明確な位置づけが素晴らしいと思っているからなのです。日本で,スタッフあるいは学生にケアの理念を伝える時には,理念と価値というのは向かっていく方向,あるいは土台だと考えます。
 ケアのスタッフが,自分の行なっている行為とその土台となっている理念が違っていると感じるのはどういう場面かと言いますと,まず自分の持っている価値観と実際の行為とのジレンマだと思うのです。ここで,自分の価値観をいくつかの層に分けて考えることができると思います。
 例えば,一般社会の通念などから影響を受けて形作られている大枠のレベルがあって,保健・福祉・医療の連携が叫ばれていますが,それぞれの専門職の歴史の中に,形作られてきた中枠のレベルがある。また,社会の中の福祉制度や政策に含まれている価値観としてのレベルもあります。さらには,ケアスタッフが目の前にいる高齢者との関係性の中での価値観があり,最も中核にあるのは専門職としての価値観とパーソナルな価値観の相剋するレベルです。
 「自分の持っている価値観」と一言で言いますが,その価値観にはこのような諸レベルが想定できるわけです。そうすると,自分の価値観と実際の行為との間に生じたジレンマというのは,単純に解決できないだけでなく,まず何がジレンマなのかを見極める作業が必要です。スタッフの教育や研修は,そのジレンマを少しでも解きやすいように促したり,明確化することを1人ひとりに問いかけるものだと思います。
 また,ジレンマを解決すると考えた時には,「ジレンマがあるのは仕方がない」こともあるわけです。でも,1人では乗り越えていけないジレンマでも,サポートやチームワークがあれば乗り越えられることもあるわけです。それがジーブスさんたちの教育のフレームには,「価値観は援助の全過程の機関車である」という言葉で明確に入っています。それが「ひまわり」では,あえて理念がどうしたとか,価値がなんだとか,ジレンマを解決するかとか,そういうことのソフィスティケイト(洗練)はぜんぜんしていらっしゃらないし,話にものぼりません。しかしそのケアは,入居者の視点からすべてのことを見直そうとされ,もし自分が相手のほうだったらどう思うだろうか,という姿勢が息づいています。価値観というのは,現実から離れて,「~すべきだ。こうあるべきだ」という位置へ,一足飛びに移行してしまいがちです。特に今まで必ず守らなければならない高い意味を持つ言語化された価値観は,場合によってはその言語の中に逃げてしまうことも起こります。「ひまわり」では,言語化はされていないのですが,ジレンマを解いていく職員の人の驚くばかりのエネルギーがあります。それがどこからくるのかというと,私は創造性なのだと思っています。

チームを組んでいく基盤

「普通の生活」をするということ

永田 野村先生から,非常に重要な点が指摘されたと思います。信念や価値やジレンマの解決法という非常に重要な点が痴呆症ケアの中で言語化されていないということですが,言語化しようとするとどうしても既成の用語にとらわれて,医学モデルや福祉モデルでの言葉の記述になってしまいがちです。「ひまわり」は,痴呆症のケアを本当に生き生きと実践されていますが,言葉や文字にしようとする時に,まずはその生気を失なわれないような記述であってほしいと思います。
 スタッフの日常会話の中で明確に言語化されていないと言いつつ,「ひまわり」の現場では理念やジレンマを解決する方法が話し合われています。おそらくかかわりの本質というものを,普通の言葉で語り合う中から明確にしているのだ思います。
内出 野村先生から「言語化」という言葉を聞いて,私はハッとさせられたと言いますか,びっくりしているところです。「ひまわり」は理念が先にあってできたものではなく,実際にかかわる中から理念らしきものが出てきたにすぎないのです。初めからあったのは「ごく普通の生活をする」ということです。そこには,痴呆のお年寄りというスティグマはありません。
 私は,痴呆症のお年寄りというのは,「目に見えない麻痺を持った人」という言い方をよくするのですが,「目に見えない麻痺」に対する私たちのかかわりについては,個々人が十分に勉強しておかなければなりませんので,そういったレベルの学習はかなりしています。それにもかかわらず,私たちのかかわりは身体的なものよりは,お年寄りの意をくみとるというような心のかかわりが多いために,「目に見えないケア」とも言っています。
永田 内出さんのお話には何度も「普通の生活」という言葉が出てきます。日本でいま痴呆症の看護に携わっている人は,痴呆性高齢者,痴呆症看護,痴呆棟というように,まさにラベルづけされた対象としてかかわることが多いのではないでしょうか。その中で,痴呆症であること以前に長い人生や生活史を持った人であり,その延長上で痴呆となりつつ生きていく人に「全人的にかかわる」という視点が,痴呆症ケアでは非常に大事に思えるのですが。痴呆を誤った形で特化してしまい,痴呆症の人の可能性を狭めながらしか,かかわれていないという実態があるように思います。

分類化,符号化するということ

フレミング いま永田先生のお話にあったラベルづけについてですが,まるで痴呆の人たちをコンクリートづめにしてしまうような結果を心配していらっしゃるような印象を受けました。でも,その裏に,痴呆であることを認識した上で,それに対してどのようなかたちで対処していくべきかというステップがフォローされれば,具体的なケアの手がかりとなるのではないかと思います。今後,日本ではグループホームを3200か所も作っていくという非常に大きな仕事に直面しているわけですから,例えば「ひまわり」で行なっていることを符号化(qualification=分類して定義をつけていくこと)し,そのラベルづけをしたものを提供し,利用することができるのではないかと思います。
 DSDCがこれまでに作り上げてきた強さというのは,そうしたものを符号化し,簡素化していくという作業を行なってきたからです。確かに,その簡素化の中で非常にきめ細かな配慮をしなければいけません。こうしてお話していると,私たちも,もう一度その点について見直してみなければいけないとは思いますが,分類化し定義化していく作業は,より多くの人たちの大きな手助けになりました。それが,私たちDSCDの達成したものだと思っています。
ジーブス ジレンマをいかに解消していくかということ,また分類化し,コード化することの意味について考えていました。新しく施設を作る時の一般論というのは,すでに私たちも知っているわけですが,それを実際に作っていく時に何を考慮しなければならないかが重要な点だと思うのです。
 今日の話の中に出てきた原則を使う上でも,ニーズがどのようなものかを見極めなければいけません。その時に,先ほどの分類化や言葉によって表現するということが重要になります。「ひまわり」で作る場合,東京でする場合,シドニーでする場合,確かに一般論は通用するのだけれども,それだけではジレンマを起こす環境を作ってしまう。やはり,その地元ではどういうものが必要とされているのかという視点を,スタート時点に置くべきでしょう。
永田 先ほどベネットさんがお話しくださった建築の原則も,ケアにもっと生かされていくべきものだと思います。オーストラリアの場合は,建築の専門家とケアの専門家がチームを組んで活躍されています。その点,日本はまだ遅れています。
ベネット オーストラリアでは,永田さんが印象を受けられたとおり,建物を設計する人とケアをする人の間には強い関係があります。私が,このようなプロジェクトに参加する場合には,まず実際にケアを提供する人と時間をかけて話し合いをします。提供するケアは建物に適していなければなりませんし,建物は提供されるケアに適していなければなりません。つまり,そこに実際に住むであろう人たちに,どのような生活をしたいか,何ができると思うか,どういうかたちで生活を続けていきたいのかということを尋ねるのです。その情報が,非常に重要な役割を果たすのです。
永田 「どのように生活をしたいか」ということは,まさにケアの出発点にあるものですね。建築であれ,看護であれ,痴呆症の人たちにかかわろうとする人たちの出発点は同じであって,専門性が違ってもチームを組んでいけるという基盤がオーストラリアにはあることを強く感じます。

痴呆症ケアのパラダイムシフト

ジレンマを解く鍵,そしてパラダイムシフト

永田 今日の話に出ました理念,環境,チームワークというのは,痴呆症看護において本当に重要なキーワードだと思います。しかし,日本の痴呆症看護の現状においては,それらが大事だと思いつつも,なかなか組織の中でそれを追求していけない,現実に移せないというジレンマに落ち込んでいる看護職が非常に多いと思います。そこで,最後に皆さんから,このジレンマを解く鍵についてうかがいたいと思います。
野村 よいアドバイスができるなら,自分自身にしたいと思うくらいです(笑)。でも,「ひまわり」の職員の方から私が学んでいることから考えますと,20-30代の若い職員の方たちは,自分が成長するプロセスと痴呆症の方にかかわって学んでいくというプロセスの調和がちょうどよく取れているように思います。だからエネルギーが出てきて,創造性も出てくる。そういった人的環境が重要ではないでしょうか。ぜひ「ひまわり」やハモンドケアグループの施設での質的な要素をコード化するような研究をしていきたいと考えています。
永田 グループホームが小規模であることは,利用者にとってのよさもありますが,働くスタッフにとっても非常に重要なサイズではないかと思います。大きな組織になると1人ひとりの力や個性がなかなか生かせないことから,日本社会の中で小規模なグループホームは,お互いが生き生きと力や個性が発揮し合える,非常によいシステムではないかと感じます。
内出 私たちは現場で働いていて,「ここはどうしたらよいだろう」とたびたび迷うことがあります。迷った時には理念に立ち返るとスムーズに解決できることが多いです。そういう時に,理念はとても大切だと感じます。ただ,ジレンマを感じた時に,あまり理念,理念と肩肘を張らないようにしています。お年寄りというのは,私たちに素晴らしい気づきをさせてくれます。ですから,ジレンマの解決の方法というのは,お年寄りとの関係の中でみつかるものだと信じております。
フレミング 今日お話をしていてはっきりしたことは,パラダイムシフトがあったということだと思います。旧式のものから新しい形に移ってきているということがわかりました。それを具体的に行なっているのが「ひまわり」であって,「ひまわり」をみていると,さまざまな力を持って古いものを押し退け,新しいものを作っていっているということが明確に示されているのだと思います。
 パラダイムがシフトした後に,その一定のボルテージをどこまで維持できるかというのが心配だと聞いておりますが,私は,それはまったく心配することはないと思っています。パラダイムがシフトする時には,当然大きなエネルギーが出るわけですが,それはいったん出されてしまうとずっと維持されるものですから,内出さんはこれから何十年にもわたって同じようなエネルギーを維持されると思います(笑)。

「私たちは何をしようとしているのか」を問いかけて

フレミング 内出さんへの個人的な質問ですが,いま新しいパラダイムとして内出さんが進められているものが,ごく当たり前になった時に,内出さんはどのようなことをしてらっしゃるでしょうか。
内出 私の最終目標はグループホームではありません。痴呆症のお年寄りが安心して暮らせる場の提供が根本です。次のステップとしては,痴呆症専用の特別養護老人ホームのようなものを同一敷地内に作ろうと考えています。そして,その先は地域にチャレンジしていきたいと思っています。どこに住んでいてもお年寄りが安心して暮らせる,それが理想です。
永田 ベネットさん,環境の重要性について最後に一言お願いします。
ベネット 環境の原則の大切さや,それにかかわる姿勢の大切さの話をしていっても,結局は「人」に戻るのだと思います。あくまでも人が気持ちよく,幸福に暮らすための場所づくりが環境の仕事です。
永田 ジーブスさん,日本の看護者に向けて何か一言お願いできますか。
ジーブス 私は教育にかかわっているので,どうしても教育の面からの話になってしまうのですが,これからグループホームが増えていくという状況を背景に,やはりスタッフの教育は大きなチャレンジとして出てくると思います。これは非常に重要な問題だと思います。「ひまわり」は,内部に自己成長のための教育プログラム,教育体系はすでに組み込まれているような気がします。
 また,教育は継続して行なわれなければならないという点も重要です。私も,現場のスタッフとよく話をするのですが,彼らは継続的に行なわれる教育を非常に重要に感じています。講義に出て,以前に習ったことを思い出すだけでも価値があると言います。ですから,常に変化しながらも継続した教育が重要だと,私は考えています。
永田 今日は,パラダイムシフトが起こりつつある痴呆症ケアのキーポイントをお話しいただきました。理念というのは,ケアに携わる者として,どこで何をしようとしているのかを問いかけることだというフレミングさんのコメントがありました。日本でいま痴呆症の看護に直面している1人ひとりが,日々「私たちはいまここで何をしようとしているのか」を問いかけていくことは非常に重要なことなのだと思います。
 今日はどうもありがとうございました。