医学界新聞

腎不全看護の探る道程

宇田有希氏(日本腎不全看護研究会会長・善仁会病院看護本部長)に聞く


 このほど,腎不全看護世界会議(The World Council Renal Care:WCRC)が,非営利的な慈善団体として設立され,スイスに事務局をおいた。現在,ヨーロッパ(EU),アメリカ,カナダ,南アフリカ,中南米,オーストラリア,そしてアジア地区からは日本の「日本腎不全看護研究会」(会長=宇田有希氏)が参加している。
 そこで本号では, WCRCの設立に当初からかかわりのある宇田会長に,その経過と目的,また日本の看護の中での腎不全看護の位置づけなどを聞いた。なお,同研究会は発足以来20数年を経て,来年には学会への移行も計画している。


●世界の腎不全看護と日本

 アメリカの腎臓病看護協会(ANNA)は,1970年ごろからアメリカ人工臓器学会に付随した看護のセッションを開いていたのですが,1983年に独立して独自の学会となりました。そこで独立を記念してインターナショナル・ワークショップが開かれ,隔年の開催(後に3年毎)が決まったのですが,その時に,日本の透析の看護の現状について報告してくれと依頼を受けて参加したのが,ANNAと日本腎不全看護研究会のつながりの最初です。
 ウィーンでの第4回ワークショップ(1990年)の時に,南アフリカや中南米の発展途上国から,透析はものすごく費用がかかるから,とてもじゃないけれど普及させるのは不可能だ,しかし患者さんは存在するという発表がありました。そのような状況に対して先進国が透析医療の技術を輸出するだけでいいのだろうか,という議論になり,もっとそれぞれの国の文化などを考慮に入れて国際協力をする必要があるのではないかという話になりました。そこでよりよく交流していくための母体を作る目的で,組織化についての検討と,全体のレベルアップが提唱されました。そしてようやく今年,スイスに非営利的な慈善団体としてWCRCが設立されました。このWCRCは,「腎臓病の予防・看護および治療に関する私たちの共同の知識や専門的技術を,発展途上国の人々に教えることによって分かち合う」ことを使命としています。
 日本では透析医療は保険制度の上で守られてきた部分があり,技術も進歩しましたし,ハードにしてもソフトにしてもヨーロッパやアメリカにひけをとらないレベルにあると自負しています。ただ,それだけの保護を受けていれば当然,とみられる向きもあります。保護が受けられない発展途上国や医療費抑制策が強い国とでは,死亡率,生存率,合併症の割合などに違いが見られます。イギリスに行った時に,「日本では最新の機器を使用しているのだから,データがよくて当たり前。イギリスは貧乏国だからしたくてもできないのです」と言われました。討議の場で,「最初から条件が違いすぎる」と言われると,非常につらいものがあります。しかも,「臓器移植は他国へ出かけていってやっているじゃないか」とも言われますしね。

●研究会のこれまで,これから

 日本腎不全看護研究会の発足は1974年です。個人会員制というよりは施設加入が主体ですから,明確な会員数は不明ですが,約5500人の会員を有しています。
 研究会が一貫して追ってきたテーマは,腎不全看護の専門性です。看護をしていく上で必要とされる能力,例えば高齢者をどうみていくか,重複した合併症の人をどうみていくかという点,あるいは記録を充実させるためにはどうするかというところにも重点を置き,看護診断をどう取り入れるかなども話題にしています。その折々のトピックスを加えながらも,1人ひとりが自分の中の専門性をめざす意識と主体性を高めることをねらいとしています。求められる看護を実践するためには,技術や知識ももちろん必要ですけれど,個々人のアイデンティティが重要でしょうね。それに伴う実力,また自信を持つことがまずは大事ではないかと思います。実は現在,研究会から学会への移行を検討しています。
 研究会は年2回開催していますが,今年は6月7日(「Nursing Information」参照)と11月の開催を予定しています。11月の研究会では,具体的には未定ですが,学会移行に向けた規約づくりなどの準備とともに,会員の意識を高める内容にしたいと考えています。
 学会としては,腎不全看護の標準化,とまではいかないまでも,ばらつきのない統一された患者ケアを目標としています。これは,せっかく専門性を身につけた透析担当の看護婦が3~5年のローテーションで他部署に異動してしまい,専門性もなかなか発展しないという現状があるためです。ですから,できるだけ共通なガイドラインを作成し,新人はここを押さえる,3年目はここ,5年目の人はこの点を外さないというように,示唆を与えるものをめざしたいと思っています。

●専門性と専門看護婦

 腎不全看護の専門性というのは難しいのですけれど,例えば患者さんやご家族にとって,透析を受けるということは,癌の告知にも共通していると思うのです。ある意味で「あなたの病気は不治の病で,もう治りません」と宣告を受けるわけです。透析という,末期腎不全の延命治療を受ける人に対して,1人の人間として,患者さんや家族をどのように受容していくのか,治療をしていくプロセスの中で私たちがどう支援していくか,ということが一番大きなポイントだと思います。
 それには,専門的な知識や技術を養うことも重要です。これをなくしては患者さんから信頼を受けられません。透析の患者さんはただ一方的にケアを受けるだけではなく,自らが透析という義足や義手を駆使して,自分のものとする必要があります。そういったセルフケアに対し,個別的な,しかも生涯,死の瞬間まで続く治療への看護でもありますから,患者さんの主体性というものを尊重しなければならないと思います。患者さんの主体性が尊重できる看護婦は自らも主体性を持つ看護婦だといえます。人の尊厳を守るということは,自分の尊厳もきちんと保てる人間でないとできないと思っています。

●腎不全看護の課題

 私は資格としての「専門看護婦」の育成を考えていたのですが,家族の入院を機に違った目で看護婦をみるようになり,「看護の専門性」を考え直す機会を得ました。看護というのは,患者さん1人ひとりのものなんですね。基本的なケアを患者さんは望んでいるのではないか,と改めて思うようになりました。ですから,日本看護協会の専門看護師や認定看護師制度の中で「腎不全看護」の専門性を発揮しようとは思わなくなりました。専門・認定看護師の資格制度が現場に根づくまでにはまだ時間ががかかるでしょう。また,それまでには管理体制を改善しなければいけないだろうと思っています。看護管理者が彼らをどのように活用するのか,そして病院のシステムの中でどう取り入れていくかですが,それを組み込むほどのニーズを臨床が感じているのかということも重要な素因ですね。
 腎不全看護の領域であてはめれば,「専門看護婦」が透析ユニットにいることにより患者さんのケアのレベルが上がり,死亡率が下がったとか,合併症が防げたというような結果を出せればいいのです。彼らがいるためにケアの水準が上がった,と評価のできる人がいないといけないのです。
 患者さんあっての看護ですが,看護婦のローテーションは患者さんとの信頼を損なうこともあります。患者さんは毎年4月になると,「この看護婦はいつここから逃げていくのだろう」と不安を持ちながら新しい人を迎えるわけです。透析を受ける患者さんたちは,生涯を治療施設に依存しなければなりませんので,看護婦よりは長いキャリアを持っています。知識もあるかもしれない。そこに透析を知らない看護婦が新しく入りケアをするのですから,人間関係を築くのには時間がかかります。そういうデメリットを抱えながら3年,5年と努力をして透析看護にようやく自信が持てたところで,また替わる。こういうロスを,医療経済学的な面からみることも合わせて,総合的にプラスとマイナスを評価して人の異動をしてほしいと思いますね。
 それから,透析療法というのはチームで医療をするものです。言い換えれば日本におけるチーム医療の発祥は透析医療です。透析看護の始まりは1960年代の後半ですが,日本にはまだ見本となるものはありませんでした。私はアメリカの文献を読みながら栄養士も必要,器械を扱う技術者も必要,臨床心理の専門家も必要ということで,その人たちを巻き込みながらやってきました。しかし,気がついてみると,今は透析医療が一番遅れてしまい,取り残されている状況のような気がします。
 これからは,学会の中で「めざすべき腎不全看護の専門性」が論議されていくと思っています。

(3月25日インタビュー)