医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(7)

門番としての主治医

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 筆者が勤めるマサチューセッツ総合病院(MGH)では従業員に対して6つの異なる医療保険を用意している。6つともすべて何らかのマネージド・ケアのタイプに属する保険であり,古典的な出来高払いの保険は1つも含まれていない。
 保険料は医療保険のタイプによって差があり,安いものと高いものとでは4倍ほどの差がある(家族加入で月に数十ドルから200ドルの間)。日本と違い,保険料は収入の多寡に関係なく,サービスの内容によって決定される。全般に比較的保険料が安い理由は,MGHは従業員数としてはボストン市内で最大の私企業であり,これらの保険は保険会社との値引き交渉の後にディスカウント価格で提供されていることに加え,大企業の常として保険料の支払いに給与外の援助があるからであり,個人で同じ保険に加入するとなると倍以上の保険料を払わなければならない。
 保険料の安い保険では主治医(primary care physician)を選任しなければならないが,高い保険ではその必要はない。というのも,マネージド・ケアでは医療費の無駄遣いを防ぐための手段の1つとして,主治医を門番(gate keeper)として使い,患者が勝手に「不必要な」医療行為を求めないように制限するという方法を用いているからである。救急受診,専門医受診はコストがかさむ要素の最たるものなので,これらについては,主治医による紹介を義務づけ,患者が自分の判断では受診できないようにしているのである。

救急受診の決定権は誰に?

 普段は健康なあなたが,安い保険に入ったとしよう。年1回の健康診断はカバーされるので,これを受けて主治医と顔見知りになっておく。何事もなければ,安上がりですんでよかった,ということになる。問題は,夜,急に具合が悪くなったときとか,専門医のケアが必要なやっかいな病気が見つかったときである。救急受診が制限されていることはわかっていても,ことは生死にかかわる。
 例えば,主治医と連絡が取れなかったり,あるいは主治医から様子を見るようにといわれたもののやはりどこかで診てもらわないと不安だ,ということになれば,許可なく救急を受診したくなるのは当然である。さらには主治医の許可がいるなどという規則さえ知らずに救急を受診して,後になって医療費がカバーされないことを知るという,笑えない事態も生じうる。
 救急受診をめぐる患者と保険会社とのトラブルの急増に対し,ここ2年の間に,テキサス州など12州で患者の救急受診の権利を守る立法処置がなされている。8州において,保険会社が救急受診に際し事前の許可を取ることを条件とするのを禁止し,アーカンソー州など5州では,「分別ある素人」が「救急受診が必要だ」と判断した場合は,保険会社はそのコストをカバーしなければならない,という画期的立法を成立させている。つまり,救急受診の必要性に関する決定権は患者の側にあり,保険会社が後になってから「許可を取っていなかった」という理由で医療費の支払いを拒否することができないようにしたのである。

専門医受診制限で主治医にも圧力

 次に,専門医受診の制限であるが,例えば,女性患者の産婦人科受診,あるいは癌・エイズなどで専門医を恒常的に受診しなければならない患者の場合,毎回の受診に際して主治医の紹介を求めなければならないというのは,受診の必要性が明らかなだけに,非合理極まりない。テキサスなど20州においては,女性患者が一般内科医でなく産婦人科医を主治医として選任することを認める,あるいは保険会社による産婦人科受診の制限を禁じる立法処置を講じている。また,ニューヨーク,ニュージャージーの2州では,癌・エイズなどの慢性かつ重篤な疾患を有する患者が,一般内科医でなく癌・エイズの専門医を主治医として選任することを認める法案を審議中である。
 専門医受診を制限することで医療コストを減らそうとする保険会社の圧力は,当の主治医にも加えられている。主治医が不用意に患者を専門医に送らないように,保険会社は一般内科医がすべき処置の範囲を次々と拡大させているのである。
 例えば,中耳炎で鼓膜切開が必要な患者を耳鼻科に送ろうとすると,「なぜそんなことが自分でできないのか」と保険会社に言われる。また,アリゾナ州では,あるHMO(Health Maintenance Organization:2205号参照)が癌患者を専門医に紹介する際に「化学療法のプロトコールを書いてくれたら,後は自分のところでやるから」という例が続出し,「素人に化学療法をまかせるような危険なことができるか」と癌専門医の反発を買う事件が起きている。