医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(3)

医師の生産性

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 今回は前回(2203号)紹介した「マネージド・ケア」についてもう少し具体的に述べてみたい。
 マネージド・ケアの中でも,最も歴史が古くかつ典型的なのがHMO(health maintenance organization:健康維持機構)といわれる保険プランである。アメリカのHMO加入者は1976年には人口比2.8%にすぎなかったが,1995年には人口比17.7%にまで普及し,現在も増加傾向が続いている。HMOの加入者が急増しているのは,その保険費が格段に安いからである。安い保険費の秘密は,患者が医師を選ぶ自由を制限する,医師の側にも経済的リスクを負担させる,という方法にある。

保険会社の悩みのタネ

 アメリカでは一般市民が健康保険を私的保険会社から商品として購入することは前回述べた。HMOの特色は,医療サービスが保険会社の指定するネットワークの中で提供されるということである。
 HMOは,ネットワークの種類により,(1)スタッフ・モデル(保険会社が独自の診療所を持ち,医師を保険会社の従業員として雇い入れる),(2)グループ・モデル(保険会社と専属医師としての契約を結んだ医師グループが医療サービスを提供する),(3)開業医提携モデル(IPA:independent practice association,開業医が保険会社との契約のもとでHMO加入者にも医療サービスを提供する)と大きく3種類に分けられる。HMOに加入したメンバー(患者)は,保険会社が提供するリストの中から主治医(PCP:primary care physician)を選任し,保険会社は,行なわれる医療内容にかかわりなく,主治医に対し定額の支払いを保証する。
 スタッフ・モデルでは給与として支払われ,グループ・モデルとIPAでは,通常患者数に応じた金額が支払われる(capitation:頭割り)。頭割りの支払い制のもとでは,医師の側も経済的リスクを抱えることになる。医師は保険会社から患者数に応じた支払いを受け,その範囲内で患者にかかる医療コストを負担するのである。したがって,例えば患者が入院するような事態は避けよう,あるいは高額な治療は避けよう,という経済的動機が医師側に生じる。
 ところが,スタッフ・モデルのHMOでは,医師の報酬は給与として保証されているので,医師の側にも経済的リスクを負担させるというトリックを使うことができない。その代わりに,「効率的(つまり出費の少ない)」医療を行なった医師には特別ボーナスを出す,などの動機づけが行なわれるのであるが,それでも,「サラリーマン」化した医師の生産性の低さが保険会社の悩みのタネである。

外来患者数のノルマを設定

 マサチューセッツ州のHMO最大手,ハーバード・ピルグリム・ヘルス・ケア社(以下ハ社)は,「生産性」すなわち売り上げ維持のために,医師1人当たりの1週間の外来患者数のノルマを80人に設定した。このノルマでは,患者1人当たりにかける時間を15分と期待している。ところが,アメリカでは予約患者1人当たり30分というのが医療習慣として長年定着しているので,15分などという短い時間でまともに患者が診られるはずがないという強い批判が出てきている。
 ハ社に限らず,診察時間を短くしろという圧力が医師に加えられているのは,全米的現象である。ハ社の医療総責任者ドーシー医師が「患者1人に20分もかけていたら生き残れる医療機関などない」と語れば,医師患者関係の専門家であるグリーンフィールド医師も,「20分より長い時間を認めているところはもうない。15分から20分の間で医者と保険会社の攻防戦が続いている」と認めている。いずれにせよ,3分間診療の日本とは文字どおり桁が違うところで争っているのではあるが。

究極(?)の解決策

 ところで,これほど従業員医師の生産性の維持に気を配ってきたハ社であるが,今年の5月になって,非常にドラスチックな改革案を決定した。旧来のスタッフ・モデルを放棄し,所有するすべての診療施設をそれぞれ子会社化し,その間で競争させるというのである。
 ハ社はHMOの老舗として先駆者的役割を果たし,今年6月のニューズウィーク誌でHMOランキング全米2位の評価を受けたほどであるが,ハ社の経営政策をまねた他の保険会社の追い上げが厳しいこと,ハ社の保険に加入する患者の満足度が低下してきたことが,この劇的決定に踏み切らせたのである。
 サラリーマン化した医師に生産性を上げろといくら督励しても無意味,「どうせサラリーは保証されているから」という態度で患者に接されては患者を失うことにもなる,各人の経営努力に応じて患者も収入も確保しなさい,ということになったのである。
 ハ社の診療所部門責任者のリーニング医師は言う。「これまでは,私どもの会社で働く医師を市場原理に巻き込まれることから保護するという立場でやってきましたが,これからは逆に彼らを市場原理そのものにさらすことにしました」