医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(2)

医師に財布を預けるな

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 アメリカにおける医療費支出は毎年増加の一途を辿ってきた。医療費支出の国民総生産に占める割合は1960年は5.1%であったが,1994年には13.7%にまで上昇した(ちなみに日本は1993年で7.3%とアメリカの半分強)。国民1人当たりの医療費支出で見ると,日本の1495ドルに対し,アメリカでは3331ドルと倍以上である(1993年)。また,連邦政府の医療費支出は政府総支出の19%に達し,医療に関わるコストがアメリカ国家そのものを食いつぶしかねず,医療費削減は国家的課題となっている。

医療費支出上昇が鈍ってきたわけ

 ところが,ここ数年アメリカの医療費支出の上昇にはっきりと鈍化傾向が見えてきた。医療費支出は,1965年から1990年の25年間で年平均12%の上昇を遂げてきたのであるが,1991~92年は10%弱,1993~94年は7%弱の上昇にとどまった。さらに,従業員1人当たりに雇用主(企業)が支払う医療保険費の支出で見ると,1991~94年の4年間で24%上昇したのに対し,95年には逆に対前年度比で7%減少したのである。
 何が起こっているのだろうか。医療費支出の伸びに歯止めをかけているのは,実は医療保険制度の革命的変化なのである。国民皆保険制の日本と異なり,アメリカでは各個人があまたある私的保険会社から医療保険を商品として選択購入し,医師が提供する医療サービスに対して保険会社がその支払いをする仕組みとなっている(アメリカにおける公的医療保険については別の機会に述べる)。
 旧来型の医療保険が出来高払いを基本とし,医者が施した医療内容に応じて事後に保険会社が支払いをするのに対し,ここ数年アメリカで急速に普及してきた低価格保険は「マネージド・ケア(管理医療)」と総称され,保険会社は金を出す以上,医療内容にも口も出すというものである。金を出す側が商品の内容にいろいろと注文をつけるのは当然の権利だ,というわけである。これまでは「命にかかわることだから」と,支払いを受ける側(医師)に財布を預けて勝手にさせてきたが,「これ以上使い放題にされてはたまらない」と,金を支払う側(保険会社)で財布の管理をしようということになってきたのである。

マネージド・ケアの3つの方法

 医療コストを減らすのがマネージド・ケアの最大目的であり,医師が提供する医療サービスの内容に保険会社が制限を加え,ときには介入することでその目的が達成される。医療コストが高くつくのは入院,救急受診,専門医受診であるから,マネージド・ケアでは,これら3つのことが起こる頻度を減らすように様々な制限・介入が加えられる。そのために,(1)「門番」としての主治医制,(2)利用度管理,(3)症例管理,という方法が取られることとなる。
 (1)患者に,保険会社が作ったリストの中から主治医を選任させ,入院,救急受診,専門医受診に際しては,主治医の了解・同意を得ることを義務づける。また主治医に対しては,例えば頭割り(capitation)の支払いを行なうことで,医療コストを減らす経済的動機を与える。つまり,行なわれる医療内容にかかわらず,受け持ち患者数に応じて定額の支払いを保証し,何もしないほど医師の収入が多くなるようにするのである。主治医は門番として「不必要」な医療が行なわれることを防止するよう期待される。
 (2)患者に提供される個々の医療サービスの内容について,その適切さを保険会社が判断する。「不必要」な治療が行なわれないよう,そして「必要」な治療がきちんと行なわれるように,保険会社が医師を見張るのである。例えば,「もっと安い治療法がある」とか,「この治療なら外来でできる」というご託宣が医師に伝えられる。
 (3)問題のある(たいていは,医療費のかさむ)症例に症例管理者(通常は保険会社に雇われた看護婦)を選任し,「効率的」な医療が行なわれるようにする。例えば,在宅の喘息あるいは糖尿病患者と密接に連絡を取り,救急受診や入院などの結果を招かないようにしたり,末期の患者を受け持ち「不必要な」医療が行なわれないように監視するのである。

専門医の収入が減りだす

 医療がますます高度化・専門化していくことは変え得ない流れのように思われていたが,マネージド・ケアの普及に伴い,これにも変化が見えてきた。専門医受診が制限されてきた結果として,専門医の収入が減りだしたのである。マサチューセッツ州では,生活に困った専門医を対象に,「専門医のための一般内科再訓練コース」という有料講座まで開設されるようになった。専門医の方が格が上で実入りも多いと,何年もの厳しいトレーニングを経て専門医の資格を取ったあげく,格下の一般内科医として認知してもらうために,わざわざ金を払ってコースを取らなければならなくなったのである。