介護するからだ

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目利きで知られる人間行動学者が、ベテランワーカーの「神対応」をビデオで分析してみると……そこにあったのは“かしこい身体”だった! ケアの現場が、ありえないほど複雑な相互作用の場であることが分かる「驚き」と「発見」の書。なぜ真似で関係が動き出すのか、延長ジェスチャーとは何か、ズレと転用のテクニックはどう使われるのか、そしてマニュアルがなぜ現場で役に立たないのか——。暗黙知を言語化するとこうなる。

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
細馬 宏通
発行 2016年06月判型:A5頁:288
ISBN 978-4-260-02802-8
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●本書の副読本サイトができました!
著者・細馬宏通氏によるサイト 介護するからだ副読本[http://12kai.com/kaigo/]ができました。〈「はじめに」の前のまえがき〉のほか、本書に収載できなかった文献リストや、オンラインで読める関連文書が掲載されています。

●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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はじめに

 いくつかの認知症高齢者グループホームにお邪魔するようになって、かれこれ一〇年になる。そう書くとなんだかずいぶん経験を積んでいるようだけれど、実際には、ときおり出かけていっては施設の片隅でじっとあたりを見ているという「観察」を繰り返しているにすぎない。

 目の前で起こっているのは、いつもの食事風景、レクリエーション、トイレや入浴、ベッド介助、そして職員さんや入居者のみなさんの語らいであり、何か人の目を開かせるようなぱっとした出来事ではない。

 けれど、そこで起こっている一見、地味で小さなやりとりには、ときにわたしにとって大事件に匹敵する出来事が埋め込まれていて、帰宅して頭に残っていることをフィールドノートに書きつけていると、だんだん筆が走って何ページも費やしてしまうことすらある。

 徒然草の「あやしうこそものぐるほしけれ」とはこういうことを言うのだろうか。

 「日常」といっても、そこでは当事者間の思惑や動作の〈ずれ〉が、さざ波のように絶えず産まれている。それが平穏無事に見えるのは、産み出された〈ずれ〉が常に創造的に、かつ、さりげなく、目に止まらぬほどのすばやさで解決されているからだ。

 そこで繰り出される動作は、あまりにすばやいので、当事者自身の意識や語りからも逃れてしまうことが多い。意外に思われるかもしれないけれど、介護職員だけでなく、認知症高齢者の動作は、ときにハッとするほどすばやい。わたしにはとても考えつかない機知に富んだことばにもしばしば出会う。

 つい、いま「介護職員」「認知症高齢者」と書いてしまったけれど、実際には、彼らの振る舞いをひとくくりにするのは難しい。ほんの小さな日常のやりとりですら、そのあり方、あらわれ方は人によって異なっている。それぞれの人によって産み出されたそのやりとりを拾い上げて、彼らの身体から発せられるアイディアをなんらかの形でことばにしたいと思い、この本を書きはじめた。

 拾い上げたエピソードを、おおよそのテーマに分けて七つの章にした。施設の職員や高齢者のお名前は仮名にしてあるが、いずれも実際に起こったことであり、フィールドノートやビデオ映像からの書き起こしにもとづいている。

 後半では、少しフィールドの間口を広げて、学童保育での観察、知的障害者による絵画や彫刻の話、そしてわたしがやはりこの一〇年ほど関わっている神戸の「音遊びの会」の話も取り上げた。彼らの作品や音がすばらしいのはもちろんだけれど、作品や音が産み出されていく過程、それを支えている彼らの身体の使い方には、グループホームでのやりとりに通じるものがあると思う。

 最後の章では、本書で取り上げた認知症高齢者グループホームでのさまざまなエピソードをまとまった視点からとらえ直すべく、わたしたちの相互行為に埋め込まれている〈ずれ〉と〈やり直し〉の問題について考察を行った。

 介護とは一方的な行為であり、片方がもう片方に施すものだと思われがちだ。しかし、実際に微細な動作を観察していくとそうではない。介護は、介護職員と認知症高齢者の双方が身体をそれぞれのやり方で動かすことで、初めて達成される相互行為なのである。この本のタイトルである『介護するからだ』も、どちらか一方の「からだ」ではなく、ケアのやりとりをする双方の「からだ」を指している。それがどんな「からだ」かについては、本文をお読みいただきたい。

 研究論文にするときには、電車の運行表のような複雑怪奇な動作の時刻表をつくって、事の前後関係をしつこいほど細かく綴っていく。しかしこの本では、なるべく今日あったことを誰かに話すような調子で書くように心がけた。認知症高齢者の介護に携わる方にはもちろん、ふだんの生活でわたしたちの身体がどのように用いられているかに興味のある方にも読んでいただければと思っている。

 では、お楽しみください。

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はじめに

1 動きをつくる動き
 真似で関係が動き出す
 視界の介護?
 並んでだったらできる
 声と動作はシンクロする
 裏切りの動きに乗せられて
 得意技で時間を動かす
 「よいしょ」の謎
 差異の感覚が声をつくる

2 かしこい身体に気づく
 しぐさは忘れない
 「聞く」という表現
 タイミングで会話する
 ずれているからうまくいく
 三角の仕立て職人
 不思議な拍手
 ことばにされないルール

3 カンファレンスという劇場
 日誌が閉じられるとき
 ジェスチャーは終わらない
 空中に書く共同ノート
 オノマトペが呼び招く
 場所が記憶を持っている
 そこに居るのは誰?

4 環境に埋め込まれた記憶
 洗濯物は難しい
 「家らしさ」はどこから来るか
 立派なおくどさん
 フードコートの晩餐会

5 音楽が動きをひらく
 語りと歌のあいだ
 三橋美智也、畏るべし
 真似から即興へ
 ルール自体を即興する
 その先のヘイ・ジュード

6 持続と変奏-彼らのやり方
 スリッパという曲芸
 ポテトとポッキー
 畑を耕すように描く人
 形に「時間」が潜んでいる
 「にっき」を書く人、「日記」にする人

7 心ない心理学へ
 ナマの相互行為を見る方法
 テレビとのたたかい
 人に「心」はあるか
 「メディアの等式」と介護ロボット
 「心の理論」と身構え

終章 なぜあの人は「できる」のか
 1 スリップ(間違い)にヒントがある
 2 スリップを開いてつながるために
 3 まずは注意の獲得、そして「粘り強さ」
 4 一ではないところからやり直す-会田さんのベッド介助
 5 拒否の手前で動き直す-滝井さんの食事介助
 6 身体で示し合う-藤田さんの延長ジェスチャー
 7 「開き続けている身体」を発見し、再調整する

あとがき

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●新聞で紹介されました。
《本書では食事やベッド、入浴の介助、レクリエーションの時間におけるありふれた出来事が、研究者にとって驚愕の光景になる瞬間をユーモラスに切り取っている。ほのぼのとしたホームの現場が人間行動学的な世界へとその都度反転し、人間の無意識の動きがスローモーションのように可視化される様子が実に興味深い。》――稲泉連(ノンフィクションライター)
(書評:本よみうり堂:読売新聞(YOMIURI ONLINE)2016年8月15日より)

《介護者のちょっとした身振りやタイミングで、頑固なからだがふっと動きだすことがある。そうした緩みの瞬間に触れるたび、評者は思わず笑ってしまった。驚異の観察眼を前に、からだ暗黙裡にやってきたことが白日のもとにさらされる。そのこそばゆさにからだが痙攣していたのかもしれない。》――伊藤亜紗(東京工業大学准教授)
(共同通信社配信、『南日本新聞』2016年7月24日 書評欄、ほかより)

《心理学や社会学を駆使して認知症高齢者の日常生活を「観察」した。著者のスタートは動物行動学。…従って、従来にないユニークな「介護論」となった。》――浅川澄一(ジャーナリスト)
(『北海道新聞』2016年7月24日 書評欄より)

●雑誌で紹介されました。
《言語に偏重した調査研究ばかりを読んだり書いたりしてきた身には、言語を介さない観察とその結果は目ウロコ。こんな研究方法があるとは知らなかった》――上野千鶴子(社会学者)

《彼方に「こころ」があるかどうかより、此方に「こころ」を見出す動きがあるかどうかが重要である、という著者の問題意識は、臨床でも非常に有用であると思う》――津田篤太郎(聖路加国際病院・医師)

《自分の意識を離れた身体は、ときに心よりも自らのことを雄弁に語っている。無類に面白い、観巧者の本》――辻山良雄(Title店主)
(以上、『みすず』2017年1・2月号「2016年読書アンケート」より)

《Hosoma’s analysis always retains a very warm and humanistic tone. Rather than highlighting the differences between ‘the demented’ and ‘the healthy,’ he uses his data to work out the interactional universals that make human behavior what it is.》――Peter Backhaus (Waseda University)
Book review, Contemporary Japan Volume 29, 2017より)


「第三の身体論」が開かれた!
書評者:佐藤 友亮(内科医/神戸松蔭女子学院大准教授・生活学/合気道凱風館)

 介護する「こころ」ではなく,「からだ」についての本である。介護や医療の実践では,心構えとか思いやりとか,他者に対する想像力といったものが重要とされていて,それはそれで間違いはない訳だけれども,そのような言説は,既に世に溢れ返っている。そこで,介護する「からだ」に注目し,認知症高齢者のグループホームを10年にわたって観察した結果を記したのが本書である。

科学的身体でも,文化的身体でもなく
 本書では,身体について記されていることが,これまであまり存在しないスタイルで展開されている。

 身体を論じる書物の既存のスタイルとしては,医学・医療の実践書のような,(基本的に実験に基づく)科学的身体理解に基盤を置いたものや,哲学,宗教(ヨガや禅を含む)を基盤とした文化的身体論などがある。そして,両者の間には,論理の構築や根拠の提示の仕方に決定的な違いがあり,お互いがお互いを敬遠しているところがある。

 例えば,科学的身体理解を重視する立場の人々(西洋医学の医師など)は文化的身体論のことを「単なる独白に近いもので,都合よく作られた物語にすぎない」と評することが多いし,文化的身体論を重視する立場の人は,科学的身体理解に基づいて記されたものを「無味乾燥で,断片的で,限定された状況のことしか説明できない」と評することになる。

 そのような深い断絶が存在する状況において,本書で行われているのは「第三の身体論」とでも言えるものである。その独自のスタイルを基礎付けているのが「行動観察」ということになる。

「粘り強い」のは身体スキルだった
 しかし,そのような簡単な区別で評価を終えられないのが,この本の本当の魅力だろう。終章における「粘り強さ」に関する考察が興味深い。

 ここでは,ベテラン介護者の手際の良さの理由が分析されている。一般に,「できる人」の持つスキルの根幹は,言語的に伝達されにくいものだが,そこへ切り込んでいるところが,行動観察の真骨頂である。

 例えば,被介護者を車いすから立たせようとするとき。「できる」介護者は,最初の試みでうまく立たせることができなくても(スリップ:小さな間違い),一番最初からやり直すことがない。少しでも腰が浮いている状態から,二度目の挑戦を行う。これは,深く椅子に腰が沈んだ状態から立ち上がることが最も難しい挑戦だということを,介護者が体感的に理解しているからだ。そして,このような介護の様子を外から観察すると,「粘り強い」態度に見える。

 「粘り強さ」という表現からは,メンタルな要素が大きく感じられるかもしれないが,中腰という不安定な状況に対応するには,高い身体スキルが要求される。要するに,「できる」介護者は,介護者としての身体が整っているというわけである。「粘り強さ」は,介護者の心ではなく,身体に由来していたのだ!

現代における「活人剣」
 筆者は,介護施設という生活空間において,介護者が強制することなく,被介護者の自然な動きを活かすことで,効率的に,しかも気持ちよく目的が達せられるという日常を重視していて,その成り立ちを分析している。

 本書で描写されていることはまさに,現代における「活人剣」(注1)と言えるものだろう。医学書院の名物シリーズ《ケアをひらく》が,また新しいものを「ひらいて」しまったようである。

(注1)活人剣:禅語。相手を活かして,事をなす剣。(柳生宗矩:『兵法家伝書』より)

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