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成人期の自閉症スペクトラム診療実践マニュアル

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昨今注目が高まっている成人の広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害)の患者を診療する際に、最低限知っておくべき対応についてまとめたもの。診断手続きや患者とのコミュニケーションのコツ、他職種との連携など、実践で役立てられるポイントを“解説”と“事例”により紹介するとともに、診断書や主治医意見書のサンプル、診断用の質問事項など、臨床現場で応用できる要素が盛りだくさんの内容となっている。
編集 神尾 陽子
発行 2012年05月判型:B5頁:208
ISBN 978-4-260-01546-2
定価 4,180円 (本体3,800円+税)

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 近年,一般精神科で,発達障害のある患者さんの増加に関心が集まり,それに伴い,精神医学会や専門誌などで成人期の発達障害がテーマに取り上げられる機会が増えてきました.約20年以上前には,成人を診る一般精神科医でこの不思議な障害に関心を持つ人はほとんどいませんでした.発達障害は児童精神科医や小児科医が専門とする領域で,患児が大人になってからも児童期からの主治医がフォローすることが多かったからです.当時,Lorna Wingはすでに自閉症スペクトラム概念を提案していましたが,平均知能域の自閉症スペクトラムの人々がこれほど多いとは誰も予想していませんでした.当時,私が最初に出会った高機能自閉症の青年も,統合失調症と誤診されていました.今日,児童精神科を受診する発達障害児は増える一方ですが,児童期に受診したことがない発達障害の成人が一般精神科を受診するケースもまた増えていることは,医療サイドや社会全体の認識の変化のあらわれと考えられます.
 典型的な発達障害の子どもを診たことのない一般精神科医の方々にとって,発達障害は精神遅滞とニアリーイコールのイメージが強く,特に自閉症スペクトラムは主症状に効果的な薬剤がまだなく,コミュニケーションがとれないと精神療法も難しいことから,一体,精神医療にできることはあるのだろうか,という懸念を示される方が少なくありません.実際,精神科を受診する,平均知能を持つ,自閉症スペクトラムの成人のほとんどが,これまで未診断,未支援だった人々です.児童期には自閉症状が見逃されるほど軽度だったかもしれませんし,目立たないようにマスクすることを身につけてきたのかもしれません.いずれにしろ,児童期の客観的情報が得られにくいなかで,現症から,発達障害の診断,その精神病理や治療全般について論じる精神医学的な方法論は確立していませんし,成人にとって重要な,就労に関する福祉や高等教育のサービス体系の整備はまさに始まったばかりの状況です.また,成人するまで自身の発達特性を知らなかった本人や,知らずに育ててこられた家族にとっては,診断名を告げる以前の問題として,本人の発達特性についての心理教育的な説明を行ったとしてもそれを受け止めるのに時間がかかる場合もあり,本人や家族への告知についてはまだ手探りで行わなくてはならない状況があります.
 本書は,この領域のエビデンスが乏しい現状のなか,発達障害のある成人患者の診療に日々取り組んでおられる一般精神科医の皆さんに,知っておいていただきたい必要最小限の情報をカバーできることを第一の目標として,エキスパートのコンセンサスに基づいて編まれました.それに加えて,日頃発達障害の患者さんの診療に熱心に携わっておられる小児科をはじめとして他科の医師,あるいは医療機関でチーム治療に当たっておられるさまざまな職種の専門家の方にとって,診療のお役にたてれば大変光栄です.そもそも本書の下敷きとしたものは,厚生労働省 精神・神経疾患研究委託費「精神科医療における発達精神医学的支援に関する研究(主任研究者 沼知陽太郎;平成20年度,神尾陽子;平成21~22年度)」1)における3年間の研究成果に基づき,作成したマニュアル2)です.本書は,現時点でのエキスパート・コンセンサスとなるよう,当該マニュアルを加筆,修正し,あらたな執筆者を加えて,コラムをお願いしました.編集の過程においては,この領域での臨床経験が豊富な精神科医や臨床研究に携わる研究者でおられる,当時の研究班員の先生方とは何度も話し合いを重ねました.時に見解が異なることもありましたが,コンセンサスが得られるものだけを選りすぐり,まだ不十分ではあるけれども現状ではベターと思われる情報のみを残しました.編集の関係上,多くのリクエストをお願いしなくてはなりませんでしたが,分担執筆にあたられた先生方はご多忙ななかを縫って迅速な対応をしていただきました.心から感謝いたします.従来になかった新しい視点で現象を記述し,洞察していくというプロセスはとても難しいものでしたが,執筆に携わった先生方と共同で取り組めたことは,私にとってわくわくするとても貴重な機会でした.
 本書は,成人期で初めて医療にアクセスした,自閉症スペクトラムを基盤にもつ平均知能の精神科ケースに焦点を絞って記述することといたしました.したがって,自閉症スペクトラム障害(広汎性発達障害)かどうかの診断分類を厳密に行うことに主眼を置くのではなく,患者の自閉症的特性についての理解を深め,それを踏まえて診療を行う際の工夫や留意点を強調しています.今日の乏しいエビデンスを補うべく,経験知にもとづく臨床上のヒントも多く盛り込まれています.患者さんの背景に潜在するASD特性とはどのようなものか,それを客観的に確認するための診断手続きはどのようなものか,患者さんとのコミュニケーションをとるためのコツにはどのようなものがあるか,また医療以外の利用可能なサービスや他機関との連携のとり方などについて,一読していただくだけで,基礎知識を増やし,経験知を高めていただけるものにしたいと考えました.このため,本書は2部構成をとっています.第I部は簡潔に要約された解説を主とし,第II部は,典型例,非典型例を含む症例集といたしました.
 今回お届けする本書が,読者の皆さんの発達障害に対する関心を広げるきっかけとなり,さらに皆さんが主役となって,同僚たちとのチーム医療,地域での医療連携,そして福祉や教育との本当の意味でのネットワーク作りにつなげていかれますことを期待しています.そして発達障害のある人々が,当たり前に地域のどこででも必要な時に精神科治療や関連するサービスを受けられるような,地域包括ケア社会が実現する日が近いことを心から願っています.
 最後に,これまで出会った発達障害の方々やご家族の皆様に心からの感謝をささげます.どんなに苦しいときも,自身の経験をシェアすることへのリスペクトを持ち続け,決して希望を失わず明日を変えていこうとする熱意に助けられ,多くのことを学ばせていただきました.お名前を挙げられなかった多くの同僚の皆さんにも感謝いたします.
 ようやく最近になって,発達障害成人についてのエビデンスが少しずつ蓄積され始めました.近い将来,より確固たるエビデンスにもとづいて,本書の内容が修正されるとしたら,執筆者一同の望むところであります.

 2012年4月
 神尾陽子

1)神尾陽子:精神科医療における発達精神医学的支援に関する研究.平成20~22年度厚生労働省精神・神経疾患研究開発費 総括研究報告(主任研究者:神尾陽子).pp1-8, 2011.
2)神尾陽子(編著):解説と事例で理解する自閉症スペクトラム障害のある精神科患者への対応;精神科医のための臨床実践マニュアル.平成20~22年度厚生労働省精神・神経疾患研究開発費総合研究報告書 別冊,国立精神・神経センター精神保健研究所,2011.

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診断基準 ICD-10
診断基準 DSM-IV-TR
診断基準 DSM-5(米国精神医学会草案)
自閉症スペクトラム障害の診断アルゴリズム

解説編
第1章 精神科医療で出会う自閉症スペクトラム障害のあるおとなたち
  はじめに
  ASDについてのファクト
  広汎性発達障害から自閉症スペクトラム障害へ
  ASDと合併精神疾患
  そして,ASD成人は変わっていく
  最後に
第2章 ASDに特有な認知および言語特性
  言語
  記憶
  注意
  遂行機能
  知覚
  対人
第3章 ASD特性に応じた面接の工夫
  面接の組み立て
  患者から話を聴取する
  診察医としての意見や助言を伝える
  病名とその状態についての患者本人への説明の際の基本姿勢
  そのほか留意すべきこと
第4章 診断面接の進め方
  診断方法
  生育歴のとり方
  臨床検査
  専門医への紹介
第5章 ASD/PDD評価尺度
  養育者からの生育歴聴取に基づく評価尺度
  本人との面接での行動観察に基づく評価尺度
  質問紙による評価尺度
第6章 成人期におけるASDの鑑別診断
  注意欠如・多動性障害
  統合失調症
  強迫性障害
  気分障害・不安障害
第7章 発達障害とパーソナリティ障害
  診断学上の位置づけ
  発達障害とパーソナリティ障害の臨床上の鑑別点
  まとめ
第8章 特性や状態に応じた治療の進め方
  特性に応じた治療の進め方
  状態に応じた治療の進め方
第9章 薬物治療
  薬物以外の治療法の可能性を探る
  副作用に注意して,投与は慎重に,観察は丁寧に行う
  薬物治療開始前と処方内容変更の際には,わかりやすく丁寧に説明する
第10章 家族への対応
  親子関係に配慮した家族へのサポート
  家族機能としての問題
  家族への支え
第11章 身体化する患者への対応
  共感的コミュニケーション不全としてのアレキシサイミア
  精神医学からみた身体化:身体化障害
  治療
第12章 精神障害者保健福祉手帳用の診断書作成の注意点
  適切な記載に重要なポイント
  診断書記入例
  身体疾患の除外
第13章 医療と福祉,労働,教育との連携のために医療者が知っておくべき基礎知識
 ASD成人の社会参加に向けて
  福祉サービスの利用
  労働・雇用支援
  高等教育(大学)支援
  主治医の意見書
  福祉,労働,教育の支援で課題となる医療的問題

症例編
Case 1 家族はつらさをわかってくれない
     家族とのトラブルが絶えない30歳女性
Case 2 周囲が変なせいで…
     拒食やフラッシュバックが前景の21歳女性
Case 3 人と違うことを隠すのに必死だった
     ひきこもりから脱出したいと願う18歳女性
Case 4 頑固で一度思うとそれに固執してしまう
     職場の配慮で復職がスムーズだった35歳女性
Case 5 わたし,どこも悪くないと思うんです
     不登校からひきこもり,家族への攻撃に発展した24歳女性
Case 6 がんばっている自分を認めてほしい
     勉強家,ときどきアスペルガー障害の28歳女性
Case 7 お金はなくても人形が欲しい
     職場不適応から買い物依存に陥った38歳女性
Case 8 わたし,アスペルガーがあるんです
     結婚・出産・離婚で不適応が強まった40歳女性
Case 9 面接で何と答えればよいのかわからない
     面接の不合格続きに不安が高まった28歳女性
Case10 納得できたので,もう悩まないことにしました
     電話相談で気持ちの整理がついた20歳女性
Case11 自分は何をやってもダメなんです
     統合失調症と診断されていた27歳男性
Case12 診断は予想どおりとは言うものの…
     診断告知後,自殺企図のあった18歳男性
Case13 なんとか息子をひきこもりから脱出させたい
     精神科治療の中断を繰り返してきた31歳男性
Case14 迷惑行為をやめられない
     強迫性障害で入院中にアスペルガー症候群と診断された27歳男性
Case15 服飾業界でセンスを活かしたい
     パニック様発作や幻聴で救急外来受診を繰り返した21歳男性
Case16 将来はフリーターくらいしか道がない
     診断名にショックを受けた23歳男性
Case17 自分だけ浮いている
     思春期に入って注察念慮が現れた16歳男性
Case18 対人恐怖や感覚過敏が楽になった
     多剤併用処方による脱抑制で悪化した26歳男性
Case19 本当は26歳警察官.特殊支援学級の生徒ではありません
     学校に居場所がなかった14歳男性
Case20 変わり者の僕を,いつも周りの人たちが助けてくれた
     就職活動ができなくなった21歳男性
Case21 論理的でない言動が許せない
     母親の介護ストレスから統合失調症を疑われた46歳男性
Case22 心が無になった時にしてしまう
     リストカットがやめられなくなった24歳男性
Case23 手帳をもらって就労支援を受けたい
     児童青年期の自閉症診断が支援につながらなかった28歳男性
Case24 僕の生年月日はたぶん○月○日です…
     アスペルガー症候群かどうか知りたくて来院した19歳男性
Case25 仕事って何のこと?
     職場不適応で解離性健忘を引き起こした33歳男性
Case26 社内での行動がおかしいと言われました
     産業医の紹介で就労が継続できた27歳男性
Case27 「大学を卒業したい」から「働きたい」へ
     発達の遅れや特性に応じた支援なく大学に進学した23歳男性
Case28 この学校に通えて本当に楽しかった
     児童期初診例1
Case29 先生,友だちができたよ
     児童期初診例2
Case30 自分に合ったアルバイトで達成感を得る
     児童期初診例3

付録1 自閉症スペクトル指数日本版(AQ-J)
付録2 日本語版M-CHAT
付録3 Autism Diagnostic Observation Schedule
索引

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需給のミスマッチの現場ですぐに役立つマニュアル
書評者: 加藤 進昌 (昭和大附属烏山病院長)
 自分が自閉症スペクトラム(ASD)ではないかと疑って,一般精神科を受診する成人が増えている。この場合,児童期に診断を受けた例はごく少数であり,児童期の自閉症およびその後に成長した臨床像を想定した今までの議論とは対象を異にする可能性が高い。しかもその有病率は本書にもあるように,およそ1%と見積もられている。多くの一般精神科医にとっては,いきなり馴染みのない患者群が現れたに等しく,戸惑いを覚えている方が多いのではないだろうか。同じことは患者とその家族にも当てはまるように思う。これまでの長い挫折や引きこもりに疲れ果て,ようやく見つけた一縷の希望から医療機関を訪れても,診断だけで治療も具体的な指針もないままに帰ることが多いと予想される。場合によっては診断もはっきりしないことが多いかもしれない。

 本書は,この需給のミスマッチの現場ですぐに役立つマニュアルとして用意されたものである。II部構成になっており,まずI部では,診療現場で問題になることが多いテーマを順に選んで,具体的に説明されてあり,実際的である。また,患者や家族から質問を受ける頻度の高そうなポイントについてコラムが用意されているのは,出色といえよう。II部では30例の症例報告が挙げられている。ボリュームはほぼ同等であり,具体的な症例記述が多いことが,本書の最大の特色であるように思われる。内容面では,この編集に当たった神尾陽子氏の文章は,豊富な経験と内外の文献への該博な知識がうかがえ,読み応えがある。

 あえて問題を挙げるとすれば,症例編で女性例が1/3を占めている点であろうか。コラムにあるように,典型例や不適応が目立つ例はASDに関する限り,男性に圧倒的に目立つというのが私の臨床的実感であり,本書は女性例がやや多すぎる。私の経験では女性例はむしろ「ASDもどき」が目立ち,典型例中心に社会的スキルを訓練する当院のデイケアでは男女比は4:1くらいになる。一方,非典型例である特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)という診断例ではせいぜい2:1,「ASDではないと思います」という群になると男女比は逆転する。ただし,この診断の微妙さは現在の診断基準の問題点と直結しており,むしろ臨床現場を正直に反映しているということかもしれない。読者は症例記述をうのみにするのではなく,多少批判的に受け止めて読み進めるようにすれば,より深い理解に到達できるようにも思う。

 いずれにしても,混乱する臨床現場にとりあえずという形で,マニュアルを提供した試みは高く評価したい。今後は就労支援の実例やその具体的な方法などをさらに充実させて,臨床医たちにとってのゴールドスタンダードを目指してほしいと願うものである。
臨床的想像力を羽ばたかせるために
書評者: 内海 健 (東京藝大保健管理センター准教授)
 編者の神尾陽子さんは,私にとって自閉症の師匠である。

 精神科の一般外来で「広汎性発達障害」という診断名を意識するようになったのは,ほんの十年ほど前である。それが見る間に主要な関心事となった。いわゆる「アスペルガー障害」はそのサブカテゴリーである。また発達障害の中にはADHDや学習障害も含まれる。いささか錯綜した分類であるが,最近では自閉症をコアとしたスペクトラムを「自閉症スペクトラム(ASD)」とすることによって,すっきりと整理された観がある。

 多くの精神科医がこの新しい病態を前にして戸惑いを覚えた。筆者も例外ではない。その戸惑いが,「発達障害」,あるいは「アスペルガー」という用語によって一挙に解消されたとき,それこそ腰を抜かすような感覚にみまわれた。そして,今後の精神科臨床は,こうした事例を理解できなければ立ち行かないことを痛感させられたのである。

 しかし困ったことに,私の周辺には専門家がいなかった。それゆえ,セカンドオピニオンを求めて小児精神科医にたびたび紹介をしてみたのだが,そのたびごとに期待は裏切られた。例えば「親が来られないなら診断できない」と門前払いをされたこともある。確かに発達歴をとらなければ,発達障害とはいえないだろう。しかし成人例の場合,親が同伴するわけにもいかない事情がしばしばある。専門家を標榜しているのなら,親からの情報がなくとも見立てるくらいの力量がないものだろうか。整然と問診や検査ができる条件が整っているなら,門外漢でも診断できるだろう。

 そんな中で神尾さんだけは,私の臨床的ニーズに応えてくれた。成人期に事例化するASDの場合,必ずしも自閉症性の障害が軽いからといって,本人の抱える問題が軽いわけではない。軽微な事例のほうがかえって適応が難しく,苦悩が深いことが多い。専門家の場合,小児のコアの事例に慣れ親しんでおり,成人例はかえって盲点となることがあるようである。

 また成人期のASDで問題となるのは,女性例である。しばしば見逃されていたり,境界性パーソナリティ障害などと誤診されていたりする。かつては自閉症といえば男性が定番であった。いまだに年配の専門家の中には,男女比が10:1であるとか,「女性はわかりませんな」などと言って平然としている方もいる。それに対して,神尾さんの女性例に対する感覚は群を抜いている。

 神尾さんはわが国を代表する自閉症の研究者であり,エヴィデンスというものを誠実に遵守するスタイルを貫いている。しかしエヴィデンスがない成人例に対しては,「ないなりにやらなければならない」という臨床家魂を持って当たっている。本書の冒頭近くで,『(ASD成人に対する)「専門医」はどこにも存在しないのである』と喝破されているのは実に痛快である。

 さらに付け加えるなら,自閉症にはまだ生物学的マーカーが存在しない。それゆえ,われわれは五感と想像力を駆使して立ち向かうよりないのである。本書はそのための格好の指針となるものであり,一読した後には,臨床的想像力を存分に羽ばたかせる舞台が与えられるだろう。現場の臨床家にぜひとも読んでもらいたい。
すべての精神保健医療関係者必携のマニュアル
書評者: 黒木 俊秀 (肥前精神医療センター・医師養成研修センター長)
 古参の精神科医の間では,いわゆるマニュアル本の類は価値が低いと見下す風潮がいまだにある。どうやら,30年前にDSM-IIIという文字通りのマニュアルが世界を席巻して以来,精神医学が薄っぺらになったという義憤を抱えているようだ。だが,DSM-III以前のわが国において,精神医学の基本と位置付けられていた,かのクルト・シュナイダーの『臨床精神病理学序説』も,元はといえば家庭医向けに書かれたマニュアル本ではなかったろうか。マニュアル本特有の薄さが,内容の厚みと相反する好例である。

 同様に本書も,そのいかにもマニュアル本らしいB5判・200ページほどの軽やかな装丁とは裏腹に,中身は驚くほど濃い。それも,昨今の精神科臨床において何かと話題になる成人の自閉症スペクトラム障害(ASD)の診療について,総勢30名ものわが国の第一人者が分担執筆した実践の「手引〈マニュアル〉」である。編者は,ASDかどうかの診断分類を厳密に行うことに主眼を置くのではなく,患者のASD特性についての理解を深め,それを踏まえて診療を行う際の工夫や留意点を強調したという。なるほど,その狙いは,見事に成功している。

 まず本書が,優れた手引であるゆえんは,例えば,具体的な面接の要点を列挙した第3章「ASD特性に応じた面接の工夫」や第4章「診断面接の進め方」であろう。第12章「精神障害者保健福祉手帳用の診断書作成の注意点」や第13章「ASD成人の社会参加に向けて」の「主治医の意見書」のサンプルなども,支援にすぐに役立つ。

 だが,本書をして傑出した実践の書たらしめているのは,なんといっても後半の症例編ではないだろうか。「面接で何と答えればよいのかわからない」「自分は何をやってもダメなんです」「社内での行動がおかしいと言われました」等々のタイトルを付けた30症例について,各症例3頁以内で,診断と治療方針をわかりやすく解説し,さらに診療のコツをコメントしたワンポイント・アドバイスが追記されている。一般の臨床医は,まず症例に目を通し,改めて解説編に戻ってASDの診断概念や特徴を確認してみるのもよいだろう。症例の中には,ASD特性を部分的に有するのみの診断基準閾値下例も含まれており,DSM-5が提案しているASDのディメンジョン的概念が支援とリンクすることが示唆される。

 本書を通読して感じるのは,各著者のASD当事者に向ける温かなまなざしであり,血の通った支援の有り様である。実際,「ASD成人は変わっていく」や「ASDの人の得意・不得意は千差万別であるから,個別に考えるのが良い」という記述は心に染みこむ。その点で,本書は通常のマニュアルの域を超えた懇切丁寧な「手作業〈マニュアル〉」の指南書である。本書を読めば,ASDを苦手に思う臨床医の意識も変わるに違いない。評者は,ASDの理解を通して,ひょっとして今後の精神医学の奥行きも深まるのではないかと期待する。それゆえ,すべての精神保健医療関係者の「必携〈マニュアル〉」として,本書を推薦したい。

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