実習指導を通して伝える看護
看護師を育てる人たちへ
実習は、ドラマだ!
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患者さんの苦痛を直視できない、「情報収集」で手一杯、報告のときに緊張しすぎる…、実習中の学生の気持ちは右へ左へと揺さぶられます。カンファレンスでの沈黙、臨床経験の少ない分野での実習指導…、教員や指導者も悩みます。でもそれは、机の上では学べない看護の価値や意味を学生に伝えるチャンスです!リアルな実習場面から「実習指導とは何をすることなのか」に考えを巡らせる、“ナラティブな”実習指導の本。
著 | 吉田 みつ子 |
---|---|
発行 | 2018年05月判型:A5頁:176 |
ISBN | 978-4-260-03529-3 |
定価 | 2,530円 (本体2,300円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
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はじめに
私が教員になって初めて担当した実習の最終日のことでした。2年生の学生Zの受け持ち患者,桜谷さんに挨拶に伺ったときのことです。「本当にZさんには世話になったよ。毎日,毎日ね,一緒にリハビリしてくれて…」と70歳代の男性が号泣しました。
涙で言葉にならない桜谷さんに代わり,臨床指導者は「そうだよね,動けなくなって落ち込んでいたときにZさんが来てくれて…。桜谷さんも来週末に退院できるのよね。Zさんと一緒に卒業だね」と言いました。桜谷さんはますます涙が止まらない様子で,「先生にもね…ほんとに毎日,一緒にリハビリについてきてもらって,お世話になりました」と教員の私にまで感謝され,患者,学生,指導者,皆で泣き笑いしました。
新人教員だった私は,数名の学生を担当し,それぞれの受け持ち患者の名前を覚え,病状の変化やケアを確認するだけで必死の毎日でした。学生の実習記録にどのように,何をコメントしてよいかもわからず,学生が行うケアを手伝うだけの日々でしたが,学生たちの達成感は高く,実習が無事に終わったことが不思議でした。教員として,何がよかったのか,次の実習ではどうしたらいいのかはわからないままでした。
その後,追われるように実習指導が続く中で,「そもそも実習指導とはいったい何をすることなのだろうか」と考え始めるようになりました。明文化された実習目標や目的を学生が達成できるように指導するのは言うまでもないことです。しかし,学生一人ひとり,そして受け持ち患者,臨床指導者,教員が体験していることは,実習目標や目的には収まりきりません。桜谷さんの涙は,何を意味していたのでしょうか。一人ひとりの固有の体験の中にこそ,学生と患者,指導者が互いに育くむ学びがあるのではないかと考えるようになりました。
あれから20年弱,幾度となく実習指導を担当してきましたが,患者,学生,指導者,実習場のどれをとっても同じ組み合わせはありません。実習前はいつもドキドキするような気持ちです。
本書では,そんな“予測のつかないドラマ”を通して,そこから「実習指導とは何をすることなのか」と一緒に思いを巡らせ,問うていただけたらと願っております。
2018年1月
吉田みつ子
私が教員になって初めて担当した実習の最終日のことでした。2年生の学生Zの受け持ち患者,桜谷さんに挨拶に伺ったときのことです。「本当にZさんには世話になったよ。毎日,毎日ね,一緒にリハビリしてくれて…」と70歳代の男性が号泣しました。
涙で言葉にならない桜谷さんに代わり,臨床指導者は「そうだよね,動けなくなって落ち込んでいたときにZさんが来てくれて…。桜谷さんも来週末に退院できるのよね。Zさんと一緒に卒業だね」と言いました。桜谷さんはますます涙が止まらない様子で,「先生にもね…ほんとに毎日,一緒にリハビリについてきてもらって,お世話になりました」と教員の私にまで感謝され,患者,学生,指導者,皆で泣き笑いしました。
新人教員だった私は,数名の学生を担当し,それぞれの受け持ち患者の名前を覚え,病状の変化やケアを確認するだけで必死の毎日でした。学生の実習記録にどのように,何をコメントしてよいかもわからず,学生が行うケアを手伝うだけの日々でしたが,学生たちの達成感は高く,実習が無事に終わったことが不思議でした。教員として,何がよかったのか,次の実習ではどうしたらいいのかはわからないままでした。
その後,追われるように実習指導が続く中で,「そもそも実習指導とはいったい何をすることなのだろうか」と考え始めるようになりました。明文化された実習目標や目的を学生が達成できるように指導するのは言うまでもないことです。しかし,学生一人ひとり,そして受け持ち患者,臨床指導者,教員が体験していることは,実習目標や目的には収まりきりません。桜谷さんの涙は,何を意味していたのでしょうか。一人ひとりの固有の体験の中にこそ,学生と患者,指導者が互いに育くむ学びがあるのではないかと考えるようになりました。
あれから20年弱,幾度となく実習指導を担当してきましたが,患者,学生,指導者,実習場のどれをとっても同じ組み合わせはありません。実習前はいつもドキドキするような気持ちです。
本書では,そんな“予測のつかないドラマ”を通して,そこから「実習指導とは何をすることなのか」と一緒に思いを巡らせ,問うていただけたらと願っております。
2018年1月
吉田みつ子
目次
開く
はじめに
第1章 学び方を学ぶことから始まる
SCENE 1 「情報収集」に途方に暮れる学生にどう接していますか?
SCENE 2 「話を聴いているだけでいいの?」…学生の不安に気付いていますか?
SCENE 3 限られた期間の中で,類推する力,観察する力をどう伸ばしますか?
第2章 Doingから始まるKnowing
SCENE 4 過緊張の学生にどう接していますか?
SCENE 5 「状況をみながら行動すること」をどのように
学生に伝えたらよいのでしょう?
SCENE 6 受け持ち患者さんが亡くなったとき,学生にどう関わりますか?
SCENE 7 意識レベルが低下した患者さんに語りかけ,
ケアする意味を伝えていますか?
第3章 経験を通して「看護師」らしくなる
SCENE 8 学生の身だしなみ,注意すれば直りますか?
SCENE 9 ケアのやり直しは何回まで許されますか?
SCENE 10 敬語は必ず使わなければならないのでしょうか?
SCENE 11 学生が1人で介助する時機を,どのように判断しますか?
第4章 看護の価値・意味を発見する
SCENE 12 患者さんの苦痛に向き合う意味を,伝えることができますか?
SCENE 13 “ちょっとしたこと”の意味を見逃していませんか?
SCENE 14 実習でしかできない「責任を負う経験」,大切にしていますか?
SCENE 15 学生が「自分を知る経験」ができるよう,関わっていますか?
第5章 臨床のリアリティが問いを拓く
SCENE 16 習ったことと違う! 基礎と応用の違いをどう伝えますか?
SCENE 17 理想と現実の矛盾を指摘する学生にどう対応しますか?
SCENE 18 臨床経験の少ない分野での実習指導に不安を感じていませんか?
第6章 看護を言葉で伝える
SCENE 19 報告のときに口ごもる学生にどう対応しますか?
SCENE 20 実習記録へのコメント,一方通行になっていませんか?
SCENE 21 カンファレンスでの“沈黙”の理由をどう考えますか?
おわりに
COLUMN
看護師の立ち居振る舞いが,患者の回復過程を妨げる?
布団がぐちゃぐちゃでも気にならない?!
実習室でできていた技術が実習場でできないのはなぜ?
─マイクロ・スリップから読み解く
医療の中に残り続ける“解放”すべき言葉
看護学生は最下層?
第1章 学び方を学ぶことから始まる
SCENE 1 「情報収集」に途方に暮れる学生にどう接していますか?
SCENE 2 「話を聴いているだけでいいの?」…学生の不安に気付いていますか?
SCENE 3 限られた期間の中で,類推する力,観察する力をどう伸ばしますか?
第2章 Doingから始まるKnowing
SCENE 4 過緊張の学生にどう接していますか?
SCENE 5 「状況をみながら行動すること」をどのように
学生に伝えたらよいのでしょう?
SCENE 6 受け持ち患者さんが亡くなったとき,学生にどう関わりますか?
SCENE 7 意識レベルが低下した患者さんに語りかけ,
ケアする意味を伝えていますか?
第3章 経験を通して「看護師」らしくなる
SCENE 8 学生の身だしなみ,注意すれば直りますか?
SCENE 9 ケアのやり直しは何回まで許されますか?
SCENE 10 敬語は必ず使わなければならないのでしょうか?
SCENE 11 学生が1人で介助する時機を,どのように判断しますか?
第4章 看護の価値・意味を発見する
SCENE 12 患者さんの苦痛に向き合う意味を,伝えることができますか?
SCENE 13 “ちょっとしたこと”の意味を見逃していませんか?
SCENE 14 実習でしかできない「責任を負う経験」,大切にしていますか?
SCENE 15 学生が「自分を知る経験」ができるよう,関わっていますか?
第5章 臨床のリアリティが問いを拓く
SCENE 16 習ったことと違う! 基礎と応用の違いをどう伝えますか?
SCENE 17 理想と現実の矛盾を指摘する学生にどう対応しますか?
SCENE 18 臨床経験の少ない分野での実習指導に不安を感じていませんか?
第6章 看護を言葉で伝える
SCENE 19 報告のときに口ごもる学生にどう対応しますか?
SCENE 20 実習記録へのコメント,一方通行になっていませんか?
SCENE 21 カンファレンスでの“沈黙”の理由をどう考えますか?
おわりに
COLUMN
看護師の立ち居振る舞いが,患者の回復過程を妨げる?
布団がぐちゃぐちゃでも気にならない?!
実習室でできていた技術が実習場でできないのはなぜ?
─マイクロ・スリップから読み解く
医療の中に残り続ける“解放”すべき言葉
看護学生は最下層?
書評
開く
「こんなふうで良いの?」不安になったら読んでほしい本
書評者: 宮子 あずさ (看護師)
看護師であれば皆臨地実習は経験し,それが学生指導にも反映されます。どんなに「昔と今は違う」「自分がされたように厳しくしてはならぬ」と自戒しても,経験が映り込む事実は動きません。この限界を超えるためには,まず今を知る必要があります。今の学生がどのようなまなざしで実習の現場を見て,何に困り,何を伝えれば一山越えられるのか。それが知りたいなら,この本にしっかり書いてありますよ。
取り上げられる21の場面は,どれも指導者ならばぶんぶんと首を振ってうなずきたくなるような場面ばかり。私は特に,「限られた期間の中で,類推する力,観察する力をどう伸ばしますか?」と「理想と現実の矛盾を指摘する学生にどう対応しますか?」の2編から,多くの示唆を得ました。
まず,「限られた期間の中で……」について。冒頭で,「昨今,急性期医療を担う病院の平均在院日数は1週間程度と短く,多くの学生が実習期間に2名程度の患者さんを受け持ちます。(略)2週間以上入院している患者さんは重症度が高く,学生が受け持つのは難しいのです」と,現状が示されます。
こうした苦労は,私が看護学生だった昭和の終わりには,まだまだまれでした。入院期間は長く,4週間の実習期間で1人の患者さんを見るのが当たり前。急な逝去や退院があれば2人目を受け持ちましたが,それはよほどの「不運」と見られたものです。
しかし,これが当たり前になった今,筆者はその現状を受け入れ,それを生かす実習を考えます。そして,少ない断片的な情報を基に実習をするからこそ,それをつなぎ合わせ,患者像を描く“類推する力”を育てる必要がある,と説いています。
次に,「理想と現実の矛盾を指摘する学生……」について。近年,入学してくる学生は,社会人経験のある人が増加傾向となり,「新人の大人化」と言うべき現象が進んでいます。看護師になる,と意欲的な人が多い反面,人生経験が豊富であるが故に,価値観が固定化される傾向もあります。そのため,時に非常に批判的な目で現場に向き合う人もいて,指導者が傷つく場合もあるほどです。
そんな場面への筆者の語り口は,「学生が現場の矛盾や課題を批判したとき,現場のスタッフが,それらに対する苦悩や現実的にどのように対処したかという姿を学生に包み隠さず見せることが大事です」と実に明快。大事なのは答えではなく,問い続ける姿勢なのです。
臨床実習の今を知り,手探りでやっている工夫を言葉にしてくれる本。「こんなふうで良いのかなあ」と不安になったときにひもとき,「まあまあ,これでよし」と自信をつけてください。
学生が実習で経験したことの“意味”を一緒に考える
書評者: 蜂ヶ崎 令子 (東邦大講師・看護技術学)
本書を読んだ後にまず思ったのは,「もっと早くこの本を読みたかった!」ということだった。実習場でよく見られる事例が紹介され,そこで起きている現象を読み解くヒントが,この一冊に詰まっているからだ。
私が最近行った臨地実習でも,本書に取り上げられているような事例は日常的に見られた。電子カルテの前に張り付いてしまいなかなかベッドサイドに向かえない学生,「患者さんの話をただ聞くだけになってしまった」と嘆く学生,「2週間受け持ち患者のことしか考えられなかった。こんなに一人の人のことを考え抜いたのは初めてだ!」という学生……これらは初めての実習にありがちな場面である。
こういった場面には,最近の看護事情も反映されている。例えば,シーツ交換をはじめとして,清拭や陰部洗浄といった清潔ケア,環境整備など,いわば患者の身の回りの「ちょっとしたこと」を介護福祉士やヘルパーに委ねている病院も多くなってきた。看護師が行っていないことを,学生たちにこれらが紛れもなく看護師の仕事,つまり「看護である」ということを意識して伝えなければならない。本書では,患者の身の回りの「ちょっとしたこと」に気付くことが非常に大事であり,患者との信頼関係を築くきっかけになると紹介している。
また,私が何といっても助かると思ったのは,実習記録へのコメントの入れ方やアドバイスの仕方である。まさに十人十色の学生の記録に対し,どんなコメントを書いたらよいのだろうと頭を悩ませることがよくある。このような教員の悩みに,「適切なコメントという正解はない,記録を介して学生と対話すればよい」と著者は答えている。また,アドバイスを求めてきている学生に対して,「なぜ? 根拠は?」と問いがちな教員に,それだけでは学生は不全感を持ってしまうことなどを指摘している。「学生の経験したことの意味を一緒に考えることが大切である」という言葉に,これまで行ってきたことは間違っていなかったと安堵できた。
指導者や教員から一挙手一投足を見つめられ,手取り足取り指導を受ける状態から,著者の述べているように,学生が自分の頭で考えて実践し,自ら問いを立てて解決していく力を身につけていくようにするのが実習の大きな目的である。指導者や教員が手や口を出しすぎると,その目的が達成されない。実習の後半に,「あ,先生いたんですか」と学生から言われるような,黒子に徹することができる実習――それが私のめざす,実習の理想のかたちである。
学生のぎこちないあいさつとともに始まる実習,そこではさまざまなドラマが生まれる。指導者と教員はそのドラマに入り込み,学生が多くの人間とかかわる中で貴重な経験をし,飛躍的に成長していくことを実感する。実習は,看護師をめざす看護学生としての成長だけでなく,人間として成長する重要な機会でもある。未来の看護師が,その成長の第一歩として初めて患者を受け持つという貴重な瞬間に立ち会う前に,本書を一読しておくことをぜひお勧めしたい。
個別の経験に込められたヒントと救い(雑誌『看護教育』より)
書評者: 今村 仁美 (富山県立総合衛生学院 看護学科)
看護教員であれば,「情報収集に途方に暮れる学生にどう接していますか?」という問いをもったことがあると思う。他にも「学生の身だしなみ」「習ったことと違う!」など,実習指導における「あるある」な21のシーンをこの本は読み手に問う形で投げかけている。私も看護教員として,ここで紹介されている場面は読めば読むほど「あるある」「わかるわー」と共感してしまう場面であった。
1つひとつのシーンで,読んでいる自分がその場にいて各シーンを経験しているかのような感覚になって感情移入でき,心揺さぶられてしまうことが何度もあった。これは,著者が臨床指導者,学生,看護教員それぞれの世界のまなざしから,1人ひとり固有の経験としてそれぞれの場面を解釈しているからだろう。
特に印象に残ったシーンは「受け持ち患者さんが亡くなったとき,学生にどのように関わりますか?」という問いかけである。本書では,臨床指導者は亡くなった患者さんを受け持っていた学生に「びっくりしたでしょ」と声をかけ,病棟の師長は学生を労い,学生が知らなかった受け持ち患者さんの病気の経過や治療に対する思い,生き方を学生に語る。師長の語りは学生が患者さんの突然の死をのみ込むきっかけをつくる実践が紹介されている。しかし,このような場面にはこれが正しいかかわり方である,という表現ではなく,それぞれがそれぞれの立場で,その経験にどのように向き合うのかということがリアルに想起されることばで表現されている。
看護学生を含めた看護職が存在し経験された世界で,正しい答えはケアを受ける者が心地よいと思えることであり,科学的な力では明らかにできない部分も未だある,限られた時間の中で学生の学びが,よりよいものとなるようにという目的は変わらない。
誰もが遭遇する実習指導場面はもやもやとした形でそのまま残り,指導を続けるなかで特に解消されるわけでもなく,私たちに問い続けるものとして残っていく。同じような内容の場面でも,2回目に経験したとき,3回目に経験したときでは違う世界として経験されるのではないだろうか。つまずいたところからまた立ち上がるには,既存の枠組みを離れ,新たな視点が必要なのである。
この書籍は,そうした実習指導について,あくまでも読み手に伝わりやすい言葉で語りかけてくれ,「このようなまなざしで指導場面をとらえなおしてみるといいよ」と実習指導に携わっている者へ,常に救いの言葉を与えてくれるありがたい一冊である。
(『看護教育』2018年8月号掲載)
書評者: 宮子 あずさ (看護師)
看護師であれば皆臨地実習は経験し,それが学生指導にも反映されます。どんなに「昔と今は違う」「自分がされたように厳しくしてはならぬ」と自戒しても,経験が映り込む事実は動きません。この限界を超えるためには,まず今を知る必要があります。今の学生がどのようなまなざしで実習の現場を見て,何に困り,何を伝えれば一山越えられるのか。それが知りたいなら,この本にしっかり書いてありますよ。
取り上げられる21の場面は,どれも指導者ならばぶんぶんと首を振ってうなずきたくなるような場面ばかり。私は特に,「限られた期間の中で,類推する力,観察する力をどう伸ばしますか?」と「理想と現実の矛盾を指摘する学生にどう対応しますか?」の2編から,多くの示唆を得ました。
まず,「限られた期間の中で……」について。冒頭で,「昨今,急性期医療を担う病院の平均在院日数は1週間程度と短く,多くの学生が実習期間に2名程度の患者さんを受け持ちます。(略)2週間以上入院している患者さんは重症度が高く,学生が受け持つのは難しいのです」と,現状が示されます。
こうした苦労は,私が看護学生だった昭和の終わりには,まだまだまれでした。入院期間は長く,4週間の実習期間で1人の患者さんを見るのが当たり前。急な逝去や退院があれば2人目を受け持ちましたが,それはよほどの「不運」と見られたものです。
しかし,これが当たり前になった今,筆者はその現状を受け入れ,それを生かす実習を考えます。そして,少ない断片的な情報を基に実習をするからこそ,それをつなぎ合わせ,患者像を描く“類推する力”を育てる必要がある,と説いています。
次に,「理想と現実の矛盾を指摘する学生……」について。近年,入学してくる学生は,社会人経験のある人が増加傾向となり,「新人の大人化」と言うべき現象が進んでいます。看護師になる,と意欲的な人が多い反面,人生経験が豊富であるが故に,価値観が固定化される傾向もあります。そのため,時に非常に批判的な目で現場に向き合う人もいて,指導者が傷つく場合もあるほどです。
そんな場面への筆者の語り口は,「学生が現場の矛盾や課題を批判したとき,現場のスタッフが,それらに対する苦悩や現実的にどのように対処したかという姿を学生に包み隠さず見せることが大事です」と実に明快。大事なのは答えではなく,問い続ける姿勢なのです。
臨床実習の今を知り,手探りでやっている工夫を言葉にしてくれる本。「こんなふうで良いのかなあ」と不安になったときにひもとき,「まあまあ,これでよし」と自信をつけてください。
学生が実習で経験したことの“意味”を一緒に考える
書評者: 蜂ヶ崎 令子 (東邦大講師・看護技術学)
本書を読んだ後にまず思ったのは,「もっと早くこの本を読みたかった!」ということだった。実習場でよく見られる事例が紹介され,そこで起きている現象を読み解くヒントが,この一冊に詰まっているからだ。
私が最近行った臨地実習でも,本書に取り上げられているような事例は日常的に見られた。電子カルテの前に張り付いてしまいなかなかベッドサイドに向かえない学生,「患者さんの話をただ聞くだけになってしまった」と嘆く学生,「2週間受け持ち患者のことしか考えられなかった。こんなに一人の人のことを考え抜いたのは初めてだ!」という学生……これらは初めての実習にありがちな場面である。
こういった場面には,最近の看護事情も反映されている。例えば,シーツ交換をはじめとして,清拭や陰部洗浄といった清潔ケア,環境整備など,いわば患者の身の回りの「ちょっとしたこと」を介護福祉士やヘルパーに委ねている病院も多くなってきた。看護師が行っていないことを,学生たちにこれらが紛れもなく看護師の仕事,つまり「看護である」ということを意識して伝えなければならない。本書では,患者の身の回りの「ちょっとしたこと」に気付くことが非常に大事であり,患者との信頼関係を築くきっかけになると紹介している。
また,私が何といっても助かると思ったのは,実習記録へのコメントの入れ方やアドバイスの仕方である。まさに十人十色の学生の記録に対し,どんなコメントを書いたらよいのだろうと頭を悩ませることがよくある。このような教員の悩みに,「適切なコメントという正解はない,記録を介して学生と対話すればよい」と著者は答えている。また,アドバイスを求めてきている学生に対して,「なぜ? 根拠は?」と問いがちな教員に,それだけでは学生は不全感を持ってしまうことなどを指摘している。「学生の経験したことの意味を一緒に考えることが大切である」という言葉に,これまで行ってきたことは間違っていなかったと安堵できた。
指導者や教員から一挙手一投足を見つめられ,手取り足取り指導を受ける状態から,著者の述べているように,学生が自分の頭で考えて実践し,自ら問いを立てて解決していく力を身につけていくようにするのが実習の大きな目的である。指導者や教員が手や口を出しすぎると,その目的が達成されない。実習の後半に,「あ,先生いたんですか」と学生から言われるような,黒子に徹することができる実習――それが私のめざす,実習の理想のかたちである。
学生のぎこちないあいさつとともに始まる実習,そこではさまざまなドラマが生まれる。指導者と教員はそのドラマに入り込み,学生が多くの人間とかかわる中で貴重な経験をし,飛躍的に成長していくことを実感する。実習は,看護師をめざす看護学生としての成長だけでなく,人間として成長する重要な機会でもある。未来の看護師が,その成長の第一歩として初めて患者を受け持つという貴重な瞬間に立ち会う前に,本書を一読しておくことをぜひお勧めしたい。
個別の経験に込められたヒントと救い(雑誌『看護教育』より)
書評者: 今村 仁美 (富山県立総合衛生学院 看護学科)
看護教員であれば,「情報収集に途方に暮れる学生にどう接していますか?」という問いをもったことがあると思う。他にも「学生の身だしなみ」「習ったことと違う!」など,実習指導における「あるある」な21のシーンをこの本は読み手に問う形で投げかけている。私も看護教員として,ここで紹介されている場面は読めば読むほど「あるある」「わかるわー」と共感してしまう場面であった。
1つひとつのシーンで,読んでいる自分がその場にいて各シーンを経験しているかのような感覚になって感情移入でき,心揺さぶられてしまうことが何度もあった。これは,著者が臨床指導者,学生,看護教員それぞれの世界のまなざしから,1人ひとり固有の経験としてそれぞれの場面を解釈しているからだろう。
特に印象に残ったシーンは「受け持ち患者さんが亡くなったとき,学生にどのように関わりますか?」という問いかけである。本書では,臨床指導者は亡くなった患者さんを受け持っていた学生に「びっくりしたでしょ」と声をかけ,病棟の師長は学生を労い,学生が知らなかった受け持ち患者さんの病気の経過や治療に対する思い,生き方を学生に語る。師長の語りは学生が患者さんの突然の死をのみ込むきっかけをつくる実践が紹介されている。しかし,このような場面にはこれが正しいかかわり方である,という表現ではなく,それぞれがそれぞれの立場で,その経験にどのように向き合うのかということがリアルに想起されることばで表現されている。
看護学生を含めた看護職が存在し経験された世界で,正しい答えはケアを受ける者が心地よいと思えることであり,科学的な力では明らかにできない部分も未だある,限られた時間の中で学生の学びが,よりよいものとなるようにという目的は変わらない。
誰もが遭遇する実習指導場面はもやもやとした形でそのまま残り,指導を続けるなかで特に解消されるわけでもなく,私たちに問い続けるものとして残っていく。同じような内容の場面でも,2回目に経験したとき,3回目に経験したときでは違う世界として経験されるのではないだろうか。つまずいたところからまた立ち上がるには,既存の枠組みを離れ,新たな視点が必要なのである。
この書籍は,そうした実習指導について,あくまでも読み手に伝わりやすい言葉で語りかけてくれ,「このようなまなざしで指導場面をとらえなおしてみるといいよ」と実習指導に携わっている者へ,常に救いの言葉を与えてくれるありがたい一冊である。
(『看護教育』2018年8月号掲載)