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ベナー 看護ケアの臨床知 第2版
行動しつつ考えること

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本書では、ベナーと共同研究者らが臨床で活躍する看護師たちを観察したりインタビューをして、看護の臨床知とはどのようなものなのかを詳しく解説している。改訂版では、各章で看護師たちのナラティヴが追加され、さらに臨床状況に対応できる看護師を育成するためにナラティヴをどのように活用するのかについて(第13章)加筆された。看護師たちの臨場感あふれるナラティヴから熟練看護師の臨床知が明らかにされる。
シリーズ 看護理論
パトリシア ベナー / パトリシア フーパー-キリアキディス / ダフネ スタナード
監訳 井上 智子
発行 2012年11月判型:A5頁:976
ISBN 978-4-260-01634-6
定価 6,490円 (本体5,900円+税)

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第2版 監訳者の序(井上智子)/推薦文 I(Joan E. Lynaugh)/推薦文 II(Laurie N. Gottlieb)/原著者の序(Patricia Benner)

第2版 監訳者の序
 早いもので,本書の初版発行から8年近い月日が流れた。
 本書の初版では,哲学的とも言えるBenner博士の文章の翻訳に思いのほか時間を要し,発行までに時間がかかってしまったが,日本の多くの読者にBenner博士の「臨床知」を知っていただけたことはとても嬉しいことであった。原書第2版は,初版(1999年)から12年目の2011年に出版された。本書第2版は,前回の経験を活かし,幸いにも原書出版から1年あまりで発行にこぎ着けることができた。

 それは,あの震災からひと月を経ずして渡米した際のことであった。行く先々で,多くの人々の励ましと支援を受けたが気分は晴れないなか,何気なく手に取った新刊紹介チラシに原書のsecond editionの広告を見つけたときは,思わぬ希望を見いだしたような気がした。早速,訪問大学の購買部に出かけたところ,ひと回り大きくなった真っ赤な表紙の本書第2版が,いわゆる平置きと棚3段分のディスプレイとして一番目を引くコーナーに飾られていた。米国においてもBenner博士の人気のほどが伺われた。帰国して間をおかず,本書の担当編集者からも連絡を受け,第2版の翻訳に着手した次第であった。

 ところで第2版では,新たな章として「13章 教育方法と提言(Educational Strategies and implications)」が書き起こされている。Benner博士らが形あるものとして見いだした「臨床知」は,次世代に教育され,引き継がれてこそその真価を発揮する。ところがその教育方法に関しては,初版ではappendixにとどまっており,理論的解説までには至っていなかった。
 さらに驚くべきことであるが,すべての章に緻密な加筆がなされ,特にナラティブな事例や場面の豊富さと,丁寧なナラティブの解説のわかりやすさは一層輝きを増している。本書に収載されている事例はクリティカルケア看護師の語りに基づくが,その内容は看護全般に通じるものであることを改めて申し添えたい。
 また初版の前書きでも触れたが,第1章は本書全体の梗概の役割を担っており,正直なところ少々難解である。後半の気になる章からでも,ぱらぱらと捲るなかで出会った事例からでも,どこからでも少しずつ読み進めていただければと思う。

 米国と同様,日本でも絶大な支持者を持つBenner博士であるが,この8年の間にも数回にわたってわが国を訪れ,そのたびに新鮮な研究成果をもたらしてくれている。またカリフォルニア大学サンフランシスコ校を退職され名誉教授となられた後も,よきパートナーである夫君と共に,臨床看護師,看護教育者へ送る篤いメッセージは変わらない。

 本書第2版の発行にあたっては,米国Nurse Practitioner課程を修了した前田仮名子さんに新たに翻訳陣に加わってもらった。原書第2版がひと回り大きくなったため,本書も初版より150ページほどの増量となったが,装丁と製本の工夫で初版とほぼ同じ体裁にとどめることができた。また初版同様,医学書院の多くの方々の,一段とパワーアップした支援をいただいた。なかでも藤居尚子氏,そして元医学書院の石井伸和氏のお名前をここに記して心からの謝意を表したい。

 2012年10月
 監訳者 井上智子


推薦文 I
 本書は,クリティカルケア看護について学んでいる看護学生や大学院生,クリティカル・シンキングを教授している教育者,およびケアシステムや臨床実践でのリーダーシップの向上について模索している人々を対象としている。それでも,本書が示す概念は,流動的な患者ケアの状況で臨床推論と行動という複雑で大変な集中力を要する状況に立ち向かっているすべての人から共感を受けることだろう。本書は,教科書のように,急性・クリティカルケア看護について事実を正確にまとめたものではないが,熟練看護師になるための本質を惜しみなく詳述した手引き書である。
 ここでは,クリティカルケア看護師たちの民族誌学的研究に基づいていて,さらにPatricia Bennerらの先行する多くの業績が土台となっている。多くの看護学書や医学書とは構成が異なり,本書は「看護師の物語」に見られる詳細な内容や複雑な筋書きを用いている。それぞれの章は実在する事象で溢れていて,それらは危機的な疾患の患者や家族に対するケアに特有な,複雑な考えや多義性を示すために用いられている。看護師や医師,それ以外の医療従事者は自分たちの仕事を表現し説明するために,いつも物語を話す。私は歴史学者として,そのような物語が病人のケアをする人々の日々の実践を理解するうえで非常に貴重であることを知った。本書は,ケア提供者と学習者によって語られた物語を,看護の知識と実践を理解するための著者の概念枠組みのなかに編み込んでいる。「熟練のクリティカルケア看護師は常に意味深いストーリーに身をおき,臨床状況の意味と重要性について最新の臨床的かつ人間的な把握をもち続ける」ことを主張しながら,著者らは本文中にリアルタイムの概念をはめ込むことによって,また現実の実践場面でのあらゆる複雑な問題を取り上げながら,「行動しつつ考えること」や「推移を見通すこと」を説明している。
 本書は,クリティカルケア看護を学習しやすくするために,原理を単純化したり,簡略化したりしていない。その代わりに,学習者がクリティカルケア看護とは実際どのようなものかを思い描き,クリティカルケア看護師に寄せられる期待を理解できるよう,驚くほど完全な光景を提示している。そのよい例の1つが,第9章の「死と向き合うこと:終末期ケアと意思決定」である。そこでは,文章と「看護師の物語」によって,いかに病い体験が互いに意思決定をし合うものとしてみなされないかが示されている。その一方,あらゆる疾病においては,疾病に対する患者の理解とケア提供者の理解,そして家族の理解が時間とともに進展している。その意味では,熟練した実践を学ぶことはしばしば不十分な知識で前進する方法を探っていくことと似ている。患者の死が間近なとき,クリティカルケア看護師は患者にふさわしいケアの構想を,治療的な行為から苦痛緩和的な行為へと建て直す必要がある。著者は,ケア提供者が実際にケアを控えたり行ったりする人たちと直面するという問題に立ち向かっている。クリティカルケア状況での死はほとんど論議されないため,このすぐれた章はこのような不足した部分を補ううえでおおいに役に立つことと思われる。
 本書では,熟練看護師たちによって見いだされ,説明された実践の方法や形式に2つの章をあてて,臨床把握と探究,および臨床における先見性のより広い概念について十分に説明している。それに続く章では,共通する臨床目標や関係事項について編成した9つの実践領域に基づいている。それぞれの章末では,学習者の手引きとなるよう,本文の意図を要約している。
 本書は3人の著者によるものだが,連携はスムーズで,大変読みやすくなっている。多くの臨床家や教育者たちが,クリティカルケア看護を実践しているか,もしくは教えているかにかかわらず,興味をもって本書を読んでいただけるものと私は信じている。また本書は,一般の読者も利用しやすいように,大変明解に書かれている。ケア提供者がどのように考え,仕事をしているのか,またクリティカルケアでは何が起こっているのかを理解したいと思う医療記者の誰もが,本書を読むことで恩恵を受けられると思う。
 おそらく,本書の最も重要な業績は,クリティカルケア看護のすべての要素を組み入れることにこだわったことだと思われる。すなわち,臨床推論と先を考えること,患者や家族へのケア提供,倫理的・道徳的問題,ブレイクダウンや科学技術による危害への対応,関係者全員とのコミュニケーションや交渉,教育と指導(コーチング),より大きなシステムと個々の患者との結びつきの理解といった要素である。さらに本書では,クリティカルケア看護の理解を導き,さらには実践する方法として,分類学や単純なカテゴリー化,もしくはプロトコルに頼るには限界があることを繰り返し示している。そうするよりむしろ最も適切な答えを得るためには,熟練者たちが「不確かな環境での臨床状況の最も的確な説明」をしなくてはならないと,著者らは主張している。個々の具体的な状況をふり返りながらナラティヴを理解することで,ケア提供者はその時,その場所,そのケア状況に応じた科学的知識を用いることができ,ひいてはすぐれた臨床的な学問となる。
 大変すぐれた本書は,多くの教育者や熟練臨床医の本棚に置かれる価値があるものだと信じている。ときに,とりわけすぐれた本が現れるものだが,本書がまさにその本にあたる。私はこの書評の機会を与えられて光栄に思う。読者の方々へ本書を推薦する。

Joan E. Lynaugh, PhD, RN, FAAN
Professor Emerita, University of Pennsylvania School of Nursing
Philadelphia, Pennsylvania


推薦文 II
 1999年に『Canadian Journal of Nursing Research(CJNR)』の編集者であった私は,評価のために『Clinical Wisdom and Intervention in Critical Care:A Thinking-in-Action Approach(看護ケアの臨床知:行動しつつ考えること)』を受け取った。書名が私の好奇心を駆り立てた。比較的なじみのある「臨床における理解clinical understanding」や「行動のふり返りreflection-on-action」ではなく,「臨床知clinical wisdom」や「行動しつつ考えることthinking-in-action」といった言い回しを目にしたのは,看護では初めてのことであった。無論,Patricia Benner博士が第一著者であることはよく知っていた。私はBenner博士のこれまでの著書や多くの文書など,彼女の学識の高さをいつも変わらず深く尊敬してきた。そのため,大きな期待を胸に私はその本を手に取り,読み始めた。
 失望などしなかった。今でさえ,約11年経ったが,私は各章を読みながら感動したことを思い出すことができる。私が手にしたこの画期的な本によって,看護師がどのように看護をしているのかを新たに理解することになるだろうと確信した。著者らがとらえたことは,看護の本質であり,臨床判断や意思決定の背後にある思考であった。著者らは看護師の仕事,つまり臨床判断に関わる思考や意思決定のプロセスや道徳的・倫理的ふるまいの本質,クリティカルケアの実践の世界ではケアリングがどのようにみえるのか,を明確に詳述した。さらに著者らは,思わず引き込まれるような物語,観察,ビグネット(寸描),看護師のナラティヴを通して,気づかれず,認められず,正しく評価されてこなかった看護行動にまつわる複雑さをもとらえていた。著者らは行動に言葉を与え,これまで説明が理解できなかった経緯を正確に描写した。さらに,刻一刻と変わる日常的な看護の行動を鮮やかに詳しく表現する,ナラティヴの力を発見したのであった。本書では,解釈的現象学が看護の現象に関する知識を生み出す妥当な方法論としてすぐれていると考え,関連する学識の厳しさによりこのやり方の信頼性をもたらしている。
 当時から私は,本書が臨床家や教育者,管理者さえにも重要な書籍になると信じていた。その後の数年間,私はさまざまな目的で資料として活用しながら,定期的に本書に戻っている自分に気づいた。本書は私に語りかけ続け,読み返すたびに新しい意味を発見した。そこに含まれたメッセージは時宜を得ていて時代を超えていた。そのため,第2版の発行を知ったとき,数年間で著者らが見つけた新しい洞察について是非知りたいと思った。
 新しい版は変わりゆく医療システムの環境と事情を考慮し,看護の発展を反映している。この10年間,多くのことが起こった。著者らが指摘しているように,急性期ケアとクリティカルケアの医療システムの境界ははっきりしなくなり,多くの病院が,安定しているクリティカルから先端的なクリティカルまでさまざまな層のクリティカルケアを提供している。なかでも第三次医療施設はテンポが速くてきついクリティカルケア施設である。そこでは,高いレベルの不確かで,曖昧で,予測不能な臨床状況や急速に展開する臨床経過,複雑な患者状況に対処するために,能力のある賢明な看護師が必要とされている。看護は流動的な変わりゆく実践環境のなかで遂行されていて,ほかの看護師や医師,スタッフを含む多くの人々からのニーズや要求に応える必要がある。これらすべてが問題を特定し,解決し,管理するための洗練された技術にこれまで以上に依存している環境のなかで起こっているのである。来る日も来る日も看護師たちがプレッシャーとストレスを感じていることは容易にわかる。このような状況のなかで,看護師の役割は,患者を人として理解し,損傷に対する患者個々の反応のしかたを認識し,理解や知識,英知に基づくケアを提供するために患者を擁護しながら,患者をケアの中心に据えることである。
 臨床知という言葉は引き続き私の関心を引き付けている。臨床知は臨床における理解や臨床の知識とどう違うのだろうか? Belenky,Clinchy,Goldberger,そしてTarule(1986)の今では名著となっている『Women's Way of Knowing』がいくつかの見識を示している。理解とは人や物事をある程度知っている,わかっていることである。一方,知識はただ理解しているということ以上のものである。知識には人や物事に共感をもってつながることによって,あるいは自らの目以外の別のレンズで状況を見ることによってのみ得られる理解や造詣が含まれている。最も成熟した知識人とは熱意と広い人脈をもった参加者である。英知はさらに知るプロセスを推し進める。ことわざにもあるように,「知識は行き来するものであるが,英知は存在していくものである」(Baird, 2000)。著者らが示したように,臨床知は看護師が熱心な知識人になり,理解や知識を臨床知に変えたときに現れる。それは臨床実践の理解や熟知から生じる原理・原則のなかで表現される。それは看護師の倫理的・道徳的ふるまいの中心であり,最終的に看護のすばらしさを規定している。本書を通じて,私たちは幸運にも看護師の臨床知とその獲得方法に触れることができる。そのプロセスのなかで,私たちは著者らの英知に感謝するようになる。
 初版と同様に,著者らは引き続き目に見えないものを見えるように,手の届かないものを届くようにしている。著者らは臨床判断や臨床における意思決定に内在するプロセスを明確に説明し,分類している。また,このうえなくすばらしい徹底的な正確さで,看護実践の9つの領域での思考と行動の習慣を説明している。さらに,刻一刻と変化する臨床でのアセスメントと判断の間に生じることや日々のすぐれた実践方法にも触れている。著者らは看護師の頭のなかで起こっていることを浮き彫りにしたのである。著者らは私たちを看護師の解釈的な意思決定の世界に入るよう促している。すなわちその世界には,知覚の鋭さと同調,重要なことを選び出すこと,心を開くこと,エビデンスに基づく研究の一般的な知識の使用から一般的な患者の知識を特定の患者に応用する方法へと発展することの重要性が示されている。著者らは行動しつつ内省することと,行動について内省することの考えを見いだし明らかにしている。著者らは私たちに,難題を理解し解決するという,看護の難問の究明に興味をもち続けることの重要性を教えてくれている。本書は,看護師が状況と状況の間や状況のなかで出来事を比較することによって,そして一般化できる知識を身につけることによって,どのように患者の反応のパターンを学習しているのかを示している。著者らは私たち読者に,物語を語った看護師から得られたナラティヴを通して,行動しつつ考えることの複雑さを理解できるよう支援することに成功したのである。
 看護師の豊かで詳細なナラティヴは,各章の核となっているが,それらは本書に特性と深みを与え,いずれもずば抜けている。どの物語にも主役と脇役がいて,多くのキャラクターがいるテレビの台本よりもずっと説得力がある。ここには,看護師の当たり前の意見がある。看護師たちは自分たちの実践の範囲と自分たちの仕事の本質について話している。私たちは本書のなかで最前線の医療従事者として看護師がしていること―彼らが立ち向かっている課題,彼らが直面しているジレンマや不確実なこと,不安や失望,失敗や成功を体験する。私たちは看護の実践の世界に入り,看護師が学んできたことから学んでいる。
 物語も著者らの説明も,患者を害から守ること,患者の要求やニーズを確実に聴きとること,患者の尊厳を保持すること,患者や家族の代弁者となること,経験のない医師や看護師などによるニアミスから患者を救うことといった看護師が果たしている中心的役割をいきいきと描いている。物語ではさらに,看護師は患者24人に対し7人いることから,医療システムにおける看護師のもつ力もとらえている。そして,なぜ看護師が医療システムを機能させ,維持する接着剤となっているのかを説明している。また,熟練看護師が仕事をするうえで必要とする知識の深さと幅について,そしてなぜ看護では絶え間ない注意力が求められる危機やドラマ,構想や流れに対処するために,賢明で優秀で経験豊富で洗練した人が必要なのかについて描き出している。そのような物語はページをめくり,読み終えるたびに私たちを啓発しつづける。それらは2つの役目をもっている。著者らは臨床知と行動しつつ考えることを説明しながら看護について伝えると同時に,看護師にとって学習のためのすぐれた教育ツールとなっている。
 物語はそれぞれある目的をもって選ばれ,その後に注釈が付けられている。著者らは最高の教育者である。彼らは物語の際立っている点や感動的なところに私たちの目が向くようにしている。また,物語を使って形式知と実践知を結びつけるようにしているため,理論と実践が統合されている。著者らは臨床知を見いだし,明確な言葉によって理論的概念が実践の世界でいきるようにしている。さらに,看護師の仕事の深みと理解を書き加えるために,異なる視点で物語を解釈したり,さまざまな学問領域―哲学や社会学,心理学などから知識を引き出したりすることによって新しい見識を提示している。また,どうあるべきか,どうするべきかを提案すると同時に,道徳的・倫理的なケアリングの枠組みとして,原理や原則を示している。すべての章はこのような構成となっているが,第8章「技術的環境での危険防止」と第9章「死と向き合うこと:終末期ケアと意思決定」はこの方法を見事に示している。
 第2版(本書)は,未経験の看護師が状況に基づく経験的学習を通して実践のなかで専門技能を身につけていくのを支援するために,教育的手法を組み込んでいる点で,初版を超えている。本書はBenner,Sutphen,LeonardそしてDays(2010)のこれからの看護師教育に関する研究からの洞察をまとめており,各章に織り込まれている教育的方策によって看護師の生涯学習へのニーズに焦点をあてながら,教室から臨床現場までの彼らの洞察を取り上げている。教育の重要性は第13章「教育方法と提言」を追加することによって強調されている。すばらしい方法で,本書は熟練の倫理的なケアリングの実践とは何か―それは何か,どのように生じるのか,どのような経験がそれを身につけるうえで役立っているのかを理解し,発見し,説明しようとしたBennerの職業的探究と結びついている。その遍歴は36年前,名著『From Novice to Expert(ベナー看護論)(Benner, 1984)』で臨床能力と技能の獲得の段階を記したBennerの画期的な研究から始まり,『Expertise in Nursing Practice(Benner, Tanner & Chesla, 1996, 2009)』に広がった。この最新の書である第2版は,Benner博士がさまざまな共同研究者とともに得てきた40年以上の経験と見識の集大成である。
 本書はすべての看護師―看護の方法を初めて学ぶ学生や新人看護師,高度な実践をめざす看護師,熟練臨床家が学べる書である。どの看護師も際立った感覚―問題を特定し明確にしながら最も急を要するものや最も重要なことを認識する能力を身につける必要がある。そのプロセスは知覚と関わりの技能が関連するため複雑である。どの状況も感情が満ちていて,知覚や思考,それに伴う判断に影響を与える。しかし,臨床把握(理解)の中心となるのは認識であり,際立った感覚の習得である。それが健全な臨床的意思決定の根幹となる。
 著者らは教育方法や指導ツールとしてナラティヴを使用するために感動的な症例を引き出している。彼らは臨床における学習が物語として体験されると信じている。看護師自らの物語によって,あるいはほかの看護師のナラティヴを聴く(本書の場合は読む)ことによって,未経験の看護師だけでなく経験のある看護師も専門技能を身につけられる。実践の物語を話したり内省したりするなかで,看護師は臨床問題,すなわち特定の患者や状態からさまざまな患者集団や別の現場で生じる可能性のある課題について学ぶ。看護師が最善の看護実践を特定し明確にする方法を学んだり,状況に応じた看護を実践したり,道徳的葛藤を見いだしたり,視点や想像力が可能性を見いだしたり機会を認識したりするのにどれほど役立つのかを評価するようになったりするうえで,物語は役に立つ。著者らは分類システムや規範のリスト,エビデンスに基づくプロトコルなどの使用に反論している。そのようなやり方は患者や家族の体験をとらえるために設計されていないからである。そのようなシステムの昨今の使用は「万能な」アプローチであり,実際,専門的な看護では―誰も望んでいないが各患者や家族,彼らの状況や既往歴,体験や環境の特殊性を尊重した状況に応じたアプローチが求められている。
 初版で,著者らは足跡を残した。この第2版で,彼らはさらに深い足跡を残した。彼らは私たちに臨床実践での専門技能を身につけるための知識と言葉と方法とツールを与えてくれた。今,私たちは彼らの英知に関心を寄せ,彼らの足跡をたどって,看護師が知識と情熱をもって患者や家族をケアする社会契約を果たせるよう支援する必要がある。

Laurie N. Gottlieb, RN, PhD
Professor
Flora Madeline Shaw Chair of Nursing
Editor, CJNR
Nurse-scholar in residence, Jewish General Hospital
McGill University, School of Nursing
Montreal, Canada

●参考文献
Baird, D. (2000). A thousand paths to wisdom. London: MQ Publications.
Belenky, M. F., Clinchy, B. M., Goldberger, N. R., & Tarule, J. M. (1986). Women's ways of knowing: The development of self, voice, and mind. New York, NY: Basic Books.
Benner, P. (1984). From novice to expert: Excellence and power in clinical nursing practice. Menlo Park, CA: Addison-Wesley.
 井部俊子(監訳):ベナー看護論 新訳版―初心者から達人へ,医学書院,2005.
Benner, P., Sutphen, M., Leonard, V., & Day, L. (2010). Educating nurses: A call for radical transformation. San Francisco, CA: Jossey-Bass.
 早野ZITO真佐子(訳):ベナー ナースを育てる,医学書院,2011.
Benner, P., Tanner, C. A., & Chesla, C. A. (1996). Expertise in nursing practice: Caring, clinical judgment, and ethics. New York, NY: Springer Publishing Company.
Benner, P., Tanner, C. A., & Chesla, C. A. (2009). Expertise in nursing practice: Caring, clinical judgment, and ethics (2nd ed.). New York, NY: Springer Publishing Company.



原著者の序
 本書は,臨床実践での探究や推論,判断,経験的学習についての考え方を示している。つまり,看護の実践における人間らしい専門技能や英知についてであり,臨床的・道徳的な想像力とすぐれた実践の多様な領域を述べている。私たちは,本書を読んだ看護師が,「著者たちは,私たちの実践で,自分はすでに知っていたが,表現したことがなかったことを言葉に表したのだ」と感じてくれることを期待している。実践における経験的学習とは,自分自身の力で臨床の知識を知り身につける方法であり,臨床家はいつも自らの実践のなかで言葉にできる以上に多くのことを知っている(Polanyi, 1958/1962)。看護師は自らの実践のなかで時間をかけて学んできた潜在的な,しかし実証できる知識を身につけている。そのような知識は理論のなかで明確に述べられておらず,科学においても十分説明されていない(Gallagher, 2009; Hooper, 1995; Polanyi, 1958/1962; Sunvisson, Haberman, Weiss & Benner, 2009)。
 実践におけるこの「隠された知識」,すなわち知識が公表されない理由の1つに,知識を全体の臨床状況で比較してきたことがある。しかし,臨床家は具体的な臨床状況のなかで自らの知覚の鋭さや臨床実践知,患者の変化のすぐれた臨床推論,潜在的な知識,質的な違いをつける能力を増大させている。これにより看護師(および熟練臨床家)は患者の状態の変化の早期警戒を認識し(Benner, 2000),臨床実践のなかで行動しつつ考えることができる。要するに,読者に看護の臨床知を自ら発見する感覚を体験していただきたいと願っているのである。本書はクリティカルケアと救急治療の看護の実践についての書であるが,主として看護の知識や実践についての書である。その点において,看護師は実践をともにする臨床家と並んで,専門職種間と専門職種内の対比についての議論も含めて,共通の事柄と意味の核心に気づくだろう。
 本書は,これまで意思決定の教育のために用いられてきた,静的な形式モデルではとらえられない,臨床理解と推論について示している。本書はBennerとTanner,Chesla(2009)の前提の上に導き出された。その前提とは,ある時点での蓋然性の評価に基づく形式的な意思決定モデルでは臨床判断や推論ができない,というものである。『Expertise in Nursing Practice』(Benner et al., 2009)では,ある患者についての時間経過による推論や,患者の状態の変化を推論することの得失が実践家の状況理解を養う,と論じられている。Aという状況からBという状況への移行で,熟練実践家は,患者の状態の変化の流れに特有の理解や意味の得失を考慮に入れる。ほとんどの臨床判断や患者の状態の理解は,状況の現実的な方向性や推移を理解することに基づいている。このような特定の患者について,「行動しつつ考えること」や「推移を見通すこと」は,当事者中心の倫理的・臨床的な推論の理解を必要とする。
 臨床推論は実践的推論の1つの形である。看護師は特定の臨床状況にあり,その状況の意味を理解し(Gallagher, 2009; Lave & Wenger, 1991; Weick, 2009),行動する。カーネギー財団全米看護教育研究では(Benner et al., 2010),看護教員も看護学生も一様に臨床推論とクリティカル・シンキングを1つに融合していた。内省的なクリティカル・シンキングはあらゆる専門の臨床家に不可欠であるが,クリティカル・シンキングは特定の患者についての時間をかけた状況に基づく臨床推論に置き換わることはできないため,臨床家には十分ではない。たとえば,患者の蘇生という状況においては,二次救命処置(ACLS)のアルゴリズムや標準的実践を,必要であれば患者の具体的な臨床状況や反応にそって調整する。(前もってわかっていたり危機の間に発覚した)特定の薬物に対する患者の感度や不耐性との関連は別にして,蘇生した時点で徹底的にACLSのアルゴリズムを見直す時間はない。危機のなかで行動しながら考え,その瞬間の特定の患者に対する最善の臨床的問題解決にとりくむ。危機が過ぎ去るまで後ろに立って事の成り行きを批判的に内省的に考えている時間は通常はない。臨床推論はすぐれた実践の確立された基準に関して科学と理論を活用する。クリティカル・シンキングは破綻した状況での実践に必要であり,そこでは実践の容認された基準を新しい知識や科学に基づいて問うたり見直したりする必要がある。たとえば,帰還した傷病兵など新しい臨床的特徴を有する慣れない患者集団のケアをするには,クリティカル・シンキングと創造的な臨床的想像力が求められる。看護師は別のアプローチや評価基準が求められる状況で多様な形の推論を活用するとき,さらに効果的に実践しているのである(Benner et al., 2010)。
 賢明で倫理的・臨床的な判断は,「行動しつつ考え」続けるとともに,看護師や医師と患者・家族との関係を築くうえで重要である。患者の所見を定められた枠組みにあてはめたり,人工知能を応用したりすることは,意思決定の支援にはなるが,状況の流れに基づいて判断した臨床家の倫理的・臨床推論の代わりになるものではない。
 人工知能の研究者で,このことに異論がある者はほとんどいないと思うが,私たちの教材のほとんどは意思決定分析技法によって導き出されるのと同じように,まるで臨床家が倫理的・臨床的な判断をしたかのように展開されている(Dreyfus, 1992)。私たちは本書を臨床判断やクリティカル・シンキングを教えるために欠くことのできない相補的なアプローチとしてみなしているが,それは本書が熟練の臨床家(Benner et al., 2009)の用いる実践論理(Bourdieu, 1990)を描いているからである。さらに,本書は看護や医療での臨床実践と臨床判断が,どんなに便利なモデルであったとしても抽象的な意思決定モデルよりも,いかに出来事の時間経過にそった臨床家や患者・家族中心の推論を常に必要としているかについて明らかにしている。たとえば,最善の実践(例:エビデンスに基づく実践)について集められた科学的証拠を活用する場合,臨床家はいまだに頭の中で患者の特殊性に応じた介入を慎重に決断し,科学的証拠を思慮深く批判的に評価する必要がある。
 本書の筆頭著者は,著書『From Novice to Expert』(Benner, 1984)以来,臨床教育および学習のための「ドレイファスの技能習得モデル」(Dreyfus & Dreyfus, 1986)の示唆について,看護教育者たちとの対話を続けている。また『Expertise in Nursing Practice』(Benner et al., 2009)では,本書で紹介されている多くの教育についての意味を示している。本書では,看護師の行動しつつ考えることと推移を見通すことでの濃密な記述をすることで,教育的な示唆を説明しようと努めている。本書は,看護実践における専門技能の習得で必要とされる経験的学習の核心につながる窓口となるだろう。本書のいたるところに,専門技能の習得に向かう看護師たちを支援するため,数多くのさまざまな示唆や事例を配している。熟練した推論と判断を必要とする患者ケアと熟練看護師が提供できるケアのレベルには相当なギャップがあるため(Burritt & Steckel, 2009),私たちは経験的学習が最適なベッドサイドでの状況に基づく教育やコーチングのさまざまな実践的方法を強調している。
 実践者は,目の前の最も関連のある所見や変化,もしくは事柄などに重点をおくことで,短期間の記憶やいつでも利用できる大量の情報を処理している(臨床経験から直接得られた際立った感覚)。しかし,熟練者の判断は常に状況によって左右される。その結果,最も重要な問題を明らかにすることが,適切な優先順位の設定や臨床判断にとって重要となる。看護過程(科学的な問題解決プロセスを用いたもの)を教える場合,最初の問題の特定よりも,問題解決プロセスに重点がおかれている。最も顕著で重要な問題や事柄にはほとんど注意が払われていない。それでも熟練看護師は,一番身近で顕著な事柄に対して「行動しつつ考えること」や,問題解決を位置づけることから情報管理と行動の戦略を立てている。この臨床判断の方法と「行動しつつ考えること」について記述することが,臨床家たちが実践でどのように考え行動しているかをより綿密に再現することになると信じている。そのようなものとして,第2章と第3章では,思考と行動に関して普及している2つの習慣,すなわち臨床把握と臨床における先見性について記し,第4章から第12章までで,「印象深い状況」と呼ばれる9つの実践領域について記した。このような記述は,学習者や教師を支援し,リーダーたちがすぐれた実践を提供できるような環境を作り出すのに役立つだろう。「印象深い状況」や臨床の看護実践の領域には実践の「目的因」つまり狙いが含まれる。すなわち,「最善の実践の科学的証拠を目的に,あるいは治療に対する患者・家族の心配事や選択を目的に,Xを行いYを成し遂げるために」ということである。文脈のない抽象的概念や形式的理論のなかでのみぼんやりと相対的にとらえられる実際の特定状況のなかに常に実践はある。
 ここで提示している臨床状況で使われる具体的な薬物療法は必ずしも「最善」とも「不変的なやり方」とも考えられない。実践の基準や新しい薬物療法,介入に関する臨床的証拠は絶えず変化するため,私たちは特定の臨床状況で使われた具体的な行動や治療法をそっくりそのまま読者に従ってもらおうというつもりはない。状況のなかにある症例から得られるものは明らかである。それは看護師の状況を把握する力,臨床における先見性,批判的・創造的思考能力,すぐれたノウハウ,患者・家族や医療チームの関心事や意図である。読者には,似たような状況でどんな行動をするのかを予行演習しながら,想像力を駆使して事例を読んでいただきたい。「理想的」な状況というものは1つもない。それらは看護師が実際の同僚や患者・家族と協働する状況のなかで起こりうることに基づいている。もちろん,本書に示した治療法は,自らの有する臨床的想像力を高めたい学生の看護師や臨床家にとっては非常に役立つ。
 私たちは,すべての専門領域からの271の新しい事例を検討した際,実践領域の明確な表現が新たに帰納的に生み出されたことに気づいた。私たちは必要に応じて,以前使用した事例を更新する際や新しい事例に新たな洞察を加えるときに,新しい事例を選んだ。本書(第1版)が最初に発行された11年前のいくつかの実践はその後,時代遅れとなったり劇的に変化したりした。私たちはそのような事例をすべて置き換えようとした。しかし,事例のポイントが主に看護師の創造性や困難な状況に対する反応性についてであったり,豊かな洞察力を示すものであったりした場合は,細かい点を更新しながらその事例を残した。実践はすぐに変わってしまうため,どんな実践の説明も最新情報で保つことは無理である。Weick(2009)が指摘したように,組織は“永続しない”。私たちは,看護師に提示された課題に関しては不変的な物語や,そのとき熟練した看護実践を示した物語に浮き彫りにしている。今から30年後に,本書は2010年頃の臨床看護実践の“歴史的説明”として使われるようになるかもしれない。

■本書の読者対象
 本書は,現在活躍しているクリティカルケア看護師,そして急性・慢性の重症患者とその家族に関わる仕事に携わりたいと希望している看護学生(学部学生・大学院生)を対象にまとめた。本書では,急性期の重症患者に対する看護実践の主要な領域を網羅している。その領域は,すばらしいコミュニケーションやケアリングの実践,関わりの技能を例示しているだけでなく,看護実践の目的や目標も含んでいる。その事例は,経験的学習についての手引き書であり,学生の経験的学習を手助けする数多くの体験報告を示している。本書は,施設が実践と教育とのギャップや教室での指導と臨床との違いを埋めるために役立つ。また,本書は急性・クリティカルケア看護の実践を指導している看護教育者や,看護実践における臨床推論やクリティカル・シンキング,臨床判断を教授している看護教育者も対象としている。プリセプターや病院の看護教育者や高度実践看護師は,新人を手助けするための多くの実践的なアプローチを見つけられると思う。また有能な臨床家は,自らが実践の中堅や達人レベルへと成長するのに有用な方策とともに,実践の達人や熟練者の段階に移ろうとしている有能な臨床家に役立つ方策を見いだすであろう。
 本書は,高度実践看護師,看護管理者,クリニカルリーダー,看護実践の組織的なシステムや,情報の構造基盤の開発や改革に関心のある人にも使ってもらえるはずである。第11章では,熟練看護師たちによって日々企画され,改革されている最前線のシステムについて,第12章では,卓越した臨床実践を導き方向づけることに基づくリーダーシップの概要について述べている。この章は,ケア提供システムを企画・開発し改革する人が,卓越した看護実践と好ましい成果との関連について理解する必要があることを示しており,この最前線の記述はこの過程での第一段階であると言える。いかによい看護成果が出ているのかをうまく理解できるよう,ナラティヴのなかで手段と患者成果は結びついている。第13章では教育的な意図が示されており,看護の教育現場と臨床現場の両方において本書が使用されている。
 私たちは実務に就こうとしている医師にとっても本書が有用であると信じているが,それは本書が急性・クリティカルケア実践の実態を写実的に記述しているからである。また,いかなる臨床家でも熟練者になるために身につけなければならないすぐれたノウハウは同じであるため,経験の浅い医師にとって習慣や領域の説明は役立つと思う。本書では,さまざまな職種やさまざまな経験レベルの人同士の意思疎通についての,多くの実践的な方針も示している。医師の読者には,看護師が医師に対して主張することを描写している実例や,看護師と医師との葛藤や協働を描いた実例にある,医師の実践や教育に関する多くの肯定的な事例についても注目していただきたい。コミュニケーションがうまくいった事例や,反対にうまくいかなかった事例は,看護師と医師とのコミュニケーションや協調の向上を願いながら記されたものである。
 最後に,私たちは,医療倫理についての議論や協議が,本書に示された倫理的・臨床推論の実践に基づいた教育法を取り入れることで促進されると信じている。本書は,倫理的推論と臨床推論とがどのような関連があるかを豊富に例証し,また看護や医療の臨床実践に深く組み込まれた概念を明確に示している。このように本書には,すぐれた実践を模索している臨床家が―ジレンマや実践の破綻での倫理に焦点をあてるよりも日々の倫理的ふるまいに目を向けた,倫理に対する不可欠な提言が紹介されている。さらに道徳的な理解や識別,行動,人間関係における感情の役割についての洞察も示している。事例は患者・家族の擁護する多面的な倫理だけでなく,脆弱さや思いやり,責任の倫理(Martinsen, 2006)も示している。それはアリストテレスの伝統を受け継いだものであるが,キルケゴール(Dreyfus, Dreyfus & Benner, 1996; Rubin, 2009)とLøgstrup(1997)の伝統を引き継ぐ対人関係倫理を受けたものでもある。また,Taylor(Benner et al., 1996; Rubin, 1996; Taylor, 1985a, 1985b, 1989, 1993)の著書に追随して,本書は質的な対比や変化を見通す方法がいかに倫理的・臨床推論の中心となっているかも例証している。私たちは本書が学生や活動している臨床家の熟練した実践の習得を向上させ,教育者が知識の習得と実践での状況に基づく活用(Eraut, 1994)を統合するために採用する教育的方策を強化し,本物の文脈のなかでの状況に基づいたコーチングや学習を高めることを願っている。本書には,管理者が実践現場で熟練した臨床知識の獲得を支援するために必要な方法と,管理者や臨床家が臨床実践に影響する意思決定をうまく伝えるために優秀なクリニカルリーダーの臨床知を探し出すために必要な方法が明確に,そして詳細に記されている。

Patricia Benner
Patricia Hooper Kyriakidis
Daphne Stannard

●参考文献
Benner, P. (1984). From novice to expert: Excellence and power in clinical nursing practice. Menlo Park, CA: Addison-Wesley.
 井部俊子(監訳):ベナー看護論 新訳版―初心者から達人へ,医学書院,2005.
Benner, P. (2000). From novice to expert: Excellence and power in clinical nursing practice, Commemorative Edition. Menlo Park, CA: Addison-Wesley.
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Weick, K. (2009). Making sense of the organization: Volume 2: The impermanent organization. West Sussex, UK: John Wiley & Sons.

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第1章 行動しつつ考えることと推移を見通すこと:概観
 研究の背景
 対象と方法
 臨床でのふるまいと卓越した判断と思考の技能
 際立った感覚を養うこと
 状況に基づく学習:知識の習得と知識を使うこととを統合する
 (想定される)推移を見通すこと
 熟練したノウハウ
 反応に基づく実践
 発動力
 鋭敏な知覚と関わりの技能
 倫理的推論と臨床推論の統合
 情動と判断とナラティヴによる説明のつながり
 経験的学習におけるナラティヴの役割
 臨床的・道徳的想像力の育成
 実践の論理とナラティヴによる教育法
 まとめ

第2章 臨床把握と臨床探究:問題の特定と臨床での問題解決
 質的な識別をすること
 臨床状況を追究し,探索的思考し,その難問を解くこと
 臨床的重要性の変化を認識すること
 特定の患者群に関する臨床知識を深めること
 臨床把握と患者の反応に基づく実践
 臨床把握,推移を見通すこと,および探索的思考の教育と学習
 まとめ

第3章 臨床における想像力と先見性:潜在的な問題を予測し予防する
 先を考えること
 特別な疾患や傷害についての臨床における先見性
 特別な疾患や傷害のある患者の危機や危険,脆さを予測すること
 予想外の出来事を発見すること
 まとめ

第4章 急性期で状態が不安定な患者の生命維持機能の診断と管理
 診断とケアの深いつながり
 緊急で命に関わる状況を診断し管理すること
 診断し,モニターし,見極め,状態の不安定な患者に迅速な
  ケアを提供して,生体機能と身体的安定を維持すること
 重要だが緊急でない身体機能の不安定さを診断し,
  モニターし,予防し,管理すること
 同時に行われる複数の治療・処置を調整し管理すること
 生命維持装置から離脱する患者を指導し支援すること
 まとめ

第5章 熟練を要する危機管理能力
 危機を管理するための環境を整えること
 危機に対応するために迅速で多様な治療の実務を順序よく管理すること
 危機のなかでチームを編成し,チームメンバーの行動を調整すること
 医師がいる場合,患者の管理をするうえで
  経験に基づいたリーダーシップを発揮すること
 医師が不在の場合,危機管理に必要な医療行為を行うこと
 臨床能力と熟練の臨床家を見極め,特殊な状況に配備すること
 情緒的反応を調整し,職場の雰囲気を円滑にすること
 まとめ

第6章 急性期の重症患者を安楽にすること
 安楽の源としての身体的ケア
 人間関係やつながりを通じて安楽にすることと患者を人間として認識すること
 邪魔にならないようにしながら適度な刺激や気晴らし,休息を提供すること
 先端医療の環境をやわらげること
 でしゃばらずに応じること
 鎮痛・鎮静薬の使用や緩和ケアの手段について倫理的な側面を考慮すること
 痛みを伴う処置の影響を抑えることとリラクセーション技法や
  視覚化,気晴らし,楽しみを活用すること
 日々の日課や習慣が安楽をもたらすこと
 まとめ

第7章 患者の家族へのケアリング
 家族が患者と一緒にいられることを保証すること
 家族に情報や援助を提供すること
 家族がケアに参加できるようにすること
 まとめ

第8章 技術的環境での危険防止
 実践的な技術アセスメントを行うこと
 安全措置を行うこと
 機器を活用することとその性能を理解すること
 まとめ

第9章 死と向き合うこと:終末期ケアと意思決定
 意思決定のポイントと移行
 ケアの妥当なレベルをアセスメントし計画すること
 治癒から緩和ケアへの移行を認識し伝えること
 思いやりのある緩和ケアを計画し実行すること
 死と向き合うこと
 終末期医療と意思決定についての現在の倫理的議論
 まとめ

第10章 論理的に述べること:臨床評価の共有とチームワークの改善
 臨床的な移行を伝えること
 臨床経過のなかで予測の逸脱や予想外の変化を伝えること
 実践を変えることと新たな臨床知識を身につけること
 実験的な治療についての臨床知識を身につけること
 チームを作ること:注意深く,有能で,協調性のある集団を育成すること
 まとめ

第11章 患者の安全:質のモニタリングと実践のブレイクダウンの予防と管理
 実践のブレイクダウンを管理する際の仲介者の役割
 最前線での質の改善とモニタリング,危機管理
 差し迫ったブレイクダウンと実際の実践のブレイクダウンを立て直すこと
 実践のブレイクダウンが生じているなかでのチームの構築
 今後の実践のブレイクダウンを予防するために
  システムを改善したり設計し直したりすること
 事例の比較:大きな困難に立ち向かい実践のブレイクダウンを受け止めること
 不安定な職場環境で医療システムの欠陥を最小にすること
 適切な看護ケアや社会サービスのないところで高度な医療を提供すること
 まとめ

第12章 道徳的なクリニカルリーダーシップのすぐれたノウハウと
他者を指導し助言すること
 他者の臨床的成長を促すこと
 患者の経過を解釈・予測し,対応するなかで他者をコーチングすること
 患者ケアのギャップを埋めること
 怒っていたり要求の多い患者や家族との対立(コンフリクト)に
  折り合いをつける:管理からつながりや理解へ
 協力関係を築き,維持させること
 ケア提供システムを作り変えること
 まとめ

第13章 教育方法と提言
 看護師への知能的・技術的・倫理的実践の教育の課題
 状況下での学習:患者とその家族のケアをするさなかでの学習
 行動しつつ考えること:講義と臨床教育の統合
 実践についての内省
 看護のナラティヴを書く際のガイドライン
 ナラティヴを評価する
 学問としての講義と臨床学習との統合の提案
 まとめ

 付録
  研究デザインおよびデータ分析について
  手順
  データの分析
 用語解説
 略語一覧
 索引

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すでに知っていたが,表現したことがなかったことを言葉にする (雑誌『看護教育』より)
書評者: 迫田 綾子 (日本赤十字広島看護大学教授)
 本書は,日本での初版から8年を経て出版されたものである。満開の桜色の表紙は,清楚で明るくてすぐに開きたくなる。誘われるようにページをめくると,インタビュアーにより看護実践が紹介されている。本書の意図は,「自分はすでに知っていたが,表現したことがなかったことを言葉にした」のを感じてもらうことだという。

 実際看護師は,言葉以上に多くのことを知っている。看護を積み重ねることで経験することは多く,随所に宝が埋蔵されているはずである。しかし,残念ながら私も含めて多くの実践者は,貴重な看護経験を言葉にして広く伝える方法や機会をもってこなかった。本書は,看護の隠れていたものを見えるように示し,行動し考えることと推移を見通すことで,手の届かないものを手に入れる看護への示唆が散りばめられている。それゆえに本書は925ページという大作ながら,繰り広げられる豊かな看護実践に深い感動を覚えながら読み進めることができた。

 タイトルの,「行動しつつ考えること(thinking-in-action)」で,クリティカルな場面で状況が刻々と変わっていくなかで,行動しながら考え,推移を見通すことの必要性を紹介している。そして,看護ケアの臨床知を導き出すため,新人看護師から熟練看護師までを対象に,看護実践のあるがままの姿を記述し臨床状況に焦点を当てている。実践に関する271件の新しい事例からは,状況についての内省を行う技術を磨くことや,臨床知を導き出す創造的なプロセスを示している。多くの教育や臨床状況の下で活用したいものである。特に目を引いたのは,実践における思考の習慣化である。教員や指導者自身がまず「行動しつつ考え,また行動すること」を培う必要があろう。

 第2版は,最終章に倫理的・臨床推論の実践に基づいた「教育方法と提言」が追加された。内容は,「看護師への実践の教育の課題,状況下での学習,講義と臨床教育の統合,看護のナラティブを書くガイドライン,学問として講義と臨床学習との統合の提案」などである。著者は冒頭で「看護について学んでいるだけであり,看護師になることを学んでいない」と看護教育への苦言を呈しているが,それゆえ,「看護師として働くことを学びながら成長していくための提言」と受け止めることができる。

 文中の「あなたはどんなことに気づきましたか?」という臨床推論に至る最初の質問は,われわれが基礎看護学実習でも活用している。その他にも状況下で学習を深める発問が種々紹介されていた。実習や新人教育でこれらの質問を用いると,どんな答が導き出され成長につながるか非常に興味深い。本書は,ベナー博士からのすべての看護師への新たなメッセージである。

(『看護教育』2013年4月号掲載)
あらゆる分野や場で働く看護師に読んでいただきたい一冊
書評者: 佐藤 紀子 (女子医大教授・看護職生涯発達学)
 20数年前,1992年に出版された『ベナー看護論』(医学書院)と出会ったときから,私はベナー博士からの問いかけによって研究者として,また看護学の教育者として歩き始めたような気がしている。

 今回出版された『ベナー 看護ケアの臨床知 第2版』は,クリティカルケア領域の看護師たちによって語られたナラティヴが,初版以上に多数示され,その実践に埋め込まれている臨床知を概念化して提示している。ナラティヴだけを追いかけて読んでいくと,書かれている状況が目に浮かび,看護師が日常的に非常に多くの判断をしながら行動していることに改めて驚かされる。

 今回の改訂版には手術室看護師のナラティヴも10件程度紹介されている。私は手術看護分野の認定看護師教育に10年近く関わってきたが,これらのナラティヴは,手術室看護師が先見性を持ちつつ危機管理能力を発揮していること,患者や家族へのケアリングを実践していること,技術的環境での危険防止をしていることが具体的に表現されており,日本の手術看護のさらなる発展にエールを送られたと感じている。そして,当の手術看護師にとっては日常的な実践の中に,優れた臨床知があることを気付かせてくれるものであった。

 ベナー博士は,看護師にインタビューし語ってもらうことでナラティヴを記述し,臨床知として概念化しているが,同様に看護師の臨床知に関心を持ち研究に取り組んでいる私は,看護師たちに対してまずは書くことを奨励してきた。書くことは自身の実践を省察する機会になり,日本の看護師たちは語ることもできると思うが,書くことも巧みであると感じている。今後は,語ることと書くことのそれぞれの強みを生かしながら,実践の中に埋め込まれた臨床知の言語化に,実践家とともに取り組んでいきたいと思う。

 また,私が刺激を受けた記述の一つに,「驚くほどの数の看護師が,実践の最も基本的な側面,すなわち,問題や,1人の人間としての患者に積極的に関わるということが身についていないのである。積極的に関わるには,綿密に準備した重要な方法で情緒的につながりをもち,そのうえですぐれた臨床家の把握や考察,推論,判断,介入,やりとりを導く方法について学ぶ(または教わる)必要がある。」(p876)という記述であった。看護師が仕事を継続する中で,豊かな臨床知と能力を獲得していけば,看護現場は大きく発展するのだろうと考えさせられた。

 クリティカル領域の看護師だけではなく,あらゆる分野や場で働く看護師に読んでいただきたい一冊である。

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