縛らない看護

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「抑制」をしない、そこから「看護」がはじまる。抑制廃止運動が各地で巻き起こり、厚生省令でも身体拘束が禁止された。いま問題は「どうすれば抑制をなくすことができるか」だ。本書は抑制が抑制を生むメカニズムを明らかにしつつ、患者・看護者双方が“自由になれる”抑制はずしのノウハウを具体的に示す。「縛らないですむ方法を考えることが看護そのものだった」と気づいた看護者は元気になれる。
編著 吉岡 充 / 田中 とも江
発行 1999年09月判型:A5頁:276
ISBN 978-4-260-33017-6
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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序章 縛られているのはだれか
田中とも江


 看護婦が患者さんを縛る,いわゆる抑制という行為は,批判の声の高まりほどにほんとうに減っているのだろうか。

 1993年,私たちの病院に入院していた患者さんで,以前にいた医療機関でなんらかの理由により抑制を受けていたのは47人中16人(34%)であった。それが1998年に調べると,縛られていた患者さんは117人中76名(65%)と逆にふえていた。絶対数がふえているのは当院の精神科病床71床が1997年から痴呆療養病棟になりお年寄りのベッド数がふえたためであるが,「被抑制率」も倍近くになっている事実に注目してほしい。

 もちろん当院が「抑制しない病院」であることが知られてきたため,抑制されていた方の転院がふえたことも理由だろうし,こんな小さな例だけで世の中全体をうんぬんすることはできないかもしれない。しかし私の実感としては,抑制の問題は,廃止という方向に向かって改善されているようにはあまり感じられないのである。

 QOLが日常用語としてつかわれ,医療機関はサービス業とまでいわれている現在ではあるが,この結果からみるかぎり,抑制の問題はまるで別の世界のことのようである。


1 「違和感」と「正論」と「あきらめ」

■だれが抑制をしているのか

 抑制はだれがするか。いうまでもなく私たち看護婦自身がそれをする。では,そもそも私たち看護婦は,抑制という行為にたいしてどんな認識をもっているのだろうか。

 私自身もかつて,患者さんを縛っていた。私の部下である看護婦たちもいろいろなところで抑制を経験してきている。それであるとき,スタッフを集めて抑制にたいする当時の考え方や気持ちをミーティングで話し合った。

 多くのスタッフが,
「縛らないと患者さんが危ないから,抑制は患者さんのためだ」
「縛らないと仕事が大変になるといわれたから」
「こんな少ないスタッフ数じゃあ患者さんを縛らなければとてもやってられない」

 頭ではそんなふうに考えている。しかし,実際に縛るときは,
「かわいそうだと思うこともあった。仕事だからしかたがないという気持ち」
「自分のときは他の人にくらべて少しゆるめに縛っていた」
「患者さんを縛るのはつらかった。子どもが大きくなるまで辛抱して勤めて,そこの職場からサヨナラしようと考えていた」

 こんなぐあいに大部分のスタッフが,程度の差はあれ,“かわいそう”とか,“自分はいけないことをしている”という,うしろめたい気持ちを感じた経験があった。抑制に慣れることができずに,違和感をずっと感じつづけながら縛っていたというスタッフも多かった。いま,抑制をおこなっている現場の看護婦もおそらくこれと同様の状況だろう。

 しかし現場では,まず「抑制ありき」なのである。ほとんど蔓延といってもよいくらいに「抑制」という「看護技術」は普及してしまった。きっと最初に抑制を看護技術の項目にいれた人の思惑などをこえて,ひどいところでは「歩く痴呆性老人は一律抑制」というように。

 このことを,おかしい,この抑制は行きすぎではないか,と感じる健全さを,よほどのすれっからしでもないかぎり,看護婦はどこかにもっている。だが具体的な行為にはいたらず,残念ながら“情において忍びない”という同情のレベルにとどまる。

 一時は悩んでも,現場に抑制があるかぎり,自分もそれに合わせていくしかない。抑制はしかたがないことだと弁解を繰り返しながら。

■抑制は患者に何をもたらすか

 抑制が必要というには,その利益と弊害をきちんと把握しなければならないはずだ。

 抑制は患者さんのこころと身体を著しく傷つける。苦痛であるだけではなくて,食欲の低下や褥瘡,関節の拘縮,心肺機能の低下,感染症への抵抗力の低下,痴呆の進行など,さまざまな不利益を確実に患者さんにもたらす。それは患者さんに無惨な死をもたらすことにもつながる危険な行為である。この弊害に比して患者さんにもたらされる利益は皆無に等しい。

 また,他の治療行為と同様,適用すべき範囲やその手続きもしっかり踏まえてからおこなわれるべき性質のものである。救命救急を必要とするような状況であったり薬物性精神病などで激しい興奮状態にあり他の手段をもってしては代えがたいとき,はじめて許されるものではないか。抑制するための条件としてはそのくらいの厳密さが要求されてもよい。そのような認識のもとで,慎重に検討されたうえでおこなわれるのでないかぎり,いかなる抑制も患者さんの人権に反する。これが基本であり正論であると私は考え,ずっとそう主張してきた。

■「現場はそうじゃない」

 けれども,いくら声高にそういっても,きっと現場の看護婦は素直にうなずいてはくれないということも知っている。明日から抑制はやめますなどとは,けっしていってくれはしないだろう。

 ある看護学校の先生が授業で学生に抑制の弊害を説き,できるだけ抑制はするなと教えていた。抑制は看護の精神に著しく反するではないかと。だが学生の反応は「先生,そんなこといったって現場はそうじゃないよ。そんなの理想論にすぎないよ」と,にべもないそうだ。教える先生のほうも無力感におそわれると嘆いていた。

 その話を聞き,若い学生のこころまであきらめさせてしまう「抑制の根」は,ほんとうに深いものだと思った。同時に現場論,現場での実践を含まずに「抑制のない看護」を教育することはおそらく不可能だろうと感じた。


2 加害者であり被害者である

■なんであなたは看護婦になったのか

 私が看護学校に行きはじめたころは,ちょうど終戦後の貧しい日本が,高度経済成長期を迎えはじめた時期だった。そのころは,看護婦は「ああ看護婦ね」と軽く蔑むようにいわれていた時代だった。だれでも看護婦になれるものだといわれていた。実際,家が貧しかろうが,学校の勉強が少しできなかろうが,看護婦にはなれた。むしろそういう境遇の娘がなるのがふつうだった。

 年端もゆかぬ娘が中学・高校を卒業し,何になったらよいか考えてみる。女がずっと一生食いはぐれずにいけそうなのが看護婦だとめぼしをつける。憧れでもなんでもなくて,そういう気持ちでこの職業を選ぶ。そして,診療所や民間病院に住み込んで准看護婦の学校に行く。そこでは,まるで女中のように働く。朝は掃除,洗濯,昼間は診療を手伝い,夜は看護学校に。帰ってきて最後にお風呂に入れてもらい,「ありがとうございました」と先生や家人に頭を下げて休む。

 やがて資格をとって,お礼奉公。注射,処置,手術の手伝い,器材の消毒,薬つくり,ときにはレセプトまで,ありとあらゆる診療の補助をいわれるままにする。たまの日曜日も急患でつぶれることもある。

 もちろんそんな経歴の人ばかりではない。人を救う看護という行為・職業に自負と理想を抱いて看護婦となった人もいる。しかしながら,それはきわめて少ない,エリートと呼ばれるにふさわしい人たちだった。

 あるとき,私の同僚の看護婦が上司に叱られて,「なんであなたは看護婦になったのか」と詰問された。叱責の意味は,看護婦になったあなたの原点,人の役に立ちたいと願った当初の気持ちに立ちかえって考え直しなさいということであった。同僚は少し困ってから「私が看護婦になったのは東北の炭鉱が閉山になったからです」とだけ答えた。

 上司は拍子抜けした様子でもう一度,「それだけで看護婦になったわけではないでしょう」とかぶせるように聞いた。が,彼女は真面目な顔でぼそっと「炭鉱が閉山になったから看護婦になったんです」と繰り返した。そのやりとりを聞いていた幾人かのスタッフはその場でこらえきれないように笑った。しかし,私はとても笑えなかった。むしろ痛いほどよくわかった。

 良いも悪いもわからない。なにも考えず,ただ女中か奉公人のごとく一所懸命働く,そういう看護婦が大量に養成された。私も彼女もその一人である。

■疲れ,すさんでいく看護婦たち

 高度経済成長期には医療機関も混沌としていた。私の知る精神科領域では,一旗上げるための精神病院がどんどんつくられた。医療よりもお金儲けが優先されるそんなまともとはいえない病院に,どんどん看護婦たちが吸収されていった。そして,過酷な労働と,理念や人間性に欠ける現場のなかで,あるいは疲れ,あるいは倦怠をおぼえ,ある一群の看護婦たちはすさんでいった。

 私はあるとき勤めていた病院の経営者にせめて2交代制にしてほしいと申し入れたら,そんな馬鹿なことができるかと,とりあってもらえなかった。その病院では私たち看護婦は月に15日,24時間つづけて働いていたのだ。そんな状態の現場では看護どころではなかった。

 そこでは,精神分裂病の患者さんも躁うつ病の患者さんも,てんかんの患者さんもアルコール中毒の患者さんも,精神薄弱の患者さんもみな同じ病棟であった。立場の強い看護婦が弱い患者さんを支配し,腕力の強い患者さんが弱い患者さんを虐げるヒエラルキーができあがっていた。

 いらいらしている看護婦もいれば,眠っている看護婦もいる。夜は当直室に集まり,酒を飲みマージャンを打つ。デタラメな行為もそこではみな治療といい看護といわれた。患者さんを人とも思わない言動も,お仕置きのために保護室を使用することも,看護である。ときには反抗的な患者さんを殴る蹴るの暴力で脅すことも,患者さんをあごであしらうために必要な看護技術の一種だった。

■無知ゆえに

 私のいた病院が例外であったわけではない。周囲の病院はどこも同じような状態だった。そんな病院のなかでは抑制などは,ほんとうに当たり前の,空気のようなものであった。だれも抑制が問題であるなどと考えもしなかった。

 看護婦の間で,あそこはほんとうにひどい病院だという噂のあるところほど,あっという間に大きな精神病院になっていった。そしていま,それらの精神病院が老人病院に鞍替えしたり,老人病棟を併設したりしている例が多い。現在,老人病院でおこなわれている無秩序な抑制の多くは,精神病院でおこなわれてきた抑制と共通の基盤にあるといっても過言ではあるまい。問題は継続しているのである。

 私は考えるのだが,もとをただせば抑制は,それをおこなう看護婦も含めて,医療理念の欠けた現場で育てられてきたのだ。『無知の涙』という連続射殺魔といわれた犯人の告白書がある。無知ゆえに次々に人を殺してしまったという内容だった。よく考えれば,抑制という行為をおこなう看護婦も,加害者であるだけてはなく,被害者としての一面があると思える。

 人間が本来もつ攻撃性が,無秩序で混沌とした医療の現場で,とどまることを知らず発揮されてしまった。看護婦自身それを悪いことだと振り返る余裕も判断材料も与えられてはいなかったと思う。

■私の転回点――生きていくのに誇りが必要だった

 そのころ,自分が看護婦なんて人前でいえないよね,という人が私の周囲に多くいた。「だってだれにでもなれて,だれにでもできて,きたない仕事で,恥ずかしい仕事」だという。やっていることが,たいしたことのように思えないというのだ。

 しかし,私にはその一歩身を引いたようなことばが理解できなかった。というより理解したくなかった。私はあきらかに酷いと思う病院で1日24時間働きづめに働いていた。だからこそ,看護婦であることに誇りをもたなかったら自分というものがほんとうに何もかもなくなってしまうようで,せつなかったのだ。私の場合には,追いつめられたぎりぎりのところで,自分というものと看護婦という職業とが重なり合っていった。私が生きていくのにはどうしても看護婦としての誇りが必要であったのだ。

 いま思えばそこが私の出発点であり転回点だった。そしてこの転回点は,当時の精神科の患者さんのおかれた環境とは無縁でなかったと思う。「追いつめられた気持ち」をもったのは患者さんの扱われ方の酷さがいっそう自分を惨めにしたからだし,それが患者さんの苦しさを体得する基盤であったのだ。おそらくそこそこの病院に勤めていれば,抑制をやめようなどという目標をたてることはなかったのではないか。きっとその病院でもおこなわれるであろう「そこそこの抑制」に,いくらかの疑問を感じながらも続けているのではあるまいか。


3 縛らない看護――固定観念からの脱却

■体を張らなければついてくるはずがない

 私はいま老人病院で働いている。

 そして抑制のない病院づくりに取り組んでいる。まず最初にやったことは,病院中の抑制帯を一本残らず捨ててしまうことだった。そして,
「もう今後この病院では患者さんを縛ることは一切許されません」
と,はっきりと宣言してしまうことだった。

 それまで医療の現場で働いていて,私はいろいろな事情の看護婦たちと出会ってきた。そのやさしさも弱さも身に沁みて知っているつもりである。彼女たちのやさしさは,弱さと表裏一体なのだ。

 そしていつも,彼女たち自身,劣悪な労働環境や,女であることの差別や,医師の権威や医療のなかの因習,そういったものに縛られ,動きがとれないでいた。というより,ほとんど自動的にそういったものに身をまかせて,その日その日を送り,賃金とわずかなやすらぎを得ているように思えた。別に患者さんがどうであれ病院がどうであれ,彼女たちは,どうでもよいと割り切ろうと思えば割り切れる立場なのである。好んで苦労をするはめにはなりたくないという気持ちがいつでも強くある。

 だからこそだれかが捨て身になって本気で行動しなければ彼女たちがついてきてくれるはずがない,そう私は本能に近い形で理解していたように思う。体を張ってやらなければ,彼女たちがついてくるはずがない,そうすることだけが当時の私の武器であり,論理であったように思う。

■あなたは縛られたいか

 私は抑制帯を捨ててしまうと同時に,自分で感じ,考える看護婦を育てたいと思った。看護婦たちが自分自身で抑制の弊害や縛られる患者さんの苦痛や屈辱を理解してくれなければ,ざるの目をくぐるように,抑制がいつの間にかどんどんふえていってしまうに違いない。実際に私の病院でも抑制帯を捨てさった後で,病衣を使って患者さんを縛ろうとした看護婦があった。これでは何をしても,どうやっても抑制はなくならない。

 あるいは看護婦長や主任が変わっただけで病院や病棟のカラーや体制ががらっと変わることは珍しくない。ある患者さんのご家族にこういわれたことがあった。
「あなたはこの病院をすぐには辞めないでしょうね。絶対にこの病院を辞めないでください」

 そのご家族は,以前入院していた病院で婦長が変わったとたん,極端に看護・介護の質が低下してつらい思いをしたのだという。看護婦一人ひとりがきちんと理解しているのでなければ,どんなに優れたことをおこなっていたとしても,それが継続される保証はないのである。

 しかし,抽象論や精神論だけでは看護婦にはわかってもらえない。よくある「患者さんを社会の先輩として尊敬して看護にあたりなさい」とか,「患者さんは痴呆があり状況がわからないのだから逆らってはいけません」というような話だけでは効果がない。患者さんが何もわからないならば縛ったっていいじゃないかという気分の看護婦も現場にはたくさんいるのである。またたとえ具体論であっても,患者さんはきっとつらいのでしょうという,どこか他人事のレベルではやはりわからない。

 私は,
「あなたは縛られたいか」
「あなたの親ならどうであるか」
「あなたの子どもたちであればどうか」
と徹底して問いつづけていった。

■看護婦は「看護」をやりたいのだ

 スタッフにはどうしても,患者さんは患者さん,自分や家族などとは別のものだという抵抗が強くあった。ときには厳しくかかわり,反感をかったこともある。この人がと思う看護婦が,私の考え方についていけないと離反することもあった。

 しかし,この看護婦としての基本中の基本である,「立場を変えて感じ,考える」習慣を身につけてもらうまでは妥協するわけにはいかないと決心していた。それで繰り返し繰り返し,ときには叱り,ほめ,ヒントを与えていると,少しずつスタッフに考える習慣ができてきた。そうすると私自身は同じ話をしているのであるが,聞き手であるスタッフの反応が明らかに変わってくる。

 経営だけに熱心な管理者,ただの飾りものの婦長,そんな体制のなかでは看護婦たちは,諦め,堕落し,その日その日を送っていた。けれども,こころの隅では看護への飢えを感じている看護婦も多いのだ。育てるということは,その飢えを満たすことだと私は考えている。

■抑制をしない工夫,抑制にいたらないケア

 もう一つ大切なのは,現場で彼女たちと一緒になって考え,工夫することだ。「工夫された抑制」はこれまでいくつも考えられてきたが,「抑制しないための工夫」はほとんど考えられてはこなかった。

 技術も工夫もなく抑制をおこなわないことは不可能である。そんな何もない夜の海のようなところに彼女たちだけを放りだすことはできない。私の役割は,一緒に考え,彼女たちが実践に移すのを全面的に支持しつづけることだった。そんな関係のなかから現場でつかえる工夫がいくつか生まれてきた。それらはけっして特異なことではない。むしろ基本中の基本や,その応用にすぎない場合が多い。

 たとえば,点滴を抜くからという理由で患者さんを抑制するのであれば,その点滴を抜く患者さんの様子を観察してみる。痴呆の患者さんがベッドに寝たまま長時間点滴を受けることはまったく退屈であり苦痛である。ついつい自分の腕や,点滴ルートに関心がいってしまい,抜いてしまうことも多いのだ。

 だったらまず,そのベッドに寝たまま点滴をするという方法を考え直してみる。別に重症でもないかぎり点滴はベッドに横たわったまま受けなければならないというものではない。が,なんとなく患者さんは安静にするものという考え方から,点滴は寝たままの姿勢でという固定観念がある。その固定観念はやめにして,椅子や車椅子に座ったままの姿勢で点滴を試みてみる。

 また,血管がみつけやすく入りやすいという理由で,点滴は前腕の静脈にという固定観念がある。しかしそれでは点滴のルートが目の前にきてしまうので,患者さんはついそれを触ってしまう。とすれば足の膝から下の静脈をみつけて,そこから入れてみる。そうすればチューブが目の前に垂れることは避けられる。そして患者さんの車椅子にテーブルをつけ,その上に患者さんのお気に入りの人形をおき遊んでもらっていると,患者さんの関心はそちらに向かい,点滴されていることを忘れてしまう。

 ベッドから落ちてしまう患者さんであれば,ベッドの枠を外して,床にマットレスを敷いてやすんでもらえばいい。病院だからといってベッドである必要はないのだ。

 しかし,これら抑制をしない工夫だけでは不足である。これとあわせて「抑制にいたらないケア」をおこなうことがなによりも重要である。そのことを医師も含め現場のスタッフ全員に認識してもらわなければならない。

 たとえば先の点滴でいえば,ほんとうにその点滴が必要か否か検討されるべきだ。多少時間がかかっても経口摂取が可能ではないか,食欲が落ちているのは寝かせきりにしているためではないか。おむつをはずしてしまうというのであるならば,おむつ交換の回数やタイミングは適切か,排泄のチェック表をつくって皆で検討してみる。そうすることで,「看護婦が抑制をしたくなるような状態」そのものの数が減少するのである。

■医師の権威的な考え方が最大の障害

 これも固定観念からの脱却ということの延長線上にあることなのだが,抑制をやめる過程で出会った最大の障害は,医師の権威的な考え方だった。

 医師である自分が治療をおこなうのだから治療の邪魔になると自分が判断したら看護婦は黙って患者を抑制をしろ,治療に口をはさむなと平気で看護婦に抑制を指示する医師も多かった。検討もされずに無造作に抑制が指示されるのだ。抑制に反対すれば,責任者は医師である自分だといきり立つ。だがそれでほんとうにいいのだろうか。

 老人の状態は,病気でもあり障害でもある。完全な回復が望めない場合も多く,そのときには病気と日常的につきあうことになる。そこに抑制という行為が入りこめば,頻繁に,それこそ日常的に抑制しなければならない状況に陥ってしまう。

 私はたとえ相手が医師といえども,自分の考えを主張した。治療のためには手段を選ばないというのは間違いである。短絡的に過ぎる。私は抑制という行為をとらずとも治療は継続しうると考える。むしろ抑制のもたらす弊害は明らかに治療の効果を上回ることが多いのである。

 私は,もし,抑制をしなければ医師として責任がとれないというのであれば,あるいは抑制しないことより患者さんに不利益がもたらされるのであるならば,私が先生のかわりに責任を取ります,そう主張した。医師の指示した治療行為を遂行するのに,抑制を必要とするか否かの判断は看護婦にまかせてくださいと。

 それでトラブルになったこともあるが,私は引かなかった。一歩引けば,また,もと通り,後ろめたい看護にまた逆戻りだと思ったからだ。それではついてきてくれた看護婦たちに申し訳がたたない。また,どんな理由でも一つの抑制を認めれば,老人医療の現場では,たちまち抑制が蔓延してしまうものだ。ましてやそれを医師が率先して指示すれば,ほんとうに,なしくずし的に抑制がおこなわれ,最後はとりとめがなくなってしまう。抑制という行為に「医療行為」という隠れ蓑を与えては絶対にいけない。

■私たちは黙りすぎていた

 だから,看護婦のくせに越権行為だといわれようがかまわない。あまりにしつこく抑制をいった非常勤の医師には,「絶えず患者さんの傍らにいる私たちが妥協すれば一体だれが患者さんを守れるのだ。今この現場で患者さんを守るのは医師のあなたでもなければ,役所でもない,家族でもない,私たち看護婦なのだ」と声を高くして,断固として抑制を拒否をした。

 ほんとうは私は看護婦だけが正しいとか,患者さんを医師よりよく知っているのだとかいうつもりはない。ただいいたいのは,患者も医師も看護婦も同じ土俵にのろうということである。そこでは特権も上下もない。看護婦たちは看護婦として,患者さんと接触し,観察し,感じたことをその土俵で主張する。それが貴重なのだと思う。

 いままで看護婦はあまりに黙りすぎていたと私は思う。私たち看護婦は患者さんの傍らにあって患者さんの喜びや苦痛を直接に目のあたりにしてきた。それだけではなく,自らの手で,たとえば抑制などにもたずさわってきたのだ。そういったいろいろな真実が話し合いの狙上にのることで,医療の陥りがちな,治療優先主義,独善主義,あるいは利己的な考え方の偏りが修正されていくのだと思う。抑制というテーマを通して,その廃止を主張してきて,つくづくとそのことを感じる。


4 いま看護婦であること

■抑制を解くこと――看護婦にとっての意味

 患者さんの抑制を解くということはやさしいことではない。それは看護婦自身が自分にむちうって,その過去の習癖や固定観念から必死ではいだそうとする行為であると思う。

 同時に,患者さんの抑制を解くということは,看護婦が看護婦として,そして人間として目覚めることでもあると私は思う。反対に抑制をすることはその弊害に眼をつむることである。看護婦としての専門性を捨てることに等しい。医師の指示に盲目的に従うことは,美徳ではない。ただ問題をおこさないことに過ぎない。そこで置き去りにされるのは患者さんなのであり,看護婦もただ利用され,使い捨てられているにすぎない。

 抑制について考え,抑制の廃止を身をもって実践していくことは,看護婦が医師や病院という組織に隷属するだけの存在ではないと訴えることではないか。そして,患者と同じ人間として痛みや屈辱を感じ,それを癒す存在としてアイデンティティを回復してゆく,そういう過程ではないだろうか。私はそう思う。そしてそのことに看護婦自身が気づいていくことが何よりも重要である。

■いま,この時代に

 老人医療と,かつて私がたずさわった精神科医療は,患者さんが差別を受け,見捨てられやすいという点で似ている。抑制の問題も,かつての精神科医療の乱脈な歴史を背景に生じていると思う。そして,そのなかでの看護婦の扱われ方も患者さんたちと同様,利用され,差別され,見捨てられてきた。私にはそんなふうに感じられるのである。

 だからこそ私はこの時期,もっともっと現場で働いてきた多くの看護婦が率直に発言してほしいと思う。卑屈になったり,恥じたりすることはまったくないのだ。粉骨砕身現場を支えてきたのはあなたたちなのだ。

 舌足らずでもいい。たとえ間違ってもよいから,少しでも声を出してみる。それは,きっと大きな大きな力になるように思える。いま,行政も医療機関自身も,医療・看護・介護の質の向上を旗印として歩きはじめた。だれもそんなことをいう人に出会わなかった時代と比べれば雲泥の差である。

 そして私たちの現場は,福祉や在宅という新しい分野にも広がっている。時代は私たち看護婦の味方なのである。私たちが現場での実践のなかから感じたことを率直に発言することに,社会が耳を傾けてくれる時代が始まりつつあるのだ。

「抑制をおこなっている」という報告でもよい。振り返ることが一つの進歩であり,自分の位置を知る手かがかりとなるのだ。そこから新しい看護がはじまる。理想論でも机上論でもなく,抑制をやめようとして看護婦とともに闘ってきたこの十数年の経験からそう思うのである。私は,看護婦のやさしさと良心とを信じている。

 最後に報告をしておきたい。

 私たちの病院では抑制をしていない。すると,抑制のない現場に新しく入ってきた若いスタッフたちは,どんなむずかしい患者さんにたいしてでも抑制という行為そのものを思いつくことがないのである。自然と抑制ではない違った方法で対処している。

 これはたいへん興味深いことであるとともに,心底救われる気持ちのおこることである。

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序章 縛られているのは誰か
1章 実践!縛らない看護
2章 こうすれば抑制はいらない
3章 看護管理者としてどう取り組むべきか
4章 老人を看るということ
5章 日本の老人医療 この20年
6章 海外「抑制」事情
7章 抑制クロストーク 他

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ラディカルな問いに満ちた衝撃の書
書評者: 広井 良典 (千葉大助教授・総合政策学科)
 「縛らない看護」……何というインパクトのあるタイトルだろうか。しかしこれは単なるタイトルの問題ではない。この本に書かれていることは,文字どおり「縛らない看護」を着実に実現させていった,その過程の記録であり,またそこから一気に開かれる新しいケアの地平である。

◆「抑制」について多面的に論じる
 舞台の中心は東京・八王子にある上川病院。読者の多くはすでにご存じのことと思うが,「抑制」のない看護つまり縛らない看護に先駆的に取り組み,それをまず自らの病院において実現させ,さらには「抑制廃止福岡宣言」(98年10月)や厚生省による身体的拘束の禁止令を導くまでのパイオニア的な役割を果たしてきた病院である。

 内容的に見ると,本書の「思想」の核ともいうべきものは,「縛られているのはだれか」と象徴的に題された序章に,ほぼ集約されていると思われる。この表題(とこの章の内容)は読者をたじろがせるほどの衝撃力を持っている。同時にこの本の魅力は,それを単なる理念に終わらせることなく,続く章において「縛らない看護」を現実に実践していくための具体的な方法論をわかりやすく提示していること,またそれが老人医療に180度の発想の転換ともいえる変革をもたらすほどの広がりを持つものであることを,多面的な角度から論じていることである。

◆なぜこのような医療が行なわれてきたのか

 この本を読んで,読者が持つ読後感はさしあたって次の2つであろうと思われる。1つは,ともかくもこうした先駆的な取り組みや努力により「抑制」廃止に向けた大きな一歩が踏み出され,かつそれが現在急速に進行中であることについての喜びや期待,希望等々である。しかし同時に他方で,なぜ今の今までこうした姿の医療が,大手を振って,とまではいかないにしてもある種の権威を伴って行なわれ続けてきたのか,という基本的な疑問が浮かんでくる。

 筆者自身の関心にやや引きつけた読み方になってしまうが,そのように考えていくと,この本が提起しているのは,「ケア(ないし看護)とは何か」という問いであるだけでなく,そもそも医療技術とは何か,医学が「科学」であるとはどういう意味においてなのか,治療とは何をもってそう言えるのかといった,医学や(近代)科学の意味についての根源的な問いであるように思えてくる。

 ここで医療技術史や科学史的な議論に深入りする余裕はないが,医学,というより科学全体が現代という時代において大きな転換点に立っていることは言うまでもない。なぜなら,科学の体系(や学問の分類)は,基本的に19世紀という産業化の時代にほぼ現在のような形に作られたものであり,逆に言えば,現行の科学や学問分類の姿は,現代という時代のニーズ(医療の場合でいえば疾病構造)に対して構造的に対応し切れていない部分が大きいからである。ということは,本書は老人医療における「抑制」をテーマとするものであるけれども,この「抑制」に類することは,実は探していけば現在の医療において他にも多々あるのではないか,ということである(例えば,がんの治療においてそうしたことはないだろうか)。本書を踏まえてさらに考えていくべきは,こうした方向のことなのではなかろうか。

◆新しい「ケアの科学」を

 ニードの変化に対応できていない科学・医学を,もう一度本来の姿に戻す途はどこにあるのだろうか。おそらくそれは2つだろうと思われる。1つは徹底して「生活者の視点」に立ち返り,抑制ってどう考えてもやっぱり変だ,と思える“ふつうの感覚”にしっかりと立脚し,そこから医療の全体を再点検していくことである(編者の1人である田中とも江氏の強みはここにある)。もう1つの可能性は,「学」としての看護学が,それ自体近代科学の枠組みを乗り越えるポテンシャルを持つ分野であることを自覚して,新しい「ケアの科学」を生み出していくことである。いずれにしても,本書から見えてくるのは,看護,ケア,そして科学というもののそうしたラディカルな=根底的な可能性なのではなかろうか。

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