弱いロボット

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ゴミを見つけるけれど拾えない、雑談はするけれど何を言っているかわからない――そんな不思議な「引き算のロボット」を作り続けるロボット学者がいる。彼の眼には、挨拶をしたり、おしゃべりをしたり、歩いたりの「なにげない行為」に潜む“奇跡”が見える。他力本願なロボットを通して、日常生活動作を規定している「賭けと受け」の関係を明るみに出し、ケアをすることの意味を深いところで肯定してくれる異色作!

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
岡田 美智男
発行 2012年09月判型:A5頁:224
ISBN 978-4-260-01673-5
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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はじめに

 ちょっと退屈なので、公園を散歩する、街の中をふらりと歩いてみる。何を買うというあてもなく、本屋さんにふらりと立ち寄り、雑誌などをぱらぱらと眺めてみる。
 そんなとき、その目的や理由などを一つひとつ考えることはしない。なんとなく一歩を進めるときの、なかば地面に委ねきった感じがいい。街の中を歩くときも、偶然の出会いに任せるような、着の身着のままな感じがいい。いつもの街並みに囲まれながらほっとする感じだ。
 日々の暮らしの中で、この「なにげない」と表現される行為は数限りなくある。人とのなにげない雑談であるとか、身の回りのものを手にして、なにげなく遊んでいる。いまこうしてパソコンに向かいながらも、なにげなくマウスを動かしている。
 人と話をするときも、そのときの思いに任せて言葉を並べてみると、その言葉に引き出されるようにして、また新たな思いがいくつか浮かんでくる。思うところがあって言葉を並べているという側面もあるけれど、ちょっとした思いつきで生まれた言葉尻から新たな考えが浮かんでくることが多い。それは何かの目的を果たすというより、むしろ結果として何かが生み出されていたという感じに近い。
 しかし、ふと手が止まる。「なにげない行為」とはいったい何をしているのか……。
 こうして考えながらも、またとりとめもなくパソコンのブラウザをクリックし、ニュース記事のヘッドラインに目を通している。
 普通に、さりげなく、それほど考え込まずに。

     ★ ★ ★

 日々の暮らしの中で、この「なにげないこと」に気づくためには、ちょっとした仕掛けが必要になる。たとえば居場所を移してみると、なにげないことの存在や意味に気づくことが多いだろう。
 旅先などで誰ひとり乗り合わせていない電車に乗り込むと、なぜか落ち着かない気持ちになることはないだろうか。どこに座ってもいいのだという解放感がある一方で、「あれ? この電車でよかったんだよな……」と不安も感じる。どこに座り直しても、誰も泳いでいないプールの中にいるような、ふわふわとした感じが残る。
 では、少し混雑した電車の中ではどうか。電車に乗り込み、シートに腰をおろそうとするとき、目の前に座る見知らぬ女性の視線を思わず気にしてしまう。どこのシートに座ってもいいのだけれど、なんとなく周囲の目を意識しながらシートを選び、そそくさと自分の衣服や髪の乱れを整えている。どうやら私たちは、いつもひとりで行動していると思っていても、他の人との関わりの中でそれとなく自分の振る舞いをデザインしているようなのだ。
 人間だけでなく、モノたちとの関わりの中でも自分の「なにげない行為」の存在に気づかされることがある。
 軽い用事で電話をしてみたら、相手はあいにく留守だった。と、すかさずその留守番電話は「ただいま電話に出ることができません。ピーっと鳴ったら……」と例の調子でメッセージを残すことを催促する。私はといえば、この誘いを振り切るかのように、いつも慌てて受話器を置くことになる。ときおり「なんて小心者なのだろうか」とも思う。ただ、相づちも反応も何もない留守番電話にメッセージを残すのはちょっと苦手だなあと思う人は、私だけではないだろう。
 どうやら「なにげなく」振る舞うには、さまざまな前提となる条件があるらしい。

     ★ ★ ★

 日常の自明性を疑う手段として、社会学や文化人類学などでは「異邦人」の視点を借りることがある。
 海外の地に降り立ったとき、はじめの何日かは、何を見ても物めずらしく感じる。街の看板のいろいろなフォントを楽しむ。妙な日本語を目にして、おもわずほくそ笑む。海外で活躍する日本企業の広告を目にして、いつもは感じることのない日本人としての誇りのようなものを感じたりする。あるいは海外の研究室で、廊下ですれ違う相手になにげなくお辞儀をする自分に気づいて、なぜ私たちは知り合いに会うと頭を下げるという行為をするのだろうかと考える。そのような視点で日常を見直すのだ。
 本書では、なにげない日常を逆照射する新たな手段として、「ロボット」というものを登場させてみたい。
 私たちの暮らしの中に入り込みつつあるロボットの「内なる視点」からは、私たちの生活や振る舞いはどのように映るのだろう。私たちとロボットとの関わりやそこでの違和感を手掛かりに、私たち自身のなにげない行為をとらえ直すことはできないだろうか。サルやチンパンジーに対する行動観察からヒトの理解へと逆照射を試みる比較認知科学などの視点とも重なるが、ここではロボットという「異邦人」の視点を借りてみようというわけである。
 ただ、最初にお断りしておかなければならない。
 本書の中に登場するロボットたちは、読者の方々の期待を裏切ってしまうかもしれない。残念ながら、最近のすごいといわれるロボット技術からはかなり距離があるのだ。
 ときどき子どもから叩かれたりもする、ちょっと情けないロボット。自分ではゴミを拾えない手の掛かるゴミ箱ロボット。“ピングー語”で他愛もないおしゃべりする目玉だけのロボット……。いずれも、いろいろな事情も重なってはじめから「役に立つロボット」であることを降りてしまったような「弱い」ロボットたちである。
 そうしたロボットたちの少し低い目線から、私たちの振る舞いや人との関わりを丁寧に眺めてみたい。そして、こうした「弱さ」を備えたロボットたちがときどき発揮する、意外なちから を探ってみたいと思っている。

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 はじめに

第1章 言葉のもつリアリティを求めて
 1 そのしゃべりで暮らしていけるの!?
 2 雑談の雰囲気をコンピュータで作り出せないか

第2章 アナログへの回帰、身体への回帰
 1 嵐の前の静けさ
 2 とりあえず作ってみる
 3 もっとソーシャルに!

第3章 賭けと受け
 1 「静歩行」から「動歩行」へ
 2 言い直し、言い淀みはなぜ生じるのか
 3 行為者の内なる視点から
 4 おしゃべりの「謎」に挑む
 5 「地面」と「他者」はどこが違うのか

interview 「とりあえずの一歩」を踏み出すために

第4章 関係へのまなざし
 1 一人ではなにもできないロボット
 2 サイモンの蟻
 3 ロボットのデザインに対する二つのアプローチ

第5章 弱さをちからに
 1 乳幼児の不思議なちから
 2 ロボットの世話を焼く子どもたち
 3 おばあちゃんとの積み木遊び
 4 「対峙する関係」から「並ぶ関係」へ

第6章 なんだコイツは?
 1 どこかにゴミはないかなぁ
 2 「ゴミ箱ロボット」の誕生
 3 ロボットとの社会的な距離
 4 学びにおける双対な関係
 5 ロボット-「コト」を生み出すデバイスとして

 参考文献
 あとがき

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●雑誌・webで紹介されました
《いつも大変興味深い示唆を与えてくれる「シリーズ ケアをひらく」は、今回も意外なところから人間関係のアプローチ方法を教えてもらった。ロボットの可能性はまだまだ広がりそうだ。一度、ゴミ箱ロボットに会いに行ってみようか。》――東えりか(書評家)
(『HONZ』2012年9月6日 「『弱いロボット』 だから僕が助けてあげる。」


書評(雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者:甲田 克志 (医療法人社団ナラティブホーム副理事長)

 じゃんけんロボットが超高速のあと出しで、人間相手に勝ち続けているという。実にわかりやすいロボットだが、本書は、これとは対極の「ひとりでは何もできないロボット」の開発ストーリー本である。

 著者は1960年生まれの岡田美智男氏(豊橋科学技術大学教授)。堅苦しいのかなと警戒気味だったが、理科系の几帳面な発想ではなく、文科系のいい加減さがつかみどころのないハードルを越えていく。なかなかにおもしろい。

 大学では量子力学を専攻するが、研究室の配属を決める際になって、じゃんけんで負けてしまい、音声科学や音声認識・合成などを専門とする研究室に配属された。人間万事塞翁が馬という楽観が、「他力」に身を委ねる度胸が開発を支えているようだ。

 開発秘話はこうである。パソコンの能力が増すに連れて、ロボットが発話できるようになった。そうすると人間との言葉のやりとりが可能になるのではと誰しも思うが、次なる言葉を予測して会話するとなれば、「指数的な爆発」となる膨大さで行きづまってしまう。ここまではNTT基礎研究所でのこと。ここで異動の話が舞い込む。極めて恵まれたケースだと思うが、日本の研究開発の一端が見えて興味深い。

 異動先はATR(国際電気通信基礎技術研究所)で、30年前に鳴り物入りで京都・大阪・奈良の県境にできた「けいはんな学研都市」にある。研究プロジェクトの年限を5~7年として、新しいプロジェクトに潔くバトンタッチし、研究者を絶えず流動させている。

なんにもできない「待つ」だけが取り柄のロボ
 ここで関西弁のしゃべくりに出会い、テーマは「なにげないおしゃべり」雑談となる。研究所は甘くはない。理屈はいいから、研究内容をデモンストレーションしろとなる。理解が得られないと研究資金が獲得できない。ここで登場するのが、CGで作った仮想的な生き物(クリーチャ)のトーキング・アイこと「おしゃべり目玉」。「あのなあ」「なんやなんや」「こんなん知っとる?」「そやなあ」とゆっくり二つ目玉が交互にしゃべっている。感情が行き交う。

 このトーキング・アイがとりもってくれて、オランダへ交換研究員として出かけるチャンスが巡ってくる。そして、クリーチャ「む~」の出現である。京都のマネキン作家たちが作ってくれた。口のような眼、角のような尻尾、丸みを帯びた体形、発泡ウレタンゴムで作られた柔らかく弾力的な体表、ヨタヨタした動き、乳幼児なみの喃語での応答。

 この「む~」が障害児の養育現場でその実力を発揮する。子どもたちはいつも先生から教えられるばかりだが、「む~」には教えようとする。わかった?にキョトンとしている「む~」に、ダメでしょ、と先生の口調を真似する子どもたち。高齢者施設でもそうである。いつもはしゃべらないのに、「む~」だとどうしてこんなにおしゃべりが続くのか、となる。また、人は待ってくれないが「む~」は“ゆっくり”の関係構築につきあってくれる。

 ひょっとすると、ロボット精神科医「む~」となるかもしれない。

(『訪問看護と介護』2013年1月号掲載)

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