師長の臨床
省察しつつ実践する看護師は師長をめざす
師長になっても、私は看護師。
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師長だからできる「看護」がある。
患者に触れ、言葉を交わし、今必要なケアを考える。看護師の実践を客観視し、ケアの質を保証するために「看護」をマネジメントする。
師長の実践こそが、病棟を変えていく。
師長の臨床実践を見つめてきた著者が捉えた、新しい看護師像。
著 | 佐藤 紀子 |
---|---|
発行 | 2016年08月判型:A5頁:184 |
ISBN | 978-4-260-02794-6 |
定価 | 2,200円 (本体2,000円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
開く
はじめに
本書は,18年前に出版した『変革期の婦長学』 をリニューアルしたいという思いの中で10年ほど前から構想していたものです。「温故知新」と言いますが,18年前と変わらないことも実に多くある一方で,新しい出来事や社会の変化の中で変わってきたこと,変わらなければならないことも,また同様に多くあります。
この本の原稿を書きながら私が何度も確認したことは,教育者・研究者としての私の根幹であり核になるものは,看護師としての私であることでした。看護師であるからこそ出会うことのできた多くの患者様やご家族,看護師としての先輩や同僚,後輩や学生たち,そして大学院生や認定看護師教育課程での学生たちがいて,彼(女)らとの出会いが,この本の中に見え隠れしています。
私の関心は看護師の臨床であり,施設内や地域の中で実践する看護師たちの実相を言語化することです。これまで出版した 『看護師の臨床の「知」-看護職生涯発達学の視点から』 『その先の看護を変える気づき-学びつづけるナースたち』 と同様,本書にも師長である看護師たちの実践をナラティブの形式で使わせていただきました。看護師の書くナラティブには,患者の変化と当事者である看護師の変化というダイナミックな様相を読み取ることができるという特徴があります。このことも看護実践が看護師と患者との相互行為であることの証左でしょう。
看護学は専門分化の途上にあり,臨床看護の専門性は専門看護師,認定看護師の活躍する領域や分野が示すように多様です。そして同様に豊かな実践力を持つジェネラリストといわれる看護師の存在が問われ,ジェネラリストへの期待が大きくなりつつあります。本書で焦点を当てている師長は,ジェネラリストの特性を持つ人としても捉えることができます。
本書で私が読者の皆様にお伝えしたかったことは,日常の実践を省察し,省察しながら実践することで実践を意識化することの意味や価値についてです。看護師にとっての日常は,日常であるがゆえに意識化が難しいこともまた自明のことです。私は研究者として,実践の中に在る看護の力を発信する仕事をこれからも続けていきたいと思います。そして今後は,看護職生涯発達学で学ぶ院生たちと共に行ってきた研究の成果を発信していこうと考えております。まだまだ発展途上ではありますが,本書を手に取っていただけましたことに深く感謝いたします。
最後になりましたが,本書をまとめるにあたっては,医学書院の品田暁子さんの忍耐強い伴走がありました。考えてみると品田さんが産休に入る前から本書の構想を持っていた私でしたが,彼女が育休を終え,子どもさんはもう小学校2年生です。長いようであっという間の10年,でも確実にその間に積み重ねてきたものがありました。
どうしたら一冊の本にまとめられるかを考え続け,連載として原稿を書きため,これまでの研究成果も使いながら,やっと書き上げました。本書には,今の私が看護職の皆様に伝えたいことを,拙いながらも書くことができたと思っております。
2016年盛夏
佐藤紀子
本書は,18年前に出版した『変革期の婦長学』 をリニューアルしたいという思いの中で10年ほど前から構想していたものです。「温故知新」と言いますが,18年前と変わらないことも実に多くある一方で,新しい出来事や社会の変化の中で変わってきたこと,変わらなければならないことも,また同様に多くあります。
この本の原稿を書きながら私が何度も確認したことは,教育者・研究者としての私の根幹であり核になるものは,看護師としての私であることでした。看護師であるからこそ出会うことのできた多くの患者様やご家族,看護師としての先輩や同僚,後輩や学生たち,そして大学院生や認定看護師教育課程での学生たちがいて,彼(女)らとの出会いが,この本の中に見え隠れしています。
私の関心は看護師の臨床であり,施設内や地域の中で実践する看護師たちの実相を言語化することです。これまで出版した 『看護師の臨床の「知」-看護職生涯発達学の視点から』 『その先の看護を変える気づき-学びつづけるナースたち』 と同様,本書にも師長である看護師たちの実践をナラティブの形式で使わせていただきました。看護師の書くナラティブには,患者の変化と当事者である看護師の変化というダイナミックな様相を読み取ることができるという特徴があります。このことも看護実践が看護師と患者との相互行為であることの証左でしょう。
看護学は専門分化の途上にあり,臨床看護の専門性は専門看護師,認定看護師の活躍する領域や分野が示すように多様です。そして同様に豊かな実践力を持つジェネラリストといわれる看護師の存在が問われ,ジェネラリストへの期待が大きくなりつつあります。本書で焦点を当てている師長は,ジェネラリストの特性を持つ人としても捉えることができます。
本書で私が読者の皆様にお伝えしたかったことは,日常の実践を省察し,省察しながら実践することで実践を意識化することの意味や価値についてです。看護師にとっての日常は,日常であるがゆえに意識化が難しいこともまた自明のことです。私は研究者として,実践の中に在る看護の力を発信する仕事をこれからも続けていきたいと思います。そして今後は,看護職生涯発達学で学ぶ院生たちと共に行ってきた研究の成果を発信していこうと考えております。まだまだ発展途上ではありますが,本書を手に取っていただけましたことに深く感謝いたします。
最後になりましたが,本書をまとめるにあたっては,医学書院の品田暁子さんの忍耐強い伴走がありました。考えてみると品田さんが産休に入る前から本書の構想を持っていた私でしたが,彼女が育休を終え,子どもさんはもう小学校2年生です。長いようであっという間の10年,でも確実にその間に積み重ねてきたものがありました。
どうしたら一冊の本にまとめられるかを考え続け,連載として原稿を書きため,これまでの研究成果も使いながら,やっと書き上げました。本書には,今の私が看護職の皆様に伝えたいことを,拙いながらも書くことができたと思っております。
2016年盛夏
佐藤紀子
目次
開く
序章 師長は優れた「実践家」である
『変革期の婦長学』再考-切り離される看護実践と看護管理
「実践家」としての私が取り組んだ最初の研究-婦長への期待
看護師長は豊かな看護実践力を持つ-師長の実践
認定看護管理者教育の光と影
今,師長のなすべきこと
師長の実践-その「知」を言葉にすることの必要性
第1章 病棟の実践を変える,イノベーティブな師長たち
1.なぜ「師長」をテーマとするか
キャリアを重ねながら深まった「師長」への関心
2.師長の臨床実践を読み解く
知の身体性
生きることは考えること
-患者が考える時間を見守り続け,患者の可能性の芽を伸ばす
経験(受動)から引き出される能動的な振る舞い
-患者の怒りやいらだちを受けとめながら,患者と看護師に能動的に向き合う
3.看護学とは,臨床の知とは,何か
看護学の拡がりと汎用性
科学の知と臨床の知
師長の仕事と臨床の知
第2章 イノベーティブな看護管理
1.師長とイノベーション
師長に求められる,社会の変化に対応した実践
師長としての実践に潜むイノベーション
2.師長の行うイノベーションモデル
イノベーションモデルの構成要素
師長の役割遂行に必要な能力
師長が行うイノベーション-師長が看護師と共に成し遂げた取り組み
3.イノベーションの機会
改めて,イノベーションとは
師長と共に考えるイノベーションの機会
4.看護管理学と看護職生涯発達学の融合
2つの学問の融合,そこに至るまでの過程
看護管理学と看護職生涯発達学の根源にあるもの
第3章 文学に潜む,看護の知の水脈から探究する師長の臨床
1.看護の知の水脈
2.『闘』の中に描かれる師長
『闘』が書かれた時代
付き添い婦の視点から『闘』に描かれた師長
3.『吉里吉里人』に描かれる師長
『吉里吉里人』の概要
湊タヘのキャリア
湊タヘの看護管理-効率よく本来の仕事をするために
高額な給与と看護職の育成
湊タヘの看護管理は実現可能か
4.『わたしをみつけて』に描かれる師長
藤堂師長の看護実践
藤堂師長の看護実践に流れる知の水脈
准看護師,山本弥生の知の水脈
5.知の水脈として受け継がれる「いのちに働きかけること」
第4章 新しい師長像を求めて
1.師長が担う看護管理の目的
管理者である前に「看護師である」ということ
「患者や家族にとって必要なケアの保証」こそが,師長の責務である
看護師をマネジメントする
看護師を育成・支援する
看護師として,師長の仕事を表現する自分の言葉を持とう
2.『変革期の婦長学』の問いから考える,新しい師長像
3つの認定制度と,キャリアの選択肢の拡がり
教員,臨床看護師,主任,師長を経験して見えてきたもの
『変革期の婦長学』からの問い
看護師のキャリア形成-臨床看護を極めた先にあるもの
おわりに
看護とは何か
問われる臨床看護の専門性
からだに働きかけるということ
『変革期の婦長学』再考-切り離される看護実践と看護管理
「実践家」としての私が取り組んだ最初の研究-婦長への期待
看護師長は豊かな看護実践力を持つ-師長の実践
認定看護管理者教育の光と影
今,師長のなすべきこと
師長の実践-その「知」を言葉にすることの必要性
第1章 病棟の実践を変える,イノベーティブな師長たち
1.なぜ「師長」をテーマとするか
キャリアを重ねながら深まった「師長」への関心
2.師長の臨床実践を読み解く
知の身体性
生きることは考えること
-患者が考える時間を見守り続け,患者の可能性の芽を伸ばす
経験(受動)から引き出される能動的な振る舞い
-患者の怒りやいらだちを受けとめながら,患者と看護師に能動的に向き合う
3.看護学とは,臨床の知とは,何か
看護学の拡がりと汎用性
科学の知と臨床の知
師長の仕事と臨床の知
第2章 イノベーティブな看護管理
1.師長とイノベーション
師長に求められる,社会の変化に対応した実践
師長としての実践に潜むイノベーション
2.師長の行うイノベーションモデル
イノベーションモデルの構成要素
師長の役割遂行に必要な能力
師長が行うイノベーション-師長が看護師と共に成し遂げた取り組み
3.イノベーションの機会
改めて,イノベーションとは
師長と共に考えるイノベーションの機会
4.看護管理学と看護職生涯発達学の融合
2つの学問の融合,そこに至るまでの過程
看護管理学と看護職生涯発達学の根源にあるもの
第3章 文学に潜む,看護の知の水脈から探究する師長の臨床
1.看護の知の水脈
2.『闘』の中に描かれる師長
『闘』が書かれた時代
付き添い婦の視点から『闘』に描かれた師長
3.『吉里吉里人』に描かれる師長
『吉里吉里人』の概要
湊タヘのキャリア
湊タヘの看護管理-効率よく本来の仕事をするために
高額な給与と看護職の育成
湊タヘの看護管理は実現可能か
4.『わたしをみつけて』に描かれる師長
藤堂師長の看護実践
藤堂師長の看護実践に流れる知の水脈
准看護師,山本弥生の知の水脈
5.知の水脈として受け継がれる「いのちに働きかけること」
第4章 新しい師長像を求めて
1.師長が担う看護管理の目的
管理者である前に「看護師である」ということ
「患者や家族にとって必要なケアの保証」こそが,師長の責務である
看護師をマネジメントする
看護師を育成・支援する
看護師として,師長の仕事を表現する自分の言葉を持とう
2.『変革期の婦長学』の問いから考える,新しい師長像
3つの認定制度と,キャリアの選択肢の拡がり
教員,臨床看護師,主任,師長を経験して見えてきたもの
『変革期の婦長学』からの問い
看護師のキャリア形成-臨床看護を極めた先にあるもの
おわりに
看護とは何か
問われる臨床看護の専門性
からだに働きかけるということ
書評
開く
師長の「実践の知」を明らかにした1冊 (雑誌『看護教育』より)
書評者: 加納 佳代子 (東京農業大学戦略室教授/東京情報大学看護学部設置責任者)
私は30年の臨床を経て大学教員になったが,その大半を病棟師長や看護部長として臨床の海を泳ぎまわっていた。30~40代の師長としての10年半,臨床で考え,探り,悩み,実践したエピソードを『それぞれの誇り 婦長は病棟の演出家』(ゆみる出版,1997)を師長の語りとして描いた。ここで私は「師長の臨床」を描きたかった。師長の仕事もケアであることを示したかった。師長としてのケアリングパワー(看護の力)は見えにくいからこそ,どうにか伝えたかった。
本書の著者は,「看護職生涯発達学」を確立し,研究者として実践の中にある看護の力を発信しつづけてきた佐藤紀子さんである。著者の研究と,院生たちとともに行ってきた研究の成果をふまえながら,18年前に出版した『変革期の婦長学』のリニューアルである。時代が変化しても変わらない優れたジェネラリストである師長の「実践の知」を伝えている。
本書の構成は,序章「師長は優れた『実践家』である」,第1章「病棟の実践を変える,イノベーティブな師長たち」,第2章「イノベーティブな看護管理」,第3章「文学に潜む,看護の知の水脈から探求する師長の臨床」,第4章「新しい師長像を求めて」である。著者は「看護師が看護の責務が果たせるように変革を起こすことは,師長の責務である」ことを前提として,「師長が行うイノベーションの構造モデル(改訂版)」を用いながら,師長ならではのイノベーションを彼らの語りのなかに見出している。
私と同時代を臨床家,看護管理者,教員として生きた著者は,これまで出会った大勢の師長たちの語りや文学に表れた第一線の看護管理者たちの姿のなかから,研究者として師長の実践の実相や臨床の知を長年発掘し続けてきた。看護師である師長の実践は複雑で複眼的で説明しづらい。しかし,人を気遣い世話をし命に働きかける専門職として,生涯をかけて学修し,実践し,思考し続けることを支援するための学問領域である「看護職生涯発達学」と「看護管理学」とを融合しながら紐解いていくことで,その実相が明らかにされている。
学生にこのことを伝えておくのが看護教育の重要な役割ではないだろうか。前校で私が担当した統合実習では,学生一人ずつ師長のシャドーイングをしていた。最終カンファレンスで,学生はこう感想を述べた。「師長がカンファレンスの時いつも言う言葉は『最善を尽くす』でした。師長は『看護師としての最善』だけでなく『師長として最善』を尽くしていることがわかりました。私はいつか師長という機能を果たすことがあってもいいなと思いました」。省察しつつ実践する看護師であれば,いつか師長になることもあるだろうと学生は実感したのだろう。うれしかった。
(『看護教育』2017年1月号掲載)
師長とは何をする人か,原点に戻って考える
書評者: 佐藤 美子 (川崎市立多摩病院副院長・看護部長)
師長になりなさいと言われた時,準備はできていると思っていた。もう30年近く前の話だが,「4月から師長をやってみなさい」と言われたときのことだ。看護師として中堅と呼ばれるようになったころ,患者に聞かれることや求められることが,以前のような食事や排せつに関わることから,退院のことや仕事にいつ戻れるのかなど,これからの生活に関することに変わってきた。そのような変化に対応するために,自分は何を学ぶべきなのかと考えるようになった。それが私の看護管理との出会いだった。そして,看護管理を学ぶため,看護研修学校に籍を置いた。
だから準備はできていると思っていた。それなのに師長になる決断をする時,私はちゅうちょした。もうベッドサイドで清拭をしたり,夜間震える患者に寄り添ったりする「患者の傍らにいるというケア」ができないんだという淋しさと,諦めのような感情がこみ上げてきたことを覚えている。
しかしこの本を読んだ時,そんな必要はなかったのだと,そのころの私に伝えたくなった。看護師の私は,これまでの看護に自信を持ち,後輩看護師のため,痛みや不安を抱える患者のため,そのままで師長になればよかったんだと。今,ふっと力を抜くことができたような気持ちがする。
この本の中で著者が一貫して語っているのは,「看護の実践」とその意味である。それは,著者の学生時代から,看護師,その後の管理者,教育者,研究者とキャリアを積み重ねていく中で,問いかけ続けてきたことであった。実践すること,そして,挑戦的であること,それが看護管理者である師長の姿であるとこの本は語っている。
第1章では,自らの看護管理への関心の経緯が,「イノベーションの構造モデル」の構築につながったことが語られる。ぜひ,看護管理の実践で悩む現職の師長に読んでほしいのは,「師長の臨床」の事例と「知の身体性」を通しての分析である(p.24)。これらは,日常の看護の実践を表現したものであるが,実は,師長が行動することで起こる実践には,師長でなければできない“患者と家族と,そして看護師を巻き込んだ看護実践”がある。事例の中で師長は,常にベッドサイドで患者の声を聞き,看護師としてその仲間たちに状況を変化させるための問いかけや行動を起こしている。師長にしかできない看護実践とは,師長だから行っている行為や行動の中から生まれてくる。看護師として,チームの一員として実践するだけでは見えてこない,できない実践であることを実感することができる。
第2章では,師長を実践家にとどめるだけでなく,管理者として,その役割をイノベーターと表現している。常に質を保証し,社会の状況をいち早く察知し,必要な変革を看護の最小単位である現場で行っていくこと,それが師長の役割であるとする。
第3章では,著者ならではの看護の視点をみることができる。「文学に潜む,看護の知の水脈から探求する師長の臨床」として,文学にみる看護と看護管理者を紐解いていく。
最後に第4章では,「新しい師長像を求めて」と師長への期待を込めて,看護師のキャリアとともに看護の未来を見据えている。
師長について,これほど広く,深く,そして新しく,考え,ライフワークとして臨んでいる研究者・教育者,いや実践家がいるだろうか。看護管理は常に流れ,とどまることを知らない。今,目の前の管理の実践は,昨日から今日,そして明日へ,その先の未来へつながっている。それに挑戦するかのように師長たちに寄り添う著者による,師長のための本である。
師長である自分は,実践家であり続けているだろうか。もう一度確認するためにも,ぜひ手に取って欲しい一冊である。
書評者: 加納 佳代子 (東京農業大学戦略室教授/東京情報大学看護学部設置責任者)
私は30年の臨床を経て大学教員になったが,その大半を病棟師長や看護部長として臨床の海を泳ぎまわっていた。30~40代の師長としての10年半,臨床で考え,探り,悩み,実践したエピソードを『それぞれの誇り 婦長は病棟の演出家』(ゆみる出版,1997)を師長の語りとして描いた。ここで私は「師長の臨床」を描きたかった。師長の仕事もケアであることを示したかった。師長としてのケアリングパワー(看護の力)は見えにくいからこそ,どうにか伝えたかった。
本書の著者は,「看護職生涯発達学」を確立し,研究者として実践の中にある看護の力を発信しつづけてきた佐藤紀子さんである。著者の研究と,院生たちとともに行ってきた研究の成果をふまえながら,18年前に出版した『変革期の婦長学』のリニューアルである。時代が変化しても変わらない優れたジェネラリストである師長の「実践の知」を伝えている。
本書の構成は,序章「師長は優れた『実践家』である」,第1章「病棟の実践を変える,イノベーティブな師長たち」,第2章「イノベーティブな看護管理」,第3章「文学に潜む,看護の知の水脈から探求する師長の臨床」,第4章「新しい師長像を求めて」である。著者は「看護師が看護の責務が果たせるように変革を起こすことは,師長の責務である」ことを前提として,「師長が行うイノベーションの構造モデル(改訂版)」を用いながら,師長ならではのイノベーションを彼らの語りのなかに見出している。
私と同時代を臨床家,看護管理者,教員として生きた著者は,これまで出会った大勢の師長たちの語りや文学に表れた第一線の看護管理者たちの姿のなかから,研究者として師長の実践の実相や臨床の知を長年発掘し続けてきた。看護師である師長の実践は複雑で複眼的で説明しづらい。しかし,人を気遣い世話をし命に働きかける専門職として,生涯をかけて学修し,実践し,思考し続けることを支援するための学問領域である「看護職生涯発達学」と「看護管理学」とを融合しながら紐解いていくことで,その実相が明らかにされている。
学生にこのことを伝えておくのが看護教育の重要な役割ではないだろうか。前校で私が担当した統合実習では,学生一人ずつ師長のシャドーイングをしていた。最終カンファレンスで,学生はこう感想を述べた。「師長がカンファレンスの時いつも言う言葉は『最善を尽くす』でした。師長は『看護師としての最善』だけでなく『師長として最善』を尽くしていることがわかりました。私はいつか師長という機能を果たすことがあってもいいなと思いました」。省察しつつ実践する看護師であれば,いつか師長になることもあるだろうと学生は実感したのだろう。うれしかった。
(『看護教育』2017年1月号掲載)
師長とは何をする人か,原点に戻って考える
書評者: 佐藤 美子 (川崎市立多摩病院副院長・看護部長)
師長になりなさいと言われた時,準備はできていると思っていた。もう30年近く前の話だが,「4月から師長をやってみなさい」と言われたときのことだ。看護師として中堅と呼ばれるようになったころ,患者に聞かれることや求められることが,以前のような食事や排せつに関わることから,退院のことや仕事にいつ戻れるのかなど,これからの生活に関することに変わってきた。そのような変化に対応するために,自分は何を学ぶべきなのかと考えるようになった。それが私の看護管理との出会いだった。そして,看護管理を学ぶため,看護研修学校に籍を置いた。
だから準備はできていると思っていた。それなのに師長になる決断をする時,私はちゅうちょした。もうベッドサイドで清拭をしたり,夜間震える患者に寄り添ったりする「患者の傍らにいるというケア」ができないんだという淋しさと,諦めのような感情がこみ上げてきたことを覚えている。
しかしこの本を読んだ時,そんな必要はなかったのだと,そのころの私に伝えたくなった。看護師の私は,これまでの看護に自信を持ち,後輩看護師のため,痛みや不安を抱える患者のため,そのままで師長になればよかったんだと。今,ふっと力を抜くことができたような気持ちがする。
この本の中で著者が一貫して語っているのは,「看護の実践」とその意味である。それは,著者の学生時代から,看護師,その後の管理者,教育者,研究者とキャリアを積み重ねていく中で,問いかけ続けてきたことであった。実践すること,そして,挑戦的であること,それが看護管理者である師長の姿であるとこの本は語っている。
第1章では,自らの看護管理への関心の経緯が,「イノベーションの構造モデル」の構築につながったことが語られる。ぜひ,看護管理の実践で悩む現職の師長に読んでほしいのは,「師長の臨床」の事例と「知の身体性」を通しての分析である(p.24)。これらは,日常の看護の実践を表現したものであるが,実は,師長が行動することで起こる実践には,師長でなければできない“患者と家族と,そして看護師を巻き込んだ看護実践”がある。事例の中で師長は,常にベッドサイドで患者の声を聞き,看護師としてその仲間たちに状況を変化させるための問いかけや行動を起こしている。師長にしかできない看護実践とは,師長だから行っている行為や行動の中から生まれてくる。看護師として,チームの一員として実践するだけでは見えてこない,できない実践であることを実感することができる。
第2章では,師長を実践家にとどめるだけでなく,管理者として,その役割をイノベーターと表現している。常に質を保証し,社会の状況をいち早く察知し,必要な変革を看護の最小単位である現場で行っていくこと,それが師長の役割であるとする。
第3章では,著者ならではの看護の視点をみることができる。「文学に潜む,看護の知の水脈から探求する師長の臨床」として,文学にみる看護と看護管理者を紐解いていく。
最後に第4章では,「新しい師長像を求めて」と師長への期待を込めて,看護師のキャリアとともに看護の未来を見据えている。
師長について,これほど広く,深く,そして新しく,考え,ライフワークとして臨んでいる研究者・教育者,いや実践家がいるだろうか。看護管理は常に流れ,とどまることを知らない。今,目の前の管理の実践は,昨日から今日,そして明日へ,その先の未来へつながっている。それに挑戦するかのように師長たちに寄り添う著者による,師長のための本である。
師長である自分は,実践家であり続けているだろうか。もう一度確認するためにも,ぜひ手に取って欲しい一冊である。
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