在宅ケアのつながる力
住み慣れたまちで「生きる」を支える。『在宅ケアの不思議な力』続編
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――「いのちを支える」のが、在宅ケアの仕事。「いのちを救う」ことで精いっぱいの医療のなかで、病や老いとともに生きることを支えるために多くの人とつながって、大きな力を生み出していきたい――(プロローグより)
『在宅ケアの不思議な力』に続く2冊目の本書。「不思議な力」によって起こった各地の動き、そこで生まれた出会いの数々。訪問看護師たちが主催した「まちをつくるシンポジウム」(第四章)の、ターミナルを支えたケアの専門職・家族・友人の語りからも、生きることを支えるためにつながったケアの魅力が伝わってくる。
著 | 秋山 正子 |
---|---|
発行 | 2011年02月判型:B6頁:192 |
ISBN | 978-4-260-01340-6 |
定価 | 1,540円 (本体1,400円+税) |
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- 序文
- 目次
- 書評
序文
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プロローグ-「不思議な力」から「つながる力」へ
私にとって初めての単著『在宅ケアの不思議な力』が出版されたのは、二〇一〇年二月のことでした。
「三〇年後の医療の姿を考える会」第四回市民公開シンポジウムの会場で紹介されたこの本に、私は訪問看護師になったきっかけ、出会った人たちのこと、グリーフケアについて、そしてケアがもつ力について書きました。私は子育てをしながら訪問看護の仕事を続けてきましたので、現在、子育てをしながらがんばっている訪問看護師たちに、「いろんなことがあって大変でも、あとになったら自分育てになっているよ」と、応援メッセージの気持ちもこめました。
その後三月に、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に「訪問看護師秋山正子」として紹介され、多くの方々からメールや手紙で感想をいただきました。放映中にNHKあてに感想をくださった女性からのメールは、「経済不況のなか、仕事が見つからず気力が落ちていたが、この番組を見ていたら、なんだか無性に涙がこぼれてきて、生きる希望がわいてきました」という内容でした。「どんなときでもいのちは輝く」のフレーズと、その内容をとらえた映像、在宅療養者の姿や笑顔が、この方の希望につながったのではないかと思えました。
番組全体を通して見たのは私も放映の日が初めてで、いろいろな思いがわきあがり落ち着いて見ることはできませんでした。「この姿で、多くの訪問看護の仲間の代弁ができているだろうか?」と、取材を受けた者としての責任も感じました。
放送後に寄せられた仲間からの反応は、「いつもの姿を見せてくれてよかった」「看護の原点が映っていると思うので、看護教育のなかで、看護師の卵たちに見せたい」というような好意的なものが多くホッとしました。
ただ、映像を通して伝わる内容には、それなりの力がありますが、全てを伝えられるわけではありません。過分すぎる評価や、あの程度か」といった評価まで、「なんだ、両極端に分かれます。そういった意味で、映像よりも文字で伝えられる内容はじっくりと読み手に伝わり共感を呼ぶことが、『在宅ケアの不思議な力』を読んでくださった皆さんの反応からわかりました。
それからの一年、各地から呼んでいただく機会が増え、できる限り時間をつくって出向き、皆さんの活動に触れてきました。
埼玉県八潮市の介護者家族会「ひかりネットワーク」の皆さんが、「校長先生が教育委員会に働きかけ、中学三年生も一緒に聞けるようにしている」「地域で活動する介護職の方にも呼びかけている」ので来てほしいと、熱心に連絡をくださいました。
うかがってみてびっくり。中学生と一般の方々が交互に、体育館いっぱいに座っています。訪問看護を通じて実感している「どんなときでもいのちは輝く」というテーマでお話ししました。会の終了後、地元の世話役のお一人が、「この頃の中学生は、なんだか怖いような気がしていたけれど、前後に並んで、一緒に話を聞いてみたら、素直な子どもたちとわかり、かわいくなった」と話されました。このような機会が、お互いの理解を深め、絆を深めるのに少しでも役に立ったのかなと思えたのでした。
後日、「在宅ケアというものがあることを初めて知った」「将来福祉の分野に進みたいと思う」といった感想が掲載された学校新聞が届き、中学生たちも興味深く聞いてくれたことがわかりました。
岩手や名古屋、南鹿児島にもうかがい、新たなつながりに発展していきました。
島根県出雲市の大社町鷺浦〈さぎうら〉にある鵜鷺〈うさぎ〉小学校にうかがったときは、小学校一年生から六年生まで全校生徒九人、その後ろに地元の方々が総勢九〇人、そしてこの鵜鷺ツアーに興味を示した仲間が東京のみならず金沢や秋田からも合流し、何ともすてきな会になりました。本書の二~一一ページにありますのでお読みください。
在宅ケアの現場は“それぞれの人生に寄り添いながらご本人やご家族の力を引き出し、生活の場に必要なケアを届け、ともに考え続ける”というところに原点があります。多くの人や地域の資源・組織とつながっていくことが求められます。そのつながっていく先をたどっていくと、点と点が線になり、面をつくり、それが地域を越えてつながっていき、立体となっていくのが見えます。行く先々で、この不思議な広がりを実感することができました。
これまでは、看護も介護も、個別の患者さん・利用者さんへの対応が主でした。しかし在宅ケアの現場では、その個別の方への対応を超えて、かかわる人たちがつながっていかなければ、よいケアはできないのです。これは「在宅ケアはチームケアが原則」と実感した私の原体験にも通じています。
そういう意味で、自分たちの経験を発信しながら、「つながりましょうよ」と声をかけていく、その努力が、在宅ケアの魅力をさらに深め、質の向上につながっていくことを伝えていかないといけないなあと、感じ始めました。
つながった結果「健やかに暮らし、安心して逝ける」まちづくりが生まれ、発展していけると確信しています。
いのちはつながっている。いのちはリレーされ、新しいいのちの息吹になり、育って、実って、人生を終えていきながら、そこにまたつながって生きる人々がいる。
その「いのちを支える」のが、在宅ケアの仕事。「いのちを救う」ことで精いっぱいの医療のなかで、病や老いとともに生きることを支えるために多くの人とつながって、大きな力を生み出していきたいと、心から願ってやみません。
私にとって初めての単著『在宅ケアの不思議な力』が出版されたのは、二〇一〇年二月のことでした。
「三〇年後の医療の姿を考える会」第四回市民公開シンポジウムの会場で紹介されたこの本に、私は訪問看護師になったきっかけ、出会った人たちのこと、グリーフケアについて、そしてケアがもつ力について書きました。私は子育てをしながら訪問看護の仕事を続けてきましたので、現在、子育てをしながらがんばっている訪問看護師たちに、「いろんなことがあって大変でも、あとになったら自分育てになっているよ」と、応援メッセージの気持ちもこめました。
その後三月に、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に「訪問看護師秋山正子」として紹介され、多くの方々からメールや手紙で感想をいただきました。放映中にNHKあてに感想をくださった女性からのメールは、「経済不況のなか、仕事が見つからず気力が落ちていたが、この番組を見ていたら、なんだか無性に涙がこぼれてきて、生きる希望がわいてきました」という内容でした。「どんなときでもいのちは輝く」のフレーズと、その内容をとらえた映像、在宅療養者の姿や笑顔が、この方の希望につながったのではないかと思えました。
番組全体を通して見たのは私も放映の日が初めてで、いろいろな思いがわきあがり落ち着いて見ることはできませんでした。「この姿で、多くの訪問看護の仲間の代弁ができているだろうか?」と、取材を受けた者としての責任も感じました。
放送後に寄せられた仲間からの反応は、「いつもの姿を見せてくれてよかった」「看護の原点が映っていると思うので、看護教育のなかで、看護師の卵たちに見せたい」というような好意的なものが多くホッとしました。
ただ、映像を通して伝わる内容には、それなりの力がありますが、全てを伝えられるわけではありません。過分すぎる評価や、あの程度か」といった評価まで、「なんだ、両極端に分かれます。そういった意味で、映像よりも文字で伝えられる内容はじっくりと読み手に伝わり共感を呼ぶことが、『在宅ケアの不思議な力』を読んでくださった皆さんの反応からわかりました。
それからの一年、各地から呼んでいただく機会が増え、できる限り時間をつくって出向き、皆さんの活動に触れてきました。
埼玉県八潮市の介護者家族会「ひかりネットワーク」の皆さんが、「校長先生が教育委員会に働きかけ、中学三年生も一緒に聞けるようにしている」「地域で活動する介護職の方にも呼びかけている」ので来てほしいと、熱心に連絡をくださいました。
うかがってみてびっくり。中学生と一般の方々が交互に、体育館いっぱいに座っています。訪問看護を通じて実感している「どんなときでもいのちは輝く」というテーマでお話ししました。会の終了後、地元の世話役のお一人が、「この頃の中学生は、なんだか怖いような気がしていたけれど、前後に並んで、一緒に話を聞いてみたら、素直な子どもたちとわかり、かわいくなった」と話されました。このような機会が、お互いの理解を深め、絆を深めるのに少しでも役に立ったのかなと思えたのでした。
後日、「在宅ケアというものがあることを初めて知った」「将来福祉の分野に進みたいと思う」といった感想が掲載された学校新聞が届き、中学生たちも興味深く聞いてくれたことがわかりました。
岩手や名古屋、南鹿児島にもうかがい、新たなつながりに発展していきました。
島根県出雲市の大社町鷺浦〈さぎうら〉にある鵜鷺〈うさぎ〉小学校にうかがったときは、小学校一年生から六年生まで全校生徒九人、その後ろに地元の方々が総勢九〇人、そしてこの鵜鷺ツアーに興味を示した仲間が東京のみならず金沢や秋田からも合流し、何ともすてきな会になりました。本書の二~一一ページにありますのでお読みください。
在宅ケアの現場は“それぞれの人生に寄り添いながらご本人やご家族の力を引き出し、生活の場に必要なケアを届け、ともに考え続ける”というところに原点があります。多くの人や地域の資源・組織とつながっていくことが求められます。そのつながっていく先をたどっていくと、点と点が線になり、面をつくり、それが地域を越えてつながっていき、立体となっていくのが見えます。行く先々で、この不思議な広がりを実感することができました。
これまでは、看護も介護も、個別の患者さん・利用者さんへの対応が主でした。しかし在宅ケアの現場では、その個別の方への対応を超えて、かかわる人たちがつながっていかなければ、よいケアはできないのです。これは「在宅ケアはチームケアが原則」と実感した私の原体験にも通じています。
そういう意味で、自分たちの経験を発信しながら、「つながりましょうよ」と声をかけていく、その努力が、在宅ケアの魅力をさらに深め、質の向上につながっていくことを伝えていかないといけないなあと、感じ始めました。
つながった結果「健やかに暮らし、安心して逝ける」まちづくりが生まれ、発展していけると確信しています。
いのちはつながっている。いのちはリレーされ、新しいいのちの息吹になり、育って、実って、人生を終えていきながら、そこにまたつながって生きる人々がいる。
その「いのちを支える」のが、在宅ケアの仕事。「いのちを救う」ことで精いっぱいの医療のなかで、病や老いとともに生きることを支えるために多くの人とつながって、大きな力を生み出していきたいと、心から願ってやみません。
目次
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プロローグ
第一章 いのちの輝きに気がつこう
小学校にて、子どもたちとの対話
利用者さんのことがとても気にかかる
はたして自分は役に立っているのだろうか?
コミュニケーションに極意はある?
第二章 地域に暮らし、地域をつなぐ
気持ちのよい排泄のために
がんセンターの外来受診に同行して
連携にバリアあり! 忍者のごとく働こう
穏やかにしっかりと自分の考えを伝える
ディスカッションができる力
第三章 やさしく自由にケアしたい
生活のなかで、患者・家族の相談ごと
患者が自分の力を取り戻せる空間と人-マギーズセンターのこと
自立した暮らしと「看取り介護休暇」-デンマークにて
「くれない症候群」から自立へ
友を見送って
第四章 健やかに暮らし、安心して逝くために
まちをつくるシンポジウム
在宅医療・地域の病院・ホスピスの連携で、病状に合わせた居場所をつくる(中村洋一)
自分のやりたいことをして、いのちが尽きたらそこでおしまい(西原由記子)
「死と向き合うことは、今のいのちと向き合うことですよ」(萩尾信也)
行なう医療やケアが「患者さん自身にとってどうなのか」を常に考えて(宮澤素子)
此岸と彼岸を結ぶ橋を一人で渡るとき、右の手すりが家族、医療者は左の手すり(関茂樹)
会場からの質問に答えて
エピローグ/初出一覧/著者プロフィール
第一章 いのちの輝きに気がつこう
小学校にて、子どもたちとの対話
利用者さんのことがとても気にかかる
はたして自分は役に立っているのだろうか?
コミュニケーションに極意はある?
第二章 地域に暮らし、地域をつなぐ
気持ちのよい排泄のために
がんセンターの外来受診に同行して
連携にバリアあり! 忍者のごとく働こう
穏やかにしっかりと自分の考えを伝える
ディスカッションができる力
第三章 やさしく自由にケアしたい
生活のなかで、患者・家族の相談ごと
患者が自分の力を取り戻せる空間と人-マギーズセンターのこと
自立した暮らしと「看取り介護休暇」-デンマークにて
「くれない症候群」から自立へ
友を見送って
第四章 健やかに暮らし、安心して逝くために
まちをつくるシンポジウム
在宅医療・地域の病院・ホスピスの連携で、病状に合わせた居場所をつくる(中村洋一)
自分のやりたいことをして、いのちが尽きたらそこでおしまい(西原由記子)
「死と向き合うことは、今のいのちと向き合うことですよ」(萩尾信也)
行なう医療やケアが「患者さん自身にとってどうなのか」を常に考えて(宮澤素子)
此岸と彼岸を結ぶ橋を一人で渡るとき、右の手すりが家族、医療者は左の手すり(関茂樹)
会場からの質問に答えて
エピローグ/初出一覧/著者プロフィール
書評
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書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 高橋 都 (獨協医科大学公衆衛生学講座、医師)
2年前に長距離通勤を始め、電車内の読書が毎日の楽しみになっている。友人から勧められて本書を手に取ったその日、あまりの面白さに本から目を離せず、3つある乗換駅でいずれも乗り越しそうになった。
本書は、在宅ケアの領域ではすでに“名著”になりつつあるかもしれない。しかしその内容は、広く医療現場全体に、そして私たちの毎日の暮らしに、実に大きな示唆を与えてくれる。
第一章・第二章では、秋山さんと仲間の普段の取り組みが、日常の悩みや試行錯誤も含めて、わかりやすい言葉で紹介されている。本当にあれでよかったの?と立ちどまって考えるスタッフの言葉に、何度もうなずきながら読み進めた。
◆専門職としても人としても
本を読むときには印象に残る箇所に付箋を貼って、自分の言葉でメモ書きするのだが、本書は付箋だらけになってしまった。いくつか抜き書きすると……。「講演先の地域の同職種とつながる」「専門性と『隣のおばさん』的普通さをあわせもち、通訳になる」「答えは利用者の中にある」。これらはみな、職種や現場の種別を超えて、多くの人に響くアドバイスだろう。自分の専門性を発揮しようとすればするほど、その仕事が「誰のために」「何のために」あるのか見えなくなることもある。医療者が「よかれと思うこと」が、利用者・患者の希望にマッチしているとは限らないのだ。
「うまく連携できない相手に対して怒るのではなく、自分をふりかえる」「連携できない相手にも時間をかけてしぶとくアプローチする」「ヒステリックではない、きちんとした自己主張」。これらは、仕事の文脈を超えて印象に残った。誰でも、つきあいにくい(が、つきあわねばならない)相手をもっている。自信をもって冷静に自己主張をすること、そしてしぶとく相手の変化を待つ辛抱力を身につけることも大事だろう(なでしこジャパンも優勝したではないか!)。
第三章・第四章は、秋山さんが参加したシンポジウムや視察の報告だが、前半の章と有機的に結びついて、さまざまな実践、そして人間の生き方や看取り方について、読者に考える種をまいてくれる。
◆つながらなければ始まらない
この数年、私はがんと診断された本人や家族の“その後”に関するがんサバイバーシップ研究に取り組んでいる。その研究と実践場面では、「つながらないと始まらない」ことも多い。
私はもともと内科医で、現在は医学生の教育にも関与しているが、本書を読んで、チーム医療教育のなかでもっとも重要なのは「医師の“つながる力”の強化」ではないか、と感じた。つながる範囲は、病院内だけではなく「地域全体」である。自分がすべてをわかっているとか、すべてをしなければと思うのではなく、もっとうまくできる人を探して自分からつながること。それができれば、医師自身が今よりも楽になるだろう。つながる相手を見つけやすくする工夫も必要だ。
“平らなネットワーク”の一部に連なることの楽しさを教えてくれる一冊である。
(『訪問看護と介護』2011年12月号掲載)
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 角田 直枝 (茨城県立中央病院看護局長)
この原稿をそろそろ書こうと思っていた矢先、東日本大震災が起こった。私の病院も震度6強で、壁や床に亀裂が入り、パソコンや医療機器が散乱。直後から非常用以外のライフラインは止まり、廊下にも会議室にも患者が横たわった。それから約10日、私は病院に泊まり込む生活。看護局長兼寮母さん(?)になった。
TVのニュースでは宮城・岩手などの津波、福島の原発の厳しい状況が繰り返し放送され、そのたびに、それらの県で出会った訪問看護師や看護協会の人たちの顔が思い出された。「みんな無事で」と心のなかで祈ることしかできなかった。私は私の病院の患者さんと看護師のことで精一杯だったからだ。
1週間ほど経ってメールで情報が流れるようになってきた。そのなかに岩手県北上市の訪問看護師・高橋美保さんからの惨状を伝えるメールがあった(編集室註:p.359)。そしてそれに応える秋山正子さんからの力強いメッセージもあり、秋山さんと高橋さんと私がつながった。
震災後、泊まり込んでいる看護局長室で、私は本書『在宅ケアのつながる力』を何度も開いた。秋山さんの巨大磁石のような誰とでも何にでもつながってしまうすごい力に、私も力をもらった。そのおかげか、私は被災後早期に数社の企業につながってリネン類を確保した。停電と断水とガソリン不足によって、リネン類の供給は非常に打撃を受けたが、せめても、患者さんに清潔なシーツとタオルを確保したいと考えたからだ。
これをさらに人事交流のあった県北部の病院へ、患者さんを搬送してきた福島の病院へとつなげた。福島から患者さんを搬送してきた救急隊に、急きょ「帰りにリネンを運んでもらえないだろうか」と尋ねたところ、二つ返事で了解してくれ、救急隊ともつながった。すぐ近くの県立友部病院では、福島から30人がバスで避難してきていた。その人たちのリネンをと、ここでもつながって分けて使った。病院のポータブルトイレは、震災当夜から市内の避難所につながって、看護師の代わりに地域の生活を支えてくれた。
本書とともに震災後の10日間を病院で暮らし、あらためて思う。在宅ケアはつながって成り立つ。在宅ケアのなかにいると、いつの間にかつながる力が備わってくるのだろう。私も訪問看護師をしていたからこそ、病院の中にいても、避難所で暮らす笠間市の住民、県内の他の病院、隣の県の病院、企業、東北の訪問看護師とつながることを、知らず知らずのうちにやっているのかもしれない。
本書は、秋山さんのつながる場面をとおして、在宅ケアのなかで人や物や組織がつながっていくさまを伝える。在宅ケアに携わる人は、つながる先を広げれば、よりたくさんのやりがいに出会うことを知るだろう。つながる力は、またさらにつながりたくなるという連鎖反応も産む。秋山さんのように、子どももおとなも、病院も地域も、施設も学校も、都会も地方も、つながろう。本書からそのつながる力を受け取った看護師が、日本中でつながる力を広げていくだろう。
未曾有の震災に見舞われた日本。被災地に暮らす人々の笑顔と希望を、看護師がつながって取り戻すために。
(『訪問看護と介護』2011年5月号掲載)
書評者: 高橋 都 (獨協医科大学公衆衛生学講座、医師)
2年前に長距離通勤を始め、電車内の読書が毎日の楽しみになっている。友人から勧められて本書を手に取ったその日、あまりの面白さに本から目を離せず、3つある乗換駅でいずれも乗り越しそうになった。
本書は、在宅ケアの領域ではすでに“名著”になりつつあるかもしれない。しかしその内容は、広く医療現場全体に、そして私たちの毎日の暮らしに、実に大きな示唆を与えてくれる。
第一章・第二章では、秋山さんと仲間の普段の取り組みが、日常の悩みや試行錯誤も含めて、わかりやすい言葉で紹介されている。本当にあれでよかったの?と立ちどまって考えるスタッフの言葉に、何度もうなずきながら読み進めた。
◆専門職としても人としても
本を読むときには印象に残る箇所に付箋を貼って、自分の言葉でメモ書きするのだが、本書は付箋だらけになってしまった。いくつか抜き書きすると……。「講演先の地域の同職種とつながる」「専門性と『隣のおばさん』的普通さをあわせもち、通訳になる」「答えは利用者の中にある」。これらはみな、職種や現場の種別を超えて、多くの人に響くアドバイスだろう。自分の専門性を発揮しようとすればするほど、その仕事が「誰のために」「何のために」あるのか見えなくなることもある。医療者が「よかれと思うこと」が、利用者・患者の希望にマッチしているとは限らないのだ。
「うまく連携できない相手に対して怒るのではなく、自分をふりかえる」「連携できない相手にも時間をかけてしぶとくアプローチする」「ヒステリックではない、きちんとした自己主張」。これらは、仕事の文脈を超えて印象に残った。誰でも、つきあいにくい(が、つきあわねばならない)相手をもっている。自信をもって冷静に自己主張をすること、そしてしぶとく相手の変化を待つ辛抱力を身につけることも大事だろう(なでしこジャパンも優勝したではないか!)。
第三章・第四章は、秋山さんが参加したシンポジウムや視察の報告だが、前半の章と有機的に結びついて、さまざまな実践、そして人間の生き方や看取り方について、読者に考える種をまいてくれる。
◆つながらなければ始まらない
この数年、私はがんと診断された本人や家族の“その後”に関するがんサバイバーシップ研究に取り組んでいる。その研究と実践場面では、「つながらないと始まらない」ことも多い。
私はもともと内科医で、現在は医学生の教育にも関与しているが、本書を読んで、チーム医療教育のなかでもっとも重要なのは「医師の“つながる力”の強化」ではないか、と感じた。つながる範囲は、病院内だけではなく「地域全体」である。自分がすべてをわかっているとか、すべてをしなければと思うのではなく、もっとうまくできる人を探して自分からつながること。それができれば、医師自身が今よりも楽になるだろう。つながる相手を見つけやすくする工夫も必要だ。
“平らなネットワーク”の一部に連なることの楽しさを教えてくれる一冊である。
(『訪問看護と介護』2011年12月号掲載)
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 角田 直枝 (茨城県立中央病院看護局長)
この原稿をそろそろ書こうと思っていた矢先、東日本大震災が起こった。私の病院も震度6強で、壁や床に亀裂が入り、パソコンや医療機器が散乱。直後から非常用以外のライフラインは止まり、廊下にも会議室にも患者が横たわった。それから約10日、私は病院に泊まり込む生活。看護局長兼寮母さん(?)になった。
TVのニュースでは宮城・岩手などの津波、福島の原発の厳しい状況が繰り返し放送され、そのたびに、それらの県で出会った訪問看護師や看護協会の人たちの顔が思い出された。「みんな無事で」と心のなかで祈ることしかできなかった。私は私の病院の患者さんと看護師のことで精一杯だったからだ。
1週間ほど経ってメールで情報が流れるようになってきた。そのなかに岩手県北上市の訪問看護師・高橋美保さんからの惨状を伝えるメールがあった(編集室註:p.359)。そしてそれに応える秋山正子さんからの力強いメッセージもあり、秋山さんと高橋さんと私がつながった。
震災後、泊まり込んでいる看護局長室で、私は本書『在宅ケアのつながる力』を何度も開いた。秋山さんの巨大磁石のような誰とでも何にでもつながってしまうすごい力に、私も力をもらった。そのおかげか、私は被災後早期に数社の企業につながってリネン類を確保した。停電と断水とガソリン不足によって、リネン類の供給は非常に打撃を受けたが、せめても、患者さんに清潔なシーツとタオルを確保したいと考えたからだ。
これをさらに人事交流のあった県北部の病院へ、患者さんを搬送してきた福島の病院へとつなげた。福島から患者さんを搬送してきた救急隊に、急きょ「帰りにリネンを運んでもらえないだろうか」と尋ねたところ、二つ返事で了解してくれ、救急隊ともつながった。すぐ近くの県立友部病院では、福島から30人がバスで避難してきていた。その人たちのリネンをと、ここでもつながって分けて使った。病院のポータブルトイレは、震災当夜から市内の避難所につながって、看護師の代わりに地域の生活を支えてくれた。
本書とともに震災後の10日間を病院で暮らし、あらためて思う。在宅ケアはつながって成り立つ。在宅ケアのなかにいると、いつの間にかつながる力が備わってくるのだろう。私も訪問看護師をしていたからこそ、病院の中にいても、避難所で暮らす笠間市の住民、県内の他の病院、隣の県の病院、企業、東北の訪問看護師とつながることを、知らず知らずのうちにやっているのかもしれない。
本書は、秋山さんのつながる場面をとおして、在宅ケアのなかで人や物や組織がつながっていくさまを伝える。在宅ケアに携わる人は、つながる先を広げれば、よりたくさんのやりがいに出会うことを知るだろう。つながる力は、またさらにつながりたくなるという連鎖反応も産む。秋山さんのように、子どももおとなも、病院も地域も、施設も学校も、都会も地方も、つながろう。本書からそのつながる力を受け取った看護師が、日本中でつながる力を広げていくだろう。
未曾有の震災に見舞われた日本。被災地に暮らす人々の笑顔と希望を、看護師がつながって取り戻すために。
(『訪問看護と介護』2011年5月号掲載)
更新情報
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