市場原理が医療を亡ぼす
アメリカの失敗

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市場原理の下で、米国医療はどうゆがめられてきたか?! 米国の事例を紹介しつつ、「混合診療解禁」、「医療機関経営への株式会社の参入容認」など、医療における「ビジネス・チャンスの創出」を目論む勢力が主導する改革議論に警鐘を鳴らす。いま、日本の医療に本当に必要な改革とは何か? これを読まずして医療改革は語れない!!
李 啓充
発行 2004年10月判型:四六頁:280
ISBN 978-4-260-12728-8
定価 2,200円 (本体2,000円+税)
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第1部 市場原理の失敗-反面教師としての米国医療
 I ウォール・ストリート・メディシン-株式会社病院の「犯罪」
 II シンデレラ・メディシン-無保険者残酷物語
 III 利害の抵触-コーポレート・グリード(企業の欲望)がゆがめる医療倫理
 IV 神の委員会-公正な医療資源の配分をめざして
 V 医療過誤-市場と訴訟に基づくシステムの失敗
第2部 医療制度改革がめざすべきもの-銭勘定でない改革論議のススメ
 VI 日本の医療費は過剰か?
 VII 先送りされる高齢者医療保険制度の改革
 VIII 市場原理の導入は日本の医療を救うか?
 IX 保険者機能強化は日本の医療を救うか?
 X EBMをコスト抑制の具とする滑稽
 XI 手がつけられるところから始める医療改革-患者アドボカシー
 XII 日本の医療は守れるか?-第一線で活躍する医師との対話
あとがき-ビジネスの論理VS医療の倫理

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市場原理の医療改革がもたらす危機 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 鶴田 早苗 (神戸大学医学部附属病院副院長・看護部長)
 医療改革の目玉の一つである「混合診療」など,市場原理の医療改革が早くから取り入れられている米国の医療は失敗である,とした刺激的なタイトルの本が出版された。一気に読み終えて,医療界にいるわれわれは危機感をもった。

 いつもながら著者である李啓充氏の言葉は平易なうえに,一貫して氏の人間性が伝わってきた。つまり医療者としての良心が根底にあり,普通の人々の気持ちに寄り添っているからだ。氏の言わんとしていることは“日本の医療が市場原理に直面して危ない!”との警鐘に他ならない。

 本書は2部構成で,1部は市場原理の失敗として米国医療の歴史と事例,2部は医療制度改革が目指すべきものとして日本への忠告・警告である。

◆民間参入が貧富の格差を生む

 まず,市場原理を導入した米国医療の失敗として,民間会社の参入による荒稼ぎの実態がこれでもかこれでもかと紹介され,米国の医療は正しいと単純に信じていた筆者にとっては,混合診療などの民間参入の医療が所得格差など貧富の差をいかに生んでいるかを思い知らされた。今,米国の大多数の国民にとっては,必要な医療すら受けにくく,医療保険に入ること自体が「シンデレラ」であるという。日本の皆保険制度との違いに改めて驚かされる。

 米国はさまざまな先端医療を開発し世界をリードしてきた。なかでも,人工腎臓(透析)や人工心臓,移植医療においてはすばらしい功績を積み続けている。しかしその開発の歴史のうえで,企業やスポンサーの関与や知られざる多くの倫理的問題があったことは驚きであり,先駆者たちの思いや苦悩が伝わってきた。なかでも倫理という概念がなかった時代,公正な医療の配分をめざした「神の委員会」とよばれた委員会の活動の記述は圧巻であった。心臓手術や移植医療に関わった経験がある者として,個人的にこの部分は興味津々で読ませてもらった。

 医療過誤については,根幹にあるのは賠償保険料の高騰によるデフェンシブ・メディシンという保身医療への警鐘であり,医療をゆがめ,むしろ医療費の無駄遣いであると指摘する。医療事故に何度か関わった筆者には十分納得できる言葉である。

◆日本医療の将来を見据える示唆に

 2部は日本の医療改革(市場原理導入)への警告である。氏は「日本の医療改革は改革に値しない」,それは理念がなく銭金勘定のやりくりで終始しているからだという。また「日本の医療の最大の問題はその質が低いことである」と,日本の医療の実態を熟知した氏ならではの発言だ。日本の高齢者医療への対応の遅れに関して,米国でさえ1965年から「メディケア」導入により高齢者医療を税金で賄う方向で国の責任を果たしてきたのに,日本政府は老人保健制度の年齢引き上げや自己負担増など責任放棄であると手厳しい。氏は英国のブレア首相が「英国の3分の2は高齢者である現実があるのに,市場原理を導入するほどバカげたことはない」と市場原理を拒絶した発言を引用し,英国以上に高齢化が進んでいる日本が導入しようとする姿勢は為政者の見識を疑うと憂慮している。

 医療改革のなかにいる筆者にとって,この本との出合いは日本の現実,将来を見据えるうえで多くの示唆を得たものであった。医療従事者すべての人にお薦めしたい。

(『看護管理』2005年2月号掲載)
今後の日本がめざすべき医療制度の指針 (雑誌『看護教育』より)
書評者: 内藤 恭久 (浜松医科大学・第1病理)
 本書はアメリカの医療行政の破綻の原因が,病院を市場原理に基づく株式会社化したことにあり,その失敗したアメリカの医療システムを盲目的に踏襲しようとする日本医療界の動向に警鐘を鳴らし,将来の日本医療の基本的な「ルール」の明確化とそれを守る体制の整備の必要性を論述している。

 第1部では,まずアメリカの医療行政がなぜ破綻に至ったのかを詳細に論じている。
 病院を株式会社化し,病院経営や医療運営を経済プロに委ねることで,医療の経済効率の精度化や無駄のない,スリムな質の高い医療を患者に提供することが表向きの標榜であったものの,現実的には経済優先の医療システムは当然の仕儀として,医療費の自由化,薬価の無規制,看護師数の削減などにより医療の質的低下を招来した。特に,医療費の自由化は混合診療導入による公的保険配分の不公平化や民間保険会社と病院との独占契約により,高齢者や低所得者層への公正な医療資源の分配を奪い,企業の欲望にゆがめられた医療倫理の惑乱,医療訴訟結果と医療過誤との非医学的裁定という医療病理学的現象の招来を論述している。

 第2部では,日本の医療界が破綻したはずの問題の多いアメリカ型医療システムを無条件で導入しようとすることの誤謬と愚鈍さを力説する。今後の日本の目指すべき医療行政の根本的な改革理念の樹立・医療制度や財源問題の再検討の必要性もさることながら,診療現場における個々の患者の権利を守るための「アドボカシーadvocacy(患者支援室)=患者と医師の橋渡し役」を設け,制度や法律の手が行き届かない側面からのきめ細かい各論的な医療提供(看護師が最適任)の重要性も述べている。特に,医療現場で看護の質が患者の死亡率に比例するという決定的な統計学的事実を鑑みれば,むべなるかなである。

 本書は医師,看護師,および医療関係諸氏にとって,時宜を得て,見逃せない必読の書である。

(『看護教育』2005年4月号掲載)
アメリカの医療者からの伝言―「日本はアメリカをぜったいに真似てはいけない」 (雑誌『看護学雑誌』より)
書評者: 勝原 裕美子 (兵庫県立大学看護学部助教授)
 この原稿を執筆しているのは2004年12月初旬。混合診療を解禁するか否かをめぐる議論が連日のように新聞紙上をにぎわしている。本号が出るころには,その問題も決着をみていることであろうが,今後も同様の議論はさまざまな形で浮上するだろう。「同様の議論」とは? 言うまでもなく,医療を市場に委ねるかどうかの議論である。

◆肌で感じたアメリカの医療

 話は遡って,1998年7月。当時,私は在外研究のためサンフランシスコで4か月を過ごすことになっていた。アメリカの医療が高額であることを聞いていた私は,日本でたくさんの医療保険をかけて出かけていったのだが,歯の治療までは頭が回っていなかった。ある日,奥歯にかぶせていた金属が取れてしまい,あわてて電話帳を繰ることになった。歯医者を捜したのだが,車もないし,地理が定かでない私には行けそうもないところばかりだ。そのうえ,アメリカで知り合った友人は,たとえ歯医者が見つかったとしても,そして,たとえ取れた金属をかぶせるだけであっても3万円は下らないなどと,平気で私を脅かした。そこで目についたのが,「USCF(カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校)の歯学部学生による歯の治療」という広告だった。どんな治療も50ドルと書いてある。何よりも下宿から徒歩で行けるのが魅力だったので,すぐにそこに連絡をし,予約をとって出かけた。

 しかし,安いだけのことはあった。たしかに50ドルだったが,朝10時に受付を済ませ,何十枚もの書類にサインをさせられ,「かぶせるだけ」のために訪れた大学病院を出たのは,午後3時に近かった。歯学部の学生が,私の口を開けさせたり,器具を選んだり,使う薬品を選択したりする。それぞれの動作に移るためにはいちいち指導教官の許可が必要なため,学生(と私)は指導教官が回ってくるのを待っていなければならない。“ていねい”といえばていねいなのだが,そりゃ時間がかかる。友人が「安くてよかったね」と言ってくれたように,たしかに破格の値段であった。それでも,当時1ドル=160円くらいだったので,えらく高いなという感じがしたのを覚えている。

 アメリカで税金を払っているわけでもなく,選挙権があるわけでもない私が,アメリカの医療を頭ごなしに批判することは避けたい。だが,私が出会ったアメリカ人のすべてが自国の医療システムに失望し,「日本はアメリカをぜったいに真似てはいけない」と真剣な表情で話してくれたことは伝えたいと思う。

 その頃,すでにアメリカではマネジドケアの影響から,保険医療へのアクセスが制限されていた。どの保険会社のどのプランに加入しているかによって,保険診療が受けられたり受けられなかったりする。どんな疾患になってもカバーしてもらえるような保険に入ろうとすると高額な保険料を支払わなければならないので,“そこそこ”の保険に入るしかない。それでも加入できる人は幸せで,保険未加入者が勢いをつけて増え続けていた。テレビドラマ「ER」のなかで,医師が患者の保険の種類を尋ねるシーンがときどき出てくるのを記憶しているが,それが,「治療してもよいか」を尋ねているのと同義だということを,あらためて認識した。国民皆保険が当たり前の国に育った者としては,それは“恐ろしい”出来事だ。

◆アメリカのナースの闘い

 そんななか,さまざまな看護師たちと出会い,話をした。UCSFに勤める看護師たちのグループカンファレンスに出席したとき,「この国の医療はおかしい。私たちが政策に訴えるしかない。現場を知っているのは私たちだから」という声がスタッフナースから聞かれた。総合病院のCNS(専門看護師)は,「同僚のCNSがどんどん減らされ,今では数年前の3分の1になっている」と危機感を募らせていた。どの病院の看護部長も「RN(正看護師)の数が年々減らされ,今では50%を切ろうとしている。これ以上,RNを減らされたら看護などできない」と述べ,最低限の看護ができる環境を整えるための闘いを経営者に挑んでいた。

 精神科の病院では,医師が「高額だという理由で,今まで使っていた薬がどんどん減らされている。明らかに患者に効くと証明されている薬でさえも」と嘆くのを,ナースが横でうなずくシーンを見た。

 これが現実だ。そのナースたちが,日本はアメリカを真似てはいけないと言ったのだ。重たく響く言葉だった。

 2003年にアメリカを再訪したときには,病院で働くことに魅力を感じなくなった若齢層が看護学校に入学してこなくなり,空前の看護師不足が生じていた。看護師不足の原因はそれだけではないが,辞めていく人たちも含めて,「こんな仕事,やってられないわ」というのが本音なのだろう。

 病院から看護師がいなくなり,看護がなくなる。世界のリーダーだったアメリカの看護はすっかり元気をなくしてしまった。その後も何度かアメリカを訪れているが,行くたびにこちらが疲れるようになった。看護師たちからいい話が何も聞かれなくなったからだ。「疲れた」「たいへんだ」「看護師がいない」という言葉が,どこへ行っても繰り返された。

 もはや「対岸の火事」ではない

 理想と現実は違う。こんな現実のためにアメリカの医療改革は行なわれたわけではない。しかし,こうなってしまったのは,公的制度であるべき医療を市場に委ねたからにほかならない。

 今,日本で論議されていることに耳を傾けると,たしかに規制改革・民間開放推進会議の言い分はある。これまで,競争原理が働かなかったがために,あまりにも不透明で,経営努力や患者の視点に欠けた医療のあり方をしてきたことに関しては批判を浴びるべきだろう。しかし,人の命を市場に委ねることの現実が,アメリカを例にここまで明らかになっているなかで,混合診療解禁という形で示さなくても,ほかに努力できることはあるはずだ。このたびの議論に関しては,特定医療費を修正するなどの厚生労働省や日医等の業界団体の意見のほうが実際的だと思われる。

 一流と呼ばれる企業であっても,あくなき利益の追求は行なわれる。それが市場にいるものの使命だから,そうしなければ淘汰されるからだ。だが,利益追求という欲望が,その過程においてしばしば道徳的な問題を引き起こすのは周知の事実だ。もしも,医療が市場に委ねられたら,今以上の利益追求に起因する道徳的問題は避けられないだろう。大方の企業と異なるのは,医療における利益主導の道徳的問題が患者の生死や生活に多大で深刻な影響を及ぼす点であり,それは非常事態をもたらしかねない。

 李氏の『市場原理が医療を亡ぼす――アメリカの失敗』は,アメリカ医療の現実を科学的根拠や公的資料を挙げながら知らしめてくれる。背筋が寒くなるのを覚えながらも一気に読まずにいられなかったのは,それが対岸の火事ではないことが十分に読みとれるからだ。本書を手にして寒気を覚えない人がいたら,自身も家族も周囲の人たちも,よほど健康な集団のなかに生きている人だと思う。

(『看護学雑誌』2005年2月号掲載)
いま何をすべきか?看護師に深い示唆を与える1冊
書評者: 川島 みどり (日赤看護大教授・看護学)
 医療制度改革のあるべき姿は,「日常診療の場で,医療倫理に則った医療を達成することが容易となる法・制度の改革」であるとして,著者は,これまでにも胸のすくような歯切れのよい筆致で,米国の医療の実状を分析・紹介してきた。ともすれば,米国に倣いがちなわが国の医療の諸政策に対して警鐘を鳴らし続けるだけではなく,日本の医療の質を高め,患者本位に改革する方向性を示唆し,多くの読者を引きつけてきた。

 本書では,これまでの米国医療の批判的紹介にとどまらず,市場原理を持ち込むことによる医療そのものの崩壊の詳細について,具体的な事例を挙げながら述べられている。なかでも,混合診療をめぐっては,わが国でも立場によってその受け止め方も一様ではない。だが,その解禁により,財力の差に基づく医療差別を制度化し,安全性と有効性の認められていない治療が,先端医療の名のもとに横行する危険性があるとしている。

 なかでも,突然発症された実弟のくも膜下出血の治療をめぐるエピソードは胸を打つ。必要な治療の選択をできなかった肉親としての苦渋の思い,その思いを,「混合診療の解禁に向けるのではなく,安全で有用な治療薬が認可されない背景に怒るべき」だとの言葉は,相当の重みを持って迫ってくる。欧米では常識化されている治療薬の許認可のしくみ,その背景にも本書の主題である市場原理が見え隠れする。

 一連の流れは,近年の米国における深刻な看護師不足,無資格看護職員の増加にも通じるものではないだろうか。また,世界の看護師らの憧れでもあった,ベスイスラエル病院の看護の崩壊劇の背景とも無関係ではないだろう。

 近年声高に叫ばれてきた医療費の削減,経営の効率化が,ビジネスの論理への幻想を抱かせていると思われるが,行き過ぎると医療倫理に反することを合理化することにもなりかねない。昨今多くの医療機関に掲げられている患者尊重の理念を,言葉だけの上滑りにせず,日常診療・看護に具体的に実践されない限り,医療への信頼回復の道は遠いだろう。その意味で,巻末の対談には多くのヒントがある。医療の質を貧富によって差別しかねない市場原理・ビジネスの論理に惑わされず,「患者アドボカシーは看護師が適役」とのコメントを糧にして,いま何をすべきかを考える上で,多くの看護師らに一読をお勧めする。

必ず人に薦めたくなる,「特別な作家」のアメリカ医療本
書評者: 向井 万起男 (慶大助教授・病理診断部)
 私にとって特別な存在という作家・ライターが何人かいます。その人たちの新刊書が出たら,イの一番に書店に駆けつけて手に入れ,すぐに読むことにしています。読みかけの本があっても中断して。そこまでする価値が,その人たちの新刊書にはあるからです。そうした作家・ライターの一人が,李啓充。

◆なぜ李啓充は特別なのか?

 私にとって李啓充が特別な存在になったのは,『市場原理に揺れるアメリカの医療』を読んだ時です。日本の医療界に旋風を巻き起こした,李啓充のアメリカ医療本第一作。

 日本以外の国の医療について深く考えたことなどなかった私は,アメリカの医療については無知も同然でした。アメリカは医療における最先進国なんだろうと何となく思っていただけです。そんな私にとって,アメリカの医療の歴史・実態を鋭くレポートしてくれた本は衝撃的でした。アメリカの医療が抱える問題点や,日本の医療にはないアメリカの医療の長所といったものを初めて詳しく教えられ,まさに“目からウロコ”。恥ずかしながら,私が日本の医療の問題点を真剣に考えるようになったのは,この本を読んでからです。もちろん,私は李啓充の第二作『アメリカ医療の光と影』も貪るように読みました。私が日本の医療過誤問題を真剣に考えるようになったのは,この本を読んでからです。

 ところで,李啓充以外にもアメリカ医療について書いている人がいるはずです。私はこれまで,そうした本を一冊も読んだことがありません。で,そうした本と李啓充の本の違いを私は論ずることができません。でも,私が自信を持って言えることが一つだけあります。李啓充の本ほど読者を興奮させる本は他にはないだろうということです。というのは,李啓充には余人が真似することが出来ない筆力・構成力があるからです。この能力は半端ではありません。なにしろ,一度読み始めるととまらないのです。チョット言い方が不謹慎かもしれませんが,そこいらの推理小説なんかメじゃない面白さがあってドンドン読み進むしかなくなるのです。これは大袈裟ではなくホントです。李啓充の本を一冊でも読んだことがある方なら,両手をあげて私に賛成してくれるでしょう。

◆前二作を凌ぐ衝撃度

 さて,待ちに待った李啓充の新刊書が出ました。『市場原理が医療を亡ぼす――アメリカの失敗』。アメリカ医療についての第三作目ですが,内容の衝撃度も読み物としての面白さも前二作にひけをとりません。いや,前二作を凌ぐと言ったほうがイイでしょう。そう言ったほうがイイ理由があります。

 李啓充は,この本のあとがきにこう書いています。“前々作『市場原理に揺れるアメリカの医療』,前作『アメリカ医療の光と影』では,私はアメリカの事情や問題は紹介しても日本の現状については直接の言及を控えるというスタイルを守った。しかし本書では,これまでのスタイルと正反対に,私が,激烈ともいえる調子で日本の「医療制度改革論議批判」を行ったので,驚かれた読者も多いのではないだろうか”。私に言わせれば,李啓充はチョット勘違いをしています。読者は李啓充の予想に反して,まるっきり驚かないからです。むしろ,身近な日本の問題について直接言及してくれたことで,アメリカ医療の問題点が一層はっきりするし,日本がアメリカの真似をすることの恐ろしさが迫力を持って伝わってきます。前二作以上に。

◆アメリカの歴史から学べ

 今,日本の医療制度は大きな分岐点に立っていると言えるでしょう。“混合診療解禁”や“株式会社の医療機関経営への参入”という問題が論議されているからです。つまり,医療現場に市場原理を導入することが盛んに論議されているわけですが,こうした論議をどう決するかで,これからの日本の医療のあり方が大きく変わるのは間違いありません。しかし,こうした論議をいくら机上で行ったところで何の意味もありません。“歴史から学ぶ”という人間の知恵を使うのが一番です。ということは,こうした市場原理をとっくの昔に医療に導入しているアメリカの歴史から学ぶべきです。そして,アメリカの失敗を繰り返すことの愚を知るべきです。

 この李啓充の新刊書には,これからの日本の医療はアメリカの失敗を繰り返してはならないという警鐘とともに,日本の医療が目指すべきものは一体何なのかということが真摯に書かれています。是非,この本を読んで,そして周囲の人たちにも薦めてください。読めば,必ず周囲の人たちに薦めたくなるはずです。

米国の現実を紹介。日本の医療を考える上で貴重な1冊
書評者: 岩田 健太郎 (亀田総合病院感染症内科)
◆最後まで一気に読ませる李啓充氏の最新作

 米国は理念と現実の差が激しい二重構造の国家である。だから,病院の見学旅行や「お客さん」としての滞在,偉い人の講演や文章(理念)だけでは,実際の医療現場でどのようなことが起きているのか(現実)は分からない。また,いわゆる「アメリカ紹介もの」の本は自己肯定のバイアスがかかり,この「理念の部分」を強調しすぎる傾向がある。これが,日本における米国医療へのイリュージョン(幻影),誤解を生む一因になっている。

 そこで,『市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗』である。
 本書は『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(いずれも医学書院刊)で米国医療の現実を紹介してきた李啓充氏の最新作である。米国医療の現実を,とくに医療経済的な側面から紹介している。単なるシステムの紹介にとどまらず,実際のケースを交えながら,テンポの良い文章で読ませてくれる。次のページをめくるのが待ち遠しく,一気に最後まで読ませること,必定だ。このあたり,作家,エッセイストとしての李氏の能力が十分に発揮されている。

◆日本で知られていない米国医療の現実

 李氏はまず,株式会社病院チェーンを紹介する。企業利益と株式配当にしか興味がない。これがどのように医療の質を低下させるかが,明らかにされる。バブル崩壊直後には,日本企業には倫理観がない,米国企業の高潔さに見習うべきだ,といわゆる「国際派知識人」が息巻いたものだが,エンロン,ワールドコムやマーサ・スチュワートなどのコーポレート・クライムが暴露されると,このような見方のナイーブだと判明する。欲望の罠にはまってしまうのは古今東西を問わない。利益「だけ」を追求した病院経営も例外ではない。

 医療へのアクセスが市場原理の行き過ぎによって狭められてしまう,という問題点も指摘されている。多くの無保険者。メディケイドのような「貧者の」公的保険を持つ患者の診療拒否。所得が低くなればなるほど負担が増す,「逆進性」の問題。

 米国における臨床試験が日本で信じられているように「清廉潔白,科学的」ではない,という点も本書は指摘している。多くの臨床施設や研究者は製薬会社や医療器具メーカーと結託しており,金銭やストックオプションなどの利益を得ている。患者の安全安心は後回し。このような事実は日本ではほとんど知らされることがない。

◆失われた理念,ゆがむ医療

 本書は有名な「神の委員会」も紹介している。血液透析が実用化した時代。その数は限られていた。シアトル市の医師会は委員会を設け,「誰に」透析を受けさせるべきか討議した。人の生き死にに直結した「神の委員会」。委員の多くは医療従事者ではなく,議事録は公開されている。世界で初めて生命倫理が明確に意識化されたのがこのときだという。こんな革新的な試みがなされたのが,なんと1960年代のことだ,というから驚く(この辺が,米国医療の最良の部分と言えよう)。

 しかし,現在の米国医療はこの委員会の素晴らしい伝統を受け継いでいるとは到底言えない。患者のアクセス権すら満足にいかない状態で,市場原理にのっとり,お金を持っている人がよりよい医療を受ける権利がある。そして,多くの米国人たちがそれを是としている。マイモニデスが看破したように,科学とは多数決ではない。しかし,現実の社会では「みんなでわたれば怖くない赤信号」であり,多数派が自然にデファクトスタンダードになってしまうのが常である。米国医療の市場原理主義は長期のビジョンも理念も持たない。せっかくのシアトルの伝統もどこかへ消えてなくなっている。けれども,これが当たり前の社会になってしまっている。

 そして,過剰な医療訴訟,それによって起きた医療過誤保険のもたらした悲劇についても本書は言及する。過剰な医療過誤保険のために医師は廃業や転地を余儀なくされ,そのため地域の人間は主治医を失い,いざというときの救命救急も遠隔地で,ということになる。金の都合で医師や病院ができたりつぶれたりするのだから,1990年代に米国が掲げた「プライマリケア重視の」医療などできる訳もない(本音では,米国のプライマリケア重視策は医療費抑制のゲートキーパーを期待してのものであり,本来のプライマリケアの理念を政府が本当に理解していたかは疑わしい)。

◆新たな解決策どう見出すか?

 このように,本書は米国医療の問題点を明快に解説しており,日本の医療を考える上では貴重な1冊である。ぜひ一読をお薦めする。

 さて,ひとつ,困っていることがある。日本の保険診療における医薬品審査の現実は,遅すぎるし,また,不適切でもある。しかも,将来その改善も期待できそうにない。審査機構がアマチュア集団だからである。その現実の中で,李氏が言うように混合診療を厳禁しつつ,われわれは,どう新たな解決策を見出していくことができるだろうか? この悩みは簡単には晴れそうにない。

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