在宅ケアのはぐくむ力

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在宅ケアに携わる仲間たちに贈る「在宅ケアの力」シリーズ第3作。『訪問看護と介護』誌で好評連載中の著者エッセイを全面改稿。2012年に地域包括ケアシステムの新時代を迎えたこの国で暮らし、死にゆくことをサポートする看護専門職のガイドブックとして再編した。地域を、患者を、そしてケアの仲間たちとはぐくみ合える不思議な力が在宅療養の現場にはある。著者が立ち上げた「暮らしの保健室」の歩みもこの1冊で。
秋山 正子
発行 2012年12月判型:B6頁:196
ISBN 978-4-260-01710-7
定価 1,540円 (本体1,400円+税)

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プロローグ――芽吹きだした“はぐくむ力”

 初めての単著『在宅ケアの不思議な力』が世に出たのは二〇一〇年でした。この本は、私が在宅ケア、すなわち訪問看護の道に入ったきっかけから始まり、日頃の看護実践の中で感じている“不思議”としか言いようのない在宅ケアの魅力を、月刊誌『訪問看護と介護』のエッセイ連載に、広報誌『ケアワーク』(介護労働安定センター発行)の連載なども合わせて一冊の本にまとめたものです。
 前後して、NHKのテレビ番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』に、「訪問看護師・秋山正子」として取り上げられた(二〇一〇年三月一六日放送)ことと相まって、多くの方々に在宅ケアへの関心を持ってもらえるきっかけとなったのではないかとひそかに思っています。
 『在宅ケアの不思議な力』を出してから、NHKの放送後の反響も併せて、私のもとにさまざまな感想を寄せていただけることになり、『訪問看護と介護』の連載も進んで、二冊目の『在宅ケアのつながる力』も二〇一一年に上梓できました。在宅ケアを続けていると、いつの間にか多くの方々とつながっていき、そのつながった先に新たな世界が開けていくことを実感します。
 地域ケアを担う看護職としての訪問看護は、医療・介護・福祉に関わるケアの専門職のみならず、一般の方、もちろんご家族も含めて、たくさんの方々との顔が見える関係をつくることが大切です。
 この“つながる力”の広がりの中で、例えば、いつの間にか飛んで行ったタンポポの種が芽を出し、花を開き、その大地に根を張るように、在宅ケアを担う仲間が育っていく姿を見ることができます。

 かつて教育職であったことが影響しているのか、この仲間たちが育っていく姿を見ることは私の大きな喜びです。まるで、自分自身がそこで根を下ろしていくような気持ちがします。ここ数年で講演や研修の講師をさせていただく機会が増えました。看護・介護関係が多いですが、行く先々で、力をつけ、成長していくケアの専門職に出会えることで、私自身が育ててもらっているのだと実感します。
 人はそれを在宅ケアの“はぐくむ力”と名づけました。

 「教育」とは、“教〈おし〉え育〈はぐく〉む”と書きますが、共に自分育てもしながら、お互いを刺激し、励まし合って、育ち合うという意味の「共育」という言葉はないものだろうかと考えます。 在宅ケアは、相手の持つ力を最大限に引き出せるかというエンパワメントにかかる仕事。それは、まさに相手の力が育つのを支え、見守ることに通じます。

 シリーズ第三冊目となるこの本を読んで、在宅ケアの“はぐくむ力”の持つ魅力に、まずは触れていただけたらと思います。
 人の弱さを突いてばかりでは、萎縮するのみです。
 はぐくむとは、伸びる芽を摘まず、見出して伸ばすということ。それが、意識され
ずに起こっていく中に潜む何かを、在宅ケアの具体例を通して追体験していただければと願っています。
 在宅ケアは一人で訪問するので責任が重く、不安だという声をよく聞きます。しかし、実際に在宅ケアの仕事に就いてみると、一人で行くけれども一人ではない、ステーションのみんなに支えられているのだという感覚が得られます。それは、自分の置かれている位置を見直し、自分の中の未熟な部分に自分で気づき、自分で成長しようとする、自分育てをしていく過程でもあります。
 人から指摘されてそうなるのではない、自分の中で起こる変化に、自分で気がついていく過程……。そこに在宅ケアの“はぐくむ力”が働いています。そして在宅ケアの本当の「教師」は、利用者さんその人やご家族であることに気がついたときに、自分がグンと大きく、より謙虚になっていることに気づくでしょう。

 医学モデルから生活モデルへの変換は、たやすくできるものではありません。
 われわれ看護師が、これまでの病院中心の医療の中で育てられ、身についたことが、患者を管理(監督)することであったとすれば、それはこれからの「自分の健康を、自分で考えることができる人を育てる」という“自律する患者像”の育成からは程遠いアプローチ法です。
 在宅医療では、医療と生活両方の質の向上が達成目標となります。したがって、人々の生活するための質の向上に、医療が少し寄与しながら、折り合った着地点を見出すことが要求されます。相手の考えによく耳を傾けることから始まるというアプローチです。「生活者=自分の生活の主導権を自分で持っている人」として認識し、この自律する患者像に迫るケアが求められます。
 病院中心で行われている医療からの脱却を図ろうと、今、この国のしくみが一斉に在宅医療に舵〈かじ〉を切りました。しかし一朝一夕にいかないことが多くあります。そんなとき、在宅への移行期の工夫も含めて、本書でケアの現場で起こっていることを知り、在宅ケアを考える一助にしていただけたらとも思います。

 また、重度化した在宅医療は、病院化した医療の延長線上にあります。そうではなく、私たちはもっとナチュラルな過程を踏みながら、人々の老いや死を支えたいと願っています。でも、急には実現できません。
 そのあいだにも、人々は情報の渦の中で溺れそうになり、不安を増し、だんだん自立して生活をしていくことに自信を失っていきます。その結果、すぐに病院医療に頼る。それしかないと思ってしまうし、そうならざるをえない地域医療の整備不足もあります。しかし、本当に必要なのは、そこに至る過程で少しの不安に対応し、再び自信を回復していける自分力を取り戻すことではないでしょうか?
 これは、保健予防活動にもつながり、ひいては介護予防にもつながっていきます。現在、日本全国どこの地域でもその取り組みを始めようと検討・模索中ですね。

 この本では、そのひとつのモデルとして、二〇一一年七月に開設した「暮らしの保健室」のできる過程と、現在に至るその活動を紹介しています。全国各地で、こういった取り組みが進むように願っています。
 また、二〇一二年現在、オランダの医療・介護システム――ことに訪問看護師たちの新しい動きには注目すべき点が多々あり、本書ではこのBUURTZORG〈ビュートゾルフ〉のことも紹介しています。私たちが介護保険制度のスタートと共にたどった道を、同じようにたどりながら、オランダでは本来の患者・家族のニーズに応えるために、思い切った制度改革をしていました。それは、看護・介護を一体的に提供しつつ、自律性の高い看護を主体としたグループが独立できる体制です。これはあっという間にオランダ全土にそのムーブメントを広げていきました。私たちはここに多くを学びたいと思っています。

 在宅ケアのはぐくむ力、確かにあると信じています。在宅ケアに関心を持っていても、不安から一歩を踏み出せないでいる方に本書を読んでいただけたなら、“はじめの一歩”が踏み出しやすくなるでしょう。
 二〇一二年から大学病院を出て、フリーの“退院調整の伝道師”として新スタートされた宇都宮宏子さん、同じく二〇一二年から地域の中核病院を離れ、訪問看護空白地帯でステーションを旗揚げされた横山孝子さんそれぞれとの対話も、読者の皆さんそれぞれの“はじめの一歩”の励みになったら、とてもうれしいです。

 健やかに暮らし続ける地域をつくり、最期の時まで住み慣れた地域で生ききるために、ケアの専門職のみならず、多くの皆さんと手をつなぎ、お互いを育て合っていきたい。私は心からそう願っています。

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 プロローグ

第一章 「暮らしの保健室」という挑戦
 高齢化進む団地に「暮らしの保健室」をひらく
 外来以上、入院未満-自分の健康を主体的に守るには
 東日本大震災被災地での支援会議
 カエルが運んだ「つながる力」
 脱水は「胃ろうへのベルトコンベア」の引き金に!!
 [コラム:「暮らしの保健室」で地域住民向けミニ講座開催]

第二章 「退院支援」で病院と在宅をつなぐ
 I さんが食道がんと診断されるまで-在宅移行期にこそ「生活をみる視点」を
 認知症Sさんの不思議な一人暮らし-日常を長い目で支える
 最期、緩和ケア病棟で逝ったYさん-「この町で暮らす」ことにこだわって
 退院調整中に逝ったBさん-『ラジオ深夜便』を聞いて
 心不全で入退院を繰り返したSさん-お正月に家で看取り
 大腸がんと闘った小川香代子看護師長が遺したメッセージ
 [コラム:「がんの患者に対し行ってもらいたい看護」20か条
   (小川香代子『白衣をもう一度』より)]

第三章 ともに学び・はぐくみ合う
 若いヘルパーさんからの緊急電話
 誰でも集える訪問介護の勉強会
 寒河江市で訪問看護の仲間たちと出会う
 急性期も慢性期も一緒に考えて看護したい
 取り戻そう、看取りの文化
 生まれるに時があり、死ぬに時がある
 [コラム:オランダBUURTZORGとの出会い]

第四章 病院と在宅ケアの垣根を越えて
 クロストーク I 退院調整看護師・宇都宮宏子さんと未来を語る
 クロストーク II 訪問看護空白地に旗揚げした横山孝子さんを訪ねて

 エピローグ
 初出一覧
 著者プロフィール

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教員が学生に「訪問看護」のイメージを伝える手助けに (雑誌『看護教育』より)
書評者: 棚橋 さつき (高崎健康福祉大学保健医療学部看護学科准教授)
 「在宅ケアの力」シリーズ「不思議な力」「つながる力」に続く第3作である。

 第1章では,高齢化が進む団地に「暮らしの保健室」を開き,その活動を通してこれから地域で安心して暮らすために必要なものとして,「安心を与えられるつながり」と自分の「今」を認めてくれる聞き役の重要性を述べている。第2章では,最近特に重要視されてきている「退院支援」についていろいろな事例を通して,病院と在宅をいかにつないでいくか,第3章では他職種とともに学び・はぐくみ合うことの大切さを語っている。そして,第4章は退院調整に関して先駆的にがんばっている宇都宮宏子氏や訪問看護空白地にステーションを立ち上げた横山孝子氏と,病院,在宅の垣根を越えたトークで現状の課題にふれている。

 またコラムとして,看護師長だった小川香代子さんによる「がんの患者に対して行ってもらいたい看護」20か条がある。これは大腸がん闘病の後,自宅で家族に看取られた小川さんの著書のなかから秋山さんが取り上げたもので,読むと今自分が行っている看護ケアが正しいのか,自分の看護観を相手に押しつけていないかなどを考えさせられる。本当はもっとたくさん伝えたいことがあったのではないかとも感じさせる内容で,看護に携わるすべての人に読んでいただきたいと思う。

 今後在宅において「看取り」が重点と考えられている。本書のなかに,訪問看護の対象だった療養者が行方不明となり,銭湯で身元不明者として発見された事例がある。が,この方にかかわっていた看護師,ケアマネジャーが事情聴取され,病気のことなどの情報がきちんと伝わり病死と判断されたが,「気持ちのよいお風呂で人目のあるところできちんとお世話をされて,迷惑をかけたけれどこの方らしかった」と述べられている。どのような「看取り」を推奨していいのかは難しい課題であるが,この事例のように,著者がその長い経験のなかでなければ語ることのできない「療養者や家族のこころ」がこの本には詰まっている。

 教育現場においての教本は,いろいろな項目を入れ込み時代の流れに沿い,作成してある。在宅看護の理解が多くなくても学生に指導できるような形になっており,特に事例を盛り込んで,療養者や家族,またそこにかかわる看護師や他職種の思いや課題を提起している。しかし,それだけで学生とともに理解を深めていくにはやはり限界があるように感じる。外部講師として,現役の訪問看護師の講演を組み入れたりして,それぞれの看護教員は工夫を行い授業の展開をしていると思われる。

 それらの工夫に加え,さらに在宅看護のイメージを湧かせるために本書は役立つものと思われる。

(『看護教育』2013年4月号掲載)
急性期も慢性期も一緒に考えて看護をしたい (雑誌『看護管理』より)
書評者: 勝原 裕美子 (聖隷浜松病院 副院長兼総看護部長)
◆急性期やがん治療の現場にこそ読んでほしい

 著者の秋山正子さんとは,3年前にある学会の鼎談でご一緒させていただいたことがある。そのときのテーマは「看護の専門力で地域の活性化を」。訪問看護の道を切り拓き,第一線で活躍する秋山さんを前に,超急性期病院の立場から何が言えるのかと,随分苦労して話す内容を考えたのを覚えている。

 今回,秋山さんから直接書評の依頼を受け,大変ありがたいことだと思ったが,なぜ私なのかと合点がいかないうちに本が届いた。一気に読み切って,その理由がよくわかった。それは,次の件に象徴される。

 「どうやって急性期やがん治療の現場に,なるべく早く在宅と出合える工夫ができるのか,情報をどうやって伝えていけばよいのか……。皆さんのまわりでは,実際はどうなっているのか,このギャップをどう埋めたらいいのでしょうか? 一緒に考えてみませんか?」(p.77)

 これは,ある病院の師長だった方の闘病記について書かれた文章である。その人は,退院後,在宅で最期を迎えるなかで,病院の看護が患者のニーズに合っていないことや,師長をしていても自分は「在宅」のことを理解していなかったことに気づかされたという。それを読んだ秋山さんは,なぜそうなるまで在宅のことが理解されないのかを「一緒に考えてみませんか?」と問いかけているのだ。それは,まるで私に向かって投げられた直球のように響いた。

◆一人ひとりの患者・家族にとって大切な看護をより深く考えるために

 在宅ケアという言葉から私たちが想像できることはたくさんあるし,それはおそらく間違ってはいない。しかし,「『在宅』という言葉が,急性期医療のなかで,これほどまでに色がついて見えるのかと愕然としました」(p.77)と秋山さんに言わせるほどに,私たちはある側面でしか在宅ケアについて知らない。

 「在宅」だけではなく,「認知症」や「保健指導」など,通常看護師たちの間で使われている言葉が,在宅でケアをする人たちからみれば,脚色され思い込まれたイメージで捉えられていることが,本書ではさまざまなエピソードにもとづいて指摘されている。逆に,訪問看護への苦言もときどき見られる。例えば,救急搬送になるような症状を在宅で見過ごしているがために,「訪問看護師が利用者を容易に急性期病院に送り出していないでしょうか?」(p.29-30)と問いかけているのだ。本書を読んでいて,先に述べた鼎談で,「病院中心の地域ではなく,患者・家族中心の地域という発想が必要だ」と話し合ったことを思い出した。

 秋山さんの「一緒に考えてみませんか」という呼びかけは,「急性期も慢性期も一緒に考えて看護したい」(p.101)という強い願いである。看護の現場で働くすべての人が,在宅ケアを追体験し,一人ひとりの患者・家族にとって大切な看護をより深く考えるために,ぜひ本書を手にとってほしいと思う。

(『看護管理』2013年3月号掲載)
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 上野 千鶴子 (NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)
 これから人口高齢化の「大津波」が大都市圏に来る。ちょっとした風邪でも大病院に行く習慣のある都会人にとって、在宅ケアのハードルは高い。なかでも都心部は、もしかしたら医療・介護過疎地かもしれない、と心配していた。

 ところが、東京都は新宿区、都心どまんなかで在宅ケアを実践している訪問看護師さんがいると知った。秋山正子さん、このひとは地域で20年も前から訪問看護を実践している。このひとにとっては“あたりまえ”の実践が、このところの施設から在宅へのシフトに伴って急速に注目を集めている。パイオニアとはどの業界にもいるものだ。時代がこのひとに追いついたとき、そのひとにとってはあたりまえのことが、“時代のお手本”になる。

 同じ著者による『在宅ケアの不思議な力』(2010年)、『在宅ケアのつながる力』(2011年)に続いて、本書『在宅ケアのはぐくむ力』(2012年)は3冊目。別に、『家で死ぬこと、考えたことありますか? “プロフェッショナル” 訪問看護師が綴る看取りのためのガイドブック』(保健同人社、2011年)もある。タイトルどおり、「病院で死ぬ」ことが“常識”である時代には、「家で死ぬこと」は、考えつくこともできない選択肢だった。だが、日本人の死が病院死になった歴史は、そう古いわけではない。在宅死が病院死にとってかわったのは1976年。それから怒濤のごとく「死の病院化」が始まった。

 在宅ケアの取材を各地でやってみて痛感したのは地域差が大きいこと。秋山さんの活躍する地域は、農村地域のように三世代同居があたりまえで家族介護力のあるところではない。新宿というエリアには、都市の高齢者問題が詰まっている。独居、夫婦世帯、子どもがいても別居が前提、嫁の介護は期待できない……。だからこそ、秋山さんの実践には、これから高齢化する都市の介護・医療問題のヒントがある。それに、秋山さんの実践には、最新の医学知識と看護のノウハウだけでなく、医療保険制度と介護保険制度が背景にある。そのおかげで、私たちにも「家で死ぬこと」が選択肢のひとつになりつつある。秋山さんの事例に、「おひとりさま」のケースがあることも心強い。そのための条件が「自律する患者像」だというのは卓見だろう。

 『在宅ケアのはぐくむ力』は、「在宅ケアの本当の『教師』は、利用者さんその人やご家族である」から来ている。現場に学び、育ちあう力。これまで見てきても、すぐれたプロとは、現場に学ぶ能力の高いひとだと思う。それをいま、このひとは後進を「はぐくむ」ために使っている。本書を読んでも、病院看護師と訪問看護師に求められる能力は別のものだ、という感をつよくする。

 本書の事例には、医療保険と介護保険の併用でのりきったケースがある。なんだかもどかしいのは、それでおカネが足りたのか、おカネの出どころはどこだったのか、という下世話な興味である。リアリストなら問わずにいられない。在宅ケアは今でも恵まれた人の特権なのだろうか。在宅ケアを可能にするには、本人、家族、社会にどんな条件が必要なのか。秋山さん、次はそれを教えてくれませんか?

(『訪問看護と介護』2013年3月号掲載)
悩む人に寄り添う友人として
書評者: 大野 更紗 (作家(『困ってるひと』)/難病当事者)
 秋山正子さんという人は,一見するとナースに見えない。まず白衣を着ていなくて,カジュアルでさっぱりした格好をしている。初めてお会いしたときは,多くを語らぬ物静かな佇まいであった。毎日一緒に仕事をする者でなければ,秋山さんのすごさを本当に知ることはできないのかもしれない。ナースとしての卓越した能力と,クライアント=患者から学び続けることへの忍耐強さ。そして何より,目の前の現状に対する柔軟さ。21世紀に必要な「地域ナース」とは,まさしくこの人のような人材であろう。

 本書は,秋山正子さんの実践の模索の記録であるが,これは1人のスーパーナースの特殊な物語ではない。どんな病や障害を抱えても,人は皆当たり前に,地域で生きていく。この正論に「否」を唱える人はいないが,日本社会はそれを実現するための途上にあり,産みの苦しみの中にある。地域医療の実践に悩む人たちにとり,本書は共にたたかう仲間,寄り添う友人となるだろう。

 秋山さんは,東京・新宿区の都営住宅,戸山ハイツの一角に「暮らしの保健室」というオープンスペースを開設している。この戸山ハイツの高齢化率は,なんと45%以上。約半分が高齢者の団地であり,独居の人や要介護状態にある人も多い。そのうえ都会の一角なので,周りには急性期の大病院もたくさんある。まるで,超高齢化が進んだ東京の,未来の縮図のような場所だ。大都市圏,東京における大病院と地域の社会資源の連携は,率直に「ぜんぜんできていない」と言っていいと思うが,秋山さんたちは草の根からこの状況を変えようとしている。

 病院や医療を変えるのではなく,地域の人たちにかかわり,地域そのものの医療に対する意識を変えようとしているのだ。「暮らしの保健室」は,さまざまな疾患を抱える人たちのよろず相談所のようなところで,療養相談のみならず,経済的な悩みや支援者との関係性についての不安,患者ライフにかかわることはなんでもおしゃべりできる。「地域ナース」は医療者であると同時に,患者と共に暮らす「ふつうの生活者」でもある。

 医療現場のヒエラルキー的な構造の中で患者が抑圧され無力化されてしまうことは,厳しい批判にさらされてきた。従来型のヘルスケアやケアは,「生活」という本人が日々直面し続ける経験をしたことのない人々が担ってきた。いわゆる「医学モデル」だ。医療専門職が,あらゆる物事を患者に対する医学的介入や治療という観点からのみ判断してきたことに対して,まず異議を唱えたのは患者たち自身だった。特に1970年代以降,今日に至るまで,障害当事者や患者を中心に各国で「生活モデル」の理論化がなされてきた。

 「生活モデル」はお役所言葉でも専門用語でもなく,多くの人々による,ねばり強い実践のつながりを表現している言葉でもある。本書の中の秋山さんの言葉を借りれば,こう言い換えることもできるかもしれない――「フラットなチーム」。

 一方で,今を生きる患者として,本書から新たな課題を投げかけられもする。そのチームの中心にいるはずの「自律した患者」として,超高齢社会の世紀に,従来は受け身で良かったふつうの生活者には,どのような実践を求められているのだろうか,と。秋山さんはこうしている。「あなた」はどうする,どうしたいのか,と。
医師・医学生にすすめたい「帰れない者たち」の新たな地平
書評者: 佐藤 元美 (一関市国保藤沢病院・病院事業管理者)
 たまたまなのだが,中島みゆきの「帰れない者たちへ」を聴きながら本書を読んでいたら,ちょっと涙ぐんでしまった。この曲は松本清張原作のテレビドラマ『けものみち』の主題歌であった。帰れないのは施設や病院から帰れないのではない。それは知っていても,帰れない者たちの悲哀は共通している。何に,どこに帰れないのか。故郷へ,職場へ,家庭へ,地域へ帰れない者の悲しみである。普通に暮らすことを断念したつらさである。

 私は,岩手県一関市藤沢町で医療だけでなく予防から医療,そして介護からみとりまでを担当する幸運を得ている。そうしてみるとこれまで見えなかったことが見えるようになった。人は暮らす動物である。裸では生きていけないから,服を着るように,一人では生きていけないから,家庭や地域に守られて生きていくのが人間だ。暮らしを失ってからの長い命を大方の人々は恐れている。

 著者の秋山さんは訪問看護を通して,医療やケアの意味を開拓してきた。日本のマギーズセンターと呼ばれる「暮らしの保健室」はその成果の一つである。高齢化の進む都心の団地,その周辺には東京女子医大病院や国立国際医療センター,東京医大病院など日本を代表する高機能病院が林立している。しかしそれでも,あるいはそれだからさまざまな問題の解決は高度医療に期待され,急性期医療に適さない問題は未解決のまま,“暮らせない人々,帰れない者たち”がつくられてしまう。本書では,かかりつけ医のパワーや訪問看護ステーションの力,さらに暮らすこと自体からはぐくまれる不思議なマジックにより,再び人々が暮らしを取り戻す奇跡の物語がつづられている。柔らかなタッチ,やさしい語り口であるが,ここで指摘されているのは,やはり生活や暮らしを知らず,あるいは軽視して勉強と仕事にだけ専念してきた医師と医師が担う医療のあり方だと思う。

 こう考えると「帰れない者たち」とは,実は生活すること,暮らすことを知らず,あるいは軽視している医師たちをも指すのではないだろうか。病む人々に役立ちたいと初心を抱いて医師の道をめざして,そのために失ったことの大きさに今立ち止まり,途方に暮れるのだ。暮らしから遠い,あるいは暮らしと両立しない命を生み出し,必死で支えているからだ。

 私たち医師は,頑張ると燃え尽きる構造の中に放り込まれている。本書は,医療や介護の意味が大きく転換する混沌とした時代を,訪問看護でお世話する一人一人を通してだけでなく,全国で訪問看護に挑戦する看護師との交流を通して,声高な主張ではなく,胸を打つ叙事詩で描き訴えている。

 看護師だけでなく,すべての医学生,医師にこの書を薦めたい。私たちの仕事は頑張ることが重要なのではなく,成果を挙げることが,人の役に立つことが重要だ.人の役に立つ,特に病む人の役に立つとは何か,これを考えずには医療は一歩も進まない。秋山ワールドに広がる地平を見て欲しい。

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