医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第92回

延命治療の中止を巡って(1)
殺人罪

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2697号よりつづく

 1982年8月18日,ロサンゼルス郡検事局は,「延命治療を中止し,患者を死に至らしめた」と,ロバート・ネジル(56歳,外科医),ニール・バーバー(49歳,内科医)の2医師を殺人罪で起訴した。

 「殺人の被害者」となったのは,クラレンス・ハーバート(55歳),81年8月下旬,「ありきたり」の消化管手術を受けるために,同郡ハーバー市のカイザー・パーマネンテ病院に入院した患者だった。手術終了後,回復室で心肺停止状態となり,蘇生に「成功」したものの昏睡状態に陥り,人工呼吸器につながれたのだった。

 昏睡に陥ってから3日後,家族の同意の下に,呼吸器が外された。しかし,呼吸器を外した後も患者は自力で呼吸,2日後,今度は,点滴と経管栄養が外された。患者が亡くなったのは点滴と経管栄養が外されてから6日後だったが,医師たちの処置に疑問を抱いた看護師が通報,検察当局が介入することとなったのだった。

州法が認めた2条件

 「事件」発生から1年近くが経過してからの起訴に当たって,担当検事は,「業務上過失のような悪意が伴わない『犯罪』とは違う,明瞭な意図の下に行われた『殺人』」と,2医師の行為の「悪質さ」を強調した。当時,カリフォルニア州法は,「脳死」あるいは「患者が事前に書面で延命治療を受けることを拒否」していた場合の2つの状況に限って延命処置の中止を認めていたが,担当検事は,「この事例は州法が認めた2条件に適合しないし,2医師の行為は患者を死に至らしめたのだから,殺人を犯したと言わざるを得ない」と,起訴の理由を説明したのだった(なお,起訴当時,検察当局は動機については「不明」としていたが,後に,「医療過誤の事実を隠蔽するために患者を殺した」とする「奇説」を主張することになる)。

ガイドライン作成の理由

 いまでこそ,米国の医療界では延命治療の中止は「ルーティン」となっているが,ネジルとバーバーの2医師が起訴された80年代初めは,まだ,延命治療を中止したら「殺人罪」など刑事罰に問われるのではないかという不安を抱える医療者が多い時代だった。実は,ロサンゼルス郡の医師会と弁護士会とが,81年に,共同で延命治療の中止に関するガイドラインを作成していたのだが,「延命治療を中止した後に訴追されるのではないか」という医療者の不安を解消することがガイドラインを作成した理由だった。このガイドラインでは,「脳死・患者の同意」以外にも,「回復が見込めない昏睡については家族の同意があれば呼吸器を外すことができる」としていたが,ネジルとバーバーは,神経内科専門医にもコンサルトしたうえで,「ハーバートの昏睡は回復不能」と判断,家族の同意の下に延命治療を中止したのだった。

人道的かつ「心優しい」行為

 ネジルとバーバーの2医師を殺人罪に問う裁判が始まったのは翌83年1月のことだったが,被告側は「起訴は不当」と公訴そのものを棄却することを主張,予審段階で起訴の妥当性を巡る審問が行われることとなった。被告の2医師を支援するために審問で証言した医療関係者は多かったが,UCLA医学部脳外科教授シドニー・グロスもその一人だった。グロスは,「患者に回復の見込みはまったくなかったし,2人の医師がしたことは人道的かつ『心優しい』行為だった」としたうえで,被告側弁護士の質問に答える形で,「自分も延命処置を停止したことが何度もある」と証言した。「もし,こういったケースで医師が延命処置を際限なく続けていたら,無数のカレン・クィンラン()を作り出すことになってしまう」と延命処置中止の理由を説明したのだった。

覆った裁定

 同年3月,担当判事のブライアン・クラハンは「犯罪が行われたとする嫌疑を抱かせるだけの証拠は不十分」と公訴棄却の決定を下した。「もし,『延命治療を中止したら殺人』ということになったら,逆に延命治療の開始を尻込みする医師が増え,助かる人も助からなくなってしまう」とクラハンは決定の理由を説明した。

 これに対し,検察側は州高等裁判所に抗告,クラハンの決定を取り消すよう求めた。5月,再審問を担当したロバート・ウェンキー判事はクラハンの裁定を覆し,「起訴は相当,2医師を殺人罪で裁判にかけねばならない」とする決定を下した。ウェンキーは,「州法は,延命治療が中止できるのは『脳死と本人の同意がある場合だけ』と,明瞭に規定している。法の規定に照らす限り,2医師は殺人罪の嫌疑を免れることはできない」と,公訴棄却決定の取り消し理由を説明したのだった。

この項つづく

:75年,21歳で植物状態となった女性。両親は人工呼吸器を外すよう求めたが,医師たちが拒否,法廷で延命治療を中止することの是非が争われた。