医学界新聞

 

寄稿

臨床研修をカンボジアで行う
新たなパラダイム構築を目指して

片山 充哉(亀田総合病院内科後期研修医・3年目)


 感染症内科ローテーション中ということもあり,2005年2月,亀田総合病院感染症内科部長代理(当時)の岩田健太郎先生とカンボジアローテーションの機会を得ることができた。

 今回研修させていただいたのはSihanouk Hospital center of Hopeというプノンペンにある病院だった。Sihanouk Hospitalは,各国からの医師,看護師が集まり,カンボジアの医師の教育を行っている。また,チャリティ病院として患者に無料の医療を提供している病院だった。

苦渋のトリアージ

 病院に来る患者はER,クリニックあわせて1日に300-350人くらいである。医療リソースが極端に少ないカンボジアで,すべてのニーズに応えることは不可能である。そこで,一見理不尽にすら思えるトリアージが行われている。

 毎朝,全国から山のように集まる患者たち,時にリアカーで何日もかけて運ばれてきた患者が病院前の広場にたむろする。ここで,カンボジアのドクターによりトリアージが施行され,重症度の高い人が優先的に救急室(ER)での診察を受けることができる。

 すべての人を助けることはできない,しかし何もせずに手をこまねいていることも許されない。こうした中での苦渋の決断により,毎日「診療を受けることができる患者」が選別されていく。

 Sihanouk Hospitalの医師は,カンボジア人の医師が50人程度。そのうち外科医が約10人,内科医が約25人,感染症科医が約8人である。感染症が圧倒的に多いため,これを専門とする医師が多い。国外からは,医師の教育を目的としてやってきた医師が10人程度いる。

 その中で,私は主にER,内科病棟を中心に研修をさせていただいた。ERにおいて,感染症が問題となっているケースではカンボジアのドクターが積極的に岩田先生にコンサルトをしてきた。

 ERでも病棟でも,病院内でできる検査が限られているということもあり,カンボジアのドクターは問診,身体所見を大切にする。また,教育を受ける言語が自国語ではないためなのか,英語でのプレゼンテーション方法も心得ていた。歴史的には,フランス語で医学教育を受けていた彼らだが,1970年代のクメールルージュの支配によりフランス語教育は事実上消滅,その後英語を覚え直して,医学を学んでいるのだから恐れ入る。

ぼろぼろになるまで 医学書を読む

 来る前から予想はできていたが,日本と比較して感染症が圧倒的に多い。結核,HIV関連の疾患が特に多く,結核の場合は多くが重症化してから病院にやって来る。日本ではそう簡単にお目にかかれない粟粒結核,結核性髄膜炎が1日に3人も来院した日があった。結核患者の管理としては,なるべく感染しないようにと,外来でのフォローは病院の裏手の敷地(空き地?)でなされていた。

 内科病棟では毎日回診がなされていて,10時半から始まり,10人くらいの患者さんをプレゼンテーションし,治療方針を決定していた。病棟の患者さんも同様に感染症が多いが,血液培養は採取することはできなかった。培養の施設がまだ整っていないためである。そのため,抗生剤の治療法は経験的なものに依存するしかなかった。岩田先生はその回診の中で,アドバイザー的な存在となっていて,プレゼンテーションを聞き,カンボジアのドクターと一緒に方針を決定していた。岩田先生はアメリカで研修していたという経歴もあり,英語でも日本語と同様のペースでアドバイスできた。

 Shihanouk Hospitalに限ったことなのかもしれないが,カンボジアのドクターは教育に飢えている印象があり,岩田先生のレクチャー,ケースプレゼンテーションでは積極的に発言していた。医学書に関しては,母国語の医学書というものが存在しないために,ハリソン,ワシントンマニュアルの版が古いものをぼろぼろになるまで読み込んでおり,日本語のワシントンマニュアル,ハリソンですら読んでいない自分が恥ずかしく思えた。

 言語の壁,医療資源の壁をたくましく乗り越えていくカンボジアのドクターたちをみて,自分の医学に対する姿勢を再度見直さなくてはならないと,初心に返る気持ちを持った。

カンボジアのHIV事情と Elton John center

 カンボジアでのHIV感染者は多い。人口約1400万人のカンボジアで,例えば,出産可能な女性では,感染率は2.3%(2000年)である。また,売春婦(commercial sex worker)では1992年に感染率が10%だったのが,1996年には40%と激増している。ちょうど,国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の活動期間に当たり,国際協力の光と影が見え隠れする。

 Sihanouk Hospitalでは,HIV患者の日和見感染症に対して入院治療を行う。一方,Elton John centerは,HIV患者の外来フォローを行うクリニックである。英国のロックスターであるエルトン・ジョンの出資により作られたクリニックである。

 ここで,無料の医療を提供してもらえる患者は,カンボジアのHIV陽性者の中でも,ごくわずかである。感染者でフォローを受けている患者が,1400人のみ。しかも,この中のすべての患者が治療薬を与えられるわけではない。患者は3度にわたる面接を受け,虎の子の抗ウイルス薬をきちんと毎日服用できることを確認された後(服薬を怠ると耐性ウイルスの問題が生じるからである),「抽選」により治療が提供されるかどうか決定される。実際に治療を受けている患者さんは376人とのことだった。抗ウイルス薬はタイで作られている格安のジェネリックであり,薬代も寄付によってまかなわれている。平等と呼ぶべきか。理不尽な施策か。いずれにしても,日本では考えられないことであった。

 そうはいっても,カンボジアの将来が真っ暗というわけでもない。現に,HIV陽性患者の数は,1990年代後半以降減少傾向である。また,治療を受けることができる患者の数も年々増加している。検査体制も日本のような潤沢な国のようにはいかないが,与えられた環境で精一杯のケアが提供されているのだった。

CCFでの生活・精神面のケア

 CCF(center of Chronic Care Facility)とは,14床のベッドと1人のドクター,16人のナース,ソーシャルワーカー,カウンセラーを有する施設であり,HIVの状態が安定化した慢性期の患者さんがケアを受けるところである。主に,患者はSihanouk HospitalとElton John centerから送られてくる。

 清潔なタイルが印象的な,快適な住まいであり,カリニ肺炎などの日和見感染が治療されている医療施設でもある。状態が安定し,ケアを不要とするようになれば退所する患者さんもいる。職を得,結婚して自らの家を持ち,ここを退所する患者もいた。

 途上国医療というと,命の維持ばかりが注目されがちだが,こうした生活面や精神面でのケアも考慮されているのは素晴らしい。

スラムでのHIV診療見学で 公衆衛生の重要性を再認識

 プノンペンの郊外のスラムでのHIV診療を見学する機会も与えていただいた。われわれが見学したスラム(Borey Kilg Slum)の中でフォローしているHIV患者の数は50人程度で,すべてのスラムを合わせると,だいたい220人くらいの患者の数になるとのことだった。

 このスラムをフォローしている医師はHope Hospitalから交代で1か月に1回程度,患者の診察をするためにここに訪れていた。HIVの患者さんは主に症状から3-4通りに分けられていて,その重症度により,フォローする頻度を決定している。HIV患者は家族もHIV陽性となっているケースが多く,母がHIV陽性で子供もHIV陽性となっているというパターンがほとんどであった。

 プノンペンでは健康な人でも職が不足し,就職事情はきわめて厳しい。まして,HIV陽性の患者が仕事を得るのはさらに困難である。スラムに住んでいるHIV陽性の患者は魚,卵,手製のアクセサリーなどを売って生活をやりくりしていた。スラムの水の供給源は井戸水かホースからで,トイレは共同のトイレがスラムの中に存在し,各々の家には設置されていなかった。今回研修させていただいたのが乾期に当たる2月で,家屋は比較的清潔であったが,雨季には雨漏りは避けられず,下水上水の混在も避けられない。

 発展途上国の厳しい経済状況,スラムという不衛生な環境という現実を目の当たりにし,公衆衛生の重要性を再認識した。


途上国臨床研修の意義

岩田健太郎(亀田総合病院総合診療教育部感染症内科部長)


 片山充哉先生はこのスタディーツアー参加当時は研修医2年目,病院の業務にも慣れ,日々の患者ケアに充実した毎日を送っているところでした。「臨床研修」の一環として,カンボジアについて来てもらいました。私が短期の講師,part-time teacherとしてSihanouk Hospitalにて医学教育を行う一方,日本の研修医が向こうから教えていただく,教え,教えられる好ましい環境を作りたいと思ったのです。もちろん,私自身もカンボジアではとても勉強になりました。

検査に頼らない診察
学び,学ばれる関係づくりを

 よく,途上国医療のスタディーツアーというと,熱帯医学(特に微生物学)や公衆衛生の分野ばかりが注目されます。事実,片山先生もスタディーツアーを通じて結核菌や抗HIV療法について学ぶことができました。また,プノンペンのスラムやCCFの見学を通じて,途上国における医療体制について考える機会も得ました。

 しかし,片山先生の経験はそれだけにはとどまりません。カンボジアの実際の医療現場で,熱の患者,意識障害を持つ患者(「結核」や「マラリア」という診断がすでについているのではなく!)を診察し,アセスメントを立て,治療します。医療リソースは極端に乏しく,意識が悪い患者がいるのにCTひとつありません。そこで,詳細に病歴をとり,丁寧に診察をする大切さを片山先生は学びました。途上国では山のような教科書や医学教材を購入することはできません。寄付によって得られた版の古いワシントンマニュアルやハリソンをぼろぼろになるまで読んで勉強しているカンボジアの医師たちを見て,勉強はお金や高速のインターネットがなければできないわけではない,という大事なことも学んだようです。

 「かわいそうな途上国の現状を見聞きする」ツアーから一歩飛び出し,臨床医として真摯に現場の医師から学ぶのも途上国でできるひとつの方法です。彼らの診察能力は,日本や米国の平均的な医師――検査に頼り,やや甘えの見られる私たち――を遙かに凌駕しています。謙虚に学ぶことから,真の友好が生まれ,上下関係ではなく,水平関係のパートナーとしてのアジアの友人も生まれます。臨床研修といえばアメリカ,あるいはシステムやインフラが整備されている場所に限る,こう思いこまれている風潮がありますが,決してそんなことはありません。

 Sihanouk Hospitalでのツアーは大変評判がよく,来年度からも定期的に行われるようになりました。亀田総合病院感染症フェローと,初期研修医を連れて,これからもカンボジアから学び,学ばれる関係を継続していこうと思います。