医学界新聞

 

「アフォーダンス」が開く看護学の新たな可能性

多様性を保持し,環境から学ぶ
――Event Basedの人間科学

インタビュー:佐々木正人氏
(東京大学大学院教授・情報学環)

<聞き手>日本赤十字看護大学看護哲学研究会
(写真後列左より川原由佳里氏,谷津裕子氏,吉田みつ子氏)


 「アフォーダンス」――25年前に他界した生態心理学者,ジェームズ・ギブソン()が提唱した知覚理論が,四半世紀を超えた今,心理学,哲学,科学,はては建築,芸術の世界に至る多くの領域に強い影響を与えている。人間や動物の知覚・認知という「不思議」に肉薄するこの理論は,人と人とのかかわりを中心に据える看護学に,どのような知見を与えてくれるのだろうか。

 若手の看護学研究者が中心となって活動している「日本赤十字看護大学・看護哲学研究会」のメンバーが,日本でのアフォーダンス研究の中心人物である佐々木正人氏に聞いた。


■アフォーダンスで見る「リハビリテーション」

環境と人を切り離さず捉える視点

看護哲学研究会(以下,哲学研) 佐々木先生のアフォーダンス研究には,環境と人間を切り離さずに捉える視点が強くあるように感じています。看護学では常々「環境と人は切り離せない」と言いながらも,いざ研究する際には一度切り離して考えることが1つの“常識”となってきました。その意味で,アフォーダンスには,これまでの看護研究にブレークスルーを与えてくれる予感を持っています。

佐々木 私は看護については素人なので,どこまで参考になるのかはわかりません。ただ近年,脳卒中,頸椎損傷など,急性期後の重度の障害を持つ方たちを観察させていただく機会を得ました。私の研究の中でも,特に医療に密接に関連するものなので,ご紹介したいと思います。

 「アフォーダンス」というのは聞き慣れない言葉だと思いますが,とりあえず,私たち人間,あるいは動物がかかわることによって,はじめて明らかになる「物の性質」と理解してください(参照)。今から紹介するのは,靴下履きと卵割りですが,靴下なら「靴下のアフォーダンス」,卵なら「卵のアフォーダンス」というものがある。そしてそれは,人間が靴下を履いたり,卵を割ったりすることによってはじめて明らかになってくる性質だということです。

ジェームズ・ギブソン(James J. Gibson)

 1904年,米国オハイオ州に生まれる。22年にプリンストン大学哲学科に入学し,心理学を専攻。49年よりコーネル大学に赴任,79年に他界した。環境にある意味を直接知覚することを可能にしている光の情報について生涯研究し,1960年代に「生態光学」を完成させた。

 知覚の根本的な問題に取り組み続けたギブソンの提唱した「アフォーダンス理論」は,後に心理学,哲学,科学はもちろん,芸術,建築など様々な分野の人々に多大な影響を与えることになった。

アフォーダンス

 ジェームス・ギブソンの造語。アフォーダンスとは,一言で言えば「動物に行為の可能性を与える環境の性質」である。それは物の物理的な性質ではなく,また,動物(=知覚者)の主観が構成するものでもない。言い換えるなら,「環境の中に実在する,動物にとっての価値」である。

 伝統的な認識論において,人間や動物の知覚は,(1)感覚器を通しての刺激の入力,(2)中枢での刺激の解釈,という「2段階モデル」で説明されてきた。しかし,アフォーダンス理論においては,人間や動物の知覚は,環境の中に実在する意味を,その身体すべてを非中枢的に用いて探索する過程として説明される。ギブソンが提唱して以来,従来の知覚・認識論を根底から覆すものとして,注目を集めつづけている。

靴下のアフォーダンス

佐々木 1つ目は,頸椎損傷の方がご自分で靴下を履けるようになるまでのリハビリテーション(以下,リハビリ)の観察です。片足を履くのに,最初は15分ほどかかっていたのが,最終的には2分くらいで履けるようになった。もちろん身体は思うように動きませんから,体幹部を曲げたり,口をつかったり,いろんな工夫をして,だんだんと上手になったわけです。

 ビデオを撮らせていただいたのですが,最初はどこが「靴下履き」のポイントなのかまったくわかりませんでした。しかし,別の機会に3歳児が靴下を履く様子を観察した際,ほとんどの子が座位になって履いていることに気がつきました。そこでまず,「靴下を履くためには,転ばないように,身体を安定させなければいけない」のではないかと考えたのです。

 そこを足がかりにさらに分析していった結果,靴下を履くという行為には,(1)転ばないように身体を安定させる(体幹支持),(2)身体を屈曲させて足と手を近づける(脚位置調整),(3)靴下を足に入れる,(4)靴下を引き上げる,という4つの行為が下位行為(ある行為を成立させる要素)として存在するのだ,ということがわかりました。

 靴下という「モノ」は,それを利用する人に「転ばない」,「全身を曲げる」,「手の細かな操作」を強いるわけです。それらを行為の系列で実現していく中で,足先を保湿し,保護するという靴下のアフォーダンスが利用可能になる。

哲学研 この例では,リハビリが単に失われた機能を「元どおりにする」過程ではなく,日常生活に必要な行為を再獲得していく,1人ひとりにオリジナルな過程であることがよくわかりますね。

佐々木 靴下が要求するいくつかの動作・行為がまずあって,それをその人なりに見つけ出していく過程がリハビリだということですね。頸椎損傷の場合,当然普通の人のように身体は使えませんが,靴下が要求する行為は健常者と同じですから,それを工夫しながら獲得していくわけです。

 この方の場合,3つの下位行為が区別されず,ほとんど同時に混在しつつ行われていたのが,まずは時間を追うごとに整理されていきました(図1)。しかし,最後にはとても複雑な組織化が生み出されました。

図1 靴下履きの下位行為
 観察した5つの月(縦軸)で,片方の靴下を履き終えるまでの間(横軸)に,「体幹支持」,「脚位置調整」,「靴下につま先を入れる」,「靴下を引き上げる」という4つの下位行為がどのように分布しているのかを示した。図中の黒の部分は1つの下位行為が単独で行われたことを,灰色部分は複数の下位行為が同時に行われたことを示している。
 98年9月ではほとんどの下位行為が混在して行われているのに対し,10月では単独で行われる時間が増え,3か月後の12月には,それぞれの下位行為が,単独で,かつほぼ段階を踏んで行われている。
 さらに99年3月になって再び複数の下位行為が同時に行われた。被験者は靴下履きに習熟した結果,下位行為を段階的に行うよりも複雑な高次の「同時的組織化」を達成した。
(宮本英美ほか:頸髄損傷者の日常動作獲得における『同時的姿勢』の発達,東京大学大学院教育学研究科紀要,39巻,365-381, 1999.より引用。

「硬いけれど,壊れやすいモノ」

佐々木 もう1つ紹介しましょう。「卵割り」です。頭部外傷による高次脳機能障害の人がADL訓練で卵を割るのですが,どうもうまくやれない。卵を叩く回数を数えてみると,割れるまで平均で23回もぶつけていました。

 靴下履きも難しかったのですが,卵を割るのもなかなか難しい。考えてみると,生卵の表面というのは,硬くなきゃいけない一方で,雛の口ばしで割れる必要もある。だから,「硬いけれど,壊れやすい」という変わった性質を持っているんですね。調べてみると,4歳までの子どもはほとんどうまく割ることができませんでした。

 学生8人に1人あたり12個割ってもらい,料理用ボールと卵のぶつかる音を録音してスペクトル解析しました。その結果,まず衝突には「ソフトな衝突」と「ハードな衝突」がある,ということが明らかになりました(図2)。

図2 卵割りの衝突音のスペクトル解析
左(ソフトな衝突)は低周波数帯にパワーが集中し,右(ハードな衝突)はすべての周波数帯にパワーが分散していることがわかる。卵割りの衝突音は大きくこの2つに分類された。

 健常者の場合,この2つがきれいに分かれています。彼らは平均3.5回の衝突で割っていたが,図3のようにソフトからハードという流れができていた。8名中,ハードだけで割る人が2人ほどいましたが,ハードからソフトに戻るようなことはありませんでした。

 ところが,先ほどの高次脳機能障害と診断された人で調べてみるとそうはいかない(図4)。「ソフトな衝突」を延々と続けているうちにいつの間にか割れてしまったり,「ハードな割り」の後に,「ソフトな探索」が来てしまったりする。ただし,時間とともに工夫され,徐々に行為の系列が構造を持つに至っていることがわかります。

図4 高次脳機能障害者の卵割り
 2001年段階ではうまく組織化できていなかった行為が,2002年6月段階では,かなりの程度まで組織化されており,また,行為全体の時間も短縮されている。
 なお図2-4は「佐々木正人:物・環境を行為で記述する試み,人工知能学会誌,18(4),399-306, 2003」より,引用・加工したもの。

「過程」と「変化」に注目する

哲学研 この方の場合,割る「動作」ができないというよりは,卵の硬さ,あるいは「割れやすさ」を感じることができなくなっているということでしょうか。

佐々木 そうですね。「行為の組織化」ができなくなったといってもいいでしょう。卵の場合は,硬さを探って割り込む,というふうに2つの下位行為を時系列に並べればよいのですが,そうした2つの行為の組織化ができなくなったということです。

 ただ,その組織化には多様性があります。時によって,人によって,また卵によっても変わります。先ほどの靴下履きの場合でも,4つの下位行為が98年12月には段階的に並んだ後,99年3月にはまた複雑になって再組織化されています。

 ですから,単に「割れた」「割れない」で見ていると,大事なことを見落とす可能性があると思います。結果ではなく,行為の組織を見ることが大切です。

哲学研 結果ではなく,過程を見る視点が大切だということですね。

佐々木 観察を続けていると,つくづく私たちは周囲の物・環境との関係の中で生きているんだな,と実感します。だから,リハビリとはつまるところ,物とのかかわりを通して自分の身体を知る,あるいは身体をいろいろに組織して物の「深い意味」に到達するその過程なんじゃないか,と思うんですね。

哲学研 新しい身体の使い方,生活の仕方と同時に物を発見する,ということですね。

佐々木 リハビリの場合,「以前はうまく歩けたのに」という思いがあるからなかなか楽しく思えないのかもしれませんが,日々変化している,という意味では,子どもが成長するのと同じだと思うんですよ。赤ちゃんがうまく歩けない様子って,見ていて「かわいいな」って思いますよね。そういうふうに,うまくいかないこと,難しいことを,患者さんと一緒に楽しめればいいと思います。

■身体知――コツと技をどう伝えるのか

「モノ」が教えてくれること

哲学研 卵割りのお話をうかがっていて,「アンプル割り」と似ているなと感じました。ガラス製のアンプルを割って,注射器で吸うという作業なのですが,学生に演習で教えていると,上手に割れずに指を切ってしまう人が毎年いるんですよ。

 私たちは教員なので,今のお話をアンプル割りの教え方に応用できないかと思ったのですが,いかがでしょうか。

佐々木 アンプルって,ガラス製で,中に液体が入っていて,ある太さを持った「モノ」ですよね。そんな「モノ」を折るという体験は日常生活でまずありません。だから難しいのだと思います。具体的には,上手下手はどのあたりの違いですか。

哲学研 下手な人だと,アンプルに手をかけたままずーっと力をかけていて,突然「パキッ」と折ってしまう感じですね。上手な人は,最初に指をかけた時に硬さ,割れやすさを確かめて,それから割っているように思います。

佐々木 プロの料理人は卵を一発で割りますよね。あれはたぶん,握ったところで硬さを感じているんだと思うんです。熟練した看護師さんがアンプルを手早く割れるのも,それと同じではないでしょうか。実際には,どういうふうに教えているのですか。

哲学研 教科書的には「テコの原理」を使って,と書かれているのですが,もう少し,コツのようなものをうまく説明できればと思っています。

佐々木 「テコの原理」というのも,間違いではないでしょうけれど,私たちの手は機械じゃありませんからね。力を加えると同時に,アンプルの「割れやすさ」も知覚する,そういうふうに知覚装置化されているはずです。だから,そういう身体の使い方をいかにして学ぶかという問題でしょうね。

 まず言えることは,仮にアンプルを毎日数十本,反復して割れば,ある程度うまくなるだろうということです。

 なぜそんな当たり前のことを言うかというと,「アンプルでしか教えられないこと」がある,と思うからです。例えば,和服の着こなしというのは,和服を着ている人をいくら眺めていたって身に付きません。実際に和服を着なければ,和服を着た時の身体の動きは学べない。これは,「和服というモノ」が私たちに「何か」を教えているとしかいえませんよね。そういうふうに,物が直接私たちに教えてくれることって,少なからずあると思うんです。

「モノ」に親しむ

哲学研 体験しないとわからないことがある,というのはたしかだと思います。しかし,実際には,失敗して指を切ってばかりもいられません。何とか,コツを教える方法はないのかと思うのですが。

佐々木 思いつきですが,硬さの違うアンプルを手にとって,硬い順に並べるゲームというのはどうでしょうか。

哲学研 割らずに触るだけで,ですか?

佐々木 触る,というよりは,手にとって,握って,親しむ,という感じですね。

 マイケル・ターベイという生態心理学者が「ダイナミックタッチ」の研究をしています。私たちは物に触れて,硬いとか,ざらざらしているということを知覚できる一方で,物をつかんで持ち上げたり振ったりすることで,その物の大きさとか材質などを知ることができる。そういった知覚を総称して,「ダイナミックタッチ」というんです。「振って知る」触覚です。

 例えば,カーテンに遮られた向こう側に置いてある,長さの違う棒の端っこを順番につかんで振る。それだけで,それぞれの棒の長さがかなりの精度でわかる,という研究結果があるんです。

哲学研 実際に割らなくても,アンプルを手に取り,振ることで,「割れやすさ」を含むさまざまなアンプルの情報,すなわちアンプルにある意味(アフォーダンス)をキャッチできるようになる,ということでしょうか。

佐々木 そうです。実際の行為の前に,道具,物にどれだけ触れて親しんでいるかということは大切です。

 例えば洋服なら見るだけじゃなく,手にとって素材や裁断,重さなど,膨大な情報を探ってから,買うかどうかを決めますよね。物というのは本来,膨大な情報にあふれていて,私たちに「探求心」を引き起こすような楽しさを持っているんですよ。

 だから,看護師だったら,「アンプルが好き」「注射器が好き」って思えるくらい,道具に親しんでほしいと思いますね。割るまでに,握ったり,振ったり,転がしたり……何でもいいから親しんでみる。そうすれば自分にとって大事な物になりますし,失敗も少なくなると思います。

 どの業界でも,物とか道具はそういうふうにして扱っていますよ。職人さんは,仕事で使う道具をすごく大事にしますよね。あれはきっと,スキルの必要な職種では徹底的に物に親しんで,その物が持っている多様性を身体知として十分にたたき込まれるということなんだと思います。

「コツ」とは何か

哲学研 そうした,物に親しむことで得られる情報・知識が「コツ」ということになるでしょうか。

佐々木 知識には,直接的なものと間接的なものがあります。

 間接的な知識というのは,「テコの原理」みたいなものですね。一方で直接的な知識というのは,物や環境を扱う中で,私たちの「身体」が発見する知識です。すなわち,「モノ」が持つアフォーダンスについての知識ですね。コツというのは,そうした直接的な知識の核心部分といってよい思います。

 そうした「コツ」をどうやって初心者に伝えるのかということは,教育の大きな目的の1つです。人間は昔から,そうしたものを伝えようと,言葉にしたり,絵にしたり,やってみせたりとさまざまな方法を試みてきました。それはこれからも続くでしょうし,また,すべての方法にそれぞれ意味があると思います。

 ただ,やはりそれらの方法では「コツ」は間接的にしか伝えられない,とも思うんですね。根本的には,コツは物との関係でしかつかめない。自転車に乗らずに自転車の乗り方を学ぶことはできないのです。

哲学研 では,そうしたコツ,あるいは直接的な知識を記述したり,研究したりする意義とは何でしょうか。

佐々木 第一には「コツというものが存在する」ことを,教えるほうも学ぶほうも,共通して知っているということが,教育,実践のうえですごく重要ですよね。

 また,コツそのものには触れられなくても,それに迫っていく記述や研究は可能ですし,意義があると思います。アンプル割りなら「アンプル割りの応用力学」,「実践物理学」のようなことを立ち上げることで,より「コツ」の本質に迫っていくことはできるでしょう。アンプルは人間の手が割るんだから,人間の手とアンプルの関連を記述する,普通とは違った物理学があるはずなんです。

 ただ,何度も言っていますように,直接的な知識の核心には物自体,環境自体があるということを忘れてはいけません。アンプルという「モノ」なしにアンプル割りの知識はないんです。

■多様性を保持する――これからの人間科学

もう少し,Event basedでもよい

哲学研 そうした直接的知識を記述し,残していくための方法についてさらにお聞きしたいと思います。先生の観察手法は,ビデオを撮って,それを分析するというものが多いですよね。その際,どこに着目するのか,ということが研究の際には大きな問題となると思うのですが。

佐々木 ビデオから見えてくるのは,おそろしいほどの多様性ですよね。ですから,そこからポイントを抽出して,ある程度体系化するまでには,靴下で2年,卵で2年かかりました(笑)。どこに着目したらいいのかがわかるまでに,それだけ観察が必要だったということですし,まだまだ私たちが発見できていない意味がそこには残されているはずだと思っています。

 こういう研究を続けてきて,一番強く感じるのは,私たちの周囲には,私たちが知る以上に多くの意味がある,という実感です。環境が提供してくれる膨大な「意味」が,われわれがやることの多様性とか,やり続けることの動機を作っている。だから,少なくとも臨床では,そういう多様性をおもしろがって,関心を持ち続けることが大切だと思います。

 そして研究レベルでも,生態心理学や,看護学のような人間科学では,ビデオなどのビジュアルメディアを用いるなど,比較的ダイレクトな方法で,現実の多様性をなるべく損なわずに残す方法を一度は経たほうがよいと思っています。

哲学研 「ダイレクトな方法を一度経る」というのは?

佐々木 今の人間科学の諸分野は,だいたい最初に理論ありきですよね。そしてたいてい方法も決まっている。しかし,最初からその枠組みで分析してしまうと,本来世界にあるはずのおもしろみがなくなってしまうことが多いんです。

 人や環境が持つ決定的に重要なことは,多様性であり柔軟性です。靴下を履くのだって,卵を割るのだって,厳密に言えば何万回やっても毎回違う。そういう扱いにくい事実の存在をいったん認め,それをなるべく損なわないように記述し,少し高次の言葉で体系化していくという道筋が,これからの人間科学では必要だと思うんです。

哲学研 先生は主に人と環境のかかわりを研究されていますが,看護では人と人のかかわりが中心になります。人と環境の場合よりもさらに多様性が増し,混沌としてくると思うのですが,やはり考え方は同じでしょうか。

佐々木 人,つまり他者というのは,あらゆる環境の中でもっとも重要かつ複雑な「モノ」であり,それゆえもっとも記述が難しい環境であるということでしょうね。

 そのことは,恋愛や子育てはもちろんのこと,患者さんやご家族などの他者との経験を考えればわかると思います。それらは日々更新されていくような経験です。情報が冗長で,しかも時々刻々と変化するから,記述するのも研究するのも大変難しい。

 だから,そういうものこそビデオのような直接的な形で,あることをそのまま記録していくことが重要だと思うんです。今,医学の分野ではEvidence basedということがよく言われていますよね。そのことの価値はわかりますが,私は,それと並行してEvent based,つまり出来事に基づいた人間科学もやっていくべきだと思います。

「喜びに向かって生きる存在」としての人間

佐々木 医学は,複雑性をなるべくそぎ落とした,因果連鎖的な世界観の中で成果を上げてきました。それが間違っているとは思いませんし,今後も続けていくべきです。ただ,同じ医療関係でも看護やリハビリなどは,それとは違っていいのだと思うのです。

 ただ,それを反因果論とか,反デカルトといった,息苦しい話にはしたくない。もうちょっと楽しく,うれしくやりたいんですよね(笑)。それが,私にとってのアフォーダンスです。

哲学研 先生は「人が生きるということは本来楽しいことなのだ」ということを繰り返しおっしゃっていますよね。

佐々木 ギブソンは,環境というのは私たちが知ることのできないものなんだ,と書いています。僕たちの感覚や知覚は,目や鼻,耳などに限られているから,カントが「物自体」といったような物そのものの世界については,直接知りうる方法がないということです。

 しかし,幸いなことにこの世界には大気があり,光があり,それを媒介として,視覚や音という情報を私たちは得ることができます。そういう形で世界に情報で触れることができるのが,とてもおもしろいし,幸せなことなんだと思うんです。

 空気のことを考えるとわかりやすいのですが,空気は世界そのものであると同時に,私たちに世界の情報を伝え,与えてくれる媒質(メディア)でもあります。世界自体に,世界そのものと,世界を知ることを私たちに可能ならしめている情報という二重性がある。私たちの身体は,その中で進化してきたんです。そういう二重性の中で何十年もかけて,私たちは情報をピックアップして,だんだんうまいものや,いい音楽を感じることができるようになってきた。その意味で,私たちは,環境の中にある意味,すなわち「価値」に向かって生きている存在だと思うんです。

哲学研 世界には私たちがいまだ知らぬ意味がたくさん眠っていて,私たちはそこに向かっていく存在だ,ということですね。

佐々木 研究者だって,看護師だって,患者さんだってその中の一員です。そういう意味で,私たちは皆同志です。アフォーダンスにはそういう,「みんな知覚する仲間なんだ」っていう観点が強いんですよ。

 世界には真理や正解はない。だから,研究すればするほど,よくわからなくなると同時にわかってくる。たぶん,リハビリや看護も同じですよね。私も含めて皆さん,道半ばです。「道半ば」を共有しているという意味で,同志なんですよ。


佐々木正人氏
東京大学大学院情報学環教授,生態心理学者。1952年,北海道に生まれる。78年東京学芸大卒業。筑波大学大学院博士課程修了後,早稲田大学人間科学部助教授を経て現職。認知研究の世界に大きな衝撃を与えたアフォーダンス研究の最前線で,多数の著作・翻訳監修を手がける。人が日常的に行っている種種の知覚のありようをフィールドワークするその研究成果は,心理学はもちろん,哲学,芸術など幅広い分野から注目を集めている。
 著書・訳書に『アフォーダンス――新しい認知の理論』(岩波書店,1994),『知性はどこに生まれるか』(講談社現代新書,1996),『レイアウトの法則』(春秋社,2003),『デザインの生態学』(共著,東京書籍,2004),『アフォーダンスの心理学――生態心理学への道』
(エドワード S.リード著,細田直哉訳,佐々木正人監修,新曜社,2000),『デクステリティ-巧みさとその発達』(ニコライ・A.ベルンシュタイン著,工藤和俊訳,佐々木正人監訳,金子書房,2003)など多数。