医学界新聞

 

インタビュー

公衆衛生躍進の時代が来る!

尾身 茂氏(WHO西太平洋地域事務局長)に聞く


 国際感染症の流行などによって,公衆衛生の果たす役割が見直されている。昨(2003)年9月にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局長に再選を果たした尾身茂氏に,WHOのこれからの活動や日本の公衆衛生に期待されていること,さらに,その進むべき方向性についてうかがった。(本記事の詳細は雑誌「公衆衛生」〈医学書院発行〉68巻3号に掲載予定の特別記事「尾身茂氏が語る,リーダーシップ論」を参照のこと)


■これからのWHO

3つの柱

――尾身先生は1999年にWHO西太平洋地域事務局長にご就任され5年の任期が終了し,このたび再選されました。
尾身 この5年間は,主に3つのことをやってきました。(1)感染症対策,(2)生活習慣病対策,(3)保健医療システムの転換です。引き続き,これらに尽力するつもりです。
 まず,感染症対策について,この5年間WHOが最も力を入れたのは,実は結核対策です。昨年SARSで亡くなったのは774人ですが,西太平洋地域では1日に1000人も結核で亡くなりました。しかも貧しい人たちを主に襲うので,結核対策は最優先課題です。2010年までには死亡率を半分に減らそうとかなり大胆な目標を掲げています。感染症は他にもAIDSやマラリアなどがありますね。今回SARSも発生したので,感染症全体の監視体制やサーベイランスを,2期目でもやろうと思っています。
 2つ目の生活習慣病に関しては,日本だけでなく,発展途上国でもこれからますます増えてくるわけです。非感染症である生活習慣病の対策は,心の問題も含めて,さらに重視したいテーマです。健康都市や健康アイランドなどの取り組みの一環として実施していこうと思っています。
 3つ目は保健医療システムの強化です。日本では健康保険制度などがありますが,多くの国はそのようなシステム自体ないわけです。それらをどう強化していくかも大きな課題です。

医療の質向上も課題に

 2期目で新たにやりたいことは,病む人の「心」にも配慮した「人間医療学」の確立です。WHOは「公衆衛生」が主な活動です。つまり結核やAIDS,ポリオや小児麻痺,今回のSARSも公衆衛生の分野です。この西太平洋地域は,例えばアフリカなどに比べて,それらがある程度向上してきましたので,これからも公衆衛生の努力を続けると同時に,医療の質の向上にも,かかわりはじめたいと思っています。
 それにはいろいろな側面があると思います。今,日本でも医療事故の問題が出てきているように,患者さんの安全の問題があります。もう1つの側面として,3分診療や薬づけ・検査づけの問題など,人間が機械的に扱われてしまうところがあります。患者さんの心の部分がケアされていないという問題です。WHOでも医療の質を上げる仕事を,患者さんの心の問題も含めてやってみたいと思っています。つまり「人間医療学」の確立ということです。

■公衆衛生の将来

感染症危機管理では優等生といえる日本

――日本ではSARSを機に,感染症危機管理がかなり見直された部分もあるかと思います。先生のお立場から,日本の感染症危機管理体制や,危機管理の今後についてアドバイスをいただけますか。
尾身 SARSへの日本政府の対応は,国際的に見てかなりレベルが高く,非常に立派だったと思っています。今回,日本での患者発生がなかったのは,たしかに幸運に恵まれた側面もありますが,あれだけ議論を尽くし,法も制定し,また水際作戦も実施したという点で,私はさまざまな国を見ている中で,優等生の国だったと評価します。
 まさか感染症が,こんなに大きな問題を起こすとは,誰も想像していなかったと思います。保健医療関係者が生活習慣病のほうにどんどん関心を移していったのも,研究者が遺伝子など分子生物学の方向に関心が向いてしまうのも,時代の大きな流れだったわけです。
 しかし,SARSのような新興感染症は,今後も必ずやってきます。過去を見ても,平均して年に1つの新しい感染症が出現しているのです。
 そういう意味では,SARSの登場は,未来に向けての警鐘だったと思います。一般の人々にとっても「公衆衛生」を見つめ直すいい機会でした。今まで医師たちは高度先進医療ばかりに興味を持ち,公衆衛生の分野に来る医師は少なかったのですが,その進路選択も,今後変わってくるのではと期待しています。

「関係性の喪失」が問題

――日本の公衆衛生従事者の皆さんへメッセージをお願いしたいと思います。
尾身 数年前,日本公衆衛生学会で「公衆衛生のアイデンティティが失われそうだ」という話を聞きました。その後もいろいろなところでそのような話を耳にしますが,私は次のように思います。
 公衆衛生のビジョンは,日本社会のビジョンに直結しています。今の日本の社会は,さまざまなところで閉塞感が漂い,危機的状況に陥っています。例えば,教育の荒廃,凶悪犯罪の増加,自殺者の増加。これらに共通して言えることは,社会の閉塞感です。日本という国は,他の国に比べて政治も安定しているし,貯蓄率も教育レベルも高い。こんなに素晴らしい国なのに,なぜこうも閉塞感があるのでしょう。過日,京都で行なわれた日本公衆衛生学会でもお話ししましたが,根底には「関係性の喪失」があると思います。
 今,職場でも家庭でも地域でも,「関係性の喪失」が起こっています。例えば,なぜ学校教育がおかしくなっているのか。子どもたちのお父さんやお母さんは高度な教育を受けているけれども,子どもとの関係性は薄い。子どもたちも高度な教育の中で知識を持ち,コンピュータを操るけれども,家庭でのふれあいに飢えている。老人たちは社会や次世代に伝えるべきものがあるはずなのに,会社にも地域にも居場所がない。
 この閉塞感を払拭するためには,私たち人間の「関係性」を,今再び構築し,取り戻さなければなりません。そこでキーマンになるのが,私たち公衆衛生従事者なのです。

奮い立て,「公衆衛生人」!

 公衆衛生の仕事は,さまざまな人と話をし,コミュニケーションすることで成り立っています。例えば食中毒が発生すれば現場や保健所に行ったり,老人問題が起これば老人会に行ったり,お金がなくなれば政治家のところや役所に行ったり,また,生活習慣病の患者にも生活態度の変容を促すために,説得したりしています。さまざまな健康問題の次元があるから,いろいろな人とのかかわり合いが出てきます。
 また,例えば保健師や保健所医師をはじめとする公衆衛生従事者は,老人介護や健康増進にかかわると同時に,学校保健にもかかわっているので,地域の中で人々をつなぐ接着剤の役割を担えるのです。その意味で,地域活動の潮流,起爆剤にもなれる。これが日本社会再生の契機になると思います。現代は,経済よりもQOLが重視される時代です。心の問題も含めて,どうやって人々が元気で健康に生きられるか,それが社会のテーゼです。そこに一番かかわっているのは,他ならぬ,「公衆衛生人」たちです。
 今後,「公衆衛生人」が地域でリーダーとなることがますます求められる時代になります。市町村の首長のポストにも,「公衆衛生人」がどんどん立ってほしいものです。もっと視野を広げ,リーダーたる自覚を持って,自らが世の中,今の社会の流れを変えるのだと気概を持ってください。21世紀は,公衆衛生が躍進する時代です。
――貴重なお話をありがとうございました。
(2003年12月11日収録)



尾身 茂氏
 1978年自治医大卒。都衛生局,旧厚生省などを経て1990年よりWHO西太平洋地域事務局拡大予防接種計画課課長補佐,同課長,感染症対策部長を歴任し,当該各国における小児麻痺根絶の達成や,新興・再興感染症対策における加盟国との協力体制の強化などに尽力した。1999年より現職。2003年のSARS流行に際しては,その制圧に多大な貢献を果たした。2003年9月には再選を果たし,2004年から事務局長として2期目に入る。