〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第17回
Conflict of Interest(利害の抵触)(3)
隠されたデータ
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
(前回まで:1999年9月,遺伝子治療の安全性確認試験にボランティアとして参加したジェシー・ジェルシンガーが,遺伝子治療が原因となって死亡した)
先天性アデノシン・デアミナーゼ欠損症による免疫不全の少女,アシャンティ・デシルバ(4歳)に対する遺伝子治療が行なわれたのは,1990年9月のことである。アシャンティの治療は,国立衛生研究所(NIH)の「組み換え遺伝子諮問委員会(RAC)」が認可した初めての遺伝子治療であったが,アシャンティに対する試験的治療が認められるまでの道のりは,決して平坦なものではなかった。実は,アシャンティの症例以前にも遺伝子治療をヒトに試みた事例はあったのだが,功名心に走った研究者が社会の認知を受けずに遺伝子治療を実施したことが大問題となり,アシャンティに対する試験的治療が認められるまでには,何年にも及ぶ議論を経て社会が合意できる遺伝子治療のルールを決めたという経緯があったのである。
遺伝子治療の治験実施について社会が決めたルール
遺伝子治療の臨床治験実施について米国社会が決めたルールとは,以下のようなものであった。まず,遺伝子治療はまったく未知の領域であるうえに,倫理的にもさまざまな問題を抱えているので,通常の医薬品の臨床試験と同等に扱うことはできないということが決められた。通常の医薬品の臨床試験の場合はNIHの認可を受ける必要はなく,食品医薬品局(FDA)の認可を受けるだけであるが,遺伝子治療の治験については,NIHとFDAとが二重に所轄する体制が整えられたのである(その後ルールが変わり,個々の臨床試験についてのRACの認可は不要となった)。
さらに,遺伝子治療にどのような危険性が潜んでいるかを,事前にすべて予測することはまったく不可能であることを鑑み,危険性に関するデータについては,これを公表し,研究者がデータを共有することが決められた。臨床試験中に重篤な合併症を併発した症例や死亡例については,原因の如何を問わず,速やかにNIHに報告することが義務づけられたのだが,研究者たちに報告義務を課したのも,予測し得ない副作用が出現した場合,その危険性を早急に察知するためには,研究者が合併症例や死亡例の情報を共有することが必須だと考えられたからであった。
ルールを守らなかった研究者たち
ジェシーの死は,遺伝子治療による「初めて」の死であったが,ジェシーの死の直後,NIHは,遺伝子治療の危険性の実態を把握するための調査に乗り出した。特に,ジェシーがアデノウイルスを使用した治験で死亡したことを重視し,アデノウイルスを使用していた臨床治験については,個々の研究者に対し,重篤な合併症を併発した例や死亡例についての報告漏れがないよう注意を喚起する通達を出したのだった。驚くべきことに,ジェシーの死が報道される前にNIHが把握していたアデノウイルス使用による合併症併発・死亡例は39例に過ぎなかったのに,通達を発令した後に新たに報告された合併症併発・死亡例は652例に上ったのだった。NIHに対する報告義務が定められていたのに,ほとんどの研究者がそのルールを守っていなかった実態が明らかになったのだった。研究者たちは「NIHに対する報告義務があることを知らなかった」と弁明したが,アシャンティに対する最初の遺伝子治療から10年近くが経ち,治験に参加した被験者も通算で数千例にのぼるなど,研究者にとって遺伝子治療の治験が「ルーティン化」し,通常の医薬品の治験と同じレベルでとらえる傾向が生じるまでになっていた側面があったことは否定し得ない。しかし,「知っていた」にもかかわらず,「データを公表されるのがイヤ」と,意図的に報告しなかった例もかなりの数にのぼると推測された。
データ公表を嫌ったバイオベンチャー
意図的に報告されていなかった事例がどれだけに上るかは知りようもないが,こういった推測がなされたのも,遺伝子治療の治験のスポンサーとなっていた製薬企業やバイオテクノロジー企業の団体が,「NIHが合併症や死亡例のデータを公表する制度は企業にとって厳しすぎる」と,ジェシーの事件が起こる前から,ルール変更を要求していた事実があったからであった。「治験のデザイン,規模,目標達成度などに関わる情報は,すべて重要な企業秘密であり,副作用情報も例外ではない」と,業界団体は主張したのだが,特に,バイオテクノロジーのベンチャー企業にとっては,治験中の「副作用」情報の公開は株価の暴落を招きかねず,死活問題にも関わる大問題なのであった(註)。ジェシーの死後,治験中の死亡例を報告した研究者が,NIHに「スポンサーの企業が株式公開を予定しているので,データを公表しないでほしい」と要求していた事実が明らかになった。この研究者は,コーネル大学医学部のロナルド・クリスタル教授だが,虚血性心疾患に対する遺伝子治療の治験中に死亡した患者について,「死因は遺伝子治療が原因とは考えられない」と,データを公表しないよう,NIHに求めたのだった。ちなみに,クリスタルの治験のスポンサーとなった企業はジェン・ベック社,クリスタル自身が1992年に出資して創立した企業であった。
(この項つづく)
(註)副作用情報の公開を渋るのと反対に,ベンチャー企業には,治療が効果をあげたと,治験が終了するはるか以前にマスコミに喧伝する傾向がある