医学界新聞

 

環境が引き起こす病気
シックハウス症候群

【インタビュー】
坂部 貢氏  北里研究所病院・臨床環境医学センター
北里大学大学院医療系研究科教授


●シックハウス症候群とは

「気のせい」ではない症状

坂部 シックハウス症候群とは,新築やリフォームした建造物に入居直後から遅くとも入居後2-3か月以内に粘膜刺激症状や頭痛などさまざまな症状が出てきた方を対象にします。特定の居住環境から離れると症状が軽快,あるいはなくなってしまうことが特徴です。特定の居住空間とは,一般的に多いのは新築やリフォームされた住居,新築のビルに移転した職場や,学校の新校舎などです。それらの居住空間から主として建材・塗料などから放散される揮発性有機化合物の室内空気汚染によって起こります。微量な有害化学物質による生体反応が「シックハウス症候群」ということなります。
 問題は,大量の有害化学物質による一般的な急性中毒とは異なり,非常に微量で症状が出る人と出ない人がいて,さらに症状の出る人のほうが少なく,周囲から「気のせいではないか」などと言われてしまうことです。
 新築の建物に入った直後は,誰でも塗料のにおいなどに気づきますが,ある程度時間が経つと普通は適応します。ところが,適応できずに不定愁訴という形に変わって,夜眠れない,家の中に入るとイライラしてくる,目が刺激される,喉が痛いなどの症状が起こってきます。
 現在,厚生科学研究ではシックハウス症候群に関する大きな研究班が3つ立ち上がっています。1つはシックハウス症候群の病態生理や診断治療に関するもの,2つ目は疫学,3つ目は化学物質過敏症まで広げた動物実験なども含めたものです。これらの成果が最終的に厚生労働省が保険病名として,つまり,国として病気と認めるかどうかにつながっていくと考えています。
 国土交通省の改正建築基準法で取り上げられたホルムアルデヒドと有機リンの殺虫剤クロルピリオスに関して,ガイドライン値を超えた場合には居住空間としては適さないとする法律が本年7月に公布されました。そうなると,医師も知らないでは済まなくなるでしょう。

●見えてきた診断と治療法

坂部 医師は臨床で先にあげたような症状を訴えくる患者さんによく出会うかと思います。そこで今後は,種々の検査で特に症状と結びつく所見が何もなかった時には,環境の変化と症状の発症経過が1つの線で結びつけられるかどうかを考えていく必要があります。「新築の家に引越しましたか」,「何か殺虫剤・防虫剤を使っていますか」,「周辺で農薬を散布していませんか」というレベルのことまで含めて,居住環境と体調の変化が結びつくかどうかを聞くことですね。
――診断にできるだけ早く結びつけるためには,何が必要でしょう。
坂部 もっとも重要なのは問診です。例えば「QEESI」(Quick Environmental Exposure and Sensitivity Inventory)というMITのAshfordとテキサス大学のMillerが作成した環境因子から生じる健康障害の質問票(日本語版)をつけて,環境の変化と体調の変化が論理的につながっているかどうかを見極めることです。
 シックハウス症候群に限れば,室内の空気汚染がどの程度存在するかどうかを客観的に証明する必要があります。もっとも簡単な方法は,居住地を管轄している保健所に相談すると室内の環境を測定(簡易測定)にきてくれます。まず厚生労働省がガイドライン値を出している2-3項目(ホルムアルデヒドとトルエン等々)の測定をしてみることだと思います。
 いわゆるアレルギー疾患との関連ですが,小児アトピーや喘息のお子さんが,新築の家に入居後症状が悪化する例がありますが,シックハウス症候群の患者で総IgEあるいは好酸球の量は必ずしも相関しないため,アレルギー反応だけでは説明がつきません。米国では,化学物質過敏症も含めて,神経系の感受性という観点から捉えています。例えば,南カリフォルニア大学のKilburnは,本症を広い意味での「Chemical Brain Injury」と捉えています。
 シックハウス症候群や化学物質過敏症を理解する時,ある側面では,アルコールに対する感受性で考えると簡単です。ボトル1本飲める人と,ビールひと口で真っ赤になる人の違いだと思ってください。これはアルコールに対する感受性であり,1つは遺伝的なもので,アルコールを代謝する酵素が十分発揮できるかどうかですし,それ以外に,その個人の栄養状態や基礎疾患――糖尿病とか高血圧など――がある人とそうでない人かで,同じ環境でも影響は違うわけですね。また,性別や年齢によっても違います。また,体重の少ない人ほど負荷は多い,などです。

患者の訴えに引きずられない

坂部 例えば心の専門医が本症の患者さんを「訴え」から診察すれば,恐らく精神科的な病名がつけられます。近所の公園で除草剤を撒いていて,患者さんが公園に行けないとすると「広場恐怖」。ある建物に入り理由もなく突然不安に襲われるというと「パニック発作」,というようにです。東京大学大学院の久保木富房教授のグループ(心身医学)は,厚生科学研究班で本症の7-8割の方には上記のような病名をつけることが可能だと報告されていますが,それらは原因ではなく結果であり,さらに久保木教授らは,健常人と患者で性格やタイプには特に有意差がないことも報告されています。
 しかし逆のケースもあり,ある女性は引越して数か月後にめまいやふらつきが起こり,本症の症状があてはまるということで当院においでになりました。検査結果はシックハウス症候群だけでは説明がつかない状況でしたので,MR画像を撮ったところ,6×8cmほどの大きな脳腫瘍が見つかったのです。この大きさですから成長するのにかなりの年月がかかったと思いますが,それがたまたま引越後数か月で臨床症状が現れたわけです。
 医師も患者さんが「シックハウスだ」との訴えに引きずられては,本来の病気を見逃してしまうことがあるのです。

クリーンルームでの確定診断

坂部 本症では中枢神経,自律神経機能障害が起こります。神経眼科学的な検査――眼球運動や高位視覚の感度(コントラスト感度),あるいは瞳孔の対光反応を使った自律神経機能検査――などで正常群と差が出てきます。眼球運動では9割近い患者さんに程度はさまざまですが異常が認められますので,客観的所見の1つとしてこのあたりが診断にはとても有効です。
 厚生労働省研究班(班長=北里研究所 石川哲氏・北里大学名誉教授)が来年の3月頃を目途に他の研究班の成果も総合的に判断して,シックハウス症候群の診断に有用な診断基準を作成する予定になっていますので,それが1つのスタンダードになることでしょう。
 しかし本症の検査は,化学物質を可能な限り排除したクリーンルームの設備がないと難しく,通常の空気中では検査できないものもあります。クリーンルームの中のブース検査室に化学物質を微量注入して,患者の家の状況を再現した時に症状が出るかどうかをみるという,チャレンジ・テストを行ないます。それが最終的な確定診断です。実際にはプラセボと,高濃度のものと,低濃度のものとを患者さんに負荷して判断します。検査する側も二重盲検で行ないます。この検査が最も確定的で客観性のある検査だと考えています。
 最近では,当院の他に,東京労災病院,国立相模原病院,国立南岡山病院,国立南福岡病院,国立盛岡病院等にクリーンルームを有する診断治療施設があります。今後さらに診断治療用クリーンルームを有する施設は増えていくもの思われます。

治療の最前線-3つの柱

坂部 治療の柱は大きく3つあり,1つは原因物質から遠ざかることです。環境物質から影響を受けやすい要因にはいくつかありますが,例えば日常的な影響度の判断となる有害化学物質の「総身体負荷量」を少しでも減らすようにと医師が助言してあげることです。建築工学的対策(建材の交換,換気効率の改善など)はもちろんですが,患者は日用品を含めいろいろな有害化学物質を使っているはずですので,それも含めて減らす努力をしないと,化学物質による身体への負荷は減りません。もちろん物理的負荷(例えば寒暖),心理社会的負荷(ストレス)の軽減もきわめて重要です。
 2つ目は,化学物質の代謝を促進するものを摂取することです。現在有効性が確かめられているのは,還元型グルタチオンです。ある物質が体内に入ると,肝臓における薬物代謝酵素系で2段階に代謝されます。例えば第一相の酵素系(P450系)で酸化されたものは,引き続き普通,第二相の酵素系でそれを還元したり,抱合して排泄しますが,本症の中にはその第2相の酵素反応が遅い人がいます。つまり酸化ストレス状態にあるわけです。フリーラジカル・スカベンジャーとしてのビタミンB群,ビタミンC(アスコルビン酸),さらにはビタミンEなどを補助療法として摂取することは意味のあることです。また米国では,アミノエチルスルホン酸(タウリン),CoQ10(コエンザイムQ10)の有効性も報告されています。食物アレルギーに対する中和療法を化学物質過敏に応用した方法も米国では行なわれ,ある程度の成果があがっています。
 3つ目としては,運動して汗をかくことですね。多くの有害物質が,脂溶性でも代謝後は水溶性として排出されるので,発汗で化学物質を早く外に出そうということです。また発汗は自律神経の機能で調節されますから,自律神経を刺激することも非常に意味があると思います。
 最初は,「人が汗をかいていても,自分はぜんぜん汗をかかない」とか,逆に「人がかかない時に自分だけかく」という訴えが多いですが,こういった治療を重ねていくと,徐々によくなります。

●シックハウス症候群をめぐる状況

――身の回りに化学物質はたくさんありますが。
坂部 食品などもそうですね。ただ「あれも駄目,これも駄目」としてしまうと精神的な負担が大きいので,患者さんには「思い詰めるのはやめなさい」と言っています。生活からすべて排除できる人はよいですが,現実的それは不可能に近いことです。患者さんの中には,たまたまどこかで食品添加物として有害化学物質を取ってしまった時に「今までの努力がぜんぶパアになったんじゃないか」と落ち込んでしまう方がいます。そのような時は,「朝に添加物の多そうなものを食べたら,昼間はちょっと気をつけましょう。1割でも2割でも1日の量を減らせば,10日でまる1日分得したことになりますよ」と話しています。
 またシックハウスの場合,最も大事なのは換気です。建材から出てくる場合は有効な換気システムを作ることと,何が原因かを特定して,それを改善すべく相談して取り替えることです。その後にもう一度空気の測定をして,本当に値が低くなっているかどうかを確認することです。これが最も大事です。

発症のメカニズム

――発症のメカニズムについて,研究が進んできたと聞きます。
坂部 だいぶわかってきました。これまで報告されているもの1つとして,皮膚・粘膜系における求心性無髄神経線維を介してサブスタンス-Pなどのタキキニンが分泌され,これに連動して肥満細胞から化学伝達物質の放出が惹起されることがホルムアルデヒドなどでよくわかっています。また,嗅粘膜を介した大脳辺縁系の情動反応のメカニズムについても米国を中心として数多く報告されています。さらに,アルコールに強い・弱いと同様に,シックハウス症候群や化学物質過敏症の方に特徴的な薬物代謝酵素系の遺伝子多型があるかどうかという研究も行なわれています。症状の出る人と出ない人の遺伝子多型を調べると少し差がある,という興味あるデータが出始めています。遺伝子多型の検討は,慎重に進めなければならず,結論が出るにはもうしばらく時間がかかると思いますが……。
 ただ,基礎研究が少し後れているのは確かです。環境から起こる病気は,先に患者さんがいて,それに臨床が気づき対応しながら病気の本体に迫っていくから,どうしても研究には時間がかかります。水俣病でも最初は「水俣の奇病」と言われていたのですから。

医学教育で早くから学ぶ

坂部 この疾患については,十分な啓蒙活動をして,医学教育に取り入れて,医学生の頃から環境による健康障害に関してのセンスを磨くことが大事ではないでしょうか。
 医師は原因と結果がはっきりサイエンスとしてわかるものでないと興味を持ちませんので,「こんな病気あるの?」と思われるのは,ごく自然のことです。だからこそ,医学教育が大切です。
 北里大では臨床実習で,私たちのセンターに毎週8-10人ずつきますので,病気の概念や,実際にホルムアルデヒドを学生さんにごく少量負荷して(肉眼解剖実習より遥かに少ない量です),脳の血流量の変化を見てもらいます。特に医学生は,解剖実習の際にホルムアルデヒドの大量曝露を経験しているので,文系の学生さんよりもホルムアルデヒドの負荷試験をすると陽性反応が出る人が多いです。そういう意味で,医者は不健康ですね。

多動症と化学物質

――多動症の子どもと化学物質との関係が指摘されていますね。
坂部 妊娠中の母親の血液中の汚染(鉛,有機塩素化合物など)が高値だと子どもの多動症,学習障害が多いという報告があり,相関がありそうです。ただ,新しい校舎,あるいは授業で使うような揮発性の化学物質を吸って発症するシックスクールで多動症になるかどうかは,サイエンスとしてはまだ不明な点が多いです。
 薬なども人工化学物質で,その作用の有用な部分を使っているだけの話です。ですから不必要に薬を服用することは化学物質による身体負荷量を増やすことになります。しかし,その一方で,小児で40℃近くの熱で脱水も起こって危ない時に,母親が「化学物質過敏症の子どもだが小児科からもらった解熱剤を飲ませてよいか」と電話をかけてくることがあります。「いま最も必要なのは,過敏症ではなく,今のお子さんの身体状況を改善することだから,小児科の先生のご指示通り,坐薬を入れて水分を十分に補給しなさい」と言ったこともあります。「化学物質がすべて駄目だ」と思い込むことも,逆にまた危険な場合もあります。

環境問題と健康生涯

坂部 シックハウスの建材だけの問題ではなくて,現在の環境問題を医師としてどう考えていくかということは重要なことです。例えばダイオキシンの問題などは,代表的なものです。ダイオキシンと免疫系の撹乱について,かなり細かいことがわかってきました。残留農薬などもそうで,30年前に使用禁止になった農薬の一部は,いまだにわれわれの血液の中から出てきます。
 重金属も同様に,砒素,鉛,水銀など海洋汚染で,特に日本のような島国で,魚を多く食べる民族の中には,欧米人よりも何倍も重金属が多い人がいます。すべてではありませんが,そういう人ほど残留農薬も高くて,化学物質に汚染されていることが多いという傾向も指摘されています。
 産業革命より後に人間が作り出した化学物質に対して,厳密な意味での代謝系をわれわれは持っていません。今は,たまたま解毒酵素の作用スペクトルが広いために,化学物質を一緒に解毒してくれているだけなのです。遺伝子が発現してあるものを解毒する酵素が出てくるまでには相当の年月が必要です。最低でもあと1000年ほどかかると言われています。それまでに人類が滅びてしまうかもしれませんね。
 便利さを追求すれば,当然有害なものも出てきます。われわれはどう化学物質と共存していくか,どう折り合いをつけるかが,いまの環境学のメインテーマにもなっています。
 そのような背景をもつ化学物質による健康障害は,通常の治療だけでなはなく,心理社会的なストレス・マネジメントやメンタルケアなども必要になってくる複雑な症候群なのです。
―――本日はありがとうございました。