〔新連載〕How to make <看護版>
クリニカル・エビデンス
-その仮説をいかに証明するか?-
浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)●連載開始にあたって![]() もちろん現代社会においてもさまざまなデータを示す表が多数存在します。しかし,技術の進歩によりすべてが複雑化するこの世の中で,大切な事実が埋もれてしまっているように感じます。人は権威や理屈に流されがちです。しかし,数えるという確かな方法は人を冷静にし,あるいは錯覚から救い出してくれます。現代の統計学の目的は複雑な現象における多様性と不確実性を定量化し,真実を明らかにする点にあります。 本連載では曖昧であるがゆえに無視されてしまっている弱者:胎児,子ども,母親,女性,患者たちに統計学という角度からスポットライトを照ててみたいと思います。なぜなら,看護婦さんの多くは女性であり,働く母親であり,そして弱い立場にある患者さんの代弁者であるからです。今後,読者の皆さんが臨床看護研究に取組む上で,本連載は有意義な視点を提供できるのではないかと確信しています。 |
〔第1回〕統計学で女児を守れ
インドという国
インドは急速に人口の増えつつある貧しい国です。約半数の人が読み書きできず,女性の場合にはおよそ3人に1人しか文字の読み書きができないのです。学校ヘも,女性は男性の5-7割しか行けません。インドでは男性だけが家族名を名乗ることができ,男子が年老いた親の面倒をみることになっていました。逆に,女児だけの家庭では,自分たちが退職後世話をしてくれる人は誰もいなくなってしまいます。なぜなら男児は自分の家庭に留まりますが,女児は嫁いでその家庭のものとなってしまうからです。経済的にも男性は女性の倍稼ぐことができます。そしてヒンドゥ教では男性にしかできない行為もありました。つまり,インドでは性別がその後の人生を大きく左右するのです。経済学者セン(註)はインド各地を調査して歩き,女性が少ないのに気がつきます。ある地域では116人の男性に対して,100人の女性しかいないのです。そして,「インドで3700万人のいるはずの女性がいない」と結論しています。彼はアフリカ女性の男性に対する割合として1.02を基に下記の表(表1)から結論を推論したのです。出生は男児が多いのが常ですが,生物学的に男児の方が死亡しやすいため,特に乳児死亡率の高いような国ではまもなく女児と男児が同数になります。
4人目の女児妊娠
アイーシャは昨夜からずっと泣き続けています。お腹に宿った胎児が女児であることがわかったからです。しかし,このことは夫にも誰にも伝えていません。アイーシャにはすでに3人の子どもがいましたが,3人とも女児だったのです。そして,彼女の家庭経済状況からは4人目を育てることは困難でした。それでも男児が1人は欲しいという一念で身篭ったのですが,「胎児性判別テスト」を受け,昨日女児であることが判ったのです。もちろんアイーシャは自分の娘たちを愛していました。しかし,夫や家族には言えません。そして,1人こっそりと産科にかかって人工中絶をしようと決心したのでした。女児の人工中絶
イギリス植民地時代,インドでは家族による乳幼児殺害がしばしばあったようです。そして,田舎ではいまなお,このような幼児殺害が続けられていると言われています。事実,栄養失調は女児において男児のおよそ倍みられ,女児はよほど病気がひどくならないと病院を受診しないというデータもあります。1970年代に入って,政府の介入もない状態で羊水・絨毛検査が染色体異常や先天性の疾患を出生前に診断するためインドに浸透していきました。その後,この方法は人工中絶とセットで男女産み分けの道具として用いられるようになっていったのです。そして,「Times of India」は1978年から1983年までの間で7万8000人の女児が中絶されたと報じています。そして国連の調査で,「ボンベイにおいて1人の男児中絶に対して女児中絶は8000の割合である」ということが明らかとなりました。1988年当時ボンベイだけで300以上の性判別専門のクリニックがあったと言われています。そして,クリニックは「Healthy boy or girl(健康な男の子,それとも女の子?)」,「Better 500 rupees now than 50,000 later(いま500ルピー払うか,あとで5万ルピー払うか?)」,「Find out the sex of your child through a computer within 8 to 14 weeks of pregnancy. 100%guarantee. Semen bank, injections for infertility, and medicines for having a boy also given(妊娠8-14週,コンピュータで性判別。100%保証付き。不妊治療あり。男児をさずかる薬あり)」などといった宣伝が掲げられ,これに対して強い批判もありませんでした。
周囲の反応
「性判定のできる医師こそよい医師」と評され,性判定が違っていれば訴えられることさえありました。ボンベイのあるマハーラーシュトラ(インド25州の1つ)は,1988年「出生前の性判定は染色体異常,先天性代謝疾患,先天奇形,伴性遺伝などの疑いがある場合に限る」とする法律を定めました。具体的には35歳を超える,2回以上の自然流産歴がある,放射線や有害な化学物質への曝露の既往がある,精神発達遅滞や先天奇形の家族歴がある,ことを一定の基準とし,「適切な権威(性判定ライセンスを持つもの)」が必要と認める場合としています。その結果,従来の性判別は単に表向きできなくなっただけで,かえって潜行して存続するようになりました。もちろん,マハーラーシュトラ州以外では従来通り検査を受けることもできます。女児中絶の統計学的考察
医師はしばしば性判定テストの結果を記載しませんし,結果を知った女性も役所に届けるわけではありません。そのため「胎児の性が女であったから中絶した」回数は正確には把握できていません。そこで。代表的な地域の出生男女比を検討したのです。一目で,女児に対する男児の比率が毎年上昇していることが理解できます。表2の例がもしもダウン症であったらどうでしょうか?最近アメリカでは,胎児期の遺伝子診断により秀麗な子どものみをさずかるとする「デザインド・ベビー」が取りざたされています。これらの問題も同じ延長線上にあるように思えますが,読者の皆さんはどうとらえますか?
(この項つづく)
(註)Amartya Sen:経済学とパブリックヘルスを結びつけたことにより1998年ノーベル経済学賞を受賞。ハーバード大学公衆衛生大学院にも在籍