印象記
第11回国際ウイルス学会
坂口剛正(広島大・細菌学)はじめに
金原一郎記念医学医療振興財団の第13回研究交流助成金を受けて,8月9日から14日までオーストラリアのシドニーで開かれた第11回国際ウイルス学会に出席した。シドニーは,2000年のオリンピックに向け,街のいたるところで工事をしており落ち着かなかったが,北半球と反対の季節のために,ちょうど日本の秋くらいの陽気で非常に過ごしやすかった。国際ウイルス学会としては初めて南半球で開催された今回の学会には,世界83か国から2400名余りの参加があり,全演題数が1762題にのぼった。一口にウイルスといっても構造や増殖様式・宿主特異性・病原性が多様なので,対象とするウイルスが違えば研究者の間でもなかなか話が通じにくい。エイズウイルス,ヘルペスウイルス,ネガティブストランドRNAウイルスなどの個別のウイルスごとに国際学会や国際会議が開催されている。そういう状況の中,国際ウイルス学会にはすべてのウイルスの研究者が参加するのでウイルス学全体を見渡してみるにはよい機会である。
学会のプログラム編成でもウイルス学全体を見渡す試みが行なわれていた。午前中は,「21世紀のウイルス学」,「ウイルス蛋白の構造解析」,「分子生物学」,「免疫と病原性」などのトピックにしぼって全員参加のシンポジウムが組まれていたし,午後からのワークショップの中にも,個別のウイルスに的をしぼったものの他に,「ウイルス受容体」,「ウイルスとアポトーシス」,「ウイルスの細胞への侵入と膜融合」といった横断的なワークショップも組まれていて,異なるウイルスの共通事象について発表や討論が行なわれた。
以下に今学会全体の中から,強く印象に残ったことを選んで記していきたい。また,ワークショップについては筆者が参加したものに限られることをご容赦願いたい。
オープニング
学会のオープンニングはなかなか凝ったものだった。歌と踊りのデモンストレーションではじまった開会式では,まず,オーストラリアのウイルス学について説明があった。免疫学の分野においてクローン選択説でノーベル賞を受賞したM. Burnetは,当初ウイルスを研究していて,その後,免疫学へ転じた。それ以来,オーストラリアでは初めにウイルス学を勉強してから免疫学へ転じることが一般的になったそうだ。そういう流れの中から,1997年にウイルスに対する感染防御免疫の研究でノーベル賞を受けたP. Dohertyを輩出した。一方,F. Fennerは免疫学に転進せずにウイルス学を続け,ウイルス学の教科書でおなじみの有名なウイルス学者になっている。続いて,そのF. FennerとD. A. Hendersonが天然痘ウイルスの撲滅に対する功績で,国際微生物学会とオーストラリア微生物学会から表彰された。F. Fennerは天然痘ウイルスの生態・増殖などの性状を研究し,さらにD. A. Hendersonは天然痘撲滅プロジェクトをWHOで直接に指導した。そして,1979年までの10年余りをかけて,地球上から1つの微生物が人為的に消滅されたわけである。現在は,同様にポリオウイルスの根絶計画が進んでいて,すでに1991年には北半球からポリオウイルスは根絶された。21世紀早々にはポリオウイルスも完全に地球上から根絶される見込みだそうだ。ここでは,さらに根絶されたはずのウイルスが,生物兵器としてテロリズムや戦争で使用される可能性も指摘された。このようなバイオ・テロリズムに関しては,最終日に一連のシンポジウムが組まれていた。
全体シンポジウム
開会式の次の日には,「21世紀のウイルス学」と題する4人のノーベル賞学者の講演があった。P. Dohertyはウイルスに対する宿主免疫におけるCD8+細胞について,R. Zinkernagelはマウス個体での全身のT細胞性免疫反応のための条件について述べた。また,S. Prusinerは自身で確立したプリオンに関する研究をまとめて報告した。D. Baltimoreは,現在の問題であるエイズウイルス・ワクチンについて,到達点とこれからの課題について述べた。エイズウイルス感染では確かに初期にCTL反応が働くが,結局ウイルスを排除するにはいたらない。この原因の1つはエイズウイルスが感染細胞のHLA-AやHLA-Bを減少させるためだ。そこで彼は,もっと効果的なCTL反応を起こす抗原を作製することと,B細胞あるいはT細胞の記憶についてもっと理解することの必要性を強調した。
ウイルス蛋白の構造解析の話も聞き応えがあった。脂質エンベロープを持つウイルスが宿主細胞に感染する時には,ウイルスが細胞表面の受容体に結合した後,膜融合蛋白でエンベロープと細胞膜が融合して,ウイルス遺伝子が細胞内へ注入される。この膜融合反応のためには,膜融合蛋白が構造を変えることの重要性が指摘されていた。J. J. Skehelはインフルエンザウイルス,エイズウイルスの膜融合蛋白で,これらの異なる構造それぞれの蛋白結晶化と立体構造について述べた。また,F. X. Heinzはフラビウイルスの表面糖蛋白の構造解析について講演した。フラビウイルスの表面糖タンパクは,他のウイルスと違って,“突起”ではなく平べったい構造をとって二量体を形成している。ウイルスが細胞に吸着してエンドソームへ取り込まれると,その酸性環境が引き金となって膜融合を起こす構造に変わり,三量体をとるようになる。このように膜融合蛋白の構造変化が明瞭に解析されていることがわかった。
また,その次の日の「分子生物学」では,G. W. WertzがVSV(水疱性口内炎ウイルス)のリバース・ジェネティクスについて述べた。人工変異導入による調節配列の詳細な検討を報告し,さらに遺伝子の順番を入れ替えたウイルスについて報告した。この種のウイルスは一本鎖の遺伝子を持ち,その上の遺伝子の順番によって遺伝子発現の量が決まっている。この順番を入れ替えると各遺伝子の発現量のバランスが崩れて,ウイルスは親株に比べて弱毒化して,よい生ワクチンになることがわかった。従来の点突然変異型の生ワクチンに比べると,強毒復帰株が出現する率はかなり低くなるということを強調していた。他にJ. Carringtonによって,植物で外来遺伝子の転写が不活化される現象の分子機構についての報告があった。これは植物の一種の免疫機構といえるものだが,植物ウイルスはこの機構を無力化してウイルス蛋白を効率よく作らせることができる。ウイルスの解析から宿主の研究が進むということの好例だと思う。
インフルエンザウイルス
インフルエンザウイルスをDNAから人工合成することに,ウィスコンシン大学の河岡義裕教授のグループが成功したというニュースが最近,日本でも報じられた。今までインフルエンザウイルスの8本の遺伝子のうち,1本だけを入れ替えることは可能だった。しかし,それにはヘルパーウイルスを使わなくてはならず,新しく生成した組換えウイルスを,使用したヘルパーウイルスと分離しなければならかった。したがって,有効な選択方法がなければ変異ウイルスが作れず,また,ウイルス作製の効率も低かったので実用になりにくかった。新しい方法は,複数のDNAを細胞にトランスフェクションするだけで生きたインフルエンザウイルスができて,しかもウイルス回収率が格段に高いという特徴がある。インフルエンザウイルスや他の関連するワークショップで,実は世界の他の2つの研究室でも成功していたことが相次いで報告された。それぞれの研究室の方法は,少しずつ異なっており,トランスフェクションした細胞からのウイルス回収効率も異なっていた。この中で,河岡教授の方法が効率がもっともよく,しかもすでに論文として一歩早く世に出ているので,プライオリティが認められたようだ。このことは学会を通していろいろな場で再確認された。研究の競争と勝ち負けを,はっきり目の当たりにしたような気がした。
今回の新しい方法では,今まで難しかったポリメラーゼ領域に変異を導入できる。しかもウイルス増殖に致死的なある種の変異も,“偽粒子”を作って研究することが可能である。すでにこの方法を使った成果が報告された。あとで河岡研究室の研究者に聞いたところでは,この技術が他に広まる前に世に発表できる結果を出すために,従前の仕事を中断してこの技術の応用実験をしているそうだ。まだ,競争は続いているのである。