医学界新聞

「第8回家庭医療学夏期セミナー」に参加して

大西弘高(天理よろづ相談所病院・内科シニアレジデント)



 第8回家庭医療学夏期セミナーは佐賀県三瀬村の国民宿舎湖畔荘で8月2日から4日の3日間の日程で行なわれた。これまでの最高である約90人の参加があり,非常に内容の濃い討論が連日行なわれた。

なぜ家庭医は必要なのか

 まずはじめに,「なぜ家庭医は必要なのか」と題して,学生を中心にグループ討論が行なわれた。
 「家庭医と言われて抱くイメージ」として,かかりつけ医,医療を様々な背景を含めて認識している医師,広く浅く診る医師,心身共に診る医師,相談相手というような意見があげられた。「将来への問題点」については,家庭医になった後に進路変更は可能か,プライマリケア医学の実践を教育するシステムはあるか,ハイテクノロジーとプライマリケアの架け橋がないのではないか,という実際に家庭医になることを想定した疑問が提出された。
 また,「家庭医が本当に求められているのか」に関して,患者の大病院志向も叫ばれてはいるが,やはり家庭医へのニーズは衰えていないという肯定派と,現在の社会の状況からは個人商店(家庭医)からデパート(大病院)への患者の移動は当然の結果といえるのではないかという否定派に分かれた。これからの家庭医は個人商店ではなく,コンビニエンスストアのような発想が必要ではないかという意見にはうなずけたが,実際に求められる家庭医像は具体化しにくかった。
 引き続き,津田司先生(川崎医大総合診療部)による「家庭医とは何か」と題した教育講演が行なわれた。家庭医といわゆる開業医とのコンセプトの違いが明らかになり,理想的な家庭医像が具体化できるような講演であった。
 家庭医の必要性は以前と変化はないはずであるが,医学の進歩に従って専門医志向が強まり,診療所の開設者が減少する傾向がある。ヨーロッパ諸国では家庭医を育成するプログラムが発達し,General physicianという広い専門性を持った医師が活躍している。しかしアメリカでも家庭医の専門家は少ないのが現状である。
 家庭医療の領域として,患者個人のみでなく家族指向および地域指向のケアが求められる。家族や地域の評価や健康づくりといった広い視野が必要となる一方,患者個人についてもSomatization(身体化)への対応,行動科学的手法など,より深い知識が要求される。
 家庭医になるにはどのような研修が必要かについては,現状よりも幅の広い,レベルの高い家庭医研修が必要という厳しい意見であった。大学病院や大病院での研修で疾患についての幅広い知識を持つとともに,一般診療所においても家庭医として必要な地域医療,全人医療的な視点を学ぶことでそれが達成されるだろう。この目標のためには,外来診療のAuditができ,また指導医が側にいるようなモデルクリニックで研修することが望ましいと思われた。

SPを用いたコミュニケーション教育

 SP(模擬患者)を用いたコミュニケーション・スキルのトレーニングは,藤崎和彦先生(奈良医大衛生学)の司会で行なわれた。まずコミュニケーション教育の必要性についての簡単な講義があり,患者の満足度は,医師の治療技術よりも態度が患者に受け入れられやすいかどうかにより大きく寄与すること,医師が説明のためにたくさん話をするよりも,患者がたくさん話をするほうが治療に対するコンプライアンスがよいといったデータが示された。対患者関係においては,以前のようなパターナリズム(父権主義)ではなく,開かれた共感を持って接し,患者の自己決定を促していく必要性を改めて認識した。
 引き続き,SP2人により,2種類のシナリオに沿ってのインタビュー・トレーニングが行なわれた。
 医師を演じる医学生と,患者を演じるSPとの会話は周囲で見ていると微妙にズレが生じ,そのズレからインタビュー手法を学ぶことができた。
 1例目は26歳男性が仕事のストレスにより十二指腸潰瘍の再発をきたすというシナリオであった。仕事に疲れていて休みたいが,胃カメラのような辛い検査は余り気が進まないというのがSPの演じた立場であった。十分な共感を示そうとした学生の意図が,SPにはくどいと映ったり,もっと仕事のストレスのことに立ち入りたいが切り口が見つからなくて学生がイライラしている様子が伝わったりと意外と医師と患者間のコミュニケーションの難しさが実感できた。
 2例目は,尿路の刺激症状で受診した35歳女性がケトーシスを伴った糖尿病であることが初めて判明するというシナリオであった。尿路感染だけでなく,性行為感染症を心配し,糖尿病のことなど全く意識していない初診患者にBad news tellingを含む説明をいかに行なうかが論点であった。尿路感染をまず説明した後,糖尿病のことを次いで説明するなど,尿路感染と糖尿病の関連性についても説明しており,SPから工夫しているとの評価を受けていた。
 Closed questionでなくOpen questionをできるだけ増やすなど,患者にまず話をさせ,遮らないようにするというようなコミュニケーション・スキルは理屈ではわかっているはずである。しかし,SPを用いたトレーニングの場において,意外と上手くいかないことに気づかせられたことがこの学習の狙いと言えるだろう。

臨床医療倫理を症例に反映させる

 白浜雅司先生(三瀬村診療所所長)の司会で,臨床医療倫理の考え方を用いた症例検討が行なわれた。まず臨床医療倫理が必要になった背景に,1960年代にアメリカで起こった人権運動の1つとして,患者の中にも「自分の身体のことは医師任せにせず,自分の意志によって決定しよう」という気運が高まったこと,透析装置や遺伝子治療など,医学や医療技術の進歩が新たな倫理的な問題をもたらしたことなどをあげ解説。次に,具体的な臨床医療倫理の考え方として医学的適応,患者の意向,QOL,周囲の状況の4分割表を作成し,医学だけでなく,広い視野から分析的に考える方法が提示された。この方法を用いて,白浜先生が実際に三瀬村で経験された症例にどう対応するかを考えてみることになった。 症例は,左視床広汎出血後片麻痺になった55歳男性。顔面のしびれ感や四肢の視床痛が残り,退院後はリハビリの意欲もなくし,家で寝たきりの状態で,妻にも攻撃的になっていた。足に皮疹ができたということで往診したところ,「こんな体で生きていてもしょうがない,早く安楽死の薬を出せばいいんだ」と要求した。この症例について作成した4分割表の1例を挙げた()。


 分析をもとに,この症例にどう対応するかについては,患者の感情を受容し,生きる意味を見出せるように家族とともに働きかけることや,リハビリだけでなく入浴など少しでも患者が快適にすごせるような工夫をするというような意見が出された。
 この症例へのコメントとして,斉場三十四先生(佐賀医大社会学教授)は,最初の病院を退院した後の在宅でのケアの不十分さを指摘した。現在の日本では限界があるとしながらも,医療ソーシャルワーカーや保健福祉サービスがもっと力を発揮していれば,もっと異なった経過であっただろうとの意見であった。藤内修二先生(大分県宇佐保健所所長)は,脳卒中情報システムの活用で,このような事態は防げるだろうと語った。藤林武史先生(佐賀県精神保健福祉センター)は,要介護高齢者にはうつ状態が珍しくないとした後で,精神保健福祉センターの一層の活用を呼びかけた。

どのように研修するか

 総合討論「どのように研修するか,先輩との意見交換」は,藤崎先生の司会で行われた。まず川崎医大総合診療部,佐賀医大総合診療部,天理よろづ相談所病院総合診療教育部,東葛病院,日鋼記念病院,自治医科大学地域医療学教室から,それぞれの病院の概要と研修目標,研修プログラム,指導スタッフ,研修医の待遇,研修後の就職先についての説明があった。家庭医になるための研修プログラムは,川崎医大,日鋼記念病院,東葛病院,自治医大が理想に近い状態であるように思われた。それに比べると佐賀医大,天理よろづ相談所病院は,いわゆるGeneral internal medicineとしての教育には定評があるが,家庭医としての教育はまだ十分に整備されていないという印象を受けた。
 しかし,個人で数々の病院を渡り歩いて研修を進めてきた武田伸二先生(東町ファミリークリニック)の話から,様々な研修方式があり,どのような経路を辿っても目的地には到達できると励まされた。今後の動向として,理想的な家庭医教育のシステムが設けられるのかどうか,家庭医の認定医・専門医の制度は作られる予定があるのかどうかといった点は気になるところであるが,まだそういった面での整備は追いついていないようである。
 全体的に日程が詰まっており,忙しい3日間ではあったが,みんなの熱意は冷めることがなく,むしろ今後も家庭医,地域医療,全人的医療,総合診療といった視点を忘れずに生きていきたいと願う仲間が,こんなにもたくさん集まったということに喜びを感じていたように見えた。正規のプログラム以外にも,休憩時間に情報交換をしたり,夜中に酒を酌み交わしたりということで,新たな目標をつかんだ者も少なくなかっただろう。今後も本セミナーが,このような理想に燃える医学生や医療者の集う場になることを期待する。