医学界新聞

連載
脳 腫 瘍

脳腫瘍のリスク因子
発生原因から遺伝子治療まで(2)

山口直人(国立がんセンター研究所がん情報研究部長)

多様な疫学像が見られる脳腫瘍

 脳腫瘍の罹患率は,わが国でも諸外国でも増加傾向を示している。この増加傾向が,脳腫瘍のリスク を増加させる環境因子によるものかどうかは簡単には言えない。CTやMRIの普及によって,脳腫瘍の診 断精度が格段に向上したことが脳腫瘍の罹患率が増加傾向を示す原因であると論ずる向きもあるが,見か け上の増加だけですべてを説明できると考えるのは早計である。脳腫瘍発生のリスク因子,予防因子の研 究は,他のがんに比べて遅れていると言える。一口に脳腫瘍と言っても組織学的には極めて多様であり, その疫学像にも大きな多様性がみられることが研究の立ち後れの原因としてまずあげられる。組織型によ る高発年齢の違いも大きく,そのリスク因子も若年発症の脳腫瘍と成人の脳腫瘍では異なることが予想さ れる(図1図2図3)。

若年発症のリスク因子

 若年発症の脳腫瘍では,妊娠中に母親を介して胎児の曝露する諸因子が特に注目される。母胎中ある いは幼児期において,放射線検査や放射線治療で電離放射線に被曝した場合に脳腫瘍が増加することはよ く知られた事実である。しかし,最近の放射線診断で用いられる線量は以前と比べると格段に低くなって おり,現在の放射線診断での被曝で脳腫瘍が増加することはあまり考えられない。頭部白癬の治療の目的 で,放射線を用いた場合には1-2Gyの被曝で脳腫瘍が7倍に増加したという報告がある。高線量の放射線 被曝が脳腫瘍のリスクを増加させることは間違いないと言える。
 他に,出産時頭部外傷,母胎中あるいは小児期のバルビタール剤や殺虫剤での曝露,親が職業で化学 物質,特に多環芳香族炭化水素に曝露した場合に,子どもの脳腫瘍リスクが高くなるという報告があるが, いずれも結論として確立はしていない。
胎児・乳児期のニトロソ化合物曝露
 最も注目されているのは,胎児期あるいは早期小児期にN-ニトロソ化合物に曝露した場合の脳腫瘍 の増加である。動物実験では,N-ニトロソ化合物に経胎盤的に曝露した場合に脳腫瘍が増加することが 知られている。胎児の神経系は,成人に比べて50倍も発がん物質の影響を受けやすいことが知られており, このために脳腫瘍が増加すると考えられている。
 母体内でN-ニトロソ化合物に曝露する原因として,妊娠中の抗ヒスタミン剤,利尿剤の服用があげ られるが,子どもに脳腫瘍の増加を認めたという報告も認めなかったという報告もあり,結論は出ていな い。
 疫学研究でも,薫製肉を多く摂る人に脳腫瘍の増加が認められたという報告が複数あるが,これは薫 製肉に多く含まれる亜硝酸塩がN-ニトロソ化合物の生成を促進することが原因である可能性も考えられ る。逆にビタミンCはニトロソ化合物の生成を抑える働きがあり,脳腫瘍の発生に予防的に働く可能性が ある。
 最近の疫学研究で,乳児期に「おしゃぶり」を使った子どもに脳腫瘍が多いという報告がある。ただ 1つの研究で結論を出すことは危険だが,ゴム製のおしゃぶりはN-ニトロソ化合物を多く含んでおり, それが脳腫瘍の増加を説明するかもしれないという主張もある。
小児期におけるリスク因子
 妊娠中に母親を介して,あるいは小児期に煙草煙に曝露した場合,子どもの脳腫瘍のリスクが増加す るか否かを研究した報告は数多い。しかし,母親が喫煙した場合に子どもに脳腫瘍が増加したという報告 はむしろ少ない。一方で,父親の喫煙によって母親あるいは子ども自身が受動喫煙として煙草煙に曝露し た場合に,子どもの脳腫瘍のリスクが上昇するという報告はいくつか見られる。煙草の主流煙よりも副流 煙のほうに,N-ニトロソ化合物の一種であるニトロサミンの含有量が多いということが,この一見矛盾 した現象を説明する可能性もある。
 高圧電線や変電設備の近くに居住する子どもにがんが多いという報告が,1970年代の終わりになされ た。特に脳腫瘍については複数の研究が2倍程度のリスクの増加を報告している。極低周波の電磁波への 曝露が脳腫瘍の増加の原因であると考えられているが,早期の疫学研究では電磁波の曝露量が的確に測定 されていないなどの問題も指摘されており,結論を出すには至っていない。
遺伝と脳腫瘍
 遺伝的な疾患として,neurofibromatosis, von Recklinghausen病,Turcot症候群,Li-Fraumeni症候群な どの家系に脳腫瘍が高発することが知られているが,全脳腫瘍に占める割合はわずかであろう。一方,特 に遺伝性疾患とリンクしていない脳腫瘍患者の家族における家族歴を調べると,脳腫瘍のリスク が3-10倍程度高いことが報告されている。また,骨腫瘍,造血器腫瘍の増加も認められるという報告もある。 したがって,これまでに知られている遺伝性疾患とは別に家族性に脳腫瘍のリスクを増大させる因子が存在 する可能性も否定できない。

未知の部分が多い成人発症因子

 成人の脳腫瘍の原因については,若年発症の脳腫瘍以上に原因については未知の部分が多い。若年が んのところですでに述べたN-ニトロソ化合物への曝露は,成人においても脳腫瘍のリスクをあげる可能 性がある。曝露源として,薫製肉,ある種のビール,そして煙草煙があげられるが,体内で硝酸塩,亜硝 酸塩,アミンを多く含む食物を前駆体として合成される内因性N-ニトロソ化合物も無視できない。また, すでに述べたように,ビタミンCは内因性ニトロソ化合物の生成を抑える役割があり,脳腫瘍の予防因子 として注目されている。
研究結果が待たれる電磁波曝露
 電磁波曝露が成人の脳腫瘍のリスク因子でもある可能性は否定できない。職業性に電磁波に曝露した 者に脳腫瘍が多いという疫学研究が報告されているが,それらは電磁波への曝露量を直接測っておらず, 結論を出すほどの説得力は持たない。米国で携帯電話,コードレス電話の利用と脳腫瘍に関する大規模な 研究が行なわれており,その結果が待たれている。
喫煙とアルコール
 その他のリスク因子では,多くのがんの原因である喫煙は,脳腫瘍を増加させるという報告は多くは ない。アルコールは,ビールが脳腫瘍のリスク因子としてあげられることがあるが,その他のアルコール 飲料は特にリスク因子として働くというデータはない。また,HIV(Human Immunodeficiency Virus) やEBウイルスと脳腫瘍の関係を指摘する報告もあり,今後の検討課題である。さらに,最近の疫学研究で農家 に居住する人に脳腫瘍が多いという報告があり,殺虫剤などの化学物質の利用との関係が改めて注目され ている。

注目される今後の研究

 以上,若年発症と成人型に分けて脳腫瘍のリスク因子を述べてきたが,リスク因子として十分な証拠 があるのは,遺伝的素因と電離放射線のみである。食餌,薬品等に由来するN-ニトロソ化合物がリスク 因子である可能性はあるものの,仮説の段階にすぎない。体内でのN-ニトロソ化合物の生成を抑制する ビタミンCなどの微量栄養素の予防因子としての役割も,今後さらに検討していく必要がある。
 最近特に注目されている低周波の電磁波曝露と脳腫瘍の関係については,十分な精度を持って曝露量 の推定ができる疫学研究の結果が待たれるところである。