(『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』統合記念座談会より)脳科学,神経科学の今後の方向を探る――基礎研究から疾患の診断・治療の進歩へ |
前列左から高橋孝雄氏,辻省次氏,加藤庸子氏,水澤英洋氏。
後列左から藤堂具紀氏,伊佐正氏,岡部繁男氏,加藤忠史氏。 |
弊社発行の雑誌『脳と神経』(1948年創刊)と『神経研究の進歩』(1956年創刊)は2007年1号より統合し,『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』として新たにスタートする。
『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』は,『神経研究の進歩』のレビュー方式を踏襲し,また『脳と神経』の臨床志向を継承し,基礎から臨床にわたる「神経科学の現在」を理解するのに欠かせないテーマを取り上げ本格的にレビュー。“これ1冊で神経科学領域における必要かつ十分でupdateな情報”を獲得できるような「和文神経科学専門誌」をめざしている。
統合誌発刊を記念した「脳科学,神経科学の今後の方向を探る――基礎研究から疾患の診断・治療の進歩へ」と題する座談会では,東大神経内科教授の辻省次氏の司会のもと,基礎,神経内科,脳神経外科,小児神経学,精神科,各領域の第一線の研究者にお集まりいただき,それぞれの立場からお話しいただいた。本紙では座談会の冒頭部分を紹介する。全文は2007年1月発行の『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』59巻1号を参照されたい。
辻 これまで臨床に焦点をおいて編集されてきた雑誌『脳と神経』と,基礎研究に重点を置いた『神経研究の進歩』という2つの雑誌が,今回統合されて『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』という1つの雑誌になりました。これは最近の,疾患の研究から脳の基礎研究まで,脳科学,神経科学の研究がボーダレスになっている時代にマッチした動きではないかと思います。本日は,臨床からは神経内科の水澤先生,精神科の加藤忠史先生,小児科の高橋先生,脳神経外科の加藤庸子先生,藤堂先生にご出席いただいております。また,基礎系からは伊佐先生,岡部先生にご参加いただきました。非常に幅広い分野をカバーした先生方にお集まりいただきまして,この領域の最近の進歩あるいは日本の課題,今後の発展の夢について語っていただければと思います。
ボーダレス時代を迎えた脳科学,神経科学の研究
辻 最初に,最近のトピックスを,それぞれの領域から紹介していただければと思います。まず,基礎の脳科学分野から,岡部先生に口火を切っていただこうと思います。先生は分子イメージング等を駆使してシナプスの伝達機構や可塑性の研究を展開していらっしゃいますが,ここ1年ぐらいの大きなトピックスをご紹介いただければと思います。◆分子細胞学:遺伝子の変化が行動に
岡部 私は基礎の中でもいちばん基礎で分子細胞の研究を専門としています。今までの研究の流れとしては,遺伝子を何か変えた時に行動が変化するということを解析する,という手法を用いて,遺伝学的解析が非常に進歩してきました。ただ,遺伝子が変わって最終的な行動が変化するという,その間のつながりがどうなっているのかが,今まではブラックボックスのままだったと思います。その関連を調べるのに細胞レベルの研究が非常に重要だと思うのですが,ここ4-5年の進化としては細胞レベルで脳の中で何が起こっているのかが,ある程度わかるようになった。それは,例えばシナプスに存在している分子というものが,今までは1-2個の分子しか知られていなかったものが100個以上のものが同定されて,それらの性質や相互作用が明らかになってきたということです。
ただ,それだけですと,どうしても試験管の中で何かを再構成する,あるいは培養系で何かを再構成して結果を見るという域を出なくて,それと実際に脳の中で起こっていることのつながりが,直接的には証明のできないことだったのです。そのギャップが,この1年ぐらい,in-vivoで実際の神経細胞を観察できる技術が発達して,脳の中の分子を見ることが可能になったことで埋められつつある。そのことが非常に大きな変化だと思います。
実際に脳の中で,どのように神経細胞が形を変えるのか,あるいは形が変わるだけではなくて,その細胞の中の分子がどのように変化するのかを目で見ることで,今までは「分子から行動」の間がブラックボックスだったのが,中味を解析できるようになった。これはこの分野をやっている者にとって長年の夢が実現した,といえるほどの進歩ではないかと思っています。
辻 遺伝子とcognitionといいますか,この間のつながりというのはいま非常に広がってきていると思いますね。
岡部 そうですね。
辻 その点も含めて伊佐先生,生理学の分野の研究の進歩についていかがですか。
◆生理学:物質である脳に精神機能がどうして宿るか?
伊佐 脳の基礎研究をやっている人たちのいちばんの原点は,物質である脳にどうして精神機能が宿っているのかを明らかにしたい,ということだと思います。これまでは,高次の脳機能,例えば記憶・情動・注意といったことを研究する人と,物質としての脳を研究する人とが,分かれていたという傾向がありました。いま岡部先生がおっしゃったように,その間を埋めるような研究がこの5-10年,非常に盛んになってきたと思います。
その1つの原因は,80-90年代にかけてさまざまな分子のクローニングがなされ,今度は個体全体の中でそれらの分子の機能を見たいという流れになってきたことにあると思います。この点では分子神経科学の方も高次脳機能の研究をしている人も同様な考えを持つようになってきていると思います。もう1つの原因としてはテクノロジーの開発がいろいろあったことが挙げられると思います。1つには,人間の脳機能をイメージングする方法の発展があります。PETに始まって,functional MRIを使うことによって,人間が実際に思考活動や精神活動を行っている時の脳の活動を計測することができます。また,別のラインとして,動物モデルとしてサルを使った高次脳機能の研究が大きく発展してきたことが挙げられます。この分野では,世界をリードする研究者が日本にたくさんいます。そういうものが,組み合わさってきたということが大きいと思います。
これまでは,マッピングといって単にどこが何をしているかという場所を調べることが主になされていたわけですが,そこでどういう情報処理が行われているかということを,信号検出理論などをうまく使うことで,単に相関関係を見るだけではなくて,ある神経活動と機能とにどういう因果関係があるかというところまで踏み込んだ解析をしようというのが1つの流れになってきたと思います。
今後の動向としては,例えばマウスで1個の遺伝子を破壊した個体にどういう異常が出るかというところでは,分子の専門家と高次脳機能の専門家が共同研究をする必要性が非常に強く感じられるようになってきたように,もう少し全体を統合して皆で知恵を出し合って,研究を進めていこうという流れが強くなってくると思います。
そういった流れを推進するために例えば文科省の特定領域の研究で「統合脳」というかたちをとって,そこには神経科学から神経回路をやっている研究者,分子科学,脳科学,病態,そしてそれらをつなぐmultidisciplinaryな研究グループを構成しています。そこでは,非常に多くの研究者が一堂に会して一緒に研究を進めています。この班の研究活動は今年2年目になりますが,班会議などでも,そういう異なる研究者が共同研究をしていたり,例えば同じシンポジウムで,大脳基底核をめぐってさまざまな領域の人たちが議論するということもずいぶん行われるようになってきています。それがこの間の新しい展開だと思います。
(以下,『BRAIN and NERVE-神経研究の進歩』59巻1号をご覧ください)
出席者(発言順)
辻省次氏(司会)
東京大学医学部神経内科学教授
伊佐正氏
自然科学研究機構生理学研究所認知行動発達機構研究部門教授