医学界新聞

 

教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔 第11回 〕 病名と投薬


前回よりつづく

 今回は病名と投薬にまつわる用語について語ってみたい。いろいろな癌の名称については以前に書いたので,炎症や潰瘍などの良性疾患,あるいは感染症の起因微生物の通称などを取り上げよう。


【例文】

(1)細かい粒状影を見てまずミリテーを考えるのはよいが,他に甲状腺のメタや肺野型のサルも鑑別に挙げないとだめだよ。
(2)うちの病院ではいまマーサが悪さをして大変なんですよ。
(3)ケモは今日で一旦終わりにして,マーゲンミッテルだけドゥーで出しておこう。

標準的な日本語に訳すと
(1)細かい粒状影を見て粟粒結核を考えるのはよいが,他に甲状腺癌の転移や肺野型のサルコイドーシスも鑑別に挙げないとだめだよ。
(2)うちの病院ではいまメチシリン耐性黄色ブドウ球菌がはびこって大変なんですよ。
(3)化学療法は今日で一旦終わりにして,胃薬だけ前回と同内容で処方しておこう。

テーベー

 結核Tuberkulose(トゥベルクローゼ)のことを表す略称テーベーは今でも医者語として非常によく使われている。以前ご紹介したエムケー(Magenkrebsの略,本来ならばエムカー)などのがんの俗称とは違って,ちゃんともとの言語のアルファベットで読まれている。ここから派生して,粟粒結核Miliartuberkulose(ミリアートゥベルクローゼ,英語ならmiliary tuberculosisと二語になるところを,またまたドイツ語お得意の合体だ)をミリテーと俗称する。腸結核の症例が少ないせいもあって最近は使う人がほとんどいないが,ダルテー(Darmtuberkulose ダルムトゥベルクローゼ)という言い方もあった。Darmとは「腸」(英:intestine, bowel)のこと。

 なお,正確には「――の転移」というべきところを口頭では,例文1のように「――のメタ(英metastasis,独Metastase:転移)」と元の臓器名だけに縮める言い方もカンファレンスなどではよく聞く。

おサルさん?

 サルコイドーシス(sarcoidosis)がサルコイと略称されることは以前から知っていたが,胸部レントゲン写真の勉強会でさらに縮めた「サル」という言い方が出てきたときには一瞬面食らった。文脈上,まさかサルエイズ(simian AIDS)の意味ではないだろうとは思ったが……。ところで,サルコイドーシスに似た長さと語呂の病名用語アミロイドーシス(amyloidosis)をアミロイだとか,アミだとか略称するのは聞いたことがない。なぜだろう。

緑ちゃん

 感染症も原因微生物のはじめのほうを取った略称が盛んに使われている。よく知られたところでシュード(Pseudomonas aeruginosa:緑膿菌),アスぺ(Aspergillus:アスペルギルス),クリプト(Cryptococcus),マイコ(Mycoplasma)。最後のは京都暮らしが長かったせいでついつい舞妓さんを想起してしまう。可愛らしい連想ついでに書くと,緑膿菌には「緑ちゃん」という愛称(?)もある。名前に似合わずとんでもない悪さをするのだが……。

 なお,胃炎や胃がんの原因・誘因として有名なHelicobacter pyloriは例外的に,アタマのヘリコよりも後ろのピロリが略称として圧倒的に優勢なことはご存知の通り。

マーサって誰?

 感染症関係でよく使われる造語法としてはもうひとつ,頭文字略語がある。例えば非定型抗酸菌の代表的な菌群Mycobacterium avium-intracellulare complexをマック(MAC)と呼ぶことは広く普及している。アップル社製コンピュータの愛称からの連想で覚えやすいのだろう。

 その頭文字略語のうち,MRSA(methicillin-resistant Staphylococcus aureus:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が一部で「マーサ」と発音されていることには違和感がある。Mの後ろに母音なんかないじゃないか。筆者は実際にマーサが人名だと勘違いして,例文2のような内容の発話がとっさに理解できず苦労した経験がある。マーサと言うのと,エマーレスェイとアルファベット読みするのと,いったい何マイクロセカンド違うというのだろう。ほんのわずかな時間差の見返りには,失う疎通性が大きすぎるように思えるのだが。ちなみにMarthaは英語圏ではそれほど珍しくない女性の名前。少し前に米国で「カリスマ主婦」Martha Stewartがインサイダー取引関連の罪で実刑判決を受け,収監されたニュースを思い出す。

ミッテル

 抗がん剤による化学療法(英:chemotherapy)をケモと略称するのは大変広く行われている。発音も用法も問題なさそうなので解説は省略。医者語としてはもっぱら「くすり」のことを指すドイツ語Mittel(ミッテル)はMitte(ミッテ:中央,中心)の関連語で,原義は「手段,方法」,そこから「病気を治すのに使う物質」の意味が派生した。Heil(ハイル:健康)やArznei(アルツナイ:薬剤)と組み合わせた複合語Heilmittel,Arzneimittelにすれば医薬品という意味がより明確になる。例文の「胃薬」をはじめとして用途ないし目的臓器を表す語の後ろに付く複合語もたくさんある。Herzmittel(ヘルツミッテル:強心剤),Schlafmittel(シュラーフミッテル:眠剤)などなど。Schlafは寝ること,睡眠,英語のsleepにあたる。ああ,そう言えば! とキャンプなどでおなじみのSchlafsack(シュラーフザック:寝袋)を思い出される方も多かろう。

ディトゥ

 前回と同じ処方内容という意味でdoと書く記号のことを,たくさんの人が英語の動詞「ドゥー」から来たと思っているらしい。目的語もなしに「せよ!」では意味が通じないから,日本語の「同」のローマ字表記だろう,と考えている先生もおられる。ところが英和辞典を引くとびっくり,イタリア語起源のdittoの略だそうで,英語としての発音は[dítou]。綴りも略語だとわかるように末尾にピリオドを添えるのが正しい。「言う」という動詞の過去分詞だから,「言われたこと,前に言った通りのこと(what was said)」ということらしい。英語圏では処方箋だけでなく,一般の会話や文章でも「同上(the same)」,「それと同じ」を意味する気取った言い回しとして使われるようだ。しかし日本の食堂で同僚が「僕,うなぎにする」と注文したのに続いて「ディットゥ!」はちょっとキザすぎるし通じまい。ドイツ語にもditoないしdittoの形で入っており,略した書き方はdo.だから英語版と同じ綴りになる。なお,手元の伊和辞典巻末の「動詞活用表」ではdire(言う)の過去分詞はdettoとなっている。イタリア語については素人なのでよくわからないが,英語にもドイツ語にもラテン語から現代イタリア語に変遷する途中の古い形,あるいはイタリアの中でもどこかの地方の方言形が入ったのだろうか。

エムゲー

 胃薬で思い出したが,古いカルテを見ていると胃透視の診断名などに単に「M.G.」とだけ書かれていることがある。これはMagengeschwürの略で,Geschuwür(ゲシュヴュール)は潰瘍のこと。ところが似た綴りと発音のGeschwulst(ゲシュヴルスト)というドイツ語もあって,こちらは腫瘤ないし腫瘍のことなので紛らわしい。まあ,診断が胃がんとはっきりしている場合はMKと書くことが多かったとは思うが。胃潰瘍の呼び名としては,ラテン語の教養のある先生がU.V.という表記を使っているのも目撃している。いまどき前後の文脈がなければ尿量を表す英語urine volumeあるいは紫外線ultravioletの略と間違われかねないが,ここはもちろんulcus ventriculiのこと。

つづく

次回予告
 次はいよいよ最終回になるので,特定のテーマにこだわらず,これまでに書き漏らした医者語を拾い集めてお届けしよう。ドイツ語系ではBrille,Kot,Luft,Hirn,Nebenniere,略語ではFAC,MENなどなど。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。 1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。